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第15話:女神ちゃん、狙われる
突然始まったYouTubeライブ。
コメント欄にあるのは、最初――例の「???」だけだった。
でも、数十秒。
そのうち、ぽつ、ぽつ、と人が集まりはじめる。
どうやらチャンネル自体は、いつもの凛さんのチャンネルらしい。サムネも、タイトルも、通知も――全部“普通”だ。
「ねえ……この配信、始めたの……ジンバルンじゃないよね?」
「……はい。電波などを用いた遠隔操作の類は検知できませんでした。現象、説明不可能です」
ジンバルンが、ぽつぽつと言葉をこぼした。
内部で急いで解析しているのだろう。画面の片隅で、小さなアイコンが忙しなく点滅している。
『ひさびさの配信! 女神ちゃんおひさ~』
『あれ? 今日は魔王様いないんだ』
『今日は女神ちゃんセーラー服なの!? 俺得!!』
『今日も綺麗な白髪だね! 結婚しようか』
コメントは問題なく流れていく。
――不思議なことなんて、ダンジョンの中じゃ今さらだ。気にしても仕方ない。
「行くよ、ジンバルン」
スマホをインカメにして、目の前の校舎へ歩き出した。
夜空は真っ暗。けれど月明かりが、ぼんやりと校舎の輪郭を撫でている。何も見えないわけじゃない。目を慣らしたいし、懐中電灯はまだ出さなくていい。
『後ろ真っ暗じゃん? やば』
そのコメントに気づいて、振り返る。
そこには――もう校門がなかった。
あるのは、闇。闇、闇、闇。さっきまであった“帰り道”が、丸ごと抜け落ちたみたいに消えている。
「ここに来る前に調べたんだけどさ……このダンジョン、入ると出られなくなるらしいんだ。校舎の中の、どっかの扉からしか出られない。……知ったつもりになってたけど、目の当たりにすると不気味だね」
見なかったことにするみたいに、僕は闇に背を向けた。
最初から戻る気なんてない。逃げる気もない。
一条君を見つけるまでは。
少し歩けば、すぐ校舎に辿り着く。
近づくほどに錆びと埃の匂いが濃くなった。扉は半開きで、隙間から簡単に入れてしまう。
中は、思った以上に埃っぽい。
下駄箱特有の砂の匂いが充満していて、一歩進むごとに、じゃり、じゃり、と足元が鳴る。
一条君が通った痕跡を探す。
――けれど、見つからない。
本当にここにいるのか?
その不安が汗になって背中を流れ、急に空気が重く感じた。
「一条君!! いるの!?」
声を張り上げて呼ぶ。
返事はない。――進むしかない。
左手にスマホ。
配信を映しながら、校舎の奥へ。
するとジンバルンが、申し訳なさそうに言った。
「すみません祈里様。現状の私にはマッピング機能が搭載されておりません……」
「大丈夫だよ。それは家で確認済みだし」
胸ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出す。
「マップぐらい、自分で書くさ」
メモ帳の左上に「一階」と書き、目測で廊下の線を引く。
扉を一つずつ開け、中を確認し、何もなければ×をつける。しらみつぶしだ。
運がいいことに、モンスターにはなかなか遭遇しない。
ネットで調べても情報が出てこなかったから、そこが一番怖かったのに――
「危ない。僕、油断してる……」
両頬をパン、と叩いた。
「どうされましたか? 祈里様」
「自分に活を入れただけ。油断は命取り……でしょ?」
「はい。その通りでございます」
ジンバルンは要所で僕の見落としを補い、リスナーのコメントも“目”になってくれる。
そうやって、なんだかんだで探索は順調に進んだ。
最後の教室。たぶん校長室。
重々しい扉を、ゆっくり開ける。
中へ入り、机の下、棚の裏、カーテンの影――念入りに確認して。
「……ここも異常なし。ってことは、一階はこれで制覇か」
「はい。おそらく一条様は二階以上にいらっしゃるかと」
廊下へ出て、しゃがみ込み、メモを取る。
――その瞬間だった。
視界が、一瞬だけ暗くなる。
影? いや――“何か”が、僕の背後を通った。
刹那、身体が勝手に動いた。
前に跳び、床を転がり、低い姿勢で振り返る。
「……なにも、いない?」
どう考えても、今――誰かいた。
でも上下左右、見渡しても何もない。
「ってなると……」
ゆっくり窓を見る。
雲が月を隠しただけ? そう思って窓へ近づき、外を覗く。
――びっくりするくらい綺麗な夜空だった。
東京のど真ん中とは思えない。月だけじゃない。星まで、はっきり見える。雲は一つもない。
じゃあ、今の影は何?
