また、猫になれたなら

秋長 豊

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55、去り行く白猫

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 屋敷の中をブラブラ歩いていると、鈴音と条作は口げんかしながらまだ荷物の整理をしていた。悟郎の部屋は、ふすまが開け放たれもぬけの殻になっていた。空雄は急いで屋敷の中を捜し回った。境内をひたすら走って捜しても、彼の姿はどこにも見つからなかった。

 空雄は石段から見下ろして気付いた。悟郎が階段の中腹を歩いていた。

「悟郎さん!」

 悟郎は立ち止まった。空雄の声に気付いた流太たちが外に出てきた。空雄は悟郎の数歩前まで石段を下り近づいた。

「何も言わず行ってしまうなんて、ひどいじゃないですか」

 にゃんこ様と最後に会話した時もそうだった。悟郎はどこか無関心で、冷めた目をしていた。戦いが終わった時、あんなに笑ってくれたのに。

「悟郎さん!」

 空雄はバッと悟郎の手を握った。

「さよならだけじゃ、ないですよ。別れって」

 まばたきも忘れ、悟郎は空雄を見上げた。

「また、会いましょう」

 階段の上からにぎやかな声が下りてきた。鈴音は階段を駆け下りてくるなり、押しつぶす勢いで悟郎と空雄を抱き締めた。そこへ条作と麗羅も加わり、悟郎はもみくちゃになった。流太は加わらず、そんな5人の様子を愉快そうに眺めていた。みんなの重みになんとか顔を出しながら、悟郎は恥ずかしそうに頰を赤く染め、子どもみたいにふにゃっと笑った。

 鈴音は麗羅とほほ笑み合った。流太は尻もちをついたままの悟郎に手を差し出した。悟郎は手を握り返し、立ち上がった。

「いくんだね」麗羅はさみしそうに言い、急にぐすっとなった。「今までありがとう。ずっと、ずっと、忘れない」

 悟郎は手を振った。あとはもう、振り返ることなく一歩一歩、石段を下りていった。空雄は悟郎の後ろ姿が見えなくなるまでみんなと一緒に見送っていた。

 急に物悲しい気分になる。でも、彼も人間に戻り普通の生活に戻ることで幸せを取り戻せるのなら、うれしい気持ちにもなれた。

 最後の夜、空雄たちは居間で最後の夜ご飯をともにした。悟郎が先に家に帰ったことでどこかしんみりとした空気が流れていたが、鈴音が気を使っていつも以上に明るく話を盛り上げてくれた。

「空雄くんは、明日どうするの?」

 猫缶を食べているところで鈴音が尋ねた。

「母が車で迎えにきてくれるって」

「優しいお母さんだね」

「鈴音さんは?」

 聞き返してみると鈴音はポリポリ頰をかいた。

「私も帰る。親は迎えにきてくれないけど、行き先なら、ちゃんとあるから」

「そうですか」

 空雄の言葉に鈴音は笑んだ。

「条作さんは?」

 空雄は聞いた。

「俺は会いたい人がいる。夜明け前にはここを出るかな」

「朝になってからでもいいんじゃ」

「朝が来る前がいいんだ」

 条作ははっきりと強い意思を示しながら言うので、空雄はそれ以上何も言わなかった。そうだ、肝心の流太はどう
するのだろう。隣を見ると、彼はおいしそうにミルクをすすっていた。

 にぎやかに夜の時間は進み、散々飲んで食べた5人は居間でのんびりした。こんなふうに、何げない会話をしなが
らいる時間は幸せだった。午前2時を回ったところで流太は先に席を外し、自分の部屋に戻った。空雄はしばらく鈴音たちと話をしてから自分の部屋に戻った。隣をのぞくと、流太はただあおむけになって目を閉じていた。隣に座ると彼はパチッと目を開けた。

