元の鞘に収まれない!

小貝川リン子

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9 霜降①

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 晴れて一線を越えたわけだが、俺と桐葉の関係は変わらなかった。いつまでも、微妙に遠い距離の友人のまま。学校じゃ話もしない。時々教科書を貸し借りする程度。会うのはもっぱら桐葉の部屋。やることと言えばセックスばっかり。おばあちゃんがいる時は控えるけど、手扱きくらいなら気にせずやってしまう。
 
 必ず俺から誘う。桐葉は拒まない。ごちゃごちゃ文句は言うけど、嫌だとは言わない。終わった後も、ケツが痛いだの腰が痛いだのと文句を言うし、連続で四回やった時なんかは殴られたけど、それでも本気で嫌だとは言わなかった。
 
「俺たちってどうしてセックスしてるんだろう」
 
 ある時、つい口が滑った。文化祭が終わり、秋も深まった頃だ。辺りの田んぼはすっかり稲刈りを終え、乾いた稲株から新しい芽が生えてきていた。
 
「おい、聞いてんのか?」
「いや……お前、勉強はできないくせにそんなこと考えてたんだな、と、思って」
「今自然な感じで馬鹿にした? 馬鹿にしたよね?」
「馬鹿とは言ってねぇ」
「勉強できねぇって言ったろーが。確かに俺はお前と比べてすげぇ馬鹿だよ。テスト前はいつもひぃひぃ言ってるよ。だからこうして教えてもらってんじゃねぇか。つうかお前がおかしいんだからな。普段全然勉強なんかしてねぇのに、なんで百点取れんだよ。もしかしてあれか? 授業聞いてるだけで理解できる系の天才ですかぁ?」
「わかったから落ち着け馬鹿。あ、そこ計算間違えてるぞ」
「あー! また馬鹿って言った!」
 
 違うだろ、俺。話したかったのはこんなことじゃないはずだ。どうしてセックスしてるのか。どうして拒まないのか。桐葉に聞きたかったんだ。
 でも、一度逸れた話題を軌道修正するのは簡単なことじゃない。そもそも話題を逸らしたのは俺だ。いや、桐葉の方か? 前に進みたいのに、どうしてか怖かった。この関係に名前をつけたくて、でもこのままでいたいような気もして。どうしたいのかわからなかった。
 
 一週間ほど前の出来事をもやもや考えながら、俺は自転車を漕いでいた。学校からの帰り道だ。陽は既に落ちた逢魔時。視界は悪い。野焼きの煙が目に沁みた。
 駅へと続く、片側一車線の道路。旧国道なので道幅はそこそこ広く、交通量も少なくはない。ぼんやりしていて普段使っている信号を通り過ぎてしまい、信号も横断歩道もないところを渡ろうとして、軽トラックに撥ねられた。
 
 重たい衝撃が全身を貫いた。息が止まって、死んだと思った。しかし俺は生きている。十数メートル吹っ飛ばされ、アスファルトの上をごろごろ転がったが、どういうわけか生きている。俺を撥ねたおじさんは慌てて救急車を呼んでくれた。当たり前だ。その後のことはよく覚えていない。初めて救急車に乗って少し興奮した。
 
 数か所骨折した。怪我は酷くはないらしいが、手術をするというんで入院することとなった。市内の総合病院の、四人一部屋の大部屋である。手術の日は親が付き添ってくれた。
 
 その翌日である。腕にはギプス、胸と肩にも固定帯を付けられ、非常に不便な思いをしていた。親は夜になるまで来ないし、俺は不便な上に暇を持て余していた。
 みんな今頃学校か。何してるんだろうな。給食はもう終わったかな。デザートは何だろう。などと考えていた時だった。
 
 突然、仕切りのカーテンが開く。青ざめた顔の桐葉が立っていた。
 俺は目を丸くする。まさか来るとは思っていなかった。だって電話もしていないし、そもそも電話番号を知らない。ぽかんと呆気に取られた俺の顔がおかしかったのか、桐葉はほっと表情を緩めた。
 
「なんだ、生きてやがったのか」
「んなっ!? 開口一番それかよ」
「はは、元気そうだな」
 
 桐葉の後ろからおばあちゃんも現れる。
「あ、お、おばあちゃんまで。こんにちはぁ」
「どうも、こんにちは。元気そうでよかったねぇ。ねぇ、悠ちゃん」
 おばあちゃんはにこにこ笑っている。遠いところをわざわざ自転車で来てくれたのかと思ったが、おばあちゃんの運転で来たらしかった。
 
「お土産あるからねぇ。よかったら食べてちょうだいね」
 小さいポシェットから、ヤクルトとみかんが出てきた。それを俺に渡すと、おばあちゃんは用があるとかで病室を出ていった。
 
「何の用? おばあちゃんも病院かかってるの?」
「さっき待合室で知り合いのばあさんに会ったんだ。久しぶりに会ったらしいから、話しに行くんだろ」
 
 俺はもらったみかんを桐葉に投げた。上手いことキャッチする。
「なぁ、それ剥いて、食わせてよ」
「あぁ? 自分で食えよ」
「いいじゃん、剥いてよ。だってほら、腕がこれだからさ」
 
 ギプスを見て、桐葉はわざとらしい溜め息をついた。
「今日だけだ。お前を甘やかすとろくなことがねぇ」
「ちゃんと筋も取れよな。苦くて嫌いなんだ」
「うるせぇ。贅沢言うな」
 
 丸ごと口に押し込まれた。せめて一房ずつ分けて食わせてほしかった。ほとんど味わう暇もなく、俺はみかんを飲み込んだ。
 
「……ばっか。詰まらせたらどうすんだ。怪我人なんだぞ、もっと労われよ」
「こんだけ元気なら大丈夫だろ」
 
 桐葉はちょっぴりうつむいて、俺の腕を見た。
 
「心配した?」
「別に」
「なんでだよ。学校休んで見舞い来てくれたのに」
「お前が簡単に死ぬかよ」
「だからってさ……」
 
 俺は桐葉に何を求めているんだ。泣いてほしいのか? 無事でよかったと笑ってほしいのか? 
 
「俺は、もしお前が事故ったらめちゃくちゃ心配すると思う」
「交通事故なんて、そんな間抜けな死に方はごめんだぜ」
「もしもの話だろ。もしお前が事故って死んだら、俺は泣くぜ」
 
 桐葉はじぃっと俺の目を見つめた。ほとんど無表情に近かった。何を思っているのか、俺には読み取れなかった。
 
「なぁ、この間の話だが」
 
 桐葉の後ろ、窓際のカーテンが風に揺れて浮かんだ。黒髪がなびいて、さらさらと音を立てた。
 
「どうしてセックスしてるのかって」
 
 えっうそ。今それを蒸し返すのかよ。いや、話したいとは思ってたから好都合といえばそうなんだろうけど、俺にも心の準備というものがあってだな……
 
「ただ気持ちいいからしてるだけだろ」
 桐葉は淡々と言った。
 
 いや、えっ? そうなの? お前はそう思ってたの? そんな感じでめちゃくちゃ割り切って考えてたのかよ。
 
「お前もそうだよな? ただ気持ちいいのが好きだから、してるだけだろ?」
「っ、そ、そうだけど……なんつうかその……せっ、くすしてたら、ここ、恋人、的な? やつになるのかなぁーとか、思ったり思わなかったりとか」
 
 俺はわけもなく狼狽えた。桐葉はきょとんと首を傾げる。
 
「そりゃ男女がなるもんだろ。男同士の恋人なんか聞いたことねぇ」
「最近は同性同士で恋愛するのもありなんだよ」
「だからって、どうしておれとお前がそうならなきゃなんねぇんだ。そもそも恋人とか恋愛とか、そんなよくわからんものになるつもりはねぇ」
「でも俺、お前ともっとこう、ちゃんとしたいんだ」
「ちゃんとってなんだ。その恋人ってのになったら何か変わんのか? おれとお前の関係が変わっちまうのなら、恋人になんかなりたくねぇ」
「なっ……」
 
 んだよ。それってまるで、今のままがいいって言ってるも同じじゃないか。遠回しにフラれた気分だ。告白すらしていないのに。
 
「で、でも、今の関係だって十分あやふやじゃねぇか。友達なのか恋人なのかはっきりしようぜ」
 
 俺が言うと、桐葉はショックを受けたように目を見開いた。
 
「……友達じゃねぇのか」
 
 ぽそりと呟く。俺は、何かまずいことでも言ったかと思って、慌てて「友達じゃないことはないけど」と付け足した。
 
「だって、他のやつとはあんなことしねぇし、したくもねぇし。お前だけ、特別っつうか」
「おれにとっては、お前は友達だ。それ以上でも以下でもねぇ」
「お前、俺以外のやつともああいうことしてんの」
「しねぇよ、気持ち悪ぃ」
 
 そもそも俺以外の友達いないもんな。比較対象がいないのか。
 
「じゃあ俺だけ特別ってことじゃん」
「さぁな。わからねぇ。でも、このままでいいだろ。別に不自由ねぇし」
「このまま?」
「セックスする友達がいたっていいだろ。困ることあるか?」
「ねぇけどぉ」
「ほらな。何も問題はねぇわけだ。こんなもん、オナニーの延長みたいなもんだろ。気持ちいいのはみんな好きだって、いつかおれに教えたのはお前だぜ」
 
 俺は渋々うなずく。何となく言いくるめられたような気がするけど、桐葉の言うことが間違ってるとも思えなかった。確かに、元はと言えば気持ちいいことがしたいから始めた行為だ。気持ちいいから始めたことを気持ちいいから続けているだけ。難しく考える必要はないのかもしれない。
 
 セックスする友達、と桐葉は言ったが、これにもちゃんとした呼び名があったはずだ。学校の誰かが得意気に教えてくれた。
 
「俺ら、セフレってことか」
「セフレ?」
「セックスするフレンド。略してセフレだ」
 
 桐葉はフンと鼻を鳴らした。
 
「お前の言う、ちゃんとした関係になったな。これで少しはすっきりしたか」
「うーん、まぁ。治ったらすぐ会いに行くよ。またいっぱいしような」
「ばーか」
 桐葉は舌を出し、からかうように笑った。
 
 帰り際、おばあちゃんがこそっと教えてくれたのだが、桐葉は昨晩なかなか寝付かれなかったらしい。ホットミルクを飲んで、ようやっと眠ったのだという。
 
「でも本当、元気そうでよかったわぁ。また遊び来てちょうだいね。悠絃も待っていると思うから」
 おばあちゃんは何度か会釈をし、病室を去った。
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