12 / 13
第十二話
しおりを挟む
穏やかな風を受けながら、ジェラートは漆黒の翅を羽ばたかせて空を渡る。
抜けるような青空から目線を移すと、遙か下をクロスが糸を伸ばしながら枝から枝を渡っている。
長身のクロスが糸を繰り出す様は、一見酷く緩慢な動きに見えるが。
それが実は全く無駄のない動きである事に気づき、ジェラートはゆっくりと高度を下げた。
「疲れたのか?」
自分の元にまで降りてきたジェラートに、クロスが怪訝な顔をする。
「調子はすこぶる良い」
答えながら、ジェラートはそのままクロスの背後から腕を伸ばして肩に手を掛けた。
「それなら自力で飛んだらどうだ?」
突き放すような言葉で答えながらも、背中に乗ってきたジェラートを振り払うような事はせずに、クロスは変わらずゆったりとした動きで枝を渡っている。
「この方が楽だ」
ジェラートが嘯くと、クロスはチラッとだけ呆れたような顔を向けただけだった。
無色透明な糸で織り上げた翅に、クロスが選んだ色は闇夜の黒。
マットな仕上がりはまるでビロードのようにきめ細かく、先日までのジェラートの姿を知らない者にはそれが補修された翅だとは見破れないだろう。
二人がたどり着いたのは、森の中にある緑豊かな丘だった。
木々が途切れ、開けた場所は陽光が暖かく、明るい。
「悪くないだろう?」
柔らかな風が吹く木陰に降り立ったクロスは、ちらと振り返ってジェラートに問いかける。
翅を広げ、フワフワと舞い上がったジェラートは満足気な笑みを返した。
「俺はココにいる。無理をしない程度に、適当にやってくれ」
言い置いて、クロスはそのままゴロリと仰向けに寝そべり、目を閉じる。
ジェラートはそのまま風に乗って舞い上がると、木々の合間に入っていった。
この遠出の目的は、出来上がったばかりの翅のテスト飛行だとクロスは言った。
しかしそれ以上に、ジェラートの気晴らしの意味もあったのだろう。
今のジェラートは、一人で外に出かける事が出来ない。
それはクロスがジェラートの体力を慮って、許可していないからなのだが。
しかし、狭い住処の中に閉じこめられた形になっている事実に変わりはなく。
開放感溢れる野外の飛行は、日々無意識のうちに溜まっていたストレスを綺麗に払拭してくれた。
青い実を付けた樹木を見つけて、ジェラートはふんわりと着地する。
柔らかな日差しの中、ただそこに腰を降ろしたまま、穏やかな風が渡っていく様をぼんやりと肌に感じていた。
「もうちょっと、警戒した方が良いんじゃないのか?」
背後に立ったアルファに、ジェラートは不快な表情を隠しもせずに振り返る。
「なにか用か?」
「そんな顔するなよ、俺は忠告してやってるんだぜ? あるにの目の届かない場所に居るオメガが、他のアルファに掠め取られる…なんてのはありがちな話だ。外界は物騒だからな、誘拐されるならまだしも、その場で刻まれるコトだってあるんだぜ?」
ジェラートは、コートの顔をハッキリと見知っていた訳ではなかったが。
ただその声に聞き覚えがあった。
「ずいぶん小綺麗になったモンだな。…この翅、あのヒトに作ってもらったのか?」
触れてこようとするコートの手を避けて、ジェラートはひらりと空に浮いた。
目の前のアルファを見据えたまま、ジェラートはじわじわと間合いを取る。
薄笑いを浮かべながら穏やかに語りかけてくるアルファからは、その様子とは裏腹の殺気と敵意を感じとれたからだ。
「俺はな、オマエがあのヒトの所に転がり込んだ時は、歓迎してたんだぜ。…アルファとしての全てを捨てちまったあのヒトが、オマエを手元に置くコトで思い出してくれると…。…自分が今やってるコトが、どんなにくだらないか気づいてくれると思ったからな」
ゆっくりした動作で、コートは上腕の左腕を上げた。
その先端には、陽光を弾いて鈍く光る大きな爪がある。
「…なのに、あのヒトはオマエの世話に掛かりっきりで…。翅の補修が終わっても、手放しゃしない。…確かにオマエさんは、そうしていれば綺麗なオメガさ。だがそれは、あのヒトが居てこそだ。判ってるだろう? オマエなんかに構っているヒマは、あのヒトにはねぇんだよ」
「それを決めるのは、オマエじゃないだろう…」
ジェラートは、ジッとコートをにらみ据えた。
「ああ、確かに俺じゃあない。…だが、決断させる為のきっかけを作るのは、誰でもイイのさ」
コートの一撃が来るのは、ほんの一瞬の隙に違いない。
あの爪に掛かれば、痛みを感じる間もなく絶命させられる事は明らかだ。
しかし下手な間合い動けば、アルファの糸に絡め取られる危険があった。
こちらから仕掛けるのは、あまりに不利だろう。
アルファの爪が、手招きをするようにゆらりと動いた。
「…っ!」
のど元から胸に掛けて、アルファの爪が紙一重でよぎる。
身を翻したジェラートは、一転して下降した。
上空に逃れようとすれば、糸に絡め取られやすくなる。
障害物が多ければ、追っ手の動きは制限されるとジェラートは判断したのだ。
「逃げるほど、苦しいだけだぞ」
木々の間がキラキラと光っている事に気づき、ジェラートは微かに眉を顰める。
こちらに逃れる事も予想して、木々の間にトラップを仕掛けてあったのだ。
追っ手との距離を測り、糸の間をくぐり抜ける。
そうして懸命に羽ばたきを続けながら、ジェラートはクロスの作り上げた翅に感嘆していた。
急降下も急上昇も、思いのままに羽ばたける翅。
見栄えももちろん、これほど実用的に動きが取れるとは思っていなかった。
だが、翅は完璧な修繕がされていても、今のジェラートには本気で迫ってくるアルファから逃れるだけの体力がある訳もなく。
そこここでくぐり損なった糸が、全身に少しずつ絡みついてくる。
「諦めが悪いな」
不意に真正面に現れたコートに、ハッとなった時にはのど元を糸でしっかりと絡め取られていた。
「……く…っ!」
食い込んできた糸に、息が苦しくなる。
「もったいねぇなぁ。これほどの翅なら、コレクションにしても良かったんだが……」
目を眇め、コートはジェラートの薄い皮膚を鋭利な爪先で辿った。
表皮を切り裂かれ、白い肌の上に赤い血が滲む。
「その美貌に免じて、最後は苦しませずに逝かせてやるよ…」
クククと喉の奥で笑い、コートは細い牙をジェラートのうなじに突き立てようとした。
「…イ……ヤ…だっ…!」
それだけは、命と引き換えにしても拒みたい。
ジェラートは翅をバタつかせ、腕を振り回し、めくらめっぽうに暴れた。
コートの牙が、振り回した腕を掠める。
途端に、精神を支配する熱い感覚がジワリと広がった。
背筋を這い上ってくる快楽を振り切ろうとして、ジェラートは首を左右に振る。
コートの手が脇腹を撫で下ろし、熱が集まり始めている中心部を握り込む。
「オメガなんて、どれも同じさ。俺達に触れられれば、みんなケツを振ってくる。…なんでこんな簡単なコトが解らねぇんだ、あのヒトは…」
必死になって理性をつなぎ止めようと、ジェラートは強く唇を噛んだ。
口腔内に錆臭い匂いが満ちあふれ、舌に広がる苦い味にほんの少し現実に引き戻される。
「面白いな、オマエ…。そんなコトをしたところで、大した意味もないんだぜ? 気持ち良くイク瞬間に、コイツで息の根止めてやるからさ」
鈎爪をジェラートの胸に置いて、コートはなおも激しくジェラートの熱を弄んだ。
「……ん…んんっ…!」
思わず腰を突き出して、それ以上に強請ってしまいそうになる。
「無理すんなよ。ホントは体内に熱いのブチ込んでもらいたいんだろ?」
膝に手を掛けられ、足を押し開こうとするコートの手を、振り払うどころか抵抗する事すらおぼつかず、ジェラートは悔しさになおも唇を噛んだ。
「安心しなよ。俺はオマエを焦らしたりなんかしないぜ。直ぐに天国見せてやる。おっと、その前にやっぱりうなじに痕を残さないと…な」
コートがジェラートの体を押さえ込み、冷たい薄笑いを浮かべてのし掛かろうとしたその時不意に、コートの持つそれよりも一回り大きな爪が、コートの喉元にピタリと押し当てられた。
「他人の持ち物にちょっかい出すのは、ルール違反なんじゃないのか?」
ジェラートから手を離し、コートはゆっくりと振り返る。
そこには、無表情で立つクロスが居た。
「どういうつもりだ?」
少し卑屈っぽい笑みを浮かべたコートは、肩を竦めてみせる。
「怒るなよ。…こんな痩せたオメガ一匹でさ。アンタならもっと上等なヤツを、いくらも侍らせるコトが出来るだろう?」
「俺は、どういうつもりだと訊ねている」
喉に当てられている爪を、自分の爪で牽制するように押し戻し、コートはニヤニヤと笑う。
「俺はアンタに、以前のような威厳を取り戻して欲しいだけさ。…アンタだって、解ってるんだろう?」
「オマエが俺にどんな期待をしようが、それはオマエの勝手だ。…だがそれを押しつけられるのは迷惑だと、以前にも言ったと思うが?」
「じゃあアンタは、このままあの惨めな生活続けていく気なのかよ?! 今、アルファの仲間内でアンタがどんな風に呼ばれてるか、解ってンのか?! 騎士団長時代に、弦月の騎士と呼ばれたアンタがさぁ!」
「俺は俺のやりたいコトをやって、それに充分満足している。他のヤツラのウワサなんて、俺には何の関係も無い。そもそも、オマエが心配しているのは、本当に俺の風評か?」
「もちろん、そうに決まってるだろうっ!」
「どうだかな。俺が譲った邸宅が、売りに出されているウワサを聞いた。領地じゃ、反乱紛いの騒動もあったらしいじゃないか」
コートは、ぎくりと顔を強張らせた。
アルファであるコートは、もちろん世に居る数多のベータよりも優れた存在だ。
だが、世の中の一握りの存在と言っても、アルファ同士の競争の中で、抜きん出ている者とそうでない者も、もちろん存在する。
そういう意味で、クロスは頭一つ抜けている才能を持っていたが、コートは凡庸なアルファであった。
クロスの威を借りて勢力拡大したコートにとって、クロスが居なくなった後のアルファ同士の抗争は、どうしても分が悪い。
「アンタが、戻ってきてくれれば! アンタが俺を、見捨てなきゃっ!」
コートは顔を歪め、今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「俺はもう、二度と街には戻らない。そう言っただろう」
「本気かよっ?」
無言のクロスの、その冷静な顔に、絶対に覆らない事実だと知ったコートは、子供のように顔をくちゃくちゃにして本当に泣き出した。
「そんな……そんなの…あんまりだろっ! 俺は…俺はずっと、アンタが昔みたいにギラギラしてくれるのを、ずっと待って……。……そんなコト言うアンタは、もう俺の知ってるクロスじゃねぇよ! オマエなんか、偽物だっ!」
泣き喚きながら、コートは正面のクロス目掛けて鋭利な爪を振り下ろす。
その爪を自分の爪で受け止めて、クロスは一切の容赦もなく、もう片方の腕でコートの腕を切り裂いた。
「ぎゃあっ!」
痛みにのたうつコートに振り向きもせず、クロスはコートの糸に絡め取られて、半端に熱を煽られたまま放置されていたジェラートを抱き上げる。
「…おい…、アイツ…このままにしておくのか?」
荒く息をつきながら訊ねたジェラートに、クロスは返事をしなかった。
抜けるような青空から目線を移すと、遙か下をクロスが糸を伸ばしながら枝から枝を渡っている。
長身のクロスが糸を繰り出す様は、一見酷く緩慢な動きに見えるが。
それが実は全く無駄のない動きである事に気づき、ジェラートはゆっくりと高度を下げた。
「疲れたのか?」
自分の元にまで降りてきたジェラートに、クロスが怪訝な顔をする。
「調子はすこぶる良い」
答えながら、ジェラートはそのままクロスの背後から腕を伸ばして肩に手を掛けた。
「それなら自力で飛んだらどうだ?」
突き放すような言葉で答えながらも、背中に乗ってきたジェラートを振り払うような事はせずに、クロスは変わらずゆったりとした動きで枝を渡っている。
「この方が楽だ」
ジェラートが嘯くと、クロスはチラッとだけ呆れたような顔を向けただけだった。
無色透明な糸で織り上げた翅に、クロスが選んだ色は闇夜の黒。
マットな仕上がりはまるでビロードのようにきめ細かく、先日までのジェラートの姿を知らない者にはそれが補修された翅だとは見破れないだろう。
