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2 先輩と俺
叡仁先輩はできない約束をいい加減に取り付けるような人ではない。今度焼肉にでも連れていってやろう、と言われたその日のうちに連絡が来て、日程を調整してくれた。叡仁先輩と俺、他に二年生二人と三年生も一人加わって、男ばかり五人で焼肉食べ放題に行った。
「それじゃあみんな、存分に食って秋学期もがんばろう」
叡仁先輩が乾杯の音頭を取り、皆一斉にビールジョッキを傾ける。先輩も喉をごくごく鳴らしてビールを飲む。幸運なことに隣に座ることができたから、その音がよく聞こえる。緊張して、食べる前から既にお腹がいっぱいだ。
カルビだのロースだのハラミだの、皆どんどん肉を頼み、どんどん焼いていく。基本的に三年生が仕切ってくれて、どんどん皿に盛り付けてくれる。俺は食べるのに忙しく、メニューなんか見ている暇もない。しかし食べても食べても新たな肉が投入される。
「どうした藤井。遠慮しないで食べていいんだぞ」
「え、遠慮はしてないです!」
遠慮はしていないが、叡仁先輩の美しい顔が視界にちらちら入り、朗らかな声が耳のそばで聞こえ、手や肩がいちいち触れ合うほどの距離の近さなので、気が散ってしまって肉に集中できない。
「そうか、それならいいんだ。毎日きちんと食べているか、心配だったんだ。体作りは食事からと言うからな」
心配されていたことに内心舞い上がる。
「三食きっちり食べてますよ! 寮にも食堂があるし、時々自炊だってしますし」
「自炊か! それは偉いな。俺は料理はてんで駄目だから尊敬する。前に炒飯を作ったんだが、消し炭になってしまった」
「あはは、きっと火力が強すぎたんでしょうね。一色先輩、意外と不器用なとこありますよね」
でもそういうところも好きだ。何事も卒なくこなすのに、たまに抜けているところがある。先輩が苦手なことは俺が補ってあげたい。例えば、手料理を食べてもらうとか。
「自炊は、何を作るんだ?」
思考を読まれたみたいでどきりとする。しかし先輩の言葉に他意はないのだろう。
「あ、あんまり難しいのは俺も作れないんですけど……野菜炒めとか、丼ものとか、炒飯もよく作りますよ」
「藤井の炒飯は消し炭にはならなそうだ」
「最初は焦がしたり味付け失敗したりしましたけど、慣れると結構楽に作れて」
「そうか。少し興味があるな」
「よかったらレシピ送りますよ」
「いや。お前の作る飯はどんな味がするのか、興味がある」
言葉に詰まる。やはり思考を読まれたか。いやそんなはずはない。先輩はどういう意図でこんなことを言うのか。どうせその気もないくせに。全てを見透かすような真っ直ぐな目で見つめないでほしい。耐えられなくなる。
「……ま、まさか。一色先輩にごちそうできるほどの腕前じゃないですよ! 俺なんかより、か、彼女さんに作ってもらった方がいいです!」
「そうか?」
「そうです! 絶対そっちのがいいですよ! きっとハンバーグとか作ってくれますよ!」
「藤井はハンバーグは作らないのか」
「作りませんよ、あんな手の込んだもの。わざわざ自分のためだけに作らないです」
「そういうものか……」
気持ちの持っていき方がわからなくなり、皿に山盛りになっていた肉をバクバク食べた。
食事も終盤に差し掛かる。少し食べ過ぎたか、手洗いに立ったついでに休憩する。それなりに広くて綺麗なトイレだ。洗面台の数も多いし、鏡も大きい。誰か来たら帰ろうと思い、壁にもたれてぼんやりと天井を見上げる。
ふと、静かにドアが開いた。叡仁先輩だ。俺を見るなり安堵したように微笑む。
「先輩もトイレですか」
「いや、違うんだ。お前がなかなか帰ってこないので、少し……具合でも悪いのではないかと」
気に掛けてくれたのか。凝りもせず俺はまた舞い上がる。
「お前は元来小食なのに、食べさせ過ぎたかと思ってな。申し訳ない」
「そ、そんなことないですよ! 普通にお腹いっぱいなので休んでただけです! 俺いつも金欠なんで、牛肉食べる機会なんて全然ないから、今日はちょっと張り切っちゃったんです」
「そうか。具合が悪いのでないなら安心した。そろそろ戻れるか?」
「はい! すいません、待たせちゃって」
「あっ、そこ段差――」
気を付けて、と先輩は言いたかったのだろう。しかし俺は盛大に蹴躓いた。先輩の豊かな胸に飛び込んでしまう。堅いけど軟らかい。温かくて包み込まれる。先輩の匂いを肺いっぱいに感じる。
「ふ、藤井? 大丈夫か?」
戸惑うような声が頭の上から降ってきて、俺は弾かれたように体を離した。顔面が燃えるように熱くなる。
「すすす、すいませんっ! ドジばっかりで、俺……!」
「きっと疲れているんだな。今日は早く寝るんだぞ」
「は、はい……!」
笑って許してくれた。どさくさに紛れて先輩に抱きついてしまうなんて、我ながら何をやっているんだか。けれども、きっとこの質量を事あるごとに思い返してしまうのだろう。そうして切なくなったりドキドキしたりするのだろう。
最後のデザートで、本当はもう何もいらなかったのだが、叡仁先輩がバニラアイスを頼んだので、俺も真似をして同じものを頼んだ。冷たくて口の中がさっぱりするが何しろ満腹なので、のろのろ食べているとすぐに溶けてしまう。どろどろとした白い液体に戻ってしまう。カップの底に溜まったどろどろを、一所懸命スプーンで掬って食べた。
