名切り同盟

秋長 豊

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13、初めての給料

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「有之助様、早く」

 白知丸の言葉をのみこむことはできなかった。母を路地裏にごみ同然の扱いで捨て、自分を踏みつけにし、これまで数えきれないほど殴られてきた。そんなやつを、たった一度、家族を思い、殴ったことで処刑された兄。その一発と、この男が積み重ねてきた悪行の数々――そこに、どれだけの”差”があるのか、有之助は怒りと悔しさで逃げるという選択肢を選ぶことはできなかった。

 目の前の男は罰も受けずに、のうのうと生きている。

「お前がしたことは絶対に許さない」

 宝屋の前に出て言うと、彼は有之助の手をガシッとつかみ、ひねりつぶすような力を込めた。 

「やはりここにいたか。知らない間に誰か別の主人がお前を買ったらしいな。まだ除籍もしていないのに、どこの不届きものだ。母親はどうした、死んだか? さぁ来い、お前はまだ私の物だ」

「その手を離せよ!」

 ついに我慢できなくなった白知丸が大声で叫んだ。

「そんなふうに乱暴するやつは、どんな使用人だって不幸にするんだ。俺には分かる、お前には使用人を雇う資格なんてない」

「ここの店員か。礼儀がなってない! 無礼極まりないぞ」

 花は前の主人だと察したのか前に出てくると強気な目で宝屋を見た。

「その子にはもう、新しい主人がついております」

「なら、その主人とやらを呼べ。ばかでかい屋敷に住んでいるだけに、相当な金持ちとは見えるが、どんな面をしている。この際だ、話をさせろ。人の物を許可なく奪うなど許せん」

「次男さんはあなたとは面会いたしません。契約はもう終了していますから」

 宝屋はテーブルをガッシャーンとひっくり返した。店内にいた客たちが怯えるのを見て、白知丸は素早く彼らを外に誘導し始めた。

「生意気な女だ! どうせ金のない見え張りの人間が買ったんだろう? この屋敷も、店も、偽物なんだろう」

 宝屋は何回も有之助をたたいていた癖があったので、ここでもまたパシリとたたいて有之助を床に倒した。

「やめなさい」

 花は鋭く目を細めて忠告した。

「私の力があればこんな店などすぐにつぶしてしまえる」

 時計の針が12時45分をさした。店の扉が開いて次男が入ってきた。彼はいつもこの時間帯に店で昼食をとってから仕事に出掛ける。もちろん、このタイミングで居合わせたのも偶然に他ならなかったが、今は都合がよかった。

「有之助、お前に――」

 次男は床に散乱する横倒しになったテーブルや備品を見つけ、言うのをやめた。そこで宝屋を見つけると真っすぐ進んでいった。

「出て行ってもらおう」

 いくら次男とはいえ宝屋の方が身長が上だし体格もいい。涼しい顔をして言う次男を見た宝屋は自尊心を傷つけられでもしたように顔を真っ赤にした。

「ふざけやがって! 有之助を買ったという主人を呼べ!」

「主人なら俺だが」

「は? 笑わせるな」

 宝屋は大股で次男に歩み寄ると彼の腕をグッと引いた。しかしそこで宝屋の余裕はなくなった。いくら引いても岩みたいにびくともしないのである。

「あぁ、お前が使親子の元主人か」

「元だと?」

「協会は親子の処刑を兄同様望んでいたようだ。お前との契約はその時点で消滅している。だから俺が取引して新たに契約した。ただ、それだけのこと」

「黙って聞いていれば――」

 押し出したはずの宝屋の右手は空を切り、次男の姿がパッと素早く動いた。宝屋の腹に次男の痛烈なパンチが炸裂し、大きな体が軽々と宙を舞う。情けない格好をさらした宝屋は口を震わせて後ずさりした。

「それともなんだ、お前も俺に買われたくて来たのか」

 すさまじい圧を感じ取った宝屋は大慌てで店を出て行った。ポカーンと口を開ける有之助の前に来ると次男は茶封筒を手渡した。

「今月分の給料だ」

「僕に?」

「不服か」

「いえ」有之助は熱くなる目をこすって言った。「うれしい。すごく、うれしいんです」

「泣き虫だな」

「だって、分からなかったから。働いてもらうお金が、こんなにうれしいものだなんて」

 次男はかすかに口元を緩めた。

「そうか」
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