「すみません、起こしちゃいました」

「どうした」

 空雄は正座を崩し膝を抱えた。

「聞いてなかったなって」

「なにが?」

「明日、どうするんですか? 流太さんは」

「ここにいる」

 予想外の返答に空雄は驚いた。人間の姿に戻れるのに、あまりにも味気ない言葉だった。でも、思えば流太には家族がいない。帰る家が、ない。

「麗羅さんは?」

「麗羅もここに」

「じゃあ、俺の方が先に神社を出ることになりますね」

 しばらく2人は無言だった。

「――俺、人間に戻ったら、何をしたいか考えてたんです」

「どんなこと?」

「俺の夢、いつか自分の喫茶店を持つことなんです。店を始める前に、勉強しないといけませんけど」

「いい夢だ。店の名前は?」

「そんな早計な。まだです。コンセプトも決めてませんから」

「そう」

「なんなら、流太さんに店のコンセプト、考えてもらおうかな」

 空雄は冗談半分で言ったつもりだったのに、流太は二つ返事した。まさか、本気で言っているのだろうか。流太の顔はド真面目だった。

「流太さんは、人間に戻ったら何をしたいですか?」

「桜が見たい」

「それだけ?」

 空雄はずっこけそうになった。

「もっとこう、ご褒美においしいもの食べたいとか。どかんと派手なことがしてみたいとか!」

「今は思いつきそうにないんだ」

 静かに言う流太を見ていたら、自分だけがうかれているみたいで急に恥ずかしくなった。そこへ条作がやってきた。

「もう行くよ」

 空雄たちは麓まで下り、鳥居の前で条作を見送った。彼は別れ際もあっさりしていてお気楽だった。最後は「じゃあ!」とだけ言って見えなくなった。

「空雄、少し眠った方がいい。猫戦士から人間のサイクルに戻るんだ、夜更かしは体にこたえる」

 部屋に戻るなり流太は言った。

 少し興奮し過ぎたか。空雄は反省してごろんと流太に背を向けた。初めて猫神社に連れて来られた日のこと、石井道夫と鳥居の前で遭遇した時のこと、町に出ていろんな出来事に出くわしたこと。数々の記憶が懐かしい記憶として頭の中を横に流れていった。当時は先の見えない未来に希望を失いかけていた。一生このまま、猫戦士として生き続けなくてはならないと、覚悟したこともあった。でも、目的は達成された。もうこれで安心してぐっすり眠れる。恐れるものは、何もない。

 空雄は静かに目を閉じた。再び目を開けた時、そこには待ち望んでいた未来があるはずだ。満足した心で空雄の意識は徐々に遠ざかっていく。背中合わせに、信頼できる流太がいる。その存在を感じながら、空雄は眠りに就いた。

 いろんなことがあったせいか、奇妙な夢を見た。暗闇の中に自分だけがいて、突然真っ白な猫が現れた。黄色と水色のオッドアイ。猫は、にゃーと1回鳴いてスタスタ遠くに去って行く。「待って」そう言おうとしたところで目を覚ました。

 寝ぼけ眼で体を起こすと既に流太はいなかった。屋敷のどこかにいるはずだ。空雄はふわぁと大きなあくびをしたところで気付いた。髪が黒い。驚いて自分の髪を引っ張ると、間違いなく黒かった。人間の耳もある。鼻の高さは元に戻っている。しっぽもない。

 空雄は眠気などすっ飛ばして廊下を駆け居間に滑り込んだ。

「流太さん!」

 彼は寝そべって新聞を読んでいた。

「どうした」

「耳が! しっぽが! 元に戻りました!」

 新聞から顔を上げた流太は空雄の顔を見て固まった。

「見てください! すっかり元通りです! 俺、人間に戻れたんです!」

 驚く流太の顔を見ると、彼もまた耳としっぽがなかった。石井道夫に切られ憑依が抜けた時もそうだったが、顔が人間らしい形になっていた。
「流太さんも?」

「戻ったよ」

 にっこり笑って流太は言った。

「よかった!」

 空雄は飛び上がって喜んだ。

「人間に戻れたんだな、空雄も」

「はい!」

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