二人がたどり着いたのは、森の中にある緑豊かな丘だった。
木々が途切れ、開けた場所は陽光が暖かく、明るい。
「悪くないだろう?」
柔らかな風が吹く木陰に降り立ったクロスは、ちらと振り返ってジェラートに問いかける。
翅を広げ、フワフワと舞い上がったジェラートは満足気な笑みを返した。
「俺はココにいる。無理をしない程度に、適当にやってくれ」
言い置いて、クロスはそのままゴロリと仰向けに寝そべり、目を閉じる。
ジェラートはそのまま風に乗って舞い上がると、木々の合間に入っていった。
この遠出の目的は、出来上がったばかりの翅のテスト飛行だとクロスは言った。
しかしそれ以上に、ジェラートの気晴らしの意味もあったのだろう。
今のジェラートは、一人で外に出かける事が出来ない。
それはクロスがジェラートの体力を慮って、許可していないからなのだが。
しかし、狭い住処の中に閉じこめられた形になっている事実に変わりはなく。
開放感溢れる野外の飛行は、日々無意識のうちに溜まっていたストレスを綺麗に払拭してくれた。
青い実を付けた樹木を見つけて、ジェラートはふんわりと着地する。
柔らかな日差しの中、ただそこに腰を降ろしたまま、穏やかな風が渡っていく様をぼんやりと肌に感じていた。
「もうちょっと、警戒した方が良いんじゃないのか?」
背後に立ったアルファに、ジェラートは不快な表情を隠しもせずに振り返る。
「なにか用か?」
「そんな顔するなよ、俺は忠告してやってるんだぜ? あるにの目の届かない場所に居るオメガが、他のアルファに掠め取られる…なんてのはありがちな話だ。外界は物騒だからな、誘拐されるならまだしも、その場で刻まれるコトだってあるんだぜ?」
ジェラートは、コートの顔をハッキリと見知っていた訳ではなかったが。
ただその声に聞き覚えがあった。
「ずいぶん小綺麗になったモンだな。…この翅、あのヒトに作ってもらったのか?」
触れてこようとするコートの手を避けて、ジェラートはひらりと空に浮いた。
目の前のアルファを見据えたまま、ジェラートはじわじわと間合いを取る。
薄笑いを浮かべながら穏やかに語りかけてくるアルファからは、その様子とは裏腹の殺気と敵意を感じとれたからだ。
「俺はな、オマエがあのヒトの所に転がり込んだ時は、歓迎してたんだぜ。…アルファとしての全てを捨てちまったあのヒトが、オマエを手元に置くコトで思い出してくれると…。…自分が今やってるコトが、どんなにくだらないか気づいてくれると思ったからな」
ゆっくりした動作で、コートは上腕の左腕を上げた。
その先端には、陽光を弾いて鈍く光る大きな爪がある。
「…なのに、あのヒトはオマエの世話に掛かりっきりで…。翅の補修が終わっても、手放しゃしない。…確かにオマエさんは、そうしていれば綺麗なオメガさ。だがそれは、あのヒトが居てこそだ。判ってるだろう? オマエなんかに構っているヒマは、あのヒトにはねぇんだよ」
「それを決めるのは、オマエじゃないだろう…」
ジェラートは、ジッとコートをにらみ据えた。
「ああ、確かに俺じゃあない。…だが、決断させる為のきっかけを作るのは、誰でもイイのさ」
コートの一撃が来るのは、ほんの一瞬の隙に違いない。
あの爪に掛かれば、痛みを感じる間もなく絶命させられる事は明らかだ。
しかし下手な間合い動けば、アルファの糸に絡め取られる危険があった。
こちらから仕掛けるのは、あまりに不利だろう。
アルファの爪が、手招きをするようにゆらりと動いた。
「…っ!」
のど元から胸に掛けて、アルファの爪が紙一重でよぎる。
身を翻したジェラートは、一転して下降した。
上空に逃れようとすれば、糸に絡め取られやすくなる。
障害物が多ければ、追っ手の動きは制限されるとジェラートは判断したのだ。
「逃げるほど、苦しいだけだぞ」
木々の間がキラキラと光っている事に気づき、ジェラートは微かに眉を顰める。
こちらに逃れる事も予想して、木々の間にトラップを仕掛けてあったのだ。
追っ手との距離を測り、糸の間をくぐり抜ける。
そうして懸命に羽ばたきを続けながら、ジェラートはクロスの作り上げた翅に感嘆していた。
急降下も急上昇も、思いのままに羽ばたける翅。
見栄えももちろん、これほど実用的に動きが取れるとは思っていなかった。
だが、翅は完璧な修繕がされていても、今のジェラートには本気で迫ってくるアルファから逃れるだけの体力がある訳もなく。
そこここでくぐり損なった糸が、全身に少しずつ絡みついてくる。
「諦めが悪いな」
不意に真正面に現れたコートに、ハッとなった時にはのど元を糸でしっかりと絡め取られていた。
「……く…っ!」
食い込んできた糸に、息が苦しくなる。
「もったいねぇなぁ。これほどの翅なら、コレクションにしても良かったんだが……」
目を眇め、コートはジェラートの薄い皮膚を鋭利な爪先で辿った。
表皮を切り裂かれ、白い肌の上に赤い血が滲む。
「その美貌に免じて、最後は苦しませずに逝かせてやるよ…」
クククと喉の奥で笑い、コートは細い牙をジェラートのうなじに突き立てようとした。
「…イ……ヤ…だっ…!」
それだけは、命と引き換えにしても拒みたい。
ジェラートは翅をバタつかせ、腕を振り回し、めくらめっぽうに暴れた。
コートの牙が、振り回した腕を掠める。
途端に、精神を支配する熱い感覚がジワリと広がった。
背筋を這い上ってくる快楽を振り切ろうとして、ジェラートは首を左右に振る。
コートの手が脇腹を撫で下ろし、熱が集まり始めている中心部を握り込む。
「オメガなんて、どれも同じさ。俺達に触れられれば、みんなケツを振ってくる。…なんでこんな簡単なコトが解らねぇんだ、あのヒトは…」
必死になって理性をつなぎ止めようと、ジェラートは強く唇を噛んだ。
口腔内に錆臭い匂いが満ちあふれ、舌に広がる苦い味にほんの少し現実に引き戻される。
「面白いな、オマエ…。そんなコトをしたところで、大した意味もないんだぜ? 気持ち良くイク瞬間に、コイツで息の根止めてやるからさ」
鈎爪をジェラートの胸に置いて、コートはなおも激しくジェラートの熱を弄んだ。
「……ん…んんっ…!」
思わず腰を突き出して、それ以上に強請ってしまいそうになる。
「無理すんなよ。ホントは体内に熱いのブチ込んでもらいたいんだろ?」
膝に手を掛けられ、足を押し開こうとするコートの手を、振り払うどころか抵抗する事すらおぼつかず、ジェラートは悔しさになおも唇を噛んだ。
「安心しなよ。俺はオマエを焦らしたりなんかしないぜ。直ぐに天国見せてやる。おっと、その前にやっぱりうなじに痕を残さないと…な」
コートがジェラートの体を押さえ込み、冷たい薄笑いを浮かべてのし掛かろうとしたその時不意に、コートの持つそれよりも一回り大きな爪が、コートの喉元にピタリと押し当てられた。
「他人の持ち物にちょっかい出すのは、ルール違反なんじゃないのか?」
ジェラートから手を離し、コートはゆっくりと振り返る。
そこには、無表情で立つクロスが居た。
「どういうつもりだ?」
少し卑屈っぽい笑みを浮かべたコートは、肩を竦めてみせる。
「怒るなよ。…こんな痩せたオメガ一匹でさ。アンタならもっと上等なヤツを、いくらも侍らせるコトが出来るだろう?」
「俺は、どういうつもりだと訊ねている」
喉に当てられている爪を、自分の爪で牽制するように押し戻し、コートはニヤニヤと笑う。
「俺はアンタに、以前のような威厳を取り戻して欲しいだけさ。…アンタだって、解ってるんだろう?」
「オマエが俺にどんな期待をしようが、それはオマエの勝手だ。…だがそれを押しつけられるのは迷惑だと、以前にも言ったと思うが?」
「じゃあアンタは、このままあの惨めな生活続けていく気なのかよ?! 今、アルファの仲間内でアンタがどんな風に呼ばれてるか、解ってンのか?! 騎士団長時代に、弦月の騎士と呼ばれたアンタがさぁ!」
「俺は俺のやりたいコトをやって、それに充分満足している。他のヤツラのウワサなんて、俺には何の関係も無い。そもそも、オマエが心配しているのは、本当に俺の風評か?」
「もちろん、そうに決まってるだろうっ!」
「どうだかな。俺が譲った邸宅が、売りに出されているウワサを聞いた。領地じゃ、反乱紛いの騒動もあったらしいじゃないか」
コートは、ぎくりと顔を強張らせた。
アルファであるコートは、もちろん世に居る数多のベータよりも優れた存在だ。
だが、世の中の一握りの存在と言っても、アルファ同士の競争の中で、抜きん出ている者とそうでない者も、もちろん存在する。
そういう意味で、クロスは頭一つ抜けている才能を持っていたが、コートは凡庸なアルファであった。
クロスの威を借りて勢力拡大したコートにとって、クロスが居なくなった後のアルファ同士の抗争は、どうしても分が悪い。
「アンタが、戻ってきてくれれば! アンタが俺を、見捨てなきゃっ!」
コートは顔を歪め、今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「俺はもう、二度と街には戻らない。そう言っただろう」
「本気かよっ?」
無言のクロスの、その冷静な顔に、絶対に覆らない事実だと知ったコートは、子供のように顔をくちゃくちゃにして本当に泣き出した。
「そんな……そんなの…あんまりだろっ! 俺は…俺はずっと、アンタが昔みたいにギラギラしてくれるのを、ずっと待って……。……そんなコト言うアンタは、もう俺の知ってるクロスじゃねぇよ! オマエなんか、偽物だっ!」
泣き喚きながら、コートは正面のクロス目掛けて鋭利な爪を振り下ろす。
その爪を自分の爪で受け止めて、クロスは一切の容赦もなく、もう片方の腕でコートの腕を切り裂いた。
「ぎゃあっ!」
痛みにのたうつコートに振り向きもせず、クロスはコートの糸に絡め取られて、半端に熱を煽られたまま放置されていたジェラートを抱き上げる。
「…おい…、アイツ…このままにしておくのか?」
荒く息をつきながら訊ねたジェラートに、クロスは返事をしなかった。
0
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
出来損ないΩの猫獣人、スパダリαの愛に溺れる
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
旧題:オメガの猫獣人
「後1年、か……」
レオンの口から漏れたのは大きなため息だった。手の中には家族から送られてきた一通の手紙。家族とはもう8年近く顔を合わせていない。決して仲が悪いとかではない。むしろレオンは両親や兄弟を大事にしており、部屋にはいくつもの家族写真を置いているほど。けれど村の風習によって強制的に村を出された村人は『とあること』を成し遂げるか期限を過ぎるまでは村の敷地に足を踏み入れてはならないのである。
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!
水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。
それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。
家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。
そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。
ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。
誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。
「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。
これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます!
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
他サイトでも公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる