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12話:落ち続けた恋を埋めた後も(完結)
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これが、燃え尽き症候群というものなのかも。
ベッドで一日中過ごし、時間も日にちの感覚もなくなっていく。
本のページは捲る物の、読むことすら億劫になった。
両親や中学生の妹に起こされ、両親の車で大学に向かう毎日。
通ってはいたが、どう過ごしたか覚えていない。
2歳上の兄は、母方の実家である関西の大学を選んだので、休みの日以外では会わない。
4人兄妹の中で、僕は兄と一番仲が良い。そんな兄との連絡にも返さなくなった、夏休み。
「千草、ちょっと出かけよう」
僕は今日もベッドで、本も読めずに寝ていた。
笑顔の兄が部屋で僕に見せたのは、鉄道会社が発行した格安移動切符だった。
「……青春18きっぷ?」
----------12
久しぶりに見た兄は、変わらず健康的だ。
兄は、僕のリュックに僕の財布とスマホ。あとは適当に本を数冊。
荷物は僕ではなく、兄が持った。兄の誘導のまま駅に向かい、電車に乗る。
いつぶりだろう、電車なんて。
中途半端な時間のせいか、乗客は少ない。
僕らは窓から風景が見える、横並びの席の、真ん中に座った。
「どこ行くの」
「どこでも良い」
意味が分からず首をかしげると、兄は窓から外を眺めていた。
「切符に今日の日付印押されているだろ。5回分の回数券で、俺と千草の二人分。
沿線内の普通列車限定だけど、今日中に行けるところまでなら、どこでも行って良いんだ。改札も出入り自由」
だから降りたくなったら降りようと、言われた。
「……降りたいところなんて無かったら」
「終点まで行ったら良い。次にどうするか決まらないなら、逆方向でまた終点まで乗れば良い」
「なんで、そういう事をしようと思ったの」
「そんなんええ天気やから。関西の湿度と気温の相乗効果やばいで。こっちに戻るとな、出かけたなる」
「兄さん向こうの方言になってる。馴染み過ぎじゃないの」
なんだか兄が、織田作之助の小説の、キャラクターに見えてくる。
「しゃあない。向こうの言葉浴びてると染まってまう。……と、俺の大学生活は置いといて。
俺は久しぶりに弟と一緒に過ごせるし、千草も自分のしたい事をすれば良い。
本を読むには丁度良いんじゃないか? 乗ってる間は、車や自転車や人にぶつかる心配もない」
ていうか往来で読みながら歩くなよと、兄が持っていた僕のリュックを渡される。
僕の当たり前だったものは、このリュックの中にあるものだけだった。
本を買う為のお金と、本を読むためのスマホと、紙の本。
けど今は
「読みたい気分じゃない」
今までの自分じゃなくなり、思わずリュックを握る。
頷く僕に兄は「そうか」とだけ言って、また風景を眺める。
「とりあえず降りたい駅が来るまで乗って行くか」
僕の髪をぐしゃぐしゃにするほど撫でた。
兄の中では、まだ僕は『可愛い』弟らしい。
そうして何もせず、何も話さないまましばらく。
あまりに何もないので、僕は少しだけ顔を上げてみた。時計を見ると2時間を超えていた。
乗り降りする乗客は、僕らを気にしない。
風景が少し変わっていく窓から、線路が段々と海沿いになっていく。
なにより、兄が言う通り天気の良い日のおかげで、富士山がハッキリと見えた。
そういえば今は夏なのだと、空の鮮やかさと雲の形で気づく。
やがて車内から見えるホームの駅名は、三島。
そして次の泊まる駅を案内する、車内アナウンス。
「……ん?」
三島?
「兄さん、今どこって言った」
「次は函南だって」
「もうすぐ熱海なんだけど?」
「乗りっぱなしだからな」
平然と言っているが、兄は、まさか本当にこのまま終点まで行く気なんだろうか。
「滅多に電車に乗らないから驚くだろうが、東京駅までなら普通列車で5時間だ。だが、この線の終点は熱海だから乗りっぱなしでは東京には着かない」
「思考に返さないでよ」
「そんだけ目ぇまんまるにしといてよう言う。は~俺の弟は大学生になってもかわええわ」
「頭は撫でなくて良いから」
関西弁だし、ここは車内だ。僕にも年相応の恥はあるが、兄はマイペースだった。
「という訳で降りるぞ。このまま乗り換えて東京まで行くか? 手前には横浜か小田原もある。費用は任せろ」
その提案が少しだけ魅力的に思えたのは、兄の笑顔が大きい。兄の対人能力は、向こうで磨きがかかったようで、益々将来有望だ。
少しだけ迷ったけど、迷った事に僕は、どこか満足していた。
僕はずっと、選択することを放棄していたから。
兄はきっと、そんな迷う僕も、受け入れてくれる。
「……帰るよ」
「分かった。せっかくだから温泉入って、なにか食べて帰ろう。日帰りでタオルも借りれるところがある」
「うん……」
車内アナウンスは、終点の熱海を案内していた。
兄の勧められるまま足湯に行き、日帰り温泉に入り、ご飯を食べて反対の線に乗る。
夏でも観光客は多く、町は賑やかだった。
僕はずっと、静かな冬の中に居た。
あの冬の間、外なんて興味も持たず、与えられる目の前の事が僕の全てだった。
日差しの強い空を見上げていると、あれが現実だったのか怪しくなる。
残せる形も確証も無かったあの繰り返しは、まるで陽炎だ。
あの体験は、もしかしたらいずれ夢だったのかもしれないと、忘れてしまうのかもしれない。
二人座席の窓側から夕暮れを眺めて、それがたまらなく恐ろしく感じた。
碧の事が好きだった僕は、本当なのに。
行きとは違う思いで、リュックをぎゅっと握る。
縦方向の座席の、隣に座る兄を見た。兄はスマホで、何かの操作をしている。
帰路に向かう車内は、少し賑やかだ。
帰宅ラッシュとは重なっていないため、立っている乗客は少ない。
隣だから聞き逃しはなくても、少し声を張ってみる。
「……兄さん。相談があるんだ」
スマホを見ていた兄が、すぐに手を止めて視線を合わせた。
「文学部から教員免許って取れるかな」
兄は、今日一番の笑顔になったんじゃないかな。
なにせ家に着く頃には、手元のスマホで調べ上げた結果が全て並べられていたから。
僕が中学の時から、僕の事を僕より把握している兄の仕事は早かった。
畳に広がる資料一式に、既に兄は満足そうだ。
「千草は推薦で大学行ってるから、即退学や編入は体裁が悪い。
俺はお前を尊重したいが、千草の母校の在校生が苦労するから、我を通しすぎは良くない。目指す先が教員免許だしな。
今、出来る方法は二つ。
二年で必要単位を取って、三回生で教育学部に編入。もしくは、文学部のまま教員免許に必要な単位を上乗せする」
兄は僕が持っているカリキュラムや書類と一緒に、スマホの画面を操作する。
イキイキしているなあ。
「編入するメリットは、教育学部だと中・高と学校を選ばずに教員になれる。
後者だと、専門性としての強みが出る代わりに、高校などの特定した場所でしか働けない」
よどみがのない説明を聞き、僕なりに答えが出ている事を兄に確認する。
「兄さんのお勧めは?」
「後者の上乗せ。大体、今の1.5倍か、もうちょっと少ないぐらいの単位数。
千草も、なりたい場所は決まってるんだろうしな」
無茶を言うなあと苦笑するが、無茶を決めたのは僕だし、僕も同じ意見だった。
「ありがとう。文学部のままにするよ」
「おう。スケジュール調整は任せろ」
凄いピカピカの笑顔で言われたけど、兄は関西の大学に在校している。僕は県内だ。
しかも兄にとって、これから忙しくなる時期。
①この笑顔の前でも自立心で断る
②面倒なことをしてくれるから良いかと任せる
「ほどほどで良いよ」
③玉虫色の回答
そんな兄のペースで決着した会話を完全に終わらせたのは、ノックもなしに入ってきた中学生の妹だった。
「話終わった? なら今夜は、失恋したちぃちぃと私の女子会だから!」
こんなに一言一句、指摘しかない状況は初めてだった。
思春期で反抗期な中学生の女の子、怖い。
「万佑」
ちょっと待ってと、妹の名前を読ぶ。
「3つほど返事をお願い。1・ノックしよう 2・ちぃちぃて誰? 3・女子会って僕は男で万佑の兄だ」
あと、何より。なによりだ。
「なんで僕が失恋したって知ってるの⁈ 」
「4つ言った」
「ごめんなさい4つです、ご回答お願いします」
反抗期に逆らってはいけない。
ちなみに兄は僕の後ろで、資料を挟んで固まっている。面倒なので、放っておこう。
万佑は入口でドアを開けっ放しにしたまま、だるそうに返した。返しただけありがたいと思う。
「えー、ノックは覚えてたらする。でも私の部屋は絶対ノックして。
ちぃちぃは千草だからちぃちぃ。恋の話は女子会だから。私、女の子」
妹なりの理屈を理解する間もなく、万佑は、僕を見下ろしながら目を三日月にした。
嫌な予感がする。
「失恋は、ちぃちぃが言ったよ?
