花影のさくら

月神茜

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診察

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紅蓮の隣に櫻が座り、対面には君月が腰かけた。櫻の隣に大蛇がとぐろを巻く。
紅蓮の目の前にお茶が入った湯飲みを、櫻の前にはお茶と水、それぞれが入った湯飲みが置かれた。櫻は湯飲みをじっと見つめて、紅蓮に視線を寄越す。自分の湯飲みを持ち上げた紅蓮は、『こうするんだ』と教えるようにお茶を飲む。紅蓮の真似をして櫻も湯飲みに口をつけたが──


「んっ~~!」
「櫻、熱かったか?」
「…………」


びっくりしたのか、櫻が勢いよく首を上下に振って肯定の意を示す。


「嗚呼、ごめんね。配慮が足りなかった。大丈夫?」
「あったかいものにあまり馴染みが無かったもんな」
「──ねぇ、聞いていいかい?大蛇おろちに育てられた女の子だ、とは聞いていたけれど……それって具体的にどういう状況?」


まずは大まかな情報を紅蓮から話す。


齢3つの時に森に捨てられたこと。
それ以来、彼女を拾ってくれた大蛇おろちが彼女を育てたこと。
9つの時に偶然紅蓮と出会ったこと。
それ以来、仕事の合間を縫って紅蓮が会いに行っていたこと。
村の女衆に相談して、不要になった下着やら着物を譲ってもらったこと。

こうして話してみると、初めて櫻と出会ってから随分と時間が経ったことに気が付いた。
初めて出会ったのは、紅蓮が15で、櫻が9つの時。
そして今、紅蓮は22になり、櫻は16になった。


「──へぇえ、山の中で、ほぼ野生で育ったのか……」
「会った時にはほとんど問題無く意思疎通ができていました。物の名前みたいに、知らないものは多いみたいだったけど、普通に会話する分には問題なく」
「ふむ、なるほどね。言葉を教えたのは、大蛇おろち殿?」
「そうだな、わたしだろうな。櫻に話しかけるときは、人の言葉で話していた」
「それを聞いていたから、櫻さんも話せるようになったんだろうね」


君月は聞いた話を紙に書き込んで記録していく。


「──それで、今日わざわざ来てくれた理由を聞いても?」
「…………、櫻、俺から言ってもいいか?」
「ふぇ?……う、うん。いい」
「うん。──俺もつい最近、櫻に教えてもらったんですけど、随分と前から食事の度に食べたものを戻してしまっていたらしくて。俺と会う以前から──で、間違ってないよな?」
「──うん、合ってる」
「食事を拒んでいる、のかな?」
「食べること自体は好きそうに見えました。あまり好き嫌いはしていないけど、特に魚は好きそうだったかな」
「ふむ。でも、いざ食べたら戻してしまう、と」


櫻は頷いた。肩を竦めた姿勢のままだが、緊張はだいぶ抜けているように見える。
中には水が入っている、黄ばんだ白のような色の湯飲みを差し出すと、櫻はゆっくりと飲み込んだ。熱いお茶よりはこちらのほうが合うらしい。


「ねぇ櫻さん、聞いてもいいかな?」
「……っ、は、はい」
「その、食べたものを戻してしまう、っていうのは、いつごろからなのかな?紅蓮くんと会う前から、とは聞いたけど……具体的に、何歳の時から、とか。覚えている?」
「──ぇと、覚えてない……です」
「覚えていない、と。うん、ありがとう。それじゃあ、紅蓮くん。櫻さんと一緒にいるときは、基本的に何を食べていたの?」
「煮沸した川の水に、保存食の干し肉とか、身の回りに自生していた毒のない野草を入れて、味噌で煮込んでました。最近は味噌の味がしますけど、最初のころは味噌の風味も少ししかしないくらい、薄味で食べさせてました」
「…………すんごい師匠譲りの食事してるねぇ、君……」
「ほっといてください」
「まぁとにかく、薄味で食べさせていたってのはいいね」


