底辺ダンジョン配信者を追いかけたら、ぼく女神さまになっちゃいました。

まぴ56

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第9話:迷宮王ミノス

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 僕は間違えていた。第4層で見た巨人が、ここの頂点だと思っていた。
 いや――思い込もうとしていたんだ。これ以上は出てこない、って。一種の希望的観測。

 目の前のそれは、ただ玉座に座っているだけで、その希望を叩き割ってきた。

 玉座の間、その奥。
 高さは軽く十二メートル超。近づくほど、「でかい」じゃ済まない圧がある。肺が、言うことを聞かない。ここだけ空気の密度が違う。

 まず目を奪うのは頭だ。牛頭じゃない。人の顔に近い――なのに、王冠が異常だった。

 輪の王冠が、そのまま巨大な角に変わり、しかも一本じゃない。大小の角が幾重にも生えて、天井の闇を刺している。まさに――百角王。

 肩から胸にかけては迷宮の壁みたいな石の装甲。角ばった石板が幾重にも重なり、ところどころ黒い血の跡がこびりついている。
 なのに腹だけは生々しい肉で、呼吸に合わせて筋肉が波打つ。硬い“支配”と、剥き出しの“呪い”が、そこで繋がっていた。

 片手には柱みたいな王笏。先端は門の紋章みたいな塊で、わずかに持ち上げただけで床が震える。
 もう片手には、儀式にも処刑にも使う両刃斧――ラブリュス。刃の冷たさだけで、首筋がぞわりとした。

 人の顔で、王の装いで、でも身体は怪物。

『名づけるなら……迷宮王ミノス……とかどうよ?』
『中二病かよ』

 近い。距離は数十メートル離れているのに、近く感じる。あいつの覇気のせいか、それとも巨体のせいか――いや、多分、両方だ。

 僕は胸の上の鏑木さんをそっとどかし、ゆっくり立ち上がった。
 ミノスは動かない。ただ、じっとこちらを見下ろしている。見定めるみたいに。獲物のサイズを測るみたいに。

(……ありがたい限りだ)

 視線を外さないまま、周囲を確かめる。
 円形の空間。天井はどこまでも続く黒で、夜空みたいだ。等間隔に立つ石柱に、青白い火の松明。炎が揺れても、熱は遠い。寒い。

 鏑木さんの身体を掴む。抱えようと奮闘したが――無理だ。今の僕の腕力じゃ持ち上がらない。
 だから腕を掴んで、ずるずる引きずり、柱の陰へ。

 その間もミノスは動かない。
 敵意がないのか、そう誤解しそうになる。――否。敵意はある。きっと僕たちを殺す気だ。
 ただ、楽しんでいるのだ。逃げ場を失ったネズミが必死に足掻くのを、王座から眺めて。

「戦って勝てる相手じゃない……というか、戦える相手じゃない」

 でも、逃げ場もない。壁は封じられ、出口もない。完全に閉じた空間。
 助けを呼ぶ? 無理だ。ダンジョン内は通話が死ぬ。繋がるのは、なぜかYouTubeライブだけ。だから凛さんに連絡もできない。

「YouTubeライブ……配信だけは繋がるんだよな。ジンバルン、こっち来て」

 ふわり、と凛さんのスマホ――ジンバルンが寄ってくる。
 僕は震える指で画面をいじった。YouTubeで検索。他の配信者……助けを求めるなら――

「らいこさん……らいこさん……」

 チャンネル名なんて聞いてない。実名でやってるわけもない。
 有名どころを上から片っ端から当たる。くそ……聞いておけばよかった。

(……いや。コメント欄に聞けば、誰か分かるんじゃ――)

「ねえ皆! クイズなんだけど、地雷系ファッションの有名なダンジョン配信者ってだーれだ?」

『このタイミングでクイズ?』
『えー!? わかんな~い』
『他所の名前出すのは女神ちゃんに迷惑かけるからやめとけって』
『それもそっか。ご法度だったな。でもお前うざい』
『は?』

(だめだ……喧嘩始めた……!)

「う、う~ん……ここは……」

 最悪のタイミングで、横の鏑木さんが身じろぎした。起きた。
 また突っ込むかもしれない――焦って口を開きかけた僕に、彼女は先に言った。

「ごめんなさい女神ちゃん様。わたし、怖くて頭おかしくなってました。でももう平気です! 今こうやって生きてる。女神ちゃん様が本当の女神様だって、よくわかったから!」

 彼女はふわりと笑い、祈るみたいに手を組んで僕の隣に座る。
 ……別のベクトルでおかしくなってる気がする。でも今は、ありがたい。暴走されるより百倍いい。

「ねえ鏑木さん。地雷系ファッションの有名なダンジョン配信者……知らない?」

「地雷系……それなら、“ジライちゃん”じゃないですかね」

 配信に乗らないくらいの小声。僕は即座に検索窓へ打ち込む。

(出た……! じらいの大爆発ちゃんねる♪ しかも今、配信中――!)

 急いで開く。コメント欄。入力。送信。

『助けてください!!』

 ――無情。
 コメントの流れる速さが尋常じゃない。一瞬で僕の文字が押し流され、なかったことになる。

「そんな……いや、まだ!」

 何度も送る。お願いだ、見てくれ。気づいてくれ。
 でも現実は、容赦がない。

【モデレーター】『連投を確認しました。あなたをブロックします』

 当然の結果だった。いたずらだと思われて不思議じゃない。
 らいこさんは雑談のまま、こっちに気づく様子もない。

 助けを求める手段は断たれた。
 そして自分の配信に戻ると、同接がじわじわ減っていくのが見えた。

 そりゃそうだ。
 モンスターの前で柱に隠れてるだけの配信なんて、好き者でも見続けない。

「まずい……どうする」

 頭を無理やり整理する。やるべきことは――三つ。

 一つ目、鏑木さんの命を守る。
 二つ目、この配信を死なせない。凛さんの場所を――奪わせない。
 三つ目、僕の命。

 三つ目は、優先度が低い。
 僕は死なない。苦しむだけだ。だから――鏑木さんと配信に比べれば、後回しでいい。

 でも、僕が気絶したら、被虐の女神は使えない。
 それじゃあここに鏑木さんを残しても、守れない。
 なら今やるべきは――

「ジンバルン。飛べる?」

「……キョヒシマス」

「なんで!?」

「ワタシハ、アナタノイノチヲ、ユウセンスルヨウニ、アップデートサレマシタ」

「いつの間に……」

「サクヤ……タダシクハ、ホンジツゴゼン2:00デス」

 くそ。凛さん、何してんだよ。
 でも――今は、それが僕らの唯一の勝ち筋だ。

「現状、勝ち目はない。……勝つには、僕一人じゃ無理だ。でも僕一人なら、“負けない”だけはできる。だから鏑木さんを連れて上に飛んで、なんとか脱出して。それで凛さんを……」

 ジンバルンは黙った。拒否じゃない。計算している。僕の脳より速い思考速度で。

「頼む。君の力を貸してほしい」

「……0.02%」

「アナタノ、ショウリツデス。デスガ……」

「マスターが加われば、32%」

 凛さんがいても、勝率は三割。
 戦うって選択肢が、馬鹿らしくなる数字だ。

「ソレデモ……マスターニ、キリュウリンニ、カケマスカ?」

 ――賭ける。
 だって僕は、凛さんの“夢”を知ってしまった。あのまっすぐな目を知ってしまった。

「配信を……ここで終わらせたくない。凛さんの場所を、守りたい」

「カノジョハ……アナタヲミステテ……ココニ、コナイカノウセイガ、アリマス」

「テイセイシマス……ココニ、コナイカノウセイガ……ヒジョウニ、タカイデス」

「それでもさ……」

 自分でも分かってる。おかしい。
 自分の命を軽く扱うのは悪い癖だ。――それでも。

「凛さんの瞳の隅っこに……少しでも、僕の影を残したいんだ」

 言い終えた瞬間、顔が熱くなる。相手、スマホだぞ。
 でも、引き返せなかった。

「……アナタハ……イエ。ワカリマシタ」

 ジンバルンの側面が展開し、細いアームが伸びる。
 それが隣の鏑木さんの身体をがっしり掴んだ。

「め、女神ちゃん様?」

 最後に必要なのは、配信端末。

「ごめん鏑木さん。スマホ持ってないかな? 僕の壊れちゃって……」

「……構いませんけど」

 彼女はポケットからスマホを取り出し、僕に渡した。

「ジンバルン。このスマホで配信を継続できる?」

「ハッキングハ、スデニカンリョウシテイマス」

「頼りになるね……それじゃ、後は――」

 言い終える前に、ジンバルンが唸りを上げた。
 ブォン、と風切り音。アームに鏑木さんを抱えたまま、真上へ一直線に飛び上がっていく。

 残されたのは僕と、玉座の王だけ。

「……さあ、やるか」

 柱の陰から、ゆっくり出る。
 風切り音を追っていたミノスの眼が、ぬるりと僕を捉えた。獲物の順番が決まった目だ。

 僕は、わざと背を向けた。
 平気なフリで。王に、余裕を見せるみたいに。

 そしてインカメに切り替え、自分の顔と――背後のミノスを画角に入れる。

「……すぅぅ……はぁ……」

 呼吸が震える。恐怖で言葉が途切れそうになる。
 だって僕は、今から――

「それじゃあ皆……逝ってきます!」

 踵を返し、ミノスに向かってゆっくりと歩く。
 その光景に、ようやく、と言わんばかりに――ミノスが立ち上がった。

(少しでも、鏑木さんが逃げる時間を稼がないと)

 空気が揺れた。
 王笏が床に触れた瞬間、床が“王に平伏す”みたいに震える。

「さあ……僕が壊れるのが先か……凛さんが来るのが先か……」

 ――いや。もう分かってる。凛さんは来ない。

 ここは地上から何千キロも離れた底。ジンバルンだって無限じゃない。バッテリーは尽きる。――羽根だって、折れる。修復にも充電にも、時間も時間も要る。

 僕は今から、こいつに食われる。
 それは“死”じゃない。
 永遠に腹の中で、痛みだけを反芻するってことだ。
 助かるには、倒して、腹から出るしかない。
 でも――凛さんが来ても、勝てない。戦ったら、負ける。

 ――凛さんは、夢を持っている人だ。
 僕なんかを助けるために、全部を投げるとは思えない。

 でも。

「それでも……嬉しいんだ……誰かの……凛さんの役に立てるのが……」

『何言ってるの女神ちゃん』
『やめろ! 戻れ!』
『いやいや……冗談だろ……?』

 コメントが荒れる。
 なのに僕の足は止まらない。

 ずしん、と地鳴り。ミノスが近づく。
 ズガン、と床を割る一歩。逃げる暇なんてない。

 次の瞬間、僕は掴まれた。
 ブオン、と風が巻く。巨大な手が、ネズミを摘むみたいに僕を握りつぶしてくる。

 骨が鳴る。視界が白く弾ける。
 血の味。喉の奥が熱い。痛い。――でも、死ねない。

「……僕、は……僕さ……」

 持ち上げられる。
 口元へ運ばれる。まるで食事。豆粒でもつまむみたいに。

 息がかかる。死の匂い。熱い。
 最後に、首だけを必死に回して、カメラを見る。

『……なんで……なんで笑えるんだよ……あんな状況で……』

 僕は笑った。
 痛みのせいじゃない。怖いのに。怖いのに――胸の奥が、温かかった。

「人の役に立てて……すっごく、嬉しい!!」

 心からの言葉だった。
 ずっと胸の奥に閉じ込めていた、たった一つの願い。

 そして――口に放り込まれる。
 僕の闘いは、ここで――

 ドガァァァァン!!!!

 刹那、爆音。空気が破裂する。
 ミノスの口元が、わずかに歪む。

 黒い――羽。
 それが空から、ひらひら降ってきた。

 いや、違う。羽じゃない。
 この黒は――焦げた破片。煙。闇を引き裂く“降下”の跡。

「……凛、さん?」

「もう……大丈夫だ」

 僕に――漆黒の天使が舞い降りた。
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