全然部屋から出て来なかった時に、起こして来てって言われて入ったら言った。
『失恋してしんどいから寝かせて』って」
僕は座っていた場所から崩れ落ちた。前門には人の失恋話に期待している妹。そして後門には復活した兄。
「ち、千草、失恋て相手は本か⁈ 本は人じゃないぞ? まさか人なのか⁈」
「うっさい」
冷たい声に、兄の矛先が万佑に向いた。
「煩くもなるだろ⁈ あとなんで万佑は、千草はちぃちぃなのに、俺には兄呼びどころか名前すら呼んでくれないんだ。家族でも難しい年ごろでも、そこは礼儀だ大事にしてくれ。昔みたいに百夛お兄ちゃんと」
「うっざ」
「いや、兄さん。ちぃちぃはもう名前じゃない」
僕の部屋で兄妹喧嘩が始まった。当たり前かもしれないが、顔のパーツだけ見ると僕たち3人は似ている。姉は少し系統が違うので、こういう不毛さが際立つ時は姉の仲裁が欲しい。
十和姉さん、今年の夏はいつ帰って来るかな。
結局、あらいざらいを何が何でも回避しつつも、妹と兄に話す羽目になった。
失恋って一人で抱えなくても良いらしいと、この時知った。感謝はしにくいが。
その次の日。
兄が買った18きっぷで、僕は妹と日帰り旅行に出かけた。
旅費は全額兄持ちだが、コイバナに熱中したおかげか妹の反抗期が改善されたので、感謝の資金とのことだ。
遠慮なく使おう。
18きっぷは5回なので、最後の1回は僕が使った。
ふらふらと人の多い所についていったせいか、鵠沼海岸にたどり着く。
「おかしいな。あの人込みと道順なら江の島になりそうだったのに。まあ良いか」
目の前ではビーチバレーの大会が始まっていたり、遠くの海ではサーフィンもしている。
十分、賑やかだ。
一人で抱えなくて良いなら、人の多い所にいようと決めただけだし。
とはいえ誰かと交流する気はなく、僕のリュックには行きに読んで途中の本がある。
兄の言うことは満更でもなかった。
車中で本は読み放題だし、外で読むのも気分転換になる。
手元のきっぷは、どこまで行っても構わないのだ。
今度は自分で買って行くのも、良いかもしれない。
喧噪の中も、悪くない。
「こういう景色を一緒に見ることはもうないけど、君が選んだ教壇からの視点を知りたいと思うのは……許して欲しいな」
うん、僕はちゃんと笑えてるし、大丈夫だ。
失恋の痛みがいずれ和らいでも、この選択をした僕なら忘れない。
碧で恋を知った僕がいつか、誰かの愛を受け入れた時。あの埋めた箱庭に戻りたいとも、そう思ったんだ。
----------
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
この小説版はページの都合上、修正して2026年の春に漫画にする予定です。
ご希望があれば、おまけで10年後になる再会編の小説版も、漫画で描く前に出しますがどうでしょう。
ベッドで一日中過ごし、時間も日にちの感覚もなくなっていく。
本のページは捲る物の、読むことすら億劫になった。
両親や中学生の妹に起こされ、両親の車で大学に向かう毎日。
通ってはいたが、どう過ごしたか覚えていない。
2歳上の兄は、母方の実家である関西の大学を選んだので、休みの日以外では会わない。
4人兄妹の中で、僕は兄と一番仲が良い。そんな兄との連絡にも返さなくなった、夏休み。
「千草、ちょっと出かけよう」
僕は今日もベッドで、本も読めずに寝ていた。
笑顔の兄が部屋で僕に見せたのは、鉄道会社が発行した格安移動切符だった。
「……青春18きっぷ?」
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久しぶりに見た兄は、変わらず健康的だ。
兄は、僕のリュックに僕の財布とスマホ。あとは適当に本を数冊。
荷物は僕ではなく、兄が持った。兄の誘導のまま駅に向かい、電車に乗る。
いつぶりだろう、電車なんて。
中途半端な時間のせいか、乗客は少ない。
僕らは窓から風景が見える、横並びの席の、真ん中に座った。
「どこ行くの」
「どこでも良い」
意味が分からず首をかしげると、兄は窓から外を眺めていた。
「切符に今日の日付印押されているだろ。5回分の回数券で、俺と千草の二人分。
沿線内の普通列車限定だけど、今日中に行けるところまでなら、どこでも行って良いんだ。改札も出入り自由」
だから降りたくなったら降りようと、言われた。
「……降りたいところなんて無かったら」
「終点まで行ったら良い。次にどうするか決まらないなら、逆方向でまた終点まで乗れば良い」
「なんで、そういう事をしようと思ったの」
「そんなんええ天気やから。関西の湿度と気温の相乗効果やばいで。こっちに戻るとな、出かけたなる」
「兄さん向こうの方言になってる。馴染み過ぎじゃないの」
なんだか兄が、織田作之助の小説の、キャラクターに見えてくる。
「しゃあない。向こうの言葉浴びてると染まってまう。……と、俺の大学生活は置いといて。
俺は久しぶりに弟と一緒に過ごせるし、千草も自分のしたい事をすれば良い。
本を読むには丁度良いんじゃないか? 乗ってる間は、車や自転車や人にぶつかる心配もない」
ていうか往来で読みながら歩くなよと、兄が持っていた僕のリュックを渡される。
僕の当たり前だったものは、このリュックの中にあるものだけだった。
本を買う為のお金と、本を読むためのスマホと、紙の本。
けど今は
「読みたい気分じゃない」
今までの自分じゃなくなり、思わずリュックを握る。
頷く僕に兄は「そうか」とだけ言って、また風景を眺める。
「とりあえず降りたい駅が来るまで乗って行くか」
僕の髪をぐしゃぐしゃにするほど撫でた。
兄の中では、まだ僕は『可愛い』弟らしい。
そうして何もせず、何も話さないまましばらく。
あまりに何もないので、僕は少しだけ顔を上げてみた。時計を見ると2時間を超えていた。
乗り降りする乗客は、僕らを気にしない。
風景が少し変わっていく窓から、線路が段々と海沿いになっていく。
なにより、兄が言う通り天気の良い日のおかげで、富士山がハッキリと見えた。
そういえば今は夏なのだと、空の鮮やかさと雲の形で気づく。
やがて車内から見えるホームの駅名は、三島。
そして次の泊まる駅を案内する、車内アナウンス。
「……ん?」
三島?
「兄さん、今どこって言った」
「次は函南だって」
「もうすぐ熱海なんだけど?」
「乗りっぱなしだからな」
平然と言っているが、兄は、まさか本当にこのまま終点まで行く気なんだろうか。
「滅多に電車に乗らないから驚くだろうが、東京駅までなら普通列車で5時間だ。だが、この線の終点は熱海だから乗りっぱなしでは東京には着かない」
「思考に返さないでよ」
「そんだけ目ぇまんまるにしといてよう言う。は~俺の弟は大学生になってもかわええわ」
「頭は撫でなくて良いから」
関西弁だし、ここは車内だ。僕にも年相応の恥はあるが、兄はマイペースだった。
「という訳で降りるぞ。このまま乗り換えて東京まで行くか? 手前には横浜か小田原もある。費用は任せろ」
その提案が少しだけ魅力的に思えたのは、兄の笑顔が大きい。兄の対人能力は、向こうで磨きがかかったようで、益々将来有望だ。
少しだけ迷ったけど、迷った事に僕は、どこか満足していた。
僕はずっと、選択することを放棄していたから。
兄はきっと、そんな迷う僕も、受け入れてくれる。
「……帰るよ」
「分かった。せっかくだから温泉入って、なにか食べて帰ろう。日帰りでタオルも借りれるところがある」
「うん……」
車内アナウンスは、終点の熱海を案内していた。
兄の勧められるまま足湯に行き、日帰り温泉に入り、ご飯を食べて反対の線に乗る。
夏でも観光客は多く、町は賑やかだった。
僕はずっと、静かな冬の中に居た。
あの冬の間、外なんて興味も持たず、与えられる目の前の事が僕の全てだった。
日差しの強い空を見上げていると、あれが現実だったのか怪しくなる。
残せる形も確証も無かったあの繰り返しは、まるで陽炎だ。
あの体験は、もしかしたらいずれ夢だったのかもしれないと、忘れてしまうのかもしれない。
二人座席の窓側から夕暮れを眺めて、それがたまらなく恐ろしく感じた。
碧の事が好きだった僕は、本当なのに。
行きとは違う思いで、リュックをぎゅっと握る。
縦方向の座席の、隣に座る兄を見た。兄はスマホで、何かの操作をしている。
帰路に向かう車内は、少し賑やかだ。
帰宅ラッシュとは重なっていないため、立っている乗客は少ない。
隣だから聞き逃しはなくても、少し声を張ってみる。
「……兄さん。相談があるんだ」
スマホを見ていた兄が、すぐに手を止めて視線を合わせた。
「文学部から教員免許って取れるかな」
兄は、今日一番の笑顔になったんじゃないかな。
なにせ家に着く頃には、手元のスマホで調べ上げた結果が全て並べられていたから。
僕が中学の時から、僕の事を僕より把握している兄の仕事は早かった。
畳に広がる資料一式に、既に兄は満足そうだ。
「千草は推薦で大学行ってるから、即退学や編入は体裁が悪い。
俺はお前を尊重したいが、千草の母校の在校生が苦労するから、我を通しすぎは良くない。目指す先が教員免許だしな。
今、出来る方法は二つ。
二年で必要単位を取って、三回生で教育学部に編入。もしくは、文学部のまま教員免許に必要な単位を上乗せする」
兄は僕が持っているカリキュラムや書類と一緒に、スマホの画面を操作する。
イキイキしているなあ。
「編入するメリットは、教育学部だと中・高と学校を選ばずに教員になれる。
後者だと、専門性としての強みが出る代わりに、高校などの特定した場所でしか働けない」
よどみがのない説明を聞き、僕なりに答えが出ている事を兄に確認する。
「兄さんのお勧めは?」
「後者の上乗せ。大体、今の1.5倍か、もうちょっと少ないぐらいの単位数。
千草も、なりたい場所は決まってるんだろうしな」
無茶を言うなあと苦笑するが、無茶を決めたのは僕だし、僕も同じ意見だった。
「ありがとう。文学部のままにするよ」
「おう。スケジュール調整は任せろ」
凄いピカピカの笑顔で言われたけど、兄は関西の大学に在校している。僕は県内だ。
しかも兄にとって、これから忙しくなる時期。
①この笑顔の前でも自立心で断る
②面倒なことをしてくれるから良いかと任せる
「ほどほどで良いよ」
③玉虫色の回答
そんな兄のペースで決着した会話を完全に終わらせたのは、ノックもなしに入ってきた中学生の妹だった。
「話終わった? なら今夜は、失恋したちぃちぃと私の女子会だから!」
こんなに一言一句、指摘しかない状況は初めてだった。
思春期で反抗期な中学生の女の子、怖い。
「万佑」
ちょっと待ってと、妹の名前を読ぶ。
「3つほど返事をお願い。1・ノックしよう 2・ちぃちぃて誰? 3・女子会って僕は男で万佑の兄だ」
あと、何より。なによりだ。
「なんで僕が失恋したって知ってるの⁈ 」
「4つ言った」
「ごめんなさい4つです、ご回答お願いします」
反抗期に逆らってはいけない。
ちなみに兄は僕の後ろで、資料を挟んで固まっている。面倒なので、放っておこう。
万佑は入口でドアを開けっ放しにしたまま、だるそうに返した。返しただけありがたいと思う。
「えー、ノックは覚えてたらする。でも私の部屋は絶対ノックして。
ちぃちぃは千草だからちぃちぃ。恋の話は女子会だから。私、女の子」
妹なりの理屈を理解する間もなく、万佑は、僕を見下ろしながら目を三日月にした。
嫌な予感がする。
「失恋は、ちぃちぃが言ったよ?
全然部屋から出て来なかった時に、起こして来てって言われて入ったら言った。
『失恋してしんどいから寝かせて』って」
僕は座っていた場所から崩れ落ちた。前門には人の失恋話に期待している妹。そして後門には復活した兄。
「ち、千草、失恋て相手は本か⁈ 本は人じゃないぞ? まさか人なのか⁈」
「うっさい」
冷たい声に、兄の矛先が万佑に向いた。
「煩くもなるだろ⁈ あとなんで万佑は、千草はちぃちぃなのに、俺には兄呼びどころか名前すら呼んでくれないんだ。家族でも難しい年ごろでも、そこは礼儀だ大事にしてくれ。昔みたいに百夛お兄ちゃんと」
「うっざ」
「いや、兄さん。ちぃちぃはもう名前じゃない」
僕の部屋で兄妹喧嘩が始まった。当たり前かもしれないが、顔のパーツだけ見ると僕たち3人は似ている。姉は少し系統が違うので、こういう不毛さが際立つ時は姉の仲裁が欲しい。
十和姉さん、今年の夏はいつ帰って来るかな。
結局、あらいざらいを何が何でも回避しつつも、妹と兄に話す羽目になった。
失恋って一人で抱えなくても良いらしいと、この時知った。感謝はしにくいが。
その次の日。
兄が買った18きっぷで、僕は妹と日帰り旅行に出かけた。
旅費は全額兄持ちだが、コイバナに熱中したおかげか妹の反抗期が改善されたので、感謝の資金とのことだ。
遠慮なく使おう。
18きっぷは5回なので、最後の1回は僕が使った。
ふらふらと人の多い所についていったせいか、鵠沼海岸にたどり着く。
「おかしいな。あの人込みと道順なら江の島になりそうだったのに。まあ良いか」
目の前ではビーチバレーの大会が始まっていたり、遠くの海ではサーフィンもしている。
十分、賑やかだ。
一人で抱えなくて良いなら、人の多い所にいようと決めただけだし。
とはいえ誰かと交流する気はなく、僕のリュックには行きに読んで途中の本がある。
兄の言うことは満更でもなかった。
車中で本は読み放題だし、外で読むのも気分転換になる。
手元のきっぷは、どこまで行っても構わないのだ。
今度は自分で買って行くのも、良いかもしれない。
喧噪の中も、悪くない。
「こういう景色を一緒に見ることはもうないけど、君が選んだ教壇からの視点を知りたいと思うのは……許して欲しいな」
うん、僕はちゃんと笑えてるし、大丈夫だ。
失恋の痛みがいずれ和らいでも、この選択をした僕なら忘れない。
碧で恋を知った僕がいつか、誰かの愛を受け入れた時。あの埋めた箱庭に戻りたいとも、そう思ったんだ。
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最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
この小説版はページの都合上、修正して2026年の春に漫画にする予定です。
ご希望があれば、おまけで10年後になる再会編の小説版も、漫画で描く前に出しますがどうでしょう。
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