底辺ダンジョン配信者を追いかけたら、ぼく女神さまになっちゃいました。

まぴ56

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第15話:女神ちゃん、狙われる

 突然始まったYouTubeライブ。
 コメント欄にあるのは、最初――例の「???」だけだった。

 でも、数十秒。
 そのうち、ぽつ、ぽつ、と人が集まりはじめる。

 どうやらチャンネル自体は、いつもの凛さんのチャンネルらしい。サムネも、タイトルも、通知も――全部“普通”だ。

「ねえ……この配信、始めたの……ジンバルンじゃないよね?」

「……はい。電波などを用いた遠隔操作の類は検知できませんでした。現象、説明不可能です」

 ジンバルンが、ぽつぽつと言葉をこぼした。
 内部で急いで解析しているのだろう。画面の片隅で、小さなアイコンが忙しなく点滅している。

『ひさびさの配信! 女神ちゃんおひさ~』
『あれ? 今日は魔王様いないんだ』
『今日は女神ちゃんセーラー服なの!? 俺得!!』
『今日も綺麗な白髪だね! 結婚しようか』

 コメントは問題なく流れていく。
 ――不思議なことなんて、ダンジョンの中じゃ今さらだ。気にしても仕方ない。

「行くよ、ジンバルン」

 スマホをインカメにして、目の前の校舎へ歩き出した。

 夜空は真っ暗。けれど月明かりが、ぼんやりと校舎の輪郭を撫でている。何も見えないわけじゃない。目を慣らしたいし、懐中電灯はまだ出さなくていい。

『後ろ真っ暗じゃん? やば』

 そのコメントに気づいて、振り返る。

 そこには――もう校門がなかった。
 あるのは、闇。闇、闇、闇。さっきまであった“帰り道”が、丸ごと抜け落ちたみたいに消えている。

「ここに来る前に調べたんだけどさ……このダンジョン、入ると出られなくなるらしいんだ。校舎の中の、どっかの扉からしか出られない。……知ったつもりになってたけど、目の当たりにすると不気味だね」

 見なかったことにするみたいに、僕は闇に背を向けた。
 最初から戻る気なんてない。逃げる気もない。

 一条君を見つけるまでは。

 少し歩けば、すぐ校舎に辿り着く。
 近づくほどに錆びと埃の匂いが濃くなった。扉は半開きで、隙間から簡単に入れてしまう。

 中は、思った以上に埃っぽい。
 下駄箱特有の砂の匂いが充満していて、一歩進むごとに、じゃり、じゃり、と足元が鳴る。

 一条君が通った痕跡を探す。
 ――けれど、見つからない。

 本当にここにいるのか?
 その不安が汗になって背中を流れ、急に空気が重く感じた。

「一条君!! いるの!?」

 声を張り上げて呼ぶ。
 返事はない。――進むしかない。

 左手にスマホ。
 配信を映しながら、校舎の奥へ。

 するとジンバルンが、申し訳なさそうに言った。

「すみません祈里様。現状の私にはマッピング機能が搭載されておりません……」

「大丈夫だよ。それは家で確認済みだし」

 胸ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出す。

「マップぐらい、自分で書くさ」

 メモ帳の左上に「一階」と書き、目測で廊下の線を引く。
 扉を一つずつ開け、中を確認し、何もなければ×をつける。しらみつぶしだ。

 運がいいことに、モンスターにはなかなか遭遇しない。
 ネットで調べても情報が出てこなかったから、そこが一番怖かったのに――

「危ない。僕、油断してる……」

 両頬をパン、と叩いた。

「どうされましたか? 祈里様」

「自分に活を入れただけ。油断は命取り……でしょ?」

「はい。その通りでございます」

 ジンバルンは要所で僕の見落としを補い、リスナーのコメントも“目”になってくれる。
 そうやって、なんだかんだで探索は順調に進んだ。

 最後の教室。たぶん校長室。

 重々しい扉を、ゆっくり開ける。
 中へ入り、机の下、棚の裏、カーテンの影――念入りに確認して。

「……ここも異常なし。ってことは、一階はこれで制覇か」

「はい。おそらく一条様は二階以上にいらっしゃるかと」

 廊下へ出て、しゃがみ込み、メモを取る。
 ――その瞬間だった。

 視界が、一瞬だけ暗くなる。
 影? いや――“何か”が、僕の背後を通った。

 刹那、身体が勝手に動いた。
 前に跳び、床を転がり、低い姿勢で振り返る。

「……なにも、いない?」

 どう考えても、今――誰かいた。
 でも上下左右、見渡しても何もない。

「ってなると……」

 ゆっくり窓を見る。
 雲が月を隠しただけ? そう思って窓へ近づき、外を覗く。

 ――びっくりするくらい綺麗な夜空だった。
 東京のど真ん中とは思えない。月だけじゃない。星まで、はっきり見える。雲は一つもない。

 じゃあ、今の影は何?

 最後の頼みは、彼らだ。

「ねえみんな。さっき、僕の後ろに誰か立ってなかった?」

 スマホを顔に近づけて聞く。

『顔かわいい……結婚しよ』
『なんもおらんかったよ』
『やめてよ~ こわいこと言うの~』

 流れていくコメントを必死に追う。
 でも、それらしい目撃情報はない。

「腑に落ちないけど……気のせいか……」

「ミィツカッチャッタァ……」

 ――え?

 声が、背中ではなく、“窓の向こう”から聞こえた。

 反射で窓を見る。

 目が、合った。

「ひっ……」

 そこに張り付いていたのは、人体模型みたいな“何か”だった。
 肌は縦に裂けて、左が皮膚、右が赤い筋肉。腹は開いて内臓がぶら下がり、本物みたいに脈打っている。首には腸がマフラーみたいに巻きつき、骨は異様に発達して、あちこちから突き出していた。

 ――そんな化け物が、窓ガラス越しに僕を覗き込んでいる。

『でたあ! 放課後監獄の名物! 発達しすぎた人体模型!!』
『確か、配信者の死亡理由ナンバー1だっけ?』
『ちょい違う。入った奴ら全員だろ……』

 腰が抜けた。
 力なく床にへたり込む。

 床がじわっと温かくなる。
 ――やばい。僕、漏らしてる。

「イマァ……イクカラ……ネェ……」

 人体模型が、コン、コン、と窓を叩く。
 僕は反射的に、掌をガラスへ向けた。

(壊される……!)

 ギフトを発動する。
 ――対象のダメージを肩代わりする。なら、ガラスが割られる衝撃を僕が受ければ、割れない……はずだ。

 でも人体模型は、窓を割ろうとしなかった。

 代わりに窓枠へ手をかけ、がたがたと揺らし――

 すっ、と窓枠そのものを外した。

「……は?」

 窓が“開いた”。
 いや、開けられた。壊すんじゃなく、外す。裏技みたいに。

 人体模型は、廊下へすたっと着地し、僕を見もしない。
 窓の方へ向かい、外した窓枠を元に戻そうと試行錯誤している。まるで“痕跡を消す”みたいに。

(逃げるなら……今しかない)

 震える足で立ち上がる。
 一歩、二歩――動き出した瞬間、脳が「逃げろ」だけを叫び始めた。

 走る。走る。走る。
 階段を駆け上がる。

 ――その途中から、記憶が飛んだ。
 怖すぎて脳が削除したのだと思う。

 気づくと僕は、ぼろぼろの図書館の隅で膝を抱えていた。

「うぐ……ひっぐ……」

 泣いている。
 自分でも分かるくらい、みっともない泣き方だ。

「大丈夫です、祈里様……もう追っては来ていません」

 ジンバルンの優しい声が、やけに大きく耳に響いた。
 安心したくて、僕はスマホをぎゅっと抱きしめる。

 少し落ち着いて、画面を覗く。

『女神ちゃん、泣かないで~』
『落ち着いて! 皆ついてるから!』

 リスナーにまで心配される始末だ。
 情けなくて、また涙が出そうになる。

 ぐしぐし目をこすって誤魔化した。体が女の子になって、涙腺が弱くなったのかもしれない。濡れたスカートを見下ろしながら、そんなことを考える。

「ありがとう、ジンバルン……ありがとう、みんな。もう……大丈夫……」

 ――調子に乗ってた。
 ミノタウロスも、ミノスも、ドラゴンも怖かった。けど、動けた。耐性がついたと思ってた。自分は大丈夫なんだと思ってた。

 でもこれが現実だ。
 僕だって、恐怖で簡単に壊れる。

「うん。もう、大丈夫。探索に戻ろう」

 震えながら立ち上がり、メモ帳を見る。
 一階のマップに、大きく×をつけた。

 そして出口へ向かって一歩。

 ぎしり、と床が鳴る。

「モォ……ダァイジョウブゥ?」

 ――上から声。

 刹那。

 ドシン!!

 目の前に、それが着地した。人体模型。
 本棚の上から、僕をずっと見ていたんだ。

「キミィ、カワイイカラァ……フツウニコロスノォ……モッタイナイ」

 表情がぐにゃりと歪み、いやらしい“笑顔の形”を作る。
 口の端から、粘ついた唾液みたいなものが垂れて、床に落ちる。

 僕はリュックの横に固定した手斧を抜き、両手で構えた。

「ナァニ、ソレ?」

 短い沈黙。
 それを破ったのは人体模型だった。

「ヤッタァ! プレゼントダ! プレゼント!!」

 両腕を広げて、嬉しそうに近づいてくる。

「っ!!」

 胸へ――いや、中心へ。
 頭上まで振り上げて、思い切り斧を振り下ろした。

 ガンッ!!

 ……硬い。

 斧は、異様に発達した肋骨に阻まれ、深く食い込んだまま止まった。

 抜けない。
 焦って引く。でも、びくともしない。

「アァリガトォ……プレゼントォ……ウレヒィ!!」

 ぼたり、と地面に人体模型の唾液が垂れる。まずい――そう思って逃げ出そうと振り返ったが、そこにあったのは……壁。行き止まりだということを忘れていた。

 ……スルリ。

 その隙に、後ろから腕が回される。耳に、あたたかく鉄くさい吐息がかかる。脇の下から巻き付くように回された腕が、右手は弄るように胸へ、左手は逃がさないと言わんばかりに腰へと食い込んだ。

「っ! くそ!!」

 振りほどこうともがくが、一切身動きが取れない。力の差がありすぎる。

「ダァイジョウブ……イタクシナイヨォ……ボォク、カノジョハジメテ……ナンダァ」

 ねっとりとした、不気味で深い声。

「テイコウシナイ……ッテコトハァ……キミモ、ウレヒィンダァ!」

 人体模型の腕に、さらに力がこもる。次いで、するすると服の内側へ手が入り込んだ。
 ふにゅっ、と身体が――指の形に押し込まれるみたいに沈む。

 最後の抵抗。希望にかけて、僕は叫んだ。

「ジンバルン! 緊急自爆スイッチ!! オン!!」

「……承知しました。十秒後、自爆します」

「ジバクゥ? ……ヤダァ! シニタクナイ! シニタクナイ!!」

 “自爆”“爆発”の単語に反応して、人体模型は腕を離した。
 一瞬で距離を取り、出入り口の方へ逃げていく。

 ――もちろん、スマホに自爆機能なんてない。
 ジンバルンが合わせてくれたんだ。

 でも、あの人体模型は知能がある。
 だからこそ、張ったりが効いた。

「ありがとう、ジンバルン。逃げるよ!」

 僕も出口へ走る。
 上下左右を確認――誰もいない。

 左奥の廊下の角を曲がっていく、人体模型の背中が見えた。

「……なら、僕は右だ」

 図書室を飛び出し、右へ。
 階段を駆け上がり、息を切らしながら最上階――四階へ。

「ここにあるのは……体育館と、屋上への扉……か」

 スマホのコメントを流し読みする。

『屋上の扉、どうやっても開かないらしいよ』

「それなら、体育館だ」

 冷たい鉄扉に手をかける。
 ギギ、と嫌な音を立てて扉が開いた。

 広い体育館。
 奥に少し高い舞台。周囲を見回しても、一条君の姿はない。

(体育館倉庫……あるなら舞台裏だ)

 幕で隠された舞台裏へ向かって歩く。
 床のバネが錆びているのか、一歩ごとにギギギ、と大きな音が鳴る。

「一条君を見つけるまで、逃げられないんだ……」

 自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。

 舞台脇。扉を開けて中へ入ると、倉庫らしき部屋がある。
 そして――その奥の扉が、不自然に少しだけ開いていた。

 ごくり、と唾を飲み込む音が、やけに大きく感じる。

 鼓動を落ち着けながら、開いた扉へ近づく。
 そっと覗き込んだ瞬間――

「んな!?」

 むせかえるほどの鉄臭さが鼻を刺した。

 視界を埋め尽くすのは、赤。
 正しくは――赤黒い血液。

 体育館倉庫全体が、血で満たされていた。
 床だけじゃない。壁も、棚も、道具も――べっとりと“染まって”いる。

 そして、その中心。

 血まみれで倒れている人影があった。

「……一条、君……?」

 そこにいたのは、間違いなく――一条君だった。
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