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第一部:アレックス

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「子供らしいって…、良く解んねェケド、こんなんで良かったのか?」

 翌朝、迎えに行ったマンションの前には、ポケットに手を突っ込んだまま決まり悪そうな顔をして、ロイが立っていた。

「上等上等。なかなか似合っているじゃないか、何処で調達してきたんだ?」

 セーラーカラーと半ズボン姿のロイは、いつにもまして幼く見える。頭にのせた帽子の所為で『可愛い水兵さん』を絵に描いたようだ。

「マリリンに電話をしたら、これを持ってスッ飛んできた」

 アレックスは、ボスの女に着せ替え人形がわりに遊ばれるロイを、頭の中で空想してつい笑ってしまった。

「そんなに…変か…?」
「いや、…可愛いよ」

 笑いをかみ殺しながら答えたアレックスを、ロイはひどくムッとした顔で睨んだ。

「可愛い? オレは男だぞ」
「『僕』だよ。せっかくお洒落をしたんだから、せめて今日だけでもさ」
「なんだよ、それ」
「本当は、日常の言葉遣いも直した方が良いって思うよ。言ったろう、自分の事を理解して全部を武器にしろってさ」
「…解ったよ」

 溜息混じりの諦め顔でロイは答えた。優しい笑顔で微笑むアレックスに対して、何を言っても無駄なような気がしたからだ。

「それじゃあ、どうぞ」

 助手席のドアを開け、アレックスは往生なポーズで会釈をしてみせる。

「なにそれ?」
「だって、今日はキミ、招待客扱いだもの」
「バカバカしい。どうせ、いつだってアンタの方が格が下じゃないの」
「嫌だなぁ、遊び心が少なすぎるよ。どうせ今日は私につきあわされてるんだから、全部あわせてくれよ。ゴッコ遊びって、ハマルと結構面白いんだよ?」
「アンタ、ホントに変な男だな」

 アレックスは運転席に乗り込むと、シートベルトをしてからエンジンをかけて発進する。

「マジメなこって」
「別に。…私は自分のドライブテクニックがそれほど長けているとも思わないし、周りの連中も素晴らしい腕前だと思ってないからね。命が惜しくて、してるのさ」

 アレックスの返答に、ロイはムッとしたまま黙ってシートベルトをした。
 そのまま、不満そうな表情のロイを横目で見やり、アレックスはギアをトップに切り替えて、アクセルを踏み込む。

「そんなに飛ばすと、パクられるぞ」
「平気だよ。平日のこの時間なら、ハイウェイパトロールはもっと都心にいるからね」
「くわしいな」
「車で動いていると、自然に覚えるもんだよ。…後は、カンかな?」
「カン…ねェ…」

 そんなものなのかといいたげに頷いて、ロイは顔を前に向けた。
 そのまま、途切れた会話。
 助手席の少年は、ぼんやりと前を見つめている。
 最近、時折見せるようになった無防備な、顔。
 本来の子供らしい、それ。
 多分、意識せずにそうしているのだと思う。
 本人にとっては『不覚』だったと思わしき、あの涙を見せてしまった時から、ロイは無意識のうちにアレックスの前ではそんな顔をするようになった。
 少年が、その年齢に相応しい笑顔を浮かべてくれればいい、とふと思う。
 普段、彼が意識して造り上げているような表情ではなく、もっと感情のままに怒ったり笑ったり出来ればいいと…。
 彼が失ってしまったそれらの表情を、取り戻してやれればと思うから。
 だから、この任務を終える時、アレックスは少年を連れて帰ろうと考えていた。
 狭い自分のアパートは、モンテカルロに買い与えられた、彼の住んでいる場所とは比べものにならない貧相な所ではあるけれど、でも精神環境は遥かに良い筈だ。
 時折自分は、仕事で随分と長期に渡って家を空けるような事があるけれど、きっとその時には妹のリサが彼の面倒を見てくれるだろう。
 彼女の夫もまた自分と同じように家を空けがちだから、これから育児に追われるようになる彼女の良い話し相手になると思う。
 こんな世界に身を置いてはいても、少年は世間にありがちな世を拗ねてしまった人間とは違うから、きっと彼女にも、そして家族というものにも馴染んでくれるだろうから。
 アレックスは隣に座る少年にチラリと目をやって、ふと、疑問を持った。

「なぁ、ロイ」
「ん…?」
「オマエさん、マリリンとは仲が良いのかい?」
「なんで?」
「だって、その服の調達を頼んだんだろう?」

 マリリンというボスの情婦は、組織の中で評判が良くなかった。ボスの権威を笠に着る彼女のやり方は、悪く思われて当然ではあるが。

「そう…ね。…でも、彼女って可愛いと思うよ」

 自分よりずっと年上の、しかも割と鼻持ちならないタイプの女性である彼女を、なんの躊躇もなく可愛いと言ったロイに、アレックスは少し驚いた顔をしてみせる。

「そんな顔、することないでしょう?」

 こちらを向いたロイの顔は、いつもの造った笑みを浮かべていた。

「私には、あまり可愛いと思えないがね。…彼女は」
「みんな、そうでしょう。でも、彼女とオレは利潤が一致しているからさ。そういう相手としてみると、とても可愛いよ」
「どういう意味?」
「オレはボスのお守りをしたくない。彼女はボスを独占したい。…あのパーティの晩の事、覚えてない?」
「え…?」
「#ボスを彼女に押しつけて逃げてきたろ? でも彼女は、オレが好意でボスのお守り役を譲ってるって思ってるのさ。…誰もがみんな、ボスを独占しようと思ってるバカな女。そんな中でオレだけは自分の味方だと思ってる、愚かな女さ。可愛いモンだろ?」
「それを可愛いと言ってしまう、キミが怖いよ」
「そう?」

 クスッと、ロイは笑った。

「でも、そうでしょう? 誰にとって、なにが得か。自分がどうすれば、一番良い位置に立つ事が出来るか。考えてない人なんて、いないでしょ?」

 ああ、そうか。とアレックスは思った。
 本当に、一瞬ロイを怖いと感じたのは事実だけれど、でもそれ以上に、この少年がそうならざるをえない環境に置かれているのだという事に気付いたから。
 そして、ただその状況に流されるのではなく、ちゃんと見極め、対応している少年の知己に感心さえした。
 彼は、やはり環境さえ整えば同じ年頃の少年達に馴染む事が出来る。
 その時、アレックスはそう確信していた。
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