Silver Moon

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第4話

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 照明を落として個々のテーブルに蝋燭なんか立ててる、洒落こけたレストランで向かい合う。
 俺が支払いを受け持つようになってから、逢瀬の場はそんなふうに変わった。
 ファミレスとはかなり違う店の雰囲気と、ファミレスとはかなり違うレシートの金額に、彼は初めのうちとても抵抗を感じていたようだけれど。
 最近は、それら全てが俺の道楽なのだと、なんとか割り切ってくれたようだ。

「なぁ、レン。俺と食事してて楽しい?」

 時折、ひどく不安な表情で彼が訊ねてくる。
 永遠のような半日を過ごし、彼に逢う一瞬の為に、日々を灰色に塗りつぶしている俺。
 そんな俺の恋慕も執着も、まるで気付いていない彼。
 俺は、彼の手を取る。
 温かい…手。

「冷たいよなぁ。これもその、ナントカいう長ったらしい名前の病気の所為なんだろ? 太陽に当たると皮膚が火傷しちゃうなんて、映画に出てくる吸血鬼みたいだよな」

 なんて言って笑いながら、彼は両手で俺の指先を包み込み、暖めてくれた。
 伝わる体温と鼓動。
 そのまま俺の中に、彼の血液までもが流れ込んでくるような錯覚に落ちる。

「よう、シュウイチじゃないか。何してんだ、こんなトコで?」

 トリップしていた俺の後ろから、不意に聞き慣れない声がした。
 ドヤドヤと近づいてくる数名の足音に、俺の錯覚が打ち破られる。

「ショーゴ? 珍しいな、こっちの方に来るなんて」

 顔を上げた彼は、その誰かに向かって笑んでみせる。

「なんだよ。最近五時きっかりに帰って行くから、てっきりオンナだと思ってたのに。俺達を袖にしといてオトコと密会? そんなにしっかり手ェ握っちゃってェ」

 彼の隣に立った男は、どうやらかなり親しい間柄の人間らしい。
 キツめの軽口にも、彼はほんの少し眉をひそめただけで、俺の手を放す事もなかった。

「そんなんじゃねェよ。あんましコイツの手が冷たいもんだからさ…」

 彼は視線を俺に向け直すと、穏やかに笑う。

「レン、こちらはショーゴ。いつも話してる同じ部署の先輩だよ。覚えてるだろう?」
「いつも…って、オマエ一体どんな話をしてるんだよ?」
「別に、大した話はしてねェよ? こっちはレン。俺の…友達…かな?」

 『ショーゴ』氏は俺に会釈をして、それから彼に目線を戻した。

「そのミョーに自信の無い、変な紹介はなんだ?」
「だって…。俺、なんて言って良いのか解ンねェんだモン。…俺は友達だと思ってるケド…、レンにとっちゃ、俺ってただの話し相手…だろ?」

 不安そうな目線。
 そうか。
 時々見せるあの表情は、俺に金を払わせている負い目から生まれていたものだったのか。
 俺は苦笑して、それからずっと握っていてくれた彼の手を離し、ショーゴ氏に向かって今までの経緯を説明した。

「ふ~ん。シュウイチらしいっちゃらしい話だよな。で、このアルバイトじみた妙な関係が、気に入らないワケだ、シュウイチ君は」
「気には入って無いケド、でも仕方ないだろ? レンはすごく話し上手だから、一緒にいるのはスッゲェ楽しいんだけどさ。…ちゃんと俺が俺の分を払えれば、一番問題ないんだケド」

 少ししょげたような顔をしてみせる彼から視線を外し、俺はショーゴ氏に向かってこの関係を好ましく思っている旨を説明した。
 そして最後に、彼は俺の友達だと付け足す事も忘れなかった。
 俺の言葉に、彼はちょっと吃驚したような、それでいて少し照れたような表情で俺を見る。

「レンさん、…だっけ? お手柔らかに頼むよ。コイツ、見掛けに寄らずオコサマだからさ」

 俺と彼の顔を交互に眺めた後に、ショーゴ氏は意味深な笑いを浮かべてみせる。
 その表情から、俺はショーゴ氏がきちんと彼を理解していて、俺を値踏みしていたんだって事に気が付いた。
 どうやら、合格点を頂けたらしい。

「どういう意味だよぅ」

 口唇を尖らせて、彼は少し拗ねたような表情をしてみせる。
 打ち解けた仲間内では、こんな顔もしてみせるのか。
 彼のそんな表情を見る機会を作ってくれたショーゴ氏に、ほんの少し感謝する一方で、こんなにも彼に受け入れられているショーゴ氏が羨ましくて、俺は嫉妬した。
 ショーゴ氏が彼に向けている感情が、彼を気遣う親鳥にも似た心配に過ぎないって事も、ちゃんと解っていたのに。

「ショ~ゴ、何やってんだ?」

 不意に現れた次の人物は、俺の特別な嗅覚を駆使しなくても分かる、あからさまなアルコール臭を発散させていた。

「ああ、アキラ。シュウイチがいてさ…」
「シュウイチじゃん」

 その人物は、ショーゴ氏の話なんかほとんど聞いちゃいない様子で、ショーゴ氏の横をすり抜けると、彼の背後に回った。

「帰りがけに誘ったら、用事があるとか言って帰ったクセに。こんなトコでなにやってんだよぅ~」
「あ、シラトリ君も一緒だったんだ」

 肩から腕を回し、しっかりと抱きつくようにされても、彼は特に抵抗をする風でもなく、為すがままになっている。

「コイツ、また女に捨てられちゃってさ。あんまり荒れてるんで、ニッタさんと一緒に『慰める会』を催してやるつー話になったんだけどさ。本人が此処がいいっていうから、珍しくこんなお高い店に来たケド、やっぱ居酒屋にしとけば良かったぜ。コイツ、この通り酔っぱらっちまって、恥ずかしいったらありゃしねェ。カラオケにでも流れようかって話になっててさ。先に店探しに行ったニッタさんから携帯入ったから、俺達、今出るトコなんだよ」

 シラトリ氏は彼の背中にへばりつき、彼の髪に顔を埋めた。

「シュウイチも一緒しようぜェ? いーだろぅ?」
「こらアキラッ、この酔っぱらい! シュウイチの都合もあんだから」
「痛い、痛い…、シラトリ君ってば手ェ離して…」

 彼に摺り寄ったまま、間近で口説き続けるシラトリ氏は、ただの泥酔者に見えない事もない。
 しかし俺はその目の中に、俺と同じ感情を見た。

「行こーよぉ、シュウイチィ」

 しがみついた腕で彼のシャツの襟元をまさぐる指にはハッキリした目的が見え、口唇で彼の耳元に愛撫でもし始めかねない様子だった。
 不快感に耐えかねて、俺が平静を装えなくなり始めた時。

「アキラ、いい加減にしろっ! シュウイチもちゃんと自分で振り解けよっ!」

 彼の肩からシラトリ氏を乱暴にはぎ取ったショーゴ氏からは、ひたすらウンザリしたような感情が読みとれた。

「いーじゃん~。俺、シュウイチが好きなんだよ。一緒にいこーぜ?」

 未練がましく延ばされた手のいやらしさも、舐めるように見つめている目線にも、シラトリ氏の態度の総てに彼に対する欲望が感じられる。
 だか彼自身はそんな事にまるで気付いていなくて、ショーゴ氏が無理に解いたシラトリ氏の腕を取り、真っ直ぐに立つ事が出来るように手を貸してさえいた。

「じゃ、シュウイチ。週明けにな。…ほら、アキラ、シャキッと歩け」
「う~ん、どーしてシュウイチは来ねェんだよぅ…」

 ごねるシラトリ氏をほとんど肩にしょい上げるようにして、ショーゴ氏は挨拶もそこそこに去っていった。
 彼に対してどこまでも親切なショーゴ氏に、先程までの嫉妬も忘れて俺は感謝した。

「ゴメンな、いつもはあんなじゃないんだぞ。シラトリ君は俺と同期なんだけど、エリートでさ…」

 友人の醜態をフォローするように、彼はその後シラトリ氏がどれくらい優秀な人物で、自分に対してもどれほど親切であるかを、語り続けた。
 俺はそんな話になんの興味もなかったし、ましてや「彼に対して親切なシラトリ君」の話なんて、聞きたくもなかったけど。
 あえてそれを遮るような事はしなかった。
 だって、そうだろう?
 曖昧だった関係が、互いに好意のある友人関係である事を知った喜びで、いつにも増して饒舌になっている彼を、暗い顔で黙らせたくなどなかったし。
 第一、どうしてシラトリ氏の話を聞きたくないのかという根本を問いただされたら、彼が信じているこの友人関係が、実はとんでもない邪な感情から発生しているものである事を知られてしまう事になる。
 だから俺は、無難な相づちを返しつつ、シラトリ氏の話を黙って聞いていた。
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