花影のさくら

月神茜

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おじいちゃんによる、ありがたーい説教

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わっぱ


紅蓮が大蛇おろちにそう声をかけられたのは、夕食を終え、紅蓮が洗い物から帰って片づけをしていた時だ。櫻は手洗いにでも行っているのか席を外していて、洞窟の中には紅蓮と大蛇おろちの二人しかいない。


「ん、何?ジイさん」
「……お前、櫻になんか言っただろ」
「まぁ……『俺をお兄ちゃんって呼ぶのやめないか』って言った」
「──想像以上に真正面から言ったなお前……」


大蛇おろちが若干引いている気がするのは、紅蓮の気のせいだろうか。


「……櫻が落ち込んでるから、何とかしろ」
「え」
「気付いてなかったのかお前」


あんなにあからさまに落ち込んでるのに。そう大蛇おろちに言われ、今日の夕食の席を思い出す。考えてみれば、今日は紅蓮も考え事をしながら夕食を食べていたので、櫻に注意を払っていなかった。


「注意は散漫、せっかくの飯は零しかけるし一口食べるごとに俯いて考え事をする。お前もそうだ。お前が帰ってきた日にゃ、いつも櫻が何があったかを質問攻めにしたり、こっちで変わったことを楽しそうに話したりするのに、それが今日は一切無しだ。どんな阿呆でも何かあったと気付くだろうよ」
「…………」
「お前は本当に阿呆だな。昔っからだ、まったく」
「……思ったことを、言っただけだよ」


それがだめだったことはわかっているが、気付いたら口から零れてしまっていて。


「あのなぁ、わっぱ。お前、櫻がいくつかちゃんと覚えてるか?」
「…………ぁ」
「なぁ、。あの子の歩幅、ちゃんと見ているか?あの子の姿を、ちゃーんと見ているか?あの子はまだ齢12だ。一応、人間として一人前になったお前とはわけが違う。精神の成長度合いが違うんだよ。──もう一度言う。櫻の歩幅に合わせてあげなさい」


しゅるりと紅蓮の目の前に回り込んで、紅玉のような澄んだ赤い瞳が紅蓮を見つめる。


「一方的な感情の押しつけは、ただの感情という名の武器による暴力だ。それはではなくだよ」
「…………」
「それがまだわからないのなら、わかっていないのなら。お前はまだまだ──いや、違うな。お前まだまだ『お兄ちゃん』から変われないぞ」


項垂れるように俯いて、額をかりかりと人差し指で掻く。


「な、んか。焦ってたの、かも」
「お兄ちゃんが焦ったの?見たことないなぁ」
「おお、櫻。おかえり」
「ただいまぁ」


項垂れる紅蓮に視線だけを向けて、櫻はわざわざ紅蓮を避けるように大蛇おろちの隣に座った。いつも通りの距離感なようで、少しぎこちない。確かに『なにかあった』とすぐにわかる。


「見かけた野草をついでに川で洗ってたら、何個か流れて行って焦っちゃった。お魚さんが食べたら、ますますお魚さんが健康になっちゃうね。──何の話してたの?」
「この前村に帰った時の、話だよ」


紅蓮は搔い摘んで、自分も世話になった村の人間が一人、老衰で亡くなったことを話した。静かに耳を傾けていた櫻は、真剣な表情で、けれど優しい目つきで紅蓮を見つめている。


「そっか……でも、家族や大切な人たちに囲まれていたのなら、幸せだっただろうね」


その目が、その言葉が、何を示しているのかが紅蓮にはわからなかった。


「そうだな。でも俺は、考えたんだよ。ここに来るまでの道中で。俺は今、今まで通りにこのまま過ごしていたら、櫻を一人ぼっちにしてしまうんだなって」
「……???どうして?おじいちゃんも山のみんなも、私のそばにいるよ?」
「──うん、そうだよな。ごめんな櫻。今日はやっぱり、疲れてるみたいだ。なんだかこうして謝ってばかりだ、俺。ごめんな、櫻。のせいで振り回して」
「…………」


大蛇おろちは訝しげな視線を紅蓮に向け、話を聞いていた櫻も釈然としないような顔をしていた。けれど紅蓮は、それ以上の言葉を紡ごうとはしなかった。珍しく率先して寝支度を始めて、けれど誰よりも遅くまで起きて、考え事をしていた。



突然紅蓮が使いだしたその言葉は、紅蓮が、自分自身を縛るための枷だった。

忘れるな、忘れるな。
彼女は血まみれの穢れた自分が触れていい存在じゃない。
お前風情が、俺風情が。
彼女に触れることすら、近づくことすら、おこがましい。

忘れるな、忘れるな。
身の丈に合わない分不相応な感情なんて、切り捨てろ。

忘れるな、忘れるな。
お前はいつだって、血まみれの汚泥の中から天を仰ぐ、咲くことのできない蓮なのだから。
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