乳離れしたばかりの子供と同様に、山の中で育ってきた『塩』と無縁の少女に、いきなり紅蓮が普段食べている味を出すことに抵抗があったのだ。その時の選択が間違いではなかったとわかって、紅蓮はほっと胸を撫で下ろす。


「じゃあ櫻さん。紅蓮くんがいないときは、普段からどんな食事をしていたの?」
「どんな……?」


そういえば、紅蓮も普段櫻がどんな食事をしているのか、具体的に聞いたことはなかった。毎日食事にありつけるわけじゃない、とは大蛇おろちから聞いたことがあるので、毎日毎食、食事をしていたわけではないのだろうが……。


「ぇっと……」


君月と紅蓮の視線が、櫻に向かう。


「おじいちゃんと一緒に、死んじゃった動物たちのお肉、食べてました」


一瞬、紅蓮の思考が凍り付いた。
毎食食べられていたわけじゃあない。そのことはわかっていたから、覚悟していたけれど。


「え、っと……ちょっと待ってね。それって、生肉をそのまま食べていたってこと?」
「???うん」


それは、そうだ。あんな山の中で、知識もないのに火を起こすことができるとは思えない。冷静になって考えてみれば、それはあまりにも当たり前のことだ。それなのに、当たり前なのに考えたこともなかった事実に、紅蓮は直接脳を揺さぶられたような気分になった。


大蛇おろち殿。相違ないですか?」
「ああ。紅蓮が来るまで、食料に火を通すという技術があるなんて、知りもしなかった」
「えっと……そう、ですよね。うん、それが普通だよなぁ……」


君月が机に肘をついて、項垂れた。紅蓮も同じ姿勢になりたい気分だった。


────俺の落ち度だ。


櫻は普段何を食べているのだろう?
火を通す手段が無いから、食べているとしたら生の肉をそのまま食べる以外に方法が無い。
──少し考えれば、すぐにその結論に至ったはずだ。

なのに、自分の常識を都合よく当て嵌めて、事実から目を逸らしてしまっていた。


「私も動物にそこまで詳しいわけじゃないが、動物の死因だって、きっと老衰による死だけではないだろう。傷を負って、そこから感染症になってしまったり、何らかの病気を患ってしまったり……いろいろとあるはずだ。そんな動物たちの死体を食んで、生きてきたわけだ」
「……あ、の……?……お兄ちゃん、私、なにか駄目なこと言った……?」
「──いや、言ってないよ。びっくりなことは言ってたけど」
「???」
「そうか……………………大蛇おろち殿、櫻さんが初めて生肉を食べたのは、いくつくらいの時ですか?」
「拾ってからそう時間を空けずに、だな。一週間は空けていないように思う」


その言葉に、さらに動きが止まる。
櫻は齢3つのころから、生肉を食んで過ごしてきたのだ。


「……櫻さん、食事を戻してしまうとき、苦しかったり、嫌だったりしなかったの?」
「気が付いた時には、吐いちゃうのが普通、だったから……苦しいとか、考えたこと、無いです。食べて、吐く。それが当たり前だと思ってて……」
「……そうか」


君月が聞き取った情報を書き込んで、紅蓮を見やる。その表情は暗い。きっと紅蓮も、君月と似たような表情をしていることだろう。


「……最近は、ちゃんと火を通した食事を食べていたんだよね?」
「俺が一緒にいるときは。でも仕事があるから、毎日一緒にいられたわけじゃないし、何日間も櫻の元にいられたわけじゃあないので。何なら移動時間のほうが長かったくらいです」
「そうだよねぇ、ここから【冬の山】まで結構かかるもんね……むしろ君、よく依頼をこなしながら二人のところに顔を出せてたね?」
「…………まぁ。会いたいのもそうですけど、放っておけなかったので。怪我してないかとか、いろいろと」


親心だねぇ、という君月の言葉は無視をした。


「その様子だと、月のものはまだっぽいかな……」
「???」
「だと思います。本人がこの様子なので」
「……そうだね。栄養が足りていないからね、完全に」


最後に一文を書き足して、君月は筆を置いた。机に体重をかけて、真剣な表情で櫻を見つめる。


「櫻さん、俺もこんな症例は初めて診るので、正確なことは言えません。まずはそこを謝らせてください」
「へ!?……ぁ、あの……え!?」
「そのうえで、俺の考えを言わせていただきたい。──大蛇おろち殿には申し訳ないのですが、櫻さんが食事を戻してしまうのは、幼少期の経験が理由だと思います」
「……???」
「人間の身体っていうのは、生肉を食べるのに適した身体ではないんです。最近やら寄生虫やらがたくさんいて、体を蝕まれてしまうから。櫻さんはまさにその状態です。……僕たちは普段、しっかり加熱肉を食べてしまうと、身体が『変なものが入ってきた』と判断して、吐き出します。櫻さんは、おそらくだけれど……幼少期からずっと生肉を食べていたから、身体が覚えてしまったんでしょうね。『口から入ってきたものは、全部吐き出さないといけない』って」


ゆっくりと語り掛けるように言う君月の言葉を、櫻は静かに聞いていた。その表情は落ち着いていて、何を考えているのか紅蓮にもわからない。


「長年の経験から『口に入れたものはある程度消化してからすべて吐き出す』暮らしだったから、紅蓮くんが作った加熱済みの食事であっても、吐き出していたんじゃないのかな。──それに、嘔吐するという行為自体が相当体力を消耗する。異物を吐き出したとしても、何かしらの体調不良はあっただろうし──紅蓮くんは何か違和感を感じなかった?」
「──いや、食事の後に席を外すなぁ、とは思っていたけど、ずっと手洗いだろうと思って気にしなかったんです。それに戻ってきてからも、特に何事もなかったように平然としているから」
「“慣れ”かな。そんな風に何年間も食べては戻す、を繰り返していたら、そりゃあ慣れるか」
「…………わたしの」


いままで黙って聞いていた大蛇おろちが、低く沈んだ声を発した。紅蓮も聞いたことが無くて、驚いて大蛇おろちに視線を向ける。


わたしの、せいか……確かに、わっぱを見て驚いたのだ。肉や草を“調理する”など、わたしは考えもしなかった。──人間にとって身体を壊してしまうような食事を、わたしはずっと、櫻に与えていたのか」
「…………そもそも、生物としての構造からして違うんだから、仕方がないと思います。そんな貴方が、彼女を生かしてくれたことに、俺は感謝したいですが」
「わ、私!おじいちゃんのせいだなんて欠片も思ってないからね!おじいちゃんが拾ってくれたおかげで、私はこうして生きているんだから!おじいちゃんは何も悪くないの!」
「…………」


櫻の言葉で大蛇おろちが顔をあげる。その表情はまだ暗い。


「──ねぇ櫻さん、お風呂、入っておいでよ」
「???……ふ?」
「おふろ。あったかい水に入って、髪や身体を洗うんだ。すっきりするし、心地いいよ」
「え、あの」
「俺の奥さんと一緒に、入っておいで。彼女、君みたいな子が大好きだと思うから。──楓!こっちに来られるかな?楓!」


少しだけ間を開けて、障子が開かれる。薄青の着物の袖をたすき掛けでおさえ、綺麗な黒髪を後ろでまとめた楓は、部屋に蛇がいることに驚きもせず、君月の隣に座って声をかける。


「どうしました?」
「櫻さんを、風早のお風呂屋に連れて行ってあげてほしいんだけど、今時間はある?」
「ありますよ。──こちらのお嬢さん?」
「そう、ここにいる大蛇おろち殿の孫娘さん」
「……嗚呼!紅蓮くんが前に言っていた女の子ね!まぁまぁまぁまぁ!可愛らしい子!」


