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5.デート日和
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緊張していた。毎日当たり前に会っていたときよりもずっと。地元の駅とは比べものにならないくらい広いし、人も多い。二年前まではこれくらい普通だったのに。母に渡された紙袋がたてる音さえすぐに掻き消される。大学の最寄り駅なので、同じようにオープンキャンパスへと向かうであろう人たちが前を過ぎていく。改札を出て右へと続く流れは大きくなっていた。
けれど私は反対の左の出口へと向かう。美月センパイが来る方向。待ち合わせるならこっちの方がいいだろうから、と決めた。
夏ほどの暑さはないが、日差しは強い。春から夏へと変わる、湿度のないからりとした明るさ。街路樹の葉が濃い緑色を揺らす。気持ちのいい気候だった。
「うん、デート日和だ」
青く晴れた空を見上げて呟くと、ふっとすぐそばで空気が揺れた気がした。
「みのり」
振り向くといつの間にか美月センパイが隣にいた。え、あれ、うそ。見逃したつもりはないのに。
「あ、おはよう、ございます」
緊張が驚きに上書きされ、声が不格好に跳ねる。
美月センパイはクスクスと小さく笑ってから
「ごめんね。早く着いちゃったから駅ビル寄ってたの」
と視線を駅構内に向けた。つまり私が予想していた方角とは反対から現れたということか。
「……あ、そうなんですね」
久しぶりに会えたこと、驚かされたこと、緊張し続けていたのもあって、言葉遣いまでおかしくなる。そんな私を美月センパイはじっと見つめてから、手を差し出す。
「いこっか。せっかくのデート日和だし」
「聞いてたんですか」
美月センパイは小さく笑うだけで答えない。差し出された手を握れば、自分の体温が高いことを思い知らされる。鏡なんて見なくても顔が赤いのがわかる。
歩き出した美月センパイに手を引かれる。駅構内を吹き抜けた風が美月センパイの髪をなびかせる。その瞬間、吸い込んだ香りに胸の奥がざわついた。
「美月センパイ」
きゅっと手に力を込めれば、視線が繋がる。
「今日はジャスミンじゃないんですね」
ジャスミンではない。もちろんバニラでもない。でも目の前にいるのは、手を繋いでいるのは美月センパイだ。それなのに、どうしてだろうか。香りが違うだけでこんなにも不安になるのは。
「さっきテスターのつけちゃったから」
「香水ですか?」
「練り香水だって」
繋いでいない方の手首を鼻の前にかざされ、先ほどよりも濃く甘い香りが届く。
「みのりはこの香り嫌いだった?」
「嫌いじゃないです。……桜、ですよね」
「うん」
今年は一緒に見られなかった花の名前を口にすれば、美月センパイが「よかった」と表情を緩める。
「みのりの分も買ったから」
それってお揃いですか、と口にする前に
「人多そうだから、急ごうか」
と美月センパイが顔を前に戻した。そうですね、と答えて一緒に歩くペースを速めながらも私の胸の中は嬉しさと不安がマーブル模様みたいにぐるぐるとしていた。
「美月センパイ何にします?」
模擬授業と見学ツアーを終え、学食に来た。ショーケースに並ぶサンプルを端から端までチェックする。
「みのりは?」
「オムライスセットか日替わりセットのBか……」
「じゃあ、私オムライスにする」
サンプルから顔を隣に向ければ、ね、と細められた目に出会った。
「じゃあ、私は日替わりのBで!」
言葉にしなくても伝わるのが嬉しい。美月センパイの優しさに頬が緩む。高校に学食はないから毎日お弁当だ。美月センパイと一緒に食べていたとき、おかずを交換することはあっても、こうやってメニューを一緒に悩むことはなかった。いいな。早く大学生になりたい。美月センパイと一緒にできることをもっと増やしたい。
窓際に置かれた丸テーブルが空いたので、持っていたトレーを置く。プラスチックのカップに入った水がたぷっと水面を揺らす。
「ちょうどよかったね」
美月センパイの声に顔を上げた、その瞬間。
「藤咲さん?」
真後ろから名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に振り返ると、若宮さんがトレーを手に立っていた。食器は空になっているので、食べ終わったところなのだろう。
「若宮さんも来てたんだ」
「うん。すごいね。まさか会えるなんて」
「ね」
「友達?」
美月センパイの声に、ふたりで顔を向ける。
「うん。同じクラスの若宮さん。若宮さんもここが第一志望なんだよね」
ね、ともう一度若宮さんへと視線を戻す。きっと若宮さんが美月センパイに挨拶して、それで「じゃあまた学校で」って言い合っておわる、そういう流れだった。けれど、若宮さんは美月センパイを見つめたまま声を発しなかった。まるで言葉を忘れてしまったみたいに、小さく口を動かすだけで。見開かれた目には明らかな驚きと動揺の色が見える。
「若宮さん?」
どうかした、ともう一度声をかけるとそれが合図だったみたいに「あ、ごめんなさい。えっと、じゃあ私そろそろ行くね」とぎこちない笑顔を残して去っていった。
どうしたのかな。美月センパイを見て驚いていたように見えたけど。もしかして知り合い? でも、美月センパイにはそんな雰囲気が全くなかった。一方的に知っているのかな。一学年上なだけだし、美月センパイは人目を引く容姿だし、そうであってもおかしくはない。
「食べようか」
美月センパイの変わらない表情に、私は大きく頷いた。
けれど私は反対の左の出口へと向かう。美月センパイが来る方向。待ち合わせるならこっちの方がいいだろうから、と決めた。
夏ほどの暑さはないが、日差しは強い。春から夏へと変わる、湿度のないからりとした明るさ。街路樹の葉が濃い緑色を揺らす。気持ちのいい気候だった。
「うん、デート日和だ」
青く晴れた空を見上げて呟くと、ふっとすぐそばで空気が揺れた気がした。
「みのり」
振り向くといつの間にか美月センパイが隣にいた。え、あれ、うそ。見逃したつもりはないのに。
「あ、おはよう、ございます」
緊張が驚きに上書きされ、声が不格好に跳ねる。
美月センパイはクスクスと小さく笑ってから
「ごめんね。早く着いちゃったから駅ビル寄ってたの」
と視線を駅構内に向けた。つまり私が予想していた方角とは反対から現れたということか。
「……あ、そうなんですね」
久しぶりに会えたこと、驚かされたこと、緊張し続けていたのもあって、言葉遣いまでおかしくなる。そんな私を美月センパイはじっと見つめてから、手を差し出す。
「いこっか。せっかくのデート日和だし」
「聞いてたんですか」
美月センパイは小さく笑うだけで答えない。差し出された手を握れば、自分の体温が高いことを思い知らされる。鏡なんて見なくても顔が赤いのがわかる。
歩き出した美月センパイに手を引かれる。駅構内を吹き抜けた風が美月センパイの髪をなびかせる。その瞬間、吸い込んだ香りに胸の奥がざわついた。
「美月センパイ」
きゅっと手に力を込めれば、視線が繋がる。
「今日はジャスミンじゃないんですね」
ジャスミンではない。もちろんバニラでもない。でも目の前にいるのは、手を繋いでいるのは美月センパイだ。それなのに、どうしてだろうか。香りが違うだけでこんなにも不安になるのは。
「さっきテスターのつけちゃったから」
「香水ですか?」
「練り香水だって」
繋いでいない方の手首を鼻の前にかざされ、先ほどよりも濃く甘い香りが届く。
「みのりはこの香り嫌いだった?」
「嫌いじゃないです。……桜、ですよね」
「うん」
今年は一緒に見られなかった花の名前を口にすれば、美月センパイが「よかった」と表情を緩める。
「みのりの分も買ったから」
それってお揃いですか、と口にする前に
「人多そうだから、急ごうか」
と美月センパイが顔を前に戻した。そうですね、と答えて一緒に歩くペースを速めながらも私の胸の中は嬉しさと不安がマーブル模様みたいにぐるぐるとしていた。
「美月センパイ何にします?」
模擬授業と見学ツアーを終え、学食に来た。ショーケースに並ぶサンプルを端から端までチェックする。
「みのりは?」
「オムライスセットか日替わりセットのBか……」
「じゃあ、私オムライスにする」
サンプルから顔を隣に向ければ、ね、と細められた目に出会った。
「じゃあ、私は日替わりのBで!」
言葉にしなくても伝わるのが嬉しい。美月センパイの優しさに頬が緩む。高校に学食はないから毎日お弁当だ。美月センパイと一緒に食べていたとき、おかずを交換することはあっても、こうやってメニューを一緒に悩むことはなかった。いいな。早く大学生になりたい。美月センパイと一緒にできることをもっと増やしたい。
窓際に置かれた丸テーブルが空いたので、持っていたトレーを置く。プラスチックのカップに入った水がたぷっと水面を揺らす。
「ちょうどよかったね」
美月センパイの声に顔を上げた、その瞬間。
「藤咲さん?」
真後ろから名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に振り返ると、若宮さんがトレーを手に立っていた。食器は空になっているので、食べ終わったところなのだろう。
「若宮さんも来てたんだ」
「うん。すごいね。まさか会えるなんて」
「ね」
「友達?」
美月センパイの声に、ふたりで顔を向ける。
「うん。同じクラスの若宮さん。若宮さんもここが第一志望なんだよね」
ね、ともう一度若宮さんへと視線を戻す。きっと若宮さんが美月センパイに挨拶して、それで「じゃあまた学校で」って言い合っておわる、そういう流れだった。けれど、若宮さんは美月センパイを見つめたまま声を発しなかった。まるで言葉を忘れてしまったみたいに、小さく口を動かすだけで。見開かれた目には明らかな驚きと動揺の色が見える。
「若宮さん?」
どうかした、ともう一度声をかけるとそれが合図だったみたいに「あ、ごめんなさい。えっと、じゃあ私そろそろ行くね」とぎこちない笑顔を残して去っていった。
どうしたのかな。美月センパイを見て驚いていたように見えたけど。もしかして知り合い? でも、美月センパイにはそんな雰囲気が全くなかった。一方的に知っているのかな。一学年上なだけだし、美月センパイは人目を引く容姿だし、そうであってもおかしくはない。
「食べようか」
美月センパイの変わらない表情に、私は大きく頷いた。
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