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8.日曜日
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それから二週間ほど過ぎた日曜日。
月が変わっても、お盆の時期になっても、相変わらずハルは私の部屋にいた。
「ただいま」と言えば「おかえり」と返ってくる。気温三十五度を超える猛暑日でも部屋の中は涼しく、今年はまだエアコンを使っていない。『最高傑作』が何なのかはわからないし、わからないからハルは成仏できない。それはハルにとってはよくないことで。私にとってもいいことではない。それなのに、いつのまにかこの生活に馴染んでいる自分がいる。どこかでこのままでもいいのではないかとハルとの生活を楽しんでしまっている自分がいた。
ハルの「俺は璃子の恋を応援してやるよ」という言葉なんてすっかり忘れ、私は今日もハルと食べるためのケーキをお店に買いに行く。
――日曜日は午前中にしてね。種類多い方がいいから。
ハルの言葉を忘れたわけではなかったけれど、午前中に入れていた予定が長引いてしまい、お店に着いたのは十三時過ぎだった。午前中ではないが、この時間ならまだそれなりに残っているだろうと汗の流れる肌をハンカチで押さえてからドアを開けた。
ふわりと甘い香りと心地よい涼しさが一瞬で体を包み込む。残っていた汗が一気に冷え、体にまとわりついていた蒸し暑さが消えていく。吸い込んだ空気の柔らかさを内側に感じながらくるりと店内を見回す。お盆の時期に入ってしまったからか、いつもより人は少ない気がした。お盆休みと関係なく働いている私と同じで、ここも普段通り営業している。
「いらっしゃいませ」
ショーケースの奥にいたのは見慣れない女性だった。彼とハル以外にもお店にはアルバイトのスタッフが何人かいる。私がここに来るのは限られた曜日だけだったので、見かける顔はだいたい決まっていた。三か月以上通って一度も見ていないと思われる女性。新しく入った人だろうか? それとも私がお店に行けない平日や日曜の午後に入っているのだろうか? ぽこぽこと「?」は浮かぶが、見慣れた制服を着る彼女はケーキを箱に入れながら優しく笑っていて、まだ話してもいないのに好感が持てた。纏っている空気が温かい。どこか厨房にいる彼と似た雰囲気を感じて自然と頬が緩む。
「お決まりですか?」
ショーケースの前まで来るとすぐに声をかけてくれる。
「えっと……」
明らかに戸惑う表情を見せた私に、彼女はふわりと柔らかく笑った。
「ゆっくり選んでくださいね」
優しく響く声に頷き、磨き上げられたガラスの向こう側へと視線を向ける。チェリーのスフレ・オ・ショコラ、マンゴーのタルト、メロンのショートケーキ、桃とはちみつのパフェ、パイナップルのミモザケーキ……並べられた宝石のようなケーキをひとつひとつ確かめ、最後に目に入った定番商品のところで視界が固定される。
何か考えがあったわけじゃない。ただ、自然と選んでいた。頭にあったのはハルの笑った顔だった。
「あの、シュー……」
顔を上げるとタイミング悪く彼女はうしろを向いていた。奥の厨房から出てきた彼が「今日はそんなに混んでないから無理しなくていいよ」と声をかけている。
「大丈夫。家にひとりでいてもつまらないし。どうせ今日も帰ってくるの遅いんでしょ?」
少し怒ってみせる彼女の可愛い声が小さく聞こえ、思わずじっと見つめてしまった。
――あ、あれ?
よく見れば……いや、よく見なくても。ふたりは同じ空気を作っていた。顔なんて見えなくても優しく笑い合っているのが伝わってくる。何より黒いベストを押し上げるように膨らんだ彼女のお腹がすべてを教えてくれていた。
――そっか、そういうことか……。
「あ、すみません。お決まりですか?」
こちらへと振り返った彼女に商品名を告げ、お店を出ると箱が揺れるのも構わず走り出した。
――俺は璃子の恋を応援してやるよ。
ハルは一体どんな気持ちであの言葉を言ったのだろう。
叶わない恋をしている私がおかしかった? みじめでかわいそうだと思った? 応援なんて初めからするつもりなかった? 私だって忘れていた言葉だけど。だけど。それでも私はあの言葉がハルの優しさだと思っていたのに。
月が変わっても、お盆の時期になっても、相変わらずハルは私の部屋にいた。
「ただいま」と言えば「おかえり」と返ってくる。気温三十五度を超える猛暑日でも部屋の中は涼しく、今年はまだエアコンを使っていない。『最高傑作』が何なのかはわからないし、わからないからハルは成仏できない。それはハルにとってはよくないことで。私にとってもいいことではない。それなのに、いつのまにかこの生活に馴染んでいる自分がいる。どこかでこのままでもいいのではないかとハルとの生活を楽しんでしまっている自分がいた。
ハルの「俺は璃子の恋を応援してやるよ」という言葉なんてすっかり忘れ、私は今日もハルと食べるためのケーキをお店に買いに行く。
――日曜日は午前中にしてね。種類多い方がいいから。
ハルの言葉を忘れたわけではなかったけれど、午前中に入れていた予定が長引いてしまい、お店に着いたのは十三時過ぎだった。午前中ではないが、この時間ならまだそれなりに残っているだろうと汗の流れる肌をハンカチで押さえてからドアを開けた。
ふわりと甘い香りと心地よい涼しさが一瞬で体を包み込む。残っていた汗が一気に冷え、体にまとわりついていた蒸し暑さが消えていく。吸い込んだ空気の柔らかさを内側に感じながらくるりと店内を見回す。お盆の時期に入ってしまったからか、いつもより人は少ない気がした。お盆休みと関係なく働いている私と同じで、ここも普段通り営業している。
「いらっしゃいませ」
ショーケースの奥にいたのは見慣れない女性だった。彼とハル以外にもお店にはアルバイトのスタッフが何人かいる。私がここに来るのは限られた曜日だけだったので、見かける顔はだいたい決まっていた。三か月以上通って一度も見ていないと思われる女性。新しく入った人だろうか? それとも私がお店に行けない平日や日曜の午後に入っているのだろうか? ぽこぽこと「?」は浮かぶが、見慣れた制服を着る彼女はケーキを箱に入れながら優しく笑っていて、まだ話してもいないのに好感が持てた。纏っている空気が温かい。どこか厨房にいる彼と似た雰囲気を感じて自然と頬が緩む。
「お決まりですか?」
ショーケースの前まで来るとすぐに声をかけてくれる。
「えっと……」
明らかに戸惑う表情を見せた私に、彼女はふわりと柔らかく笑った。
「ゆっくり選んでくださいね」
優しく響く声に頷き、磨き上げられたガラスの向こう側へと視線を向ける。チェリーのスフレ・オ・ショコラ、マンゴーのタルト、メロンのショートケーキ、桃とはちみつのパフェ、パイナップルのミモザケーキ……並べられた宝石のようなケーキをひとつひとつ確かめ、最後に目に入った定番商品のところで視界が固定される。
何か考えがあったわけじゃない。ただ、自然と選んでいた。頭にあったのはハルの笑った顔だった。
「あの、シュー……」
顔を上げるとタイミング悪く彼女はうしろを向いていた。奥の厨房から出てきた彼が「今日はそんなに混んでないから無理しなくていいよ」と声をかけている。
「大丈夫。家にひとりでいてもつまらないし。どうせ今日も帰ってくるの遅いんでしょ?」
少し怒ってみせる彼女の可愛い声が小さく聞こえ、思わずじっと見つめてしまった。
――あ、あれ?
よく見れば……いや、よく見なくても。ふたりは同じ空気を作っていた。顔なんて見えなくても優しく笑い合っているのが伝わってくる。何より黒いベストを押し上げるように膨らんだ彼女のお腹がすべてを教えてくれていた。
――そっか、そういうことか……。
「あ、すみません。お決まりですか?」
こちらへと振り返った彼女に商品名を告げ、お店を出ると箱が揺れるのも構わず走り出した。
――俺は璃子の恋を応援してやるよ。
ハルは一体どんな気持ちであの言葉を言ったのだろう。
叶わない恋をしている私がおかしかった? みじめでかわいそうだと思った? 応援なんて初めからするつもりなかった? 私だって忘れていた言葉だけど。だけど。それでも私はあの言葉がハルの優しさだと思っていたのに。
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