楓は嬉しそうに、櫻の顔を見つめた。彼女は年頃の女の子が大好きなのだ。元来の性格が世話焼きなので、幼いころの紅蓮もたいそう可愛がられた。幼いころの紅蓮は、年相応に頬がふっくらとしていて可愛げがあった(らしい)ので、なにかにつけて楓に可愛がられた記憶がある。師匠のお使いを達成したとか、苦手だった野菜を食べられるようになったとか、些細なことでもほめてくれるので、紅蓮は随分と照れてしまったものだ。


「初めまして、私は楓といいます。よろしくね」
「……は、はい」
「ふふ、子供のころの紅蓮くんを思い出すわぁ。照れ屋で人見知りなところがそっくり」
「娘みたいな子ですけど、俺の娘じゃないですよ」
「このにとって、貴方は親代わりだといっても過言ではないでしょう。目がそっくりだわ」
「そっくり、ですか?」
「ええ、そっくり」


櫻は、綺麗で澄んだ大きな瞳をしている。釣り目気味の自分とは大違いだと、紅蓮本人は思っているのだが。


「どのあたりが、です?」
「未来を、生きることを、全然諦めていないところがそっくり。貪欲で、芯がしっかりしていて、良くも悪くも諦めが悪い感じ。ね、貴方も、そっくりだと思わない?」
「──そうだね、少なくとも、櫻さんが『生きたい』と思い続けていない限り、もっと早い段階で身体の限界が来ていたと思うよ。生きていたかったから、彼女の身体は生きることを諦めなかったんだろうね」


夫婦そろって、微笑みながら櫻を愛おしそうに見つめている。この夫婦に子供はいない。死産したのだと、小耳にはさんだ。だから、だろうか。いつも、すごく、紅蓮のことを大切にしてくれていた。それが紅蓮には、気恥ずかしくて、うれしくて、照れ臭かったのだけれど。


「風早に頼んで、湯の温度は控えめにしてもらったほうが良いかもね。薬湯じゃなく、普通のお湯で」
「そうね、頼んでおくわ。……櫻ちゃん、おばさんと一緒に、行ってくれる?」


櫻の隣にしゃがんだ楓が、顔を覗き込む。櫻は紅蓮に助けを乞うように視線を向けた。紅蓮は何も言わず、小さく頷く。楓の世話焼き加減はものすごいが、櫻にはちょうどいいかもしれない。


「い、く……ぁ、えと……行き、ます」
「ありがとう!さ、手をつないで行きましょう?はぐれないようにね」


初めて会う同性の人ならば、彼女が一番適していたように思う。世話焼き加減が、本当に、ものすごいのだが。


「じゃあ、行ってくるわね」
「行って、きます」
「ああ、いってらっしゃい。──楓さん、櫻のことお願いします」
「ええ、まかせて」


楓は満面の笑みで、櫻は緊張した表情で出かけて行った。座敷には紅蓮と大蛇おろち、君月が残る。


「紅蓮くん、君はどうする?」
「──ジイさんと少し、風に当たってきます」
「そうだね、そうするといい。俺は茶屋に行って、菜穂さんと少し話をしてくるよ」
「お願いします。ジイさん、行こう」


大蛇おろちの返事はなかった。けれど立ち上がった紅蓮の後ろをついてくる気はあるようなので、無言で診療所を後にする。夕暮れにはまだ早い、昼下がりの時間帯。程よく日が差したり隠れたりして、散歩にはちょうどいい。


「ジイさん、川沿いのほうが好き?」
「……そう、だな」


返事は力ないけれど、それでも返してくれた。その言葉にうなずいて、ゆっくりとした歩調で川沿いに向かう。
大蛇おろち自身から言葉が出てくるまで、紅蓮は久しぶりにじっくりと見る村の景色を、気ままに堪能することにした。
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