最後の頼みは、彼らだ。
「ねえみんな。さっき、僕の後ろに誰か立ってなかった?」
スマホを顔に近づけて聞く。
『顔かわいい……結婚しよ』
『なんもおらんかったよ』
『やめてよ~ こわいこと言うの~』
流れていくコメントを必死に追う。
でも、それらしい目撃情報はない。
「腑に落ちないけど……気のせいか……」
「ミィツカッチャッタァ……」
――え?
声が、背中ではなく、“窓の向こう”から聞こえた。
反射で窓を見る。
目が、合った。
「ひっ……」
そこに張り付いていたのは、人体模型みたいな“何か”だった。
肌は縦に裂けて、左が皮膚、右が赤い筋肉。腹は開いて内臓がぶら下がり、本物みたいに脈打っている。首には腸がマフラーみたいに巻きつき、骨は異様に発達して、あちこちから突き出していた。
――そんな化け物が、窓ガラス越しに僕を覗き込んでいる。
『でたあ! 放課後監獄の名物! 発達しすぎた人体模型!!』
『確か、配信者の死亡理由ナンバー1だっけ?』
『ちょい違う。入った奴ら全員だろ……』
腰が抜けた。
力なく床にへたり込む。
床がじわっと温かくなる。
――やばい。僕、漏らしてる。
「イマァ……イクカラ……ネェ……」
人体模型が、コン、コン、と窓を叩く。
僕は反射的に、掌をガラスへ向けた。
(壊される……!)
ギフトを発動する。
――対象のダメージを肩代わりする。なら、ガラスが割られる衝撃を僕が受ければ、割れない……はずだ。
でも人体模型は、窓を割ろうとしなかった。
代わりに窓枠へ手をかけ、がたがたと揺らし――
すっ、と窓枠そのものを外した。
「……は?」
窓が“開いた”。
いや、開けられた。壊すんじゃなく、外す。裏技みたいに。
人体模型は、廊下へすたっと着地し、僕を見もしない。
窓の方へ向かい、外した窓枠を元に戻そうと試行錯誤している。まるで“痕跡を消す”みたいに。
(逃げるなら……今しかない)
震える足で立ち上がる。
一歩、二歩――動き出した瞬間、脳が「逃げろ」だけを叫び始めた。
走る。走る。走る。
階段を駆け上がる。
――その途中から、記憶が飛んだ。
怖すぎて脳が削除したのだと思う。
気づくと僕は、ぼろぼろの図書館の隅で膝を抱えていた。
「うぐ……ひっぐ……」
泣いている。
自分でも分かるくらい、みっともない泣き方だ。
「大丈夫です、祈里様……もう追っては来ていません」
ジンバルンの優しい声が、やけに大きく耳に響いた。
安心したくて、僕はスマホをぎゅっと抱きしめる。
少し落ち着いて、画面を覗く。
『女神ちゃん、泣かないで~』
『落ち着いて! 皆ついてるから!』
リスナーにまで心配される始末だ。
情けなくて、また涙が出そうになる。
ぐしぐし目をこすって誤魔化した。体が女の子になって、涙腺が弱くなったのかもしれない。濡れたスカートを見下ろしながら、そんなことを考える。
「ありがとう、ジンバルン……ありがとう、みんな。もう……大丈夫……」
――調子に乗ってた。
ミノタウロスも、ミノスも、ドラゴンも怖かった。けど、動けた。耐性がついたと思ってた。自分は大丈夫なんだと思ってた。
でもこれが現実だ。
僕だって、恐怖で簡単に壊れる。
「うん。もう、大丈夫。探索に戻ろう」
震えながら立ち上がり、メモ帳を見る。
一階のマップに、大きく×をつけた。
そして出口へ向かって一歩。
ぎしり、と床が鳴る。
「モォ……ダァイジョウブゥ?」
――上から声。
刹那。
ドシン!!
目の前に、それが着地した。人体模型。
本棚の上から、僕をずっと見ていたんだ。
「キミィ、カワイイカラァ……フツウニコロスノォ……モッタイナイ」
表情がぐにゃりと歪み、いやらしい“笑顔の形”を作る。
口の端から、粘ついた唾液みたいなものが垂れて、床に落ちる。
僕はリュックの横に固定した手斧を抜き、両手で構えた。
「ナァニ、ソレ?」
短い沈黙。
それを破ったのは人体模型だった。
「ヤッタァ! プレゼントダ! プレゼント!!」
両腕を広げて、嬉しそうに近づいてくる。
「っ!!」
胸へ――いや、中心へ。
頭上まで振り上げて、思い切り斧を振り下ろした。
ガンッ!!
……硬い。
斧は、異様に発達した肋骨に阻まれ、深く食い込んだまま止まった。
抜けない。
焦って引く。でも、びくともしない。
「アァリガトォ……プレゼントォ……ウレヒィ!!」
ぼたり、と地面に人体模型の唾液が垂れる。まずい――そう思って逃げ出そうと振り返ったが、そこにあったのは……壁。行き止まりだということを忘れていた。
……スルリ。
その隙に、後ろから腕が回される。耳に、あたたかく鉄くさい吐息がかかる。脇の下から巻き付くように回された腕が、右手は弄るように胸へ、左手は逃がさないと言わんばかりに腰へと食い込んだ。
「っ! くそ!!」
振りほどこうともがくが、一切身動きが取れない。力の差がありすぎる。
「ダァイジョウブ……イタクシナイヨォ……ボォク、カノジョハジメテ……ナンダァ」
ねっとりとした、不気味で深い声。
「テイコウシナイ……ッテコトハァ……キミモ、ウレヒィンダァ!」
人体模型の腕に、さらに力がこもる。次いで、するすると服の内側へ手が入り込んだ。
ふにゅっ、と身体が――指の形に押し込まれるみたいに沈む。
最後の抵抗。希望にかけて、僕は叫んだ。
「ジンバルン! 緊急自爆スイッチ!! オン!!」
「……承知しました。十秒後、自爆します」
「ジバクゥ? ……ヤダァ! シニタクナイ! シニタクナイ!!」
“自爆”“爆発”の単語に反応して、人体模型は腕を離した。
一瞬で距離を取り、出入り口の方へ逃げていく。
――もちろん、スマホに自爆機能なんてない。
ジンバルンが合わせてくれたんだ。
でも、あの人体模型は知能がある。
だからこそ、張ったりが効いた。
「ありがとう、ジンバルン。逃げるよ!」
僕も出口へ走る。
上下左右を確認――誰もいない。
左奥の廊下の角を曲がっていく、人体模型の背中が見えた。
「……なら、僕は右だ」
図書室を飛び出し、右へ。
階段を駆け上がり、息を切らしながら最上階――四階へ。
「ここにあるのは……体育館と、屋上への扉……か」
スマホのコメントを流し読みする。
『屋上の扉、どうやっても開かないらしいよ』
「それなら、体育館だ」
冷たい鉄扉に手をかける。
ギギ、と嫌な音を立てて扉が開いた。
広い体育館。
奥に少し高い舞台。周囲を見回しても、一条君の姿はない。
(体育館倉庫……あるなら舞台裏だ)
幕で隠された舞台裏へ向かって歩く。
床のバネが錆びているのか、一歩ごとにギギギ、と大きな音が鳴る。
「一条君を見つけるまで、逃げられないんだ……」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
舞台脇。扉を開けて中へ入ると、倉庫らしき部屋がある。
そして――その奥の扉が、不自然に少しだけ開いていた。
ごくり、と唾を飲み込む音が、やけに大きく感じる。
鼓動を落ち着けながら、開いた扉へ近づく。
そっと覗き込んだ瞬間――
「んな!?」
むせかえるほどの鉄臭さが鼻を刺した。
視界を埋め尽くすのは、赤。
正しくは――赤黒い血液。
体育館倉庫全体が、血で満たされていた。
床だけじゃない。壁も、棚も、道具も――べっとりと“染まって”いる。
そして、その中心。
血まみれで倒れている人影があった。
「……一条、君……?」
そこにいたのは、間違いなく――一条君だった。
コメント欄にあるのは、最初――例の「???」だけだった。
でも、数十秒。
そのうち、ぽつ、ぽつ、と人が集まりはじめる。
どうやらチャンネル自体は、いつもの凛さんのチャンネルらしい。サムネも、タイトルも、通知も――全部“普通”だ。
「ねえ……この配信、始めたの……ジンバルンじゃないよね?」
「……はい。電波などを用いた遠隔操作の類は検知できませんでした。現象、説明不可能です」
ジンバルンが、ぽつぽつと言葉をこぼした。
内部で急いで解析しているのだろう。画面の片隅で、小さなアイコンが忙しなく点滅している。
『ひさびさの配信! 女神ちゃんおひさ~』
『あれ? 今日は魔王様いないんだ』
『今日は女神ちゃんセーラー服なの!? 俺得!!』
『今日も綺麗な白髪だね! 結婚しようか』
コメントは問題なく流れていく。
――不思議なことなんて、ダンジョンの中じゃ今さらだ。気にしても仕方ない。
「行くよ、ジンバルン」
スマホをインカメにして、目の前の校舎へ歩き出した。
夜空は真っ暗。けれど月明かりが、ぼんやりと校舎の輪郭を撫でている。何も見えないわけじゃない。目を慣らしたいし、懐中電灯はまだ出さなくていい。
『後ろ真っ暗じゃん? やば』
そのコメントに気づいて、振り返る。
そこには――もう校門がなかった。
あるのは、闇。闇、闇、闇。さっきまであった“帰り道”が、丸ごと抜け落ちたみたいに消えている。
「ここに来る前に調べたんだけどさ……このダンジョン、入ると出られなくなるらしいんだ。校舎の中の、どっかの扉からしか出られない。……知ったつもりになってたけど、目の当たりにすると不気味だね」
見なかったことにするみたいに、僕は闇に背を向けた。
最初から戻る気なんてない。逃げる気もない。
一条君を見つけるまでは。
少し歩けば、すぐ校舎に辿り着く。
近づくほどに錆びと埃の匂いが濃くなった。扉は半開きで、隙間から簡単に入れてしまう。
中は、思った以上に埃っぽい。
下駄箱特有の砂の匂いが充満していて、一歩進むごとに、じゃり、じゃり、と足元が鳴る。
一条君が通った痕跡を探す。
――けれど、見つからない。
本当にここにいるのか?
その不安が汗になって背中を流れ、急に空気が重く感じた。
「一条君!! いるの!?」
声を張り上げて呼ぶ。
返事はない。――進むしかない。
左手にスマホ。
配信を映しながら、校舎の奥へ。
するとジンバルンが、申し訳なさそうに言った。
「すみません祈里様。現状の私にはマッピング機能が搭載されておりません……」
「大丈夫だよ。それは家で確認済みだし」
胸ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出す。
「マップぐらい、自分で書くさ」
メモ帳の左上に「一階」と書き、目測で廊下の線を引く。
扉を一つずつ開け、中を確認し、何もなければ×をつける。しらみつぶしだ。
運がいいことに、モンスターにはなかなか遭遇しない。
ネットで調べても情報が出てこなかったから、そこが一番怖かったのに――
「危ない。僕、油断してる……」
両頬をパン、と叩いた。
「どうされましたか? 祈里様」
「自分に活を入れただけ。油断は命取り……でしょ?」
「はい。その通りでございます」
ジンバルンは要所で僕の見落としを補い、リスナーのコメントも“目”になってくれる。
そうやって、なんだかんだで探索は順調に進んだ。
最後の教室。たぶん校長室。
重々しい扉を、ゆっくり開ける。
中へ入り、机の下、棚の裏、カーテンの影――念入りに確認して。
「……ここも異常なし。ってことは、一階はこれで制覇か」
「はい。おそらく一条様は二階以上にいらっしゃるかと」
廊下へ出て、しゃがみ込み、メモを取る。
――その瞬間だった。
視界が、一瞬だけ暗くなる。
影? いや――“何か”が、僕の背後を通った。
刹那、身体が勝手に動いた。
前に跳び、床を転がり、低い姿勢で振り返る。
「……なにも、いない?」
どう考えても、今――誰かいた。
でも上下左右、見渡しても何もない。
「ってなると……」
ゆっくり窓を見る。
雲が月を隠しただけ? そう思って窓へ近づき、外を覗く。
――びっくりするくらい綺麗な夜空だった。
東京のど真ん中とは思えない。月だけじゃない。星まで、はっきり見える。雲は一つもない。
じゃあ、今の影は何?
最後の頼みは、彼らだ。
「ねえみんな。さっき、僕の後ろに誰か立ってなかった?」
スマホを顔に近づけて聞く。
『顔かわいい……結婚しよ』
『なんもおらんかったよ』
『やめてよ~ こわいこと言うの~』
流れていくコメントを必死に追う。
でも、それらしい目撃情報はない。
「腑に落ちないけど……気のせいか……」
「ミィツカッチャッタァ……」
――え?
声が、背中ではなく、“窓の向こう”から聞こえた。
反射で窓を見る。
目が、合った。
「ひっ……」
そこに張り付いていたのは、人体模型みたいな“何か”だった。
肌は縦に裂けて、左が皮膚、右が赤い筋肉。腹は開いて内臓がぶら下がり、本物みたいに脈打っている。首には腸がマフラーみたいに巻きつき、骨は異様に発達して、あちこちから突き出していた。
――そんな化け物が、窓ガラス越しに僕を覗き込んでいる。
『でたあ! 放課後監獄の名物! 発達しすぎた人体模型!!』
『確か、配信者の死亡理由ナンバー1だっけ?』
『ちょい違う。入った奴ら全員だろ……』
腰が抜けた。
力なく床にへたり込む。
床がじわっと温かくなる。
――やばい。僕、漏らしてる。
「イマァ……イクカラ……ネェ……」
人体模型が、コン、コン、と窓を叩く。
僕は反射的に、掌をガラスへ向けた。
(壊される……!)
ギフトを発動する。
――対象のダメージを肩代わりする。なら、ガラスが割られる衝撃を僕が受ければ、割れない……はずだ。
でも人体模型は、窓を割ろうとしなかった。
代わりに窓枠へ手をかけ、がたがたと揺らし――
すっ、と窓枠そのものを外した。
「……は?」
窓が“開いた”。
いや、開けられた。壊すんじゃなく、外す。裏技みたいに。
人体模型は、廊下へすたっと着地し、僕を見もしない。
窓の方へ向かい、外した窓枠を元に戻そうと試行錯誤している。まるで“痕跡を消す”みたいに。
(逃げるなら……今しかない)
震える足で立ち上がる。
一歩、二歩――動き出した瞬間、脳が「逃げろ」だけを叫び始めた。
走る。走る。走る。
階段を駆け上がる。
――その途中から、記憶が飛んだ。
怖すぎて脳が削除したのだと思う。
気づくと僕は、ぼろぼろの図書館の隅で膝を抱えていた。
「うぐ……ひっぐ……」
泣いている。
自分でも分かるくらい、みっともない泣き方だ。
「大丈夫です、祈里様……もう追っては来ていません」
ジンバルンの優しい声が、やけに大きく耳に響いた。
安心したくて、僕はスマホをぎゅっと抱きしめる。
少し落ち着いて、画面を覗く。
『女神ちゃん、泣かないで~』
『落ち着いて! 皆ついてるから!』
リスナーにまで心配される始末だ。
情けなくて、また涙が出そうになる。
ぐしぐし目をこすって誤魔化した。体が女の子になって、涙腺が弱くなったのかもしれない。濡れたスカートを見下ろしながら、そんなことを考える。
「ありがとう、ジンバルン……ありがとう、みんな。もう……大丈夫……」
――調子に乗ってた。
ミノタウロスも、ミノスも、ドラゴンも怖かった。けど、動けた。耐性がついたと思ってた。自分は大丈夫なんだと思ってた。
でもこれが現実だ。
僕だって、恐怖で簡単に壊れる。
「うん。もう、大丈夫。探索に戻ろう」
震えながら立ち上がり、メモ帳を見る。
一階のマップに、大きく×をつけた。
そして出口へ向かって一歩。
ぎしり、と床が鳴る。
「モォ……ダァイジョウブゥ?」
――上から声。
刹那。
ドシン!!
目の前に、それが着地した。人体模型。
本棚の上から、僕をずっと見ていたんだ。
「キミィ、カワイイカラァ……フツウニコロスノォ……モッタイナイ」
表情がぐにゃりと歪み、いやらしい“笑顔の形”を作る。
口の端から、粘ついた唾液みたいなものが垂れて、床に落ちる。
僕はリュックの横に固定した手斧を抜き、両手で構えた。
「ナァニ、ソレ?」
短い沈黙。
それを破ったのは人体模型だった。
「ヤッタァ! プレゼントダ! プレゼント!!」
両腕を広げて、嬉しそうに近づいてくる。
「っ!!」
胸へ――いや、中心へ。
頭上まで振り上げて、思い切り斧を振り下ろした。
ガンッ!!
……硬い。
斧は、異様に発達した肋骨に阻まれ、深く食い込んだまま止まった。
抜けない。
焦って引く。でも、びくともしない。
「アァリガトォ……プレゼントォ……ウレヒィ!!」
ぼたり、と地面に人体模型の唾液が垂れる。まずい――そう思って逃げ出そうと振り返ったが、そこにあったのは……壁。行き止まりだということを忘れていた。
……スルリ。
その隙に、後ろから腕が回される。耳に、あたたかく鉄くさい吐息がかかる。脇の下から巻き付くように回された腕が、右手は弄るように胸へ、左手は逃がさないと言わんばかりに腰へと食い込んだ。
「っ! くそ!!」
振りほどこうともがくが、一切身動きが取れない。力の差がありすぎる。
「ダァイジョウブ……イタクシナイヨォ……ボォク、カノジョハジメテ……ナンダァ」
ねっとりとした、不気味で深い声。
「テイコウシナイ……ッテコトハァ……キミモ、ウレヒィンダァ!」
人体模型の腕に、さらに力がこもる。次いで、するすると服の内側へ手が入り込んだ。
ふにゅっ、と身体が――指の形に押し込まれるみたいに沈む。
最後の抵抗。希望にかけて、僕は叫んだ。
「ジンバルン! 緊急自爆スイッチ!! オン!!」
「……承知しました。十秒後、自爆します」
「ジバクゥ? ……ヤダァ! シニタクナイ! シニタクナイ!!」
“自爆”“爆発”の単語に反応して、人体模型は腕を離した。
一瞬で距離を取り、出入り口の方へ逃げていく。
――もちろん、スマホに自爆機能なんてない。
ジンバルンが合わせてくれたんだ。
でも、あの人体模型は知能がある。
だからこそ、張ったりが効いた。
「ありがとう、ジンバルン。逃げるよ!」
僕も出口へ走る。
上下左右を確認――誰もいない。
左奥の廊下の角を曲がっていく、人体模型の背中が見えた。
「……なら、僕は右だ」
図書室を飛び出し、右へ。
階段を駆け上がり、息を切らしながら最上階――四階へ。
「ここにあるのは……体育館と、屋上への扉……か」
スマホのコメントを流し読みする。
『屋上の扉、どうやっても開かないらしいよ』
「それなら、体育館だ」
冷たい鉄扉に手をかける。
ギギ、と嫌な音を立てて扉が開いた。
広い体育館。
奥に少し高い舞台。周囲を見回しても、一条君の姿はない。
(体育館倉庫……あるなら舞台裏だ)
幕で隠された舞台裏へ向かって歩く。
床のバネが錆びているのか、一歩ごとにギギギ、と大きな音が鳴る。
「一条君を見つけるまで、逃げられないんだ……」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
舞台脇。扉を開けて中へ入ると、倉庫らしき部屋がある。
そして――その奥の扉が、不自然に少しだけ開いていた。
ごくり、と唾を飲み込む音が、やけに大きく感じる。
鼓動を落ち着けながら、開いた扉へ近づく。
そっと覗き込んだ瞬間――
「んな!?」
むせかえるほどの鉄臭さが鼻を刺した。
視界を埋め尽くすのは、赤。
正しくは――赤黒い血液。
体育館倉庫全体が、血で満たされていた。
床だけじゃない。壁も、棚も、道具も――べっとりと“染まって”いる。
そして、その中心。
血まみれで倒れている人影があった。
「……一条、君……?」
そこにいたのは、間違いなく――一条君だった。
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俺の部屋にあるもので異世界生活?高校生の俺の部屋にはマンガ・ゲーム・趣味の物プラス学用品・服・ベッド…。生贄の金髪碧眼少女と一緒に村を立て直すとこから始まる救世主生活!だけど特にスキルがついている気がしない⁈あっ…転生じゃないから?
1話1話は短いです。ぜひどうぞ!
このお話の中には生活用品で魔物と戦うシーンが含まれますが、その行為を推奨するものではありません。良い子も悪い子も真似しないようお願い致します。
主人公ヒロキ……17才。
現実世界でつまづき、ある理由によって異世界に呼ばれたヒロキは、その世界で優しさと強さを手に入れる——。
※数字の表記について——一から九までを漢字表記。それ以上は見やすくアラビア数字で表記しています。
※他サイトでも公開中。
ダンジョン冒険者にラブコメはいらない(多分)~正体を隠して普通の生活を送る男子高生、実は最近注目の高ランク冒険者だった~
エース皇命
ファンタジー
学校では正体を隠し、普通の男子高校生を演じている黒瀬才斗。実は仕事でダンジョンに潜っている、最近話題のAランク冒険者だった。
そんな黒瀬の通う高校に突如転校してきた白桃楓香。初対面なのにも関わらず、なぜかいきなり黒瀬に抱きつくという奇行に出る。
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なんと白桃は黒瀬の直属の部下として派遣された冒険者であり、以後、同じ家で生活を共にし、ダンジョンでの仕事も一緒にすることになるという。
これは、上級冒険者の黒瀬と、美少女転校生の純愛ラブコメディ――ではなく、ちゃんとしたダンジョン・ファンタジー(多分)。
※小説家になろう、カクヨムでも連載しています。
最遅で最強のレベルアップ~経験値1000分の1の大器晩成型探索者は勤続10年目10度目のレベルアップで覚醒しました!~
ある中管理職
ファンタジー
勤続10年目10度目のレベルアップ。
人よりも貰える経験値が極端に少なく、年に1回程度しかレベルアップしない32歳の主人公宮下要は10年掛かりようやくレベル10に到達した。
すると、ハズレスキル【大器晩成】が覚醒。
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チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。
探索者としての知名度や地位を一気に上げ、勤めていた店は討伐したレアモンスターの肉と素材の販売で大繁盛。
万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。