9 / 13
第9話:迷宮王ミノス
しおりを挟む
僕は間違えていた。第4層で見た巨人が、ここの頂点だと思っていた。
いや――思い込もうとしていたんだ。これ以上は出てこない、って。一種の希望的観測。
目の前のそれは、ただ玉座に座っているだけで、その希望を叩き割ってきた。
玉座の間、その奥。
高さは軽く十二メートル超。近づくほど、「でかい」じゃ済まない圧がある。肺が、言うことを聞かない。ここだけ空気の密度が違う。
まず目を奪うのは頭だ。牛頭じゃない。人の顔に近い――なのに、王冠が異常だった。
輪の王冠が、そのまま巨大な角に変わり、しかも一本じゃない。大小の角が幾重にも生えて、天井の闇を刺している。まさに――百角王。
肩から胸にかけては迷宮の壁みたいな石の装甲。角ばった石板が幾重にも重なり、ところどころ黒い血の跡がこびりついている。
なのに腹だけは生々しい肉で、呼吸に合わせて筋肉が波打つ。硬い“支配”と、剥き出しの“呪い”が、そこで繋がっていた。
片手には柱みたいな王笏。先端は門の紋章みたいな塊で、わずかに持ち上げただけで床が震える。
もう片手には、儀式にも処刑にも使う両刃斧――ラブリュス。刃の冷たさだけで、首筋がぞわりとした。
人の顔で、王の装いで、でも身体は怪物。
『名づけるなら……迷宮王ミノス……とかどうよ?』
『中二病かよ』
近い。距離は数十メートル離れているのに、近く感じる。あいつの覇気のせいか、それとも巨体のせいか――いや、多分、両方だ。
僕は胸の上の鏑木さんをそっとどかし、ゆっくり立ち上がった。
ミノスは動かない。ただ、じっとこちらを見下ろしている。見定めるみたいに。獲物のサイズを測るみたいに。
(……ありがたい限りだ)
視線を外さないまま、周囲を確かめる。
円形の空間。天井はどこまでも続く黒で、夜空みたいだ。等間隔に立つ石柱に、青白い火の松明。炎が揺れても、熱は遠い。寒い。
鏑木さんの身体を掴む。抱えようと奮闘したが――無理だ。今の僕の腕力じゃ持ち上がらない。
だから腕を掴んで、ずるずる引きずり、柱の陰へ。
その間もミノスは動かない。
敵意がないのか、そう誤解しそうになる。――否。敵意はある。きっと僕たちを殺す気だ。
ただ、楽しんでいるのだ。逃げ場を失ったネズミが必死に足掻くのを、王座から眺めて。
「戦って勝てる相手じゃない……というか、戦える相手じゃない」
でも、逃げ場もない。壁は封じられ、出口もない。完全に閉じた空間。
助けを呼ぶ? 無理だ。ダンジョン内は通話が死ぬ。繋がるのは、なぜかYouTubeライブだけ。だから凛さんに連絡もできない。
「YouTubeライブ……配信だけは繋がるんだよな。ジンバルン、こっち来て」
ふわり、と凛さんのスマホ――ジンバルンが寄ってくる。
僕は震える指で画面をいじった。YouTubeで検索。他の配信者……助けを求めるなら――
「らいこさん……らいこさん……」
チャンネル名なんて聞いてない。実名でやってるわけもない。
有名どころを上から片っ端から当たる。くそ……聞いておけばよかった。
(……いや。コメント欄に聞けば、誰か分かるんじゃ――)
「ねえ皆! クイズなんだけど、地雷系ファッションの有名なダンジョン配信者ってだーれだ?」
『このタイミングでクイズ?』
『えー!? わかんな~い』
『他所の名前出すのは女神ちゃんに迷惑かけるからやめとけって』
『それもそっか。ご法度だったな。でもお前うざい』
『は?』
(だめだ……喧嘩始めた……!)
