1 / 2
立ち止まることなく
しおりを挟む
「俺と別れて、後悔しないって言える?」
答えなんてわかりきっているのに、聞かずにはいられなかった。
一人暮らしの自分の部屋よりも馴染んでしまった部屋に、春へと向かう少し冷たい風が流れ込む。亮一さんが、両手に持っていたマグカップをそっとテーブルに置く。
「ああ、言えるよ」
いつもと変わらない穏やかな声には、強がりも悲しみもない。ほんの少しの寂しさはあるかもしれないけど、きっと安堵が一番大きい。無事に俺の手を離すことができてよかった、と。
それは先生だった頃からなにひとつ変わっていない。卒業して生徒でなくなっても、恋人になっても、亮一さんはいつだって俺を優先する。
たったひとこと「言えない」と、「後悔する」と言ってくれたなら、いまある俺の未来なんて全部放り投げるのに。
それがわかっているから、亮一さんは言わない。
全部、わかっている。お互いにわかりすぎているからこうなった。きっと最初から、俺を受け入れてくれたときから、亮一さんは終わりを見ていたのだろう。悔しい。悔しくてたまらない。それなのに、俺は俺の夢を諦められない。
本当に亮一さんを選ぶつもりなら、答えを聞く必要なんてなかった。この先を亮一さんの答えに委ねてしまっている時点で、俺はとんでもなく子どもで、弱くて、ズルくて、最低なやつだ。
「きみと別れることに後悔はないし、きみと付き合えたことにも後悔はないよ」
「お、れだって……」
溢れそうになる言葉を、唇を噛みしめて飲み込む。視線を手元に戻し、私物を詰め込んだリュックを閉じる。ここで泣きたくない。泣いてたまるか。だって決めたんだ。
並んだマグカップのうちのひとつへと手を伸ばす。いつのまにか、白が亮一さんで、黒が俺になっていた。ぐっと一気に傾けても、火傷はしない。牛乳が多めに入ったコーヒーはいつだって、俺に優しい温度だ。
「ごちそうさまでした」
「……うん」
玄関まで見送ってくれるのは、いつもと同じなのに腕を伸ばすことはできなかった。たぶん、お互いに。
「空港までは行けないから」
「うん」
「元気で」
「うん、亮一さんも」
先生とは呼ばない。なかったことにはしてあげない。つぎに会ったときも、俺は亮一さんと呼ぶ。この先もずっと。
「いってきます」
さよならではないのだと、わずかな抵抗を込めれば、一瞬の間のあと「いってらっしゃい」と柔らかな声が返ってきた。
いまは、これでいい。これだけで十分だ。待っていて、なんて言えないから。
自分から視線を解いた。もう振り返らない。ドアへと手を伸ばす。風は冷たいけれど、景色は明るい。
今度こそふたりでいられる未来を持って帰れるように。
胸に隠した決意とともに、春へと向かって踏み出した。
答えなんてわかりきっているのに、聞かずにはいられなかった。
一人暮らしの自分の部屋よりも馴染んでしまった部屋に、春へと向かう少し冷たい風が流れ込む。亮一さんが、両手に持っていたマグカップをそっとテーブルに置く。
「ああ、言えるよ」
いつもと変わらない穏やかな声には、強がりも悲しみもない。ほんの少しの寂しさはあるかもしれないけど、きっと安堵が一番大きい。無事に俺の手を離すことができてよかった、と。
それは先生だった頃からなにひとつ変わっていない。卒業して生徒でなくなっても、恋人になっても、亮一さんはいつだって俺を優先する。
たったひとこと「言えない」と、「後悔する」と言ってくれたなら、いまある俺の未来なんて全部放り投げるのに。
それがわかっているから、亮一さんは言わない。
全部、わかっている。お互いにわかりすぎているからこうなった。きっと最初から、俺を受け入れてくれたときから、亮一さんは終わりを見ていたのだろう。悔しい。悔しくてたまらない。それなのに、俺は俺の夢を諦められない。
本当に亮一さんを選ぶつもりなら、答えを聞く必要なんてなかった。この先を亮一さんの答えに委ねてしまっている時点で、俺はとんでもなく子どもで、弱くて、ズルくて、最低なやつだ。
「きみと別れることに後悔はないし、きみと付き合えたことにも後悔はないよ」
「お、れだって……」
溢れそうになる言葉を、唇を噛みしめて飲み込む。視線を手元に戻し、私物を詰め込んだリュックを閉じる。ここで泣きたくない。泣いてたまるか。だって決めたんだ。
並んだマグカップのうちのひとつへと手を伸ばす。いつのまにか、白が亮一さんで、黒が俺になっていた。ぐっと一気に傾けても、火傷はしない。牛乳が多めに入ったコーヒーはいつだって、俺に優しい温度だ。
「ごちそうさまでした」
「……うん」
玄関まで見送ってくれるのは、いつもと同じなのに腕を伸ばすことはできなかった。たぶん、お互いに。
「空港までは行けないから」
「うん」
「元気で」
「うん、亮一さんも」
先生とは呼ばない。なかったことにはしてあげない。つぎに会ったときも、俺は亮一さんと呼ぶ。この先もずっと。
「いってきます」
さよならではないのだと、わずかな抵抗を込めれば、一瞬の間のあと「いってらっしゃい」と柔らかな声が返ってきた。
いまは、これでいい。これだけで十分だ。待っていて、なんて言えないから。
自分から視線を解いた。もう振り返らない。ドアへと手を伸ばす。風は冷たいけれど、景色は明るい。
今度こそふたりでいられる未来を持って帰れるように。
胸に隠した決意とともに、春へと向かって踏み出した。
10
あなたにおすすめの小説
遅刻の理由
hamapito
BL
「お前、初デートで遅刻とかサイテーだからな」
大学進学を機に地元を離れることにした陽一《よういち》。陽一が地元を離れるその日、幼馴染の樹《いつき》は抱えてきた想いを陽一に告げる。樹の告白をきっかけに二人の関係性はようやく変わるが、そんな二人の元に迫るのはわかれの時間だった——。交わされた再会の約束はそのまま「初デート」の約束になる。
二人の約束の「初デート」を描いた短編です。
※『夏』『遅刻の理由』というお題で書かせていただいたものです(*´꒳`*)
俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした
たっこ
BL
【加筆修正済】
7話完結の短編です。
中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。
二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。
「優、迎えに来たぞ」
でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
先輩のことが好きなのに、
未希かずは(Miki)
BL
生徒会長・鷹取要(たかとりかなめ)に憧れる上川陽汰(かみかわはるた)。密かに募る想いが通じて無事、恋人に。二人だけの秘密の恋は甘くて幸せ。だけど、少しずつ要との距離が開いていく。
何で? 先輩は僕のこと嫌いになったの?
切なさと純粋さが交錯する、青春の恋物語。
《美形✕平凡》のすれ違いの恋になります。
要(高3)生徒会長。スパダリだけど……。
陽汰(高2)書記。泣き虫だけど一生懸命。
夏目秋良(高2)副会長。陽汰の幼馴染。
5/30日に少しだけ順番を変えたりしました。内容は変わっていませんが、読み途中の方にはご迷惑をおかけしました。
花いちもんめ
月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。
ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。
大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。
涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。
「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
林檎を並べても、
ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。
二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。
ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。
彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。
クズ彼氏にサヨナラして一途な攻めに告白される話
雨宮里玖
BL
密かに好きだった一条と成り行きで恋人同士になった真下。恋人になったはいいが、一条の態度は冷ややかで、真下は耐えきれずにこのことを塔矢に相談する。真下の事を一途に想っていた塔矢は一条に腹を立て、復讐を開始する——。
塔矢(21)攻。大学生&俳優業。一途に真下が好き。
真下(21)受。大学生。一条と恋人同士になるが早くも後悔。
一条廉(21)大学生。モテる。イケメン。真下のクズ彼氏。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる