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三波新、放浪編

俺の昔語り、この世界に来て一日目の話が終わったのだが

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「待て、落ち着け。そりゃあん時はさすがに文句言ったさ。そしたらそのときは対応してもらえたんだよ」
「対応?! どんな!」

 何でこいつが、わが身のことのように怒るんだ?

 ─────

 神殿の礼拝堂の、私設の内部への扉の前で番をする教徒が、俺に目を向けないまま口を開いた。

「……旗手の方々がここに来られる経緯は、この世界に迷い込む現象に巻き込まれた、というかたちです。ですが、ごく稀に一般人も巻き込まれます。あなたもそういうことなのでしょう」

 言い終わると、一瞬だけ俺の方を見て、また視線をまっすぐ前に戻す。
 なるべく関わらないようにしたい思いが見え見えだ。

「じゃあ、俺はどうやったら帰れるんだ?」
「知りません」

 巻き込まれた、ということは、こいつらが故意に俺達を呼び寄せたって訳じゃないってことだ。
 つまり、間違えて呼び出しちゃいました。ごめんなさい。
 と俺に謝る必要はない。
 対応には不愉快だが、冷静になって考えればそれは納得できる。
 じゃあとっとと帰ります、といきたいところだが、帰る方法が分からない。
 旗手の方々の帰る方法は分かるそうだが、一般人は分からないときたもんだ。

「今までその現象に巻き込まれた一般人の人達は、今どうしてるんです?」
「存じ上げません」

 微動だにせず、無感情で返された返事からして、そしてこの門番達の気配の感情からして、余計なことは一切答えないって態度だな。

「無一文なんですが、何とか助けてもらえませんか?」

 ポケットにいくらかお金はある。
 言葉は通用しても貨幣は通用するわけじゃない。

「少しお待ちください」

 急に態度が、わずかだが軟化した。
 門番の一人がその関係者以外立ち入り禁止の扉を開けて中に入っていった。
 まぁ信仰者じゃなくても、困ってる人がいたら救いの手を差し伸べるくらいはするってことか。
 残った門番の人達は、相変わらず無表情。
 気配から感じ取れる感情も特になし。
 しばらくしてからその門番は姿を現した。

「大司教様から、先ほどは失礼いたしました、という謝罪の言葉を承りました」

 姿を見せない相手が態度を急変するような伝言を受けるのは、これまで何度もあった。
 けどその相手と再会した時は、つっけんどんな態度は依然として変わらなかったことも。
 適当にあしらえば矛を収めるだろう、という見下された態度。
 そんな態度を初めてとられたときは、そりゃ腹も立った。
 だが何度も同じ体験を繰り返すと、次第に慣れてくるもんだ。
 だから……。
 うん。
 ダメージは、多分ない。

「一万円を補助としてお渡しするように仰せつかりました。我々ができることと言えばそれくらいです」
「ほえ?」

 思いもしない先方の対応は、確かに有り難かったけど変な声が出てしまった。

 って、紙幣と硬貨が混ざった一万円は、こっちの世界と同じ物だ。
 人物の肖像画も同じってことは、同じ人がこの世界にも生存してたってことか?
 いや、でもまぁこれで何とかなるか。
 この世界で職探しして、帰る方法が見つかるまで何とか凌がないと。

 けど、大司教からのお詫びはそれだけじゃなかった。

「それと、夜は冷えますから、今夜はこの礼拝堂でお休みください。枕と毛布をお持ちしましょう。それと夕食としては質素ですが、炊き出しの食事を用意します」
「有り難いです。助かります。そちらで帰る方法が分からないのであれば、自分で探すしかないですし、そのための時間も必要になります。おかげでいきなり行き倒れにならずに済みそうです」

 最初に出会ったこの世界の人達からの、再三にわたる無視。
 職場では時々あった。
 いい気持ちはしないが、ある程度は慣れた。
 けど、自分の知らない場所でのこの対応は流石に心細くなる。
 このまま放置されるかもしれない。

 と思ってた矢先にこの待遇は、まさしく天から降りてきた、とても細い蜘蛛の糸。
 頼りなげには見えるけど、それでも本当に心強い味方に思えた。

 この時は、な。

 ─────

 話を一区切りすると即口を挟むヨウミ。

「ふーん……。一室を貸して一か月は寝泊まりくらいしないと割に合わないような気がするけどね」
「確かにそうだったら本当に助かってたけど、そしたらお前と会うこともなかったな」
「あ……、うーん……どっちが良かったのかしら?」

 さあ、な。
 さて、その続きはというと……。

 ─────

「夕食です。冷めないうちにどうぞ」

 わざわざ俺のために作ってくれた夕食なのだが、おにぎり二個と味噌汁だけというのは、流石に物足りなさを感じる。
 けど有無を言わさずここから追い出されていたら、空腹のほかに冷える夜を外で過ごさなければならなかった。
 最悪の事態を考えると、相当助かる。

 が。

「え? これ……あの」
「何か?」
「……いえ、何でも、ないです」

 見ただけで分かった。
 口にする前に分かった。
 おにぎりは、ただ白いご飯をまるめただけ。
 味噌汁は、味噌をお湯で溶かしただけ。

 もらった一万円で、近くの町で外食をする方がまだましだったかもしれない。
 ひょっとしたら、町の宿屋で揉みつけて止まった方が、ここよりも眠りやすかったかもしれない。

 炊き出し、と言っていた。
 ということは、貧困に苦しむ人々への施しの食事ということじゃないだろうか?

 ポケットの中にいくらかお金はあった。
 だからそんな貧困層というわけではないだろうが……。
 飲み込みづらいご飯。
 味気ない味噌のお湯。

「……後で枕と毛布をお持ちしますね。その食器は紙製ですから、終わりましたらごみ箱に捨てておいてください」
「あ、はい……助かります……」

 とりあえず、もらえた一万円は手つかずのままというメリットはある。

「……あいつらはどんな夜を過ごしてんのかな……」

 門番には届かない声で思わずつぶやいた。
 日中この場に集まっていた、ここじゃない世界から来た連中のことを思い出す。
 逆に連中は、俺のことを気にしてはいないだろうな。
 ま、俺はどうやら選ばれし者じゃないらしいから、こんな扱いでも仕方が……。
 仕方が、ないんだろうか。

「毛布と枕をお持ちしました。今夜はゆっくりお休みください」

 教徒がそういうと、門番の教徒と共に礼拝堂から退室した。
 扉の向こうから施錠の音が聞こえた。

「外に出るも自由。だけど中には……部外者だから入れなくして当然か」

 俺がこの世界に来て最初の一日目はこうして終わった。

 ─────

 昔語りはようやく一区切り。
 ふぅ、と軽く息を吐く。

「それってあまりにひどくない?」
「……言っとくが、もう終わったことだからな?」

 そう、すべてが過去のこと。
 だからそれにいろいろアドバイスもらったところで、時すでに遅しだ。

「だとしてもよ?」

 ヨウミが腕を組んで考え込む。
 何の問題もないと思うが?

「あたしも炊き出しの話は聞いたことがあるし、食事したことがある人から話は聞いたことがあるけど」
「ほう?」
「アラタが作る塩おにぎりあるでしょ? そんな奴を二個と、具が一種類だけだけど、普通のお味噌汁も貰ったって言ってたわよ? 味噌をお湯に溶かしただけの飲み物なんて、そんなの出ないって。ましてやただご飯を握っただけのおにぎりなんて……」

 今更そんなことを言われてもな。
 俺にとってはむしろ、この後の方がちょっと辛かったかな。
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