好きな人に好きな人がいるとしたら

小貝川リン子

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4 伊吹ちゃんとオレ

 入学式で一目見た瞬間から気になっていた。講堂の隅に一人でぽつんと座っていた。服装はもちろんスーツだし、髪型も黒髪の短髪で、幼さの残る顔付きは決して派手ではないのに、なぜか一際目を引いた。同じ学部だとわかり、オレは真っ先に声をかけた。
 
「……何だ、いきなり。馴れ馴れしいな」
 
 最初の頃は怪訝そうに睨まれたり、鬱陶しがられてばかりだった。でもオレは伊吹ちゃんが気に入っていたし、どうしても仲良くなりたかったから、お洒落に気を遣ってみたりピアスを空けてみたり、髪を染めてみたりした。見た目を変えることで気を引きたかったわけではなくて、ただ会話の糸口が欲しかった。実際その作戦はうまくいった。
 
 伊吹ちゃんが初めてオレに笑いかけてくれた時のことは鮮明に覚えている。自転車で学内を移動中、にわか雨に降られたのだ。せっかく整えた髪がびっしょり濡れ、額にべったり張り付いて、風に吹かれてあっちこっち乱れて、オレは大変な様になった。伊吹ちゃんはそれを見て、自分だってびしょ濡れのくせに腹を抱えて大笑いしたのだ。
 
「俺に合わせて憲法の授業なんか取るから」
「伊吹ちゃんだって結構濡れてるぜ」
「牧野の方が濡れてる。髪の毛からぽたぽた水垂れてる」
 
 笑い過ぎて涙目になりながら、タオルを貸してくれた。オレが使っちゃったら伊吹ちゃんは濡れたままになるんじゃないかと心配すると、それは大丈夫だと言って、頭をぶるぶる振るった。洗われた犬の仕草と同じだ。短い毛から水滴が弾かれて、ある程度乾いた。オレもなんだか急に面白くなってしまって、思わず吹き出した。
 
「なっ、笑うなよ」
「いや、だって……ワンちゃんじゃないか」
「ワン……ばっ、ばかにしてるのか」
「伊吹ちゃん、もしかして家でもそうやって乾かしてるのかい? ドライヤー使わない派?」
「タオルで拭けば十分だろ。お前はドライヤーなのか。エコじゃないな」
 
 笑うと八重歯がにょっきり覗いて、少し可愛いなと思った。
 
 それから順調に友人関係を築いていった。時間が合えば食事に行くし、たまには遊びにも行く。そしてテスト前は勉強会を開く。伊吹ちゃんは本当に真面目で、寝坊して遅刻するなんてことは一度もなく、授業中居眠りするなんてこともなく、ノートはしっかり取り、課題は忘れず提出し、成績はいつも上位だった。
 
「伊吹ちゃんは真面目ですごいなぁ。部活もやってるのになぁ」
「別に普通だ。お前が不真面目なだけだろ」
 
 オレが褒めると、伊吹ちゃんは決まってバツの悪そうな顔をする。
 
「それに……いくら俺が真面目にやっても、テストの点数はお前の方がいい」
「テストで何点取ったかなんて、わからないだろう? 成績は同じくらいじゃないか」
「だからだ。今日だって、俺がお前に教わる内容の方が多い」
「でもほら、実技だったら断然伊吹ちゃんの方が優秀だろう? 自信持ちなって」
「俺は座学の話をしているんだ」
 
 負けじと頑張る姿が健気でいじらしくて好きだった。地方の公立中学から公立高校に進学し、一般入試で大学に入ったらしいから、高校時代もきっと勉学に励んでいたのだろう。部活もやっていたと聞いたから、文字通り文武両道に励んでいたのか。高校生の伊吹ちゃんにも会ってみたかった。
 
 伊吹ちゃんが同じ部活の一色叡仁先輩とやらに思慕の念を抱いていると気づいたのは、ふとしたことが切っ掛けだった。昨年の学園祭でのことだ。伊吹ちゃんの所属する空手道部では、子供向けに空手教室を開くのが毎年の恒例らしい。大人が参加してもいいそうなので、オレも冷やかしに行ってみた。
 
 白い道着に黒帯を締め、子供達の前に立って手本を演じる伊吹ちゃんの姿はとても凛々しく、新鮮だった。正直何をやっているのかはよくわからないのだが、かっこよかった。きっと子供達も同じように思っただろう。教えられた通りに構えて、突いたり蹴ったりする。オレも子供に混じってやってみた。
 
「牧野、来たのか。前から見えたぞ」
 
 伊吹ちゃんは上機嫌に笑う。八重歯が可愛い。
 
「ほら、もっと腰落として。気合入れろよ」
 
 わざわざ後列まで来て指導してくれるのか。優しいな。などと思っていると、前にまた別の部員が立って演武をする。彼こそが一色叡仁先輩なのだが、この時はまだ知らない。伊吹ちゃんの動作よりもキレがあるように見え、二年か三年の先輩なのだろうな、ということしかわからなかった。
 
 稽古が終わり子供達が帰っていく中、オレは武道場に残っていた。この後しばらくシフトが入っていないことは把握していたので、伊吹ちゃんを誘って学園祭を回ろうと思って待っていた。そこで、見てしまったのだ。あの先輩と親しげに話す伊吹ちゃんの姿を。
 
 何もおかしなことはないと思われるかもしれないが、普段の彼からすると信じられないくらいの腑抜けぶりだった。とにかく饒舌で、よく笑う。笑い方も凶悪な感じでなく、とても柔らかく明るい笑顔なのだ。つり目がちの眦が僅かに垂れ、頬は仄かに色付き、童顔なのも相まってか、よく馴れた小犬という雰囲気だった。
 
 オレは確信した。伊吹ちゃんはあの先輩に恋しているのだと。証拠は他にもある。バイトが忙しいのにいやに部活に熱心なところや、最近だとぼんやり上の空になることも多かったし、スマホの画面を見てにやけていることもあった。思い返せば、あれもこれも恋に落ちた兆候だったのだ。
 
 そうとわかってしまうとなぜか面白くない気分になり、二人が楽しそうに喋っているところへ無理やり割り込んでしまった。水を差された伊吹ちゃんも、さぞかし面白くない気分だっただろう。
 
「何だお前、まだいたのか」
「いましたよ~。親友なんだから、当たり前だろう?」
「君は、藤井の友達なのか」
「うちの伊吹ちゃんがいつもお世話になってます~」
 
 軽く挨拶と自己紹介をして、伊吹ちゃんが先輩と話す時間を奪ってしまった。そのうち次の稽古の時間になり、オレは伊吹ちゃんを連れて武道館を去った。
 
「お前、暇なのか?」
「いや? でも、伊吹ちゃんの先輩ならオレの先輩も同義でしょ。挨拶くらいしないとね~」
「……叡仁先輩は俺の先輩だ」
「いやだなぁ。横取りなんてしないよ」
 
 伊吹ちゃんは終始むくれたまま、しかしオレの学園祭巡りに付き合ってくれた。いや、別にむくれているわけではなかったのかもしれない。これが通常の伊吹ちゃんの表情だったかもしれない。武道場で先輩と話していた時の良い笑顔と比較して、オレが勝手にむくれていると感じているだけかもしれない。
 
「ねぇ、伊吹ちゃん。一色先輩のこと、どう思ってるの」
 
 テントの下で休憩しながら、単刀直入に尋ねた。伊吹ちゃんはジュースのストローを吸いながら、ぽかんと目を丸くする。ちなみにオレの金で買ったジュースである。
 
「どう……? 質問の意味がわからない」
「そのまんまの意味だよ」
「……いい人だと思う。俺なんかのことかわいがってくれるし、飯を奢ってくれる」
「うーんと……そういうのじゃなくって」
 
 伊吹ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
 
「筋トレに付き合ってくれるのが嬉しい。筋肉の付き方が綺麗だと思う。あとやっぱり強い。それに成績も優秀だ。純粋に尊敬してる」
「いや、えーと、えーっとね、そういうことじゃなくてね。つまり」
 
 先輩のこと、好きなんでしょ。と、焦れてそう言ってしまった。伊吹ちゃんはきょとんとしたまま、瞬く間に顔を紅潮させた。耳まで真っ赤だ。さらに、咽せてジュースを噴き出した。
 
 オレは即座に後悔した。やっちまったと思った。伊吹ちゃんは、自分の気持ちに気づいていなかったのだ。それをオレが気づかせてしまった。放っておいたら気づかないまま終わっていたかもしれない恋心を、オレが自覚させてしまった。オレの責任だ。
 
「牧野お前っ……何てこと言うんだっ」
「またまたぁ、誤魔化しちゃって。好きなんでしょ、一色先輩のこと」
「ちがっ、俺はそんな、不純な……」
 
 伊吹ちゃんはすっかり取り乱し、火照った頬を両手で挟んで思い悩む。
 
「こ、こういうの、俺、わからない……好きって、こういうことだったのか……? で、でも、先輩も俺も男……」
「最近はそういうのも珍しくないらしいよ~」
 
 伊吹ちゃんはますます取り乱す。ぎゅっと胸を押さえ、目玉をぐるぐるさせている。こんな姿は滅多に見られない。
 
「そっ……そん、じゃあ、俺……いや、でも、……」
「ウンウン。好きなんでしょ。認めちゃいなよ」
「……叡仁先輩、彼女がいるんだ……」
 
 スンッ、と盛り上がっていた気分が一瞬のうちに萎んでいく。紅潮していた頬は元の色に戻る。元の肌色よりもずっと白い。伊吹ちゃんは目に見えて肩を落とし、溜め息を吐く。
 
「……彼女?」
「会ったことはないし、先輩も何も言わないが、周りの話だと……」
「そうかぁ」
「うん……」
 
 伊吹ちゃんが落ち込んでいる。恋を自覚した直後に失恋だなんて、全くもって可哀想だ。大いに同情する。しかしオレは、非道だと謗られるかもしれないが、内心安堵していた。なぜそう思うのか、この時はまだよくわからなかった。
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