「それじゃあみんな、存分に食って秋学期もがんばろう」
叡仁先輩が乾杯の音頭を取り、皆一斉にビールジョッキを傾ける。先輩も喉をごくごく鳴らしてビールを飲む。幸運なことに隣に座ることができたから、その音がよく聞こえる。緊張して、食べる前から既にお腹がいっぱいだ。
カルビだのロースだのハラミだの、皆どんどん肉を頼み、どんどん焼いていく。基本的に三年生が仕切ってくれて、どんどん皿に盛り付けてくれる。俺は食べるのに忙しく、メニューなんか見ている暇もない。しかし食べても食べても新たな肉が投入される。
「どうした藤井。遠慮しないで食べていいんだぞ」
「え、遠慮はしてないです!」
遠慮はしていないが、叡仁先輩の美しい顔が視界にちらちら入り、朗らかな声が耳のそばで聞こえ、手や肩がいちいち触れ合うほどの距離の近さなので、気が散ってしまって肉に集中できない。
「そうか、それならいいんだ。毎日きちんと食べているか、心配だったんだ。体作りは食事からと言うからな」
心配されていたことに内心舞い上がる。
「三食きっちり食べてますよ! 寮にも食堂があるし、時々自炊だってしますし」
「自炊か! それは偉いな。俺は料理はてんで駄目だから尊敬する。前に炒飯を作ったんだが、消し炭になってしまった」
「あはは、きっと火力が強すぎたんでしょうね。一色先輩、意外と不器用なとこありますよね」
でもそういうところも好きだ。何事も卒なくこなすのに、たまに抜けているところがある。先輩が苦手なことは俺が補ってあげたい。例えば、手料理を食べてもらうとか。
「自炊は、何を作るんだ?」
思考を読まれたみたいでどきりとする。しかし先輩の言葉に他意はないのだろう。
「あ、あんまり難しいのは俺も作れないんですけど……野菜炒めとか、丼ものとか、炒飯もよく作りますよ」
「藤井の炒飯は消し炭にはならなそうだ」
「最初は焦がしたり味付け失敗したりしましたけど、慣れると結構楽に作れて」
「そうか。少し興味があるな」
「よかったらレシピ送りますよ」
「いや。お前の作る飯はどんな味がするのか、興味がある」
言葉に詰まる。やはり思考を読まれたか。いやそんなはずはない。先輩はどういう意図でこんなことを言うのか。どうせその気もないくせに。全てを見透かすような真っ直ぐな目で見つめないでほしい。耐えられなくなる。
「……ま、まさか。一色先輩にごちそうできるほどの腕前じゃないですよ! 俺なんかより、か、彼女さんに作ってもらった方がいいです!」
「そうか?」
「そうです! 絶対そっちのがいいですよ! きっとハンバーグとか作ってくれますよ!」
「藤井はハンバーグは作らないのか」
「作りませんよ、あんな手の込んだもの。わざわざ自分のためだけに作らないです」
「そういうものか……」
気持ちの持っていき方がわからなくなり、皿に山盛りになっていた肉をバクバク食べた。
食事も終盤に差し掛かる。少し食べ過ぎたか、手洗いに立ったついでに休憩する。それなりに広くて綺麗なトイレだ。洗面台の数も多いし、鏡も大きい。誰か来たら帰ろうと思い、壁にもたれてぼんやりと天井を見上げる。
ふと、静かにドアが開いた。叡仁先輩だ。俺を見るなり安堵したように微笑む。
「先輩もトイレですか」
「いや、違うんだ。お前がなかなか帰ってこないので、少し……具合でも悪いのではないかと」
気に掛けてくれたのか。凝りもせず俺はまた舞い上がる。
「お前は元来小食なのに、食べさせ過ぎたかと思ってな。申し訳ない」
「そ、そんなことないですよ! 普通にお腹いっぱいなので休んでただけです! 俺いつも金欠なんで、牛肉食べる機会なんて全然ないから、今日はちょっと張り切っちゃったんです」
「そうか。具合が悪いのでないなら安心した。そろそろ戻れるか?」
「はい! すいません、待たせちゃって」
「あっ、そこ段差――」
気を付けて、と先輩は言いたかったのだろう。しかし俺は盛大に蹴躓いた。先輩の豊かな胸に飛び込んでしまう。堅いけど軟らかい。温かくて包み込まれる。先輩の匂いを肺いっぱいに感じる。
「ふ、藤井? 大丈夫か?」
戸惑うような声が頭の上から降ってきて、俺は弾かれたように体を離した。顔面が燃えるように熱くなる。
「すすす、すいませんっ! ドジばっかりで、俺……!」
「きっと疲れているんだな。今日は早く寝るんだぞ」
「は、はい……!」
笑って許してくれた。どさくさに紛れて先輩に抱きついてしまうなんて、我ながら何をやっているんだか。けれども、きっとこの質量を事あるごとに思い返してしまうのだろう。そうして切なくなったりドキドキしたりするのだろう。
最後のデザートで、本当はもう何もいらなかったのだが、叡仁先輩がバニラアイスを頼んだので、俺も真似をして同じものを頼んだ。冷たくて口の中がさっぱりするが何しろ満腹なので、のろのろ食べているとすぐに溶けてしまう。どろどろとした白い液体に戻ってしまう。カップの底に溜まったどろどろを、一所懸命スプーンで掬って食べた。
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