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58、手を引いて
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そして8年後――……
たった今、賢暮はあのころ見た小さな子どもを前にしていた。
「ここが、私の諦めるべき所か」妙に落ち着き払って言った。「私には無理だった。私には、銀の笛を金の笛に変えることはできなかった」
ポロポロ天井から砂がこぼれ落ちるのを結は見た。この地下の空洞全体がグラグラ小刻みに揺れている。トンネルの奥で土煙がたち、迫ってくるのが見えた。
「あれはなんだ?」
茂は言った。結たちはそろって目を細めた。
「崩れ落ちる! 早く乗れ!」
結は尊守の声にせかされて、賢暮に手を伸ばした。
「おい、どういうつもりだ」
茂は叫んだ。
「彼を置いてはいけない!」
「認めよう、私は間違っていたと」
地響きとともに砂が舞う。それでも賢暮は後ろに下がっていく。
「私がしたことは――あの人の、ためではなかった。自分のためだった」
「早く乗って!」
結は叫んだ。
「梶原茂、君の両親は無事だよ」
賢暮はポカンと口を開ける茂に告げた。
「いずれ、私の死が公表されれば、全てが明るみに出るだろう。私ができることはただ一つ」
賢暮は両手を天井に掲げた。
「死んでわびよう!」
「駄目!」
飛び降りようとした結の手を、誰かがつかんだ。結の叫びは後ろから差し迫る土煙と崩落の音に遮られた。あっという間に目の前が見えなくなり、砂がのみ込んだ。声もでず、息も苦しい。結は目を閉じたまま、必死にアリジゴクの毛につかまった。グングン引っ張ってくれるのが分かった。こんなに乾いた砂の中にいるのに、目元は湿っていた。
片方の手を、誰かが握ってくれていた。握ってくれなければ、今頃賢暮と一緒に崩落する土砂につぶされていた。結は真っ暗闇の中、力強く握ってくれる手を握り返した。
やっと空気が吸えたと思った時、そこはジメジメした洞窟でもなく、砂の中でもなかった。見慣れた地底世界の”空”が見えた。今、何時なのかも分からない。ただ、まだ夜なのは確かだ。結はそばで倒れたまま意識が朦朧とする尊守を見つけた。
「あぁ、尊守!」
結は砂を吐き出してヨタヨタそばに寄った。彼は薄っすらと目を開けた。
「結?」
「私の手を握ってくれていたのは、あなたね」
「ごめん」
はっきりと意思のある強い声で尊守は言った。
「俺は、人の命を比べた」
声が震えていた。尊守は泣き顔を伏せた。「最低だ。俺は、最低な人間だ。君は最後まで、あの男を助けようとしていた」
結は何か言おうとした。だけど、喉の奥につかえて出てこなかった。
「嫌だと思ったんだ」尊守は甲高い声で言った。「君があの男と道連れになるなんて」
「尊守が手を引いてくれなければ、私、死んでた。だから最低だなんて言うのはやめて」
茂は2人と少し離れた場所に横たわっていた。アリジゴクはいつの間にか姿が見えなくなっていて、結のポケットにはあの金の笛が入っていた。3人は身を寄せ合い、真っ暗な砂地の上で空を見上げた。みんな、何もしゃべらなかったが、1人の人間を地下に生き埋めにして自分たちだけが助かったという事実に、口が開かなかった。
死ぬのはつらい。痛い。死んでわびると最後に言った斉藤賢暮の声が、姿が、結の頭の中にいつまでも残っていた。彼が人を傷つけ、長い年月を費やして、それほどまでに手に入れたかった金の笛。新しい地底世界の未来。結にはそれが何だったのか分からずじまいだった。
3人の頭上を戦闘機のような音が通り過ぎていく。最初はメガネヤンマが通り過ぎていく音かと思ったが、どうやら本物のヘリコプターらしい。暗い夜の空にピカッと白い光が見えた。
「俺たちのことを捜してるんだよ。おーい! ここだ!」
尊守は立ち上がると気力を振り絞って叫んだ。けれども、上空から見れば3人は豆粒大の大きさにすぎない。捜索用の白い光は通り過ぎていった。
「ここ、きっと最初にいた場所だよね。だったら自力で歩いて戻ろう。かまくら道の近くみたいだし。ほら、向こうにイルミネーションが見える。きっとそこに、みんながいるはず」
正直、あんな遠くまで歩いて行ける気はしなかった。でも、いつまでもこんな所にいるわけにはいかない。結はぐったりする尊守と茂の手を引いた。誰だっていい、早く見知った顔を見たくて仕方なかった。とぼとぼ歩く3人は、やがて遠くから近づいてくる人影を見た。1、2、3……もっといる。懐中電灯の明かりが動いている。その明かりが3人を照らした。
「あそこに誰かいるぞ!」
暗闇の向こうで誰かが叫んだ。
たった今、賢暮はあのころ見た小さな子どもを前にしていた。
「ここが、私の諦めるべき所か」妙に落ち着き払って言った。「私には無理だった。私には、銀の笛を金の笛に変えることはできなかった」
ポロポロ天井から砂がこぼれ落ちるのを結は見た。この地下の空洞全体がグラグラ小刻みに揺れている。トンネルの奥で土煙がたち、迫ってくるのが見えた。
「あれはなんだ?」
茂は言った。結たちはそろって目を細めた。
「崩れ落ちる! 早く乗れ!」
結は尊守の声にせかされて、賢暮に手を伸ばした。
「おい、どういうつもりだ」
茂は叫んだ。
「彼を置いてはいけない!」
「認めよう、私は間違っていたと」
地響きとともに砂が舞う。それでも賢暮は後ろに下がっていく。
「私がしたことは――あの人の、ためではなかった。自分のためだった」
「早く乗って!」
結は叫んだ。
「梶原茂、君の両親は無事だよ」
賢暮はポカンと口を開ける茂に告げた。
「いずれ、私の死が公表されれば、全てが明るみに出るだろう。私ができることはただ一つ」
賢暮は両手を天井に掲げた。
「死んでわびよう!」
「駄目!」
飛び降りようとした結の手を、誰かがつかんだ。結の叫びは後ろから差し迫る土煙と崩落の音に遮られた。あっという間に目の前が見えなくなり、砂がのみ込んだ。声もでず、息も苦しい。結は目を閉じたまま、必死にアリジゴクの毛につかまった。グングン引っ張ってくれるのが分かった。こんなに乾いた砂の中にいるのに、目元は湿っていた。
片方の手を、誰かが握ってくれていた。握ってくれなければ、今頃賢暮と一緒に崩落する土砂につぶされていた。結は真っ暗闇の中、力強く握ってくれる手を握り返した。
やっと空気が吸えたと思った時、そこはジメジメした洞窟でもなく、砂の中でもなかった。見慣れた地底世界の”空”が見えた。今、何時なのかも分からない。ただ、まだ夜なのは確かだ。結はそばで倒れたまま意識が朦朧とする尊守を見つけた。
「あぁ、尊守!」
結は砂を吐き出してヨタヨタそばに寄った。彼は薄っすらと目を開けた。
「結?」
「私の手を握ってくれていたのは、あなたね」
「ごめん」
はっきりと意思のある強い声で尊守は言った。
「俺は、人の命を比べた」
声が震えていた。尊守は泣き顔を伏せた。「最低だ。俺は、最低な人間だ。君は最後まで、あの男を助けようとしていた」
結は何か言おうとした。だけど、喉の奥につかえて出てこなかった。
「嫌だと思ったんだ」尊守は甲高い声で言った。「君があの男と道連れになるなんて」
「尊守が手を引いてくれなければ、私、死んでた。だから最低だなんて言うのはやめて」
茂は2人と少し離れた場所に横たわっていた。アリジゴクはいつの間にか姿が見えなくなっていて、結のポケットにはあの金の笛が入っていた。3人は身を寄せ合い、真っ暗な砂地の上で空を見上げた。みんな、何もしゃべらなかったが、1人の人間を地下に生き埋めにして自分たちだけが助かったという事実に、口が開かなかった。
死ぬのはつらい。痛い。死んでわびると最後に言った斉藤賢暮の声が、姿が、結の頭の中にいつまでも残っていた。彼が人を傷つけ、長い年月を費やして、それほどまでに手に入れたかった金の笛。新しい地底世界の未来。結にはそれが何だったのか分からずじまいだった。
3人の頭上を戦闘機のような音が通り過ぎていく。最初はメガネヤンマが通り過ぎていく音かと思ったが、どうやら本物のヘリコプターらしい。暗い夜の空にピカッと白い光が見えた。
「俺たちのことを捜してるんだよ。おーい! ここだ!」
尊守は立ち上がると気力を振り絞って叫んだ。けれども、上空から見れば3人は豆粒大の大きさにすぎない。捜索用の白い光は通り過ぎていった。
「ここ、きっと最初にいた場所だよね。だったら自力で歩いて戻ろう。かまくら道の近くみたいだし。ほら、向こうにイルミネーションが見える。きっとそこに、みんながいるはず」
正直、あんな遠くまで歩いて行ける気はしなかった。でも、いつまでもこんな所にいるわけにはいかない。結はぐったりする尊守と茂の手を引いた。誰だっていい、早く見知った顔を見たくて仕方なかった。とぼとぼ歩く3人は、やがて遠くから近づいてくる人影を見た。1、2、3……もっといる。懐中電灯の明かりが動いている。その明かりが3人を照らした。
「あそこに誰かいるぞ!」
暗闇の向こうで誰かが叫んだ。
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