「う、う~ん……ここは……」
最悪のタイミングで、横の鏑木さんが身じろぎした。起きた。
また突っ込むかもしれない――焦って口を開きかけた僕に、彼女は先に言った。
「ごめんなさい女神ちゃん様。わたし、怖くて頭おかしくなってました。でももう平気です! 今こうやって生きてる。女神ちゃん様が本当の女神様だって、よくわかったから!」
彼女はふわりと笑い、祈るみたいに手を組んで僕の隣に座る。
……別のベクトルでおかしくなってる気がする。でも今は、ありがたい。暴走されるより百倍いい。
「ねえ鏑木さん。地雷系ファッションの有名なダンジョン配信者……知らない?」
「地雷系……それなら、“ジライちゃん”じゃないですかね」
配信に乗らないくらいの小声。僕は即座に検索窓へ打ち込む。
(出た……! じらいの大爆発ちゃんねる♪ しかも今、配信中――!)
急いで開く。コメント欄。入力。送信。
『助けてください!!』
――無情。
コメントの流れる速さが尋常じゃない。一瞬で僕の文字が押し流され、なかったことになる。
「そんな……いや、まだ!」
何度も送る。お願いだ、見てくれ。気づいてくれ。
でも現実は、容赦がない。
【モデレーター】『連投を確認しました。あなたをブロックします』
当然の結果だった。いたずらだと思われて不思議じゃない。
らいこさんは雑談のまま、こっちに気づく様子もない。
助けを求める手段は断たれた。
そして自分の配信に戻ると、同接がじわじわ減っていくのが見えた。
そりゃそうだ。
モンスターの前で柱に隠れてるだけの配信なんて、好き者でも見続けない。
「まずい……どうする」
頭を無理やり整理する。やるべきことは――三つ。
一つ目、鏑木さんの命を守る。
二つ目、この配信を死なせない。凛さんの場所を――奪わせない。
三つ目、僕の命。
三つ目は、優先度が低い。
僕は死なない。苦しむだけだ。だから――鏑木さんと配信に比べれば、後回しでいい。
でも、僕が気絶したら、被虐の女神は使えない。
それじゃあここに鏑木さんを残しても、守れない。
なら今やるべきは――
「ジンバルン。飛べる?」
「……キョヒシマス」
「なんで!?」
「ワタシハ、アナタノイノチヲ、ユウセンスルヨウニ、アップデートサレマシタ」
「いつの間に……」
「サクヤ……タダシクハ、ホンジツゴゼン2:00デス」
くそ。凛さん、何してんだよ。
でも――今は、それが僕らの唯一の勝ち筋だ。
「現状、勝ち目はない。……勝つには、僕一人じゃ無理だ。でも僕一人なら、“負けない”だけはできる。だから鏑木さんを連れて上に飛んで、なんとか脱出して。それで凛さんを……」
ジンバルンは黙った。拒否じゃない。計算している。僕の脳より速い思考速度で。
「頼む。君の力を貸してほしい」
「……0.02%」
「アナタノ、ショウリツデス。デスガ……」
「マスターが加われば、32%」
凛さんがいても、勝率は三割。
戦うって選択肢が、馬鹿らしくなる数字だ。
「ソレデモ……マスターニ、キリュウリンニ、カケマスカ?」
――賭ける。
だって僕は、凛さんの“夢”を知ってしまった。あのまっすぐな目を知ってしまった。
「配信を……ここで終わらせたくない。凛さんの場所を、守りたい」
「カノジョハ……アナタヲミステテ……ココニ、コナイカノウセイガ、アリマス」
「テイセイシマス……ココニ、コナイカノウセイガ……ヒジョウニ、タカイデス」
「それでもさ……」
自分でも分かってる。おかしい。
自分の命を軽く扱うのは悪い癖だ。――それでも。
「凛さんの瞳の隅っこに……少しでも、僕の影を残したいんだ」
言い終えた瞬間、顔が熱くなる。相手、スマホだぞ。
でも、引き返せなかった。
「……アナタハ……イエ。ワカリマシタ」
ジンバルンの側面が展開し、細いアームが伸びる。
それが隣の鏑木さんの身体をがっしり掴んだ。
「め、女神ちゃん様?」
最後に必要なのは、配信端末。
「ごめん鏑木さん。スマホ持ってないかな? 僕の壊れちゃって……」
「……構いませんけど」
彼女はポケットからスマホを取り出し、僕に渡した。
「ジンバルン。このスマホで配信を継続できる?」
「ハッキングハ、スデニカンリョウシテイマス」
「頼りになるね……それじゃ、後は――」
言い終える前に、ジンバルンが唸りを上げた。
ブォン、と風切り音。アームに鏑木さんを抱えたまま、真上へ一直線に飛び上がっていく。
残されたのは僕と、玉座の王だけ。
「……さあ、やるか」
柱の陰から、ゆっくり出る。
風切り音を追っていたミノスの眼が、ぬるりと僕を捉えた。獲物の順番が決まった目だ。
僕は、わざと背を向けた。
平気なフリで。王に、余裕を見せるみたいに。
そしてインカメに切り替え、自分の顔と――背後のミノスを画角に入れる。
「……すぅぅ……はぁ……」
呼吸が震える。恐怖で言葉が途切れそうになる。
だって僕は、今から――
「それじゃあ皆……逝ってきます!」
踵を返し、ミノスに向かってゆっくりと歩く。
その光景に、ようやく、と言わんばかりに――ミノスが立ち上がった。
(少しでも、鏑木さんが逃げる時間を稼がないと)
空気が揺れた。
王笏が床に触れた瞬間、床が“王に平伏す”みたいに震える。
「さあ……僕が壊れるのが先か……凛さんが来るのが先か……」
――いや。もう分かってる。凛さんは来ない。
ここは地上から何千キロも離れた底。ジンバルンだって無限じゃない。バッテリーは尽きる。――羽根だって、折れる。修復にも充電にも、時間も時間も要る。
僕は今から、こいつに食われる。
それは“死”じゃない。
永遠に腹の中で、痛みだけを反芻するってことだ。
助かるには、倒して、腹から出るしかない。
でも――凛さんが来ても、勝てない。戦ったら、負ける。
――凛さんは、夢を持っている人だ。
僕なんかを助けるために、全部を投げるとは思えない。
でも。
「それでも……嬉しいんだ……誰かの……凛さんの役に立てるのが……」
『何言ってるの女神ちゃん』
『やめろ! 戻れ!』
『いやいや……冗談だろ……?』
コメントが荒れる。
なのに僕の足は止まらない。
ずしん、と地鳴り。ミノスが近づく。
ズガン、と床を割る一歩。逃げる暇なんてない。
次の瞬間、僕は掴まれた。
ブオン、と風が巻く。巨大な手が、ネズミを摘むみたいに僕を握りつぶしてくる。
骨が鳴る。視界が白く弾ける。
血の味。喉の奥が熱い。痛い。――でも、死ねない。
「……僕、は……僕さ……」
持ち上げられる。
口元へ運ばれる。まるで食事。豆粒でもつまむみたいに。
息がかかる。死の匂い。熱い。
最後に、首だけを必死に回して、カメラを見る。
『……なんで……なんで笑えるんだよ……あんな状況で……』
僕は笑った。
痛みのせいじゃない。怖いのに。怖いのに――胸の奥が、温かかった。
「人の役に立てて……すっごく、嬉しい!!」
心からの言葉だった。
ずっと胸の奥に閉じ込めていた、たった一つの願い。
そして――口に放り込まれる。
僕の闘いは、ここで――
ドガァァァァン!!!!
刹那、爆音。空気が破裂する。
ミノスの口元が、わずかに歪む。
黒い――羽。
それが空から、ひらひら降ってきた。
いや、違う。羽じゃない。
この黒は――焦げた破片。煙。闇を引き裂く“降下”の跡。
「……凛、さん?」
「もう……大丈夫だ」
僕に――漆黒の天使が舞い降りた。
いや――思い込もうとしていたんだ。これ以上は出てこない、って。一種の希望的観測。
目の前のそれは、ただ玉座に座っているだけで、その希望を叩き割ってきた。
玉座の間、その奥。
高さは軽く十二メートル超。近づくほど、「でかい」じゃ済まない圧がある。肺が、言うことを聞かない。ここだけ空気の密度が違う。
まず目を奪うのは頭だ。牛頭じゃない。人の顔に近い――なのに、王冠が異常だった。
輪の王冠が、そのまま巨大な角に変わり、しかも一本じゃない。大小の角が幾重にも生えて、天井の闇を刺している。まさに――百角王。
肩から胸にかけては迷宮の壁みたいな石の装甲。角ばった石板が幾重にも重なり、ところどころ黒い血の跡がこびりついている。
なのに腹だけは生々しい肉で、呼吸に合わせて筋肉が波打つ。硬い“支配”と、剥き出しの“呪い”が、そこで繋がっていた。
片手には柱みたいな王笏。先端は門の紋章みたいな塊で、わずかに持ち上げただけで床が震える。
もう片手には、儀式にも処刑にも使う両刃斧――ラブリュス。刃の冷たさだけで、首筋がぞわりとした。
人の顔で、王の装いで、でも身体は怪物。
『名づけるなら……迷宮王ミノス……とかどうよ?』
『中二病かよ』
近い。距離は数十メートル離れているのに、近く感じる。あいつの覇気のせいか、それとも巨体のせいか――いや、多分、両方だ。
僕は胸の上の鏑木さんをそっとどかし、ゆっくり立ち上がった。
ミノスは動かない。ただ、じっとこちらを見下ろしている。見定めるみたいに。獲物のサイズを測るみたいに。
(……ありがたい限りだ)
視線を外さないまま、周囲を確かめる。
円形の空間。天井はどこまでも続く黒で、夜空みたいだ。等間隔に立つ石柱に、青白い火の松明。炎が揺れても、熱は遠い。寒い。
鏑木さんの身体を掴む。抱えようと奮闘したが――無理だ。今の僕の腕力じゃ持ち上がらない。
だから腕を掴んで、ずるずる引きずり、柱の陰へ。
その間もミノスは動かない。
敵意がないのか、そう誤解しそうになる。――否。敵意はある。きっと僕たちを殺す気だ。
ただ、楽しんでいるのだ。逃げ場を失ったネズミが必死に足掻くのを、王座から眺めて。
「戦って勝てる相手じゃない……というか、戦える相手じゃない」
でも、逃げ場もない。壁は封じられ、出口もない。完全に閉じた空間。
助けを呼ぶ? 無理だ。ダンジョン内は通話が死ぬ。繋がるのは、なぜかYouTubeライブだけ。だから凛さんに連絡もできない。
「YouTubeライブ……配信だけは繋がるんだよな。ジンバルン、こっち来て」
ふわり、と凛さんのスマホ――ジンバルンが寄ってくる。
僕は震える指で画面をいじった。YouTubeで検索。他の配信者……助けを求めるなら――
「らいこさん……らいこさん……」
チャンネル名なんて聞いてない。実名でやってるわけもない。
有名どころを上から片っ端から当たる。くそ……聞いておけばよかった。
(……いや。コメント欄に聞けば、誰か分かるんじゃ――)
「ねえ皆! クイズなんだけど、地雷系ファッションの有名なダンジョン配信者ってだーれだ?」
『このタイミングでクイズ?』
『えー!? わかんな~い』
『他所の名前出すのは女神ちゃんに迷惑かけるからやめとけって』
『それもそっか。ご法度だったな。でもお前うざい』
『は?』
(だめだ……喧嘩始めた……!)
「う、う~ん……ここは……」
最悪のタイミングで、横の鏑木さんが身じろぎした。起きた。
また突っ込むかもしれない――焦って口を開きかけた僕に、彼女は先に言った。
「ごめんなさい女神ちゃん様。わたし、怖くて頭おかしくなってました。でももう平気です! 今こうやって生きてる。女神ちゃん様が本当の女神様だって、よくわかったから!」
彼女はふわりと笑い、祈るみたいに手を組んで僕の隣に座る。
……別のベクトルでおかしくなってる気がする。でも今は、ありがたい。暴走されるより百倍いい。
「ねえ鏑木さん。地雷系ファッションの有名なダンジョン配信者……知らない?」
「地雷系……それなら、“ジライちゃん”じゃないですかね」
配信に乗らないくらいの小声。僕は即座に検索窓へ打ち込む。
(出た……! じらいの大爆発ちゃんねる♪ しかも今、配信中――!)
急いで開く。コメント欄。入力。送信。
『助けてください!!』
――無情。
コメントの流れる速さが尋常じゃない。一瞬で僕の文字が押し流され、なかったことになる。
「そんな……いや、まだ!」
何度も送る。お願いだ、見てくれ。気づいてくれ。
でも現実は、容赦がない。
【モデレーター】『連投を確認しました。あなたをブロックします』
当然の結果だった。いたずらだと思われて不思議じゃない。
らいこさんは雑談のまま、こっちに気づく様子もない。
助けを求める手段は断たれた。
そして自分の配信に戻ると、同接がじわじわ減っていくのが見えた。
そりゃそうだ。
モンスターの前で柱に隠れてるだけの配信なんて、好き者でも見続けない。
「まずい……どうする」
頭を無理やり整理する。やるべきことは――三つ。
一つ目、鏑木さんの命を守る。
二つ目、この配信を死なせない。凛さんの場所を――奪わせない。
三つ目、僕の命。
三つ目は、優先度が低い。
僕は死なない。苦しむだけだ。だから――鏑木さんと配信に比べれば、後回しでいい。
でも、僕が気絶したら、被虐の女神は使えない。
それじゃあここに鏑木さんを残しても、守れない。
なら今やるべきは――
「ジンバルン。飛べる?」
「……キョヒシマス」
「なんで!?」
「ワタシハ、アナタノイノチヲ、ユウセンスルヨウニ、アップデートサレマシタ」
「いつの間に……」
「サクヤ……タダシクハ、ホンジツゴゼン2:00デス」
くそ。凛さん、何してんだよ。
でも――今は、それが僕らの唯一の勝ち筋だ。
「現状、勝ち目はない。……勝つには、僕一人じゃ無理だ。でも僕一人なら、“負けない”だけはできる。だから鏑木さんを連れて上に飛んで、なんとか脱出して。それで凛さんを……」
ジンバルンは黙った。拒否じゃない。計算している。僕の脳より速い思考速度で。
「頼む。君の力を貸してほしい」
「……0.02%」
「アナタノ、ショウリツデス。デスガ……」
「マスターが加われば、32%」
凛さんがいても、勝率は三割。
戦うって選択肢が、馬鹿らしくなる数字だ。
「ソレデモ……マスターニ、キリュウリンニ、カケマスカ?」
――賭ける。
だって僕は、凛さんの“夢”を知ってしまった。あのまっすぐな目を知ってしまった。
「配信を……ここで終わらせたくない。凛さんの場所を、守りたい」
「カノジョハ……アナタヲミステテ……ココニ、コナイカノウセイガ、アリマス」
「テイセイシマス……ココニ、コナイカノウセイガ……ヒジョウニ、タカイデス」
「それでもさ……」
自分でも分かってる。おかしい。
自分の命を軽く扱うのは悪い癖だ。――それでも。
「凛さんの瞳の隅っこに……少しでも、僕の影を残したいんだ」
言い終えた瞬間、顔が熱くなる。相手、スマホだぞ。
でも、引き返せなかった。
「……アナタハ……イエ。ワカリマシタ」
ジンバルンの側面が展開し、細いアームが伸びる。
それが隣の鏑木さんの身体をがっしり掴んだ。
「め、女神ちゃん様?」
最後に必要なのは、配信端末。
「ごめん鏑木さん。スマホ持ってないかな? 僕の壊れちゃって……」
「……構いませんけど」
彼女はポケットからスマホを取り出し、僕に渡した。
「ジンバルン。このスマホで配信を継続できる?」
「ハッキングハ、スデニカンリョウシテイマス」
「頼りになるね……それじゃ、後は――」
言い終える前に、ジンバルンが唸りを上げた。
ブォン、と風切り音。アームに鏑木さんを抱えたまま、真上へ一直線に飛び上がっていく。
残されたのは僕と、玉座の王だけ。
「……さあ、やるか」
柱の陰から、ゆっくり出る。
風切り音を追っていたミノスの眼が、ぬるりと僕を捉えた。獲物の順番が決まった目だ。
僕は、わざと背を向けた。
平気なフリで。王に、余裕を見せるみたいに。
そしてインカメに切り替え、自分の顔と――背後のミノスを画角に入れる。
「……すぅぅ……はぁ……」
呼吸が震える。恐怖で言葉が途切れそうになる。
だって僕は、今から――
「それじゃあ皆……逝ってきます!」
踵を返し、ミノスに向かってゆっくりと歩く。
その光景に、ようやく、と言わんばかりに――ミノスが立ち上がった。
(少しでも、鏑木さんが逃げる時間を稼がないと)
空気が揺れた。
王笏が床に触れた瞬間、床が“王に平伏す”みたいに震える。
「さあ……僕が壊れるのが先か……凛さんが来るのが先か……」
――いや。もう分かってる。凛さんは来ない。
ここは地上から何千キロも離れた底。ジンバルンだって無限じゃない。バッテリーは尽きる。――羽根だって、折れる。修復にも充電にも、時間も時間も要る。
僕は今から、こいつに食われる。
それは“死”じゃない。
永遠に腹の中で、痛みだけを反芻するってことだ。
助かるには、倒して、腹から出るしかない。
でも――凛さんが来ても、勝てない。戦ったら、負ける。
――凛さんは、夢を持っている人だ。
僕なんかを助けるために、全部を投げるとは思えない。
でも。
「それでも……嬉しいんだ……誰かの……凛さんの役に立てるのが……」
『何言ってるの女神ちゃん』
『やめろ! 戻れ!』
『いやいや……冗談だろ……?』
コメントが荒れる。
なのに僕の足は止まらない。
ずしん、と地鳴り。ミノスが近づく。
ズガン、と床を割る一歩。逃げる暇なんてない。
次の瞬間、僕は掴まれた。
ブオン、と風が巻く。巨大な手が、ネズミを摘むみたいに僕を握りつぶしてくる。
骨が鳴る。視界が白く弾ける。
血の味。喉の奥が熱い。痛い。――でも、死ねない。
「……僕、は……僕さ……」
持ち上げられる。
口元へ運ばれる。まるで食事。豆粒でもつまむみたいに。
息がかかる。死の匂い。熱い。
最後に、首だけを必死に回して、カメラを見る。
『……なんで……なんで笑えるんだよ……あんな状況で……』
僕は笑った。
痛みのせいじゃない。怖いのに。怖いのに――胸の奥が、温かかった。
「人の役に立てて……すっごく、嬉しい!!」
心からの言葉だった。
ずっと胸の奥に閉じ込めていた、たった一つの願い。
そして――口に放り込まれる。
僕の闘いは、ここで――
ドガァァァァン!!!!
刹那、爆音。空気が破裂する。
ミノスの口元が、わずかに歪む。
黒い――羽。
それが空から、ひらひら降ってきた。
いや、違う。羽じゃない。
この黒は――焦げた破片。煙。闇を引き裂く“降下”の跡。
「……凛、さん?」
「もう……大丈夫だ」
僕に――漆黒の天使が舞い降りた。
1
あなたにおすすめの小説
ダンジョンで有名モデルを助けたら公式配信に映っていたようでバズってしまいました。
夜兎ましろ
ファンタジー
高校を卒業したばかりの少年――夜見ユウは今まで鍛えてきた自分がダンジョンでも通用するのかを知るために、はじめてのダンジョンへと向かう。もし、上手くいけば冒険者にもなれるかもしれないと考えたからだ。
ダンジョンに足を踏み入れたユウはとある女性が魔物に襲われそうになっているところに遭遇し、魔法などを使って女性を助けたのだが、偶然にもその瞬間がダンジョンの公式配信に映ってしまっており、ユウはバズってしまうことになる。
バズってしまったならしょうがないと思い、ユウは配信活動をはじめることにするのだが、何故か助けた女性と共に配信を始めることになるのだった。
現実世界にダンジョンが出現したのでフライングして最強に!
おとうふ
ファンタジー
2026年、突如として世界中にダンジョンが出現した。
ダンジョン内は無尽蔵にモンスターが湧き出し、それを倒すことでレベルが上がり、ステータスが上昇するという不思議空間だった。
過去の些細な事件のトラウマを克服できないまま、不登校の引きこもりになっていた中学2年生の橘冬夜は、好奇心から自宅近くに出現したダンジョンに真っ先に足を踏み入れた。
ダンジョンとは何なのか。なぜ出現したのか。その先に何があるのか。
世界が大混乱に陥る中、何もわからないままに、冬夜はこっそりとダンジョン探索にのめり込んでいく。
やがて来る厄災の日、そんな冬夜の好奇心が多くの人の命を救うことになるのだが、それはまだ誰も知らぬことだった。
至らぬところも多いと思いますが、よろしくお願いします!
【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜
KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。
~あらすじ~
世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。
そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。
しかし、その恩恵は平等ではなかった。
富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。
そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。
彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。
あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。
妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。
希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。
英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。
これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。
彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。
テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。
SF味が増してくるのは結構先の予定です。
スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。
良かったら読んでください!
最遅で最強のレベルアップ~経験値1000分の1の大器晩成型探索者は勤続10年目10度目のレベルアップで覚醒しました!~
ある中管理職
ファンタジー
勤続10年目10度目のレベルアップ。
人よりも貰える経験値が極端に少なく、年に1回程度しかレベルアップしない32歳の主人公宮下要は10年掛かりようやくレベル10に到達した。
すると、ハズレスキル【大器晩成】が覚醒。
なんと1回のレベルアップのステータス上昇が通常の1000倍に。
チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。
探索者としての知名度や地位を一気に上げ、勤めていた店は討伐したレアモンスターの肉と素材の販売で大繁盛。
万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
ブラック企業で心身ボロボロの社畜だった俺が少年の姿で異世界に転生!? ~鑑定スキルと無限収納を駆使して錬金術師として第二の人生を謳歌します~
楠富 つかさ
ファンタジー
ブラック企業で働いていた小坂直人は、ある日、仕事中の過労で意識を失い、気がつくと異世界の森の中で少年の姿になっていた。しかも、【錬金術】という強力なスキルを持っており、物質を分解・合成・強化できる能力を手にしていた。
そんなナオが出会ったのは、森で冒険者として活動する巨乳の美少女・エルフィーナ(エル)。彼女は魔物討伐の依頼をこなしていたが、強敵との戦闘で深手を負ってしまう。
「やばい……これ、動けない……」
怪我人のエルを目の当たりにしたナオは、錬金術で作成していたポーションを与え彼女を助ける。
「す、すごい……ナオのおかげで助かった……!」
異世界で自由気ままに錬金術を駆使するナオと、彼に惚れた美少女冒険者エルとのスローライフ&冒険ファンタジーが今、始まる!
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる