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18、夢
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母が使っていた屋敷の部屋で本を読んでいると、急にふすまのおくでカリカリする音がしたので開けてみた。灰色猫の葉牡丹がぬるりと体をくねらせて器用に隙間から入ってきた。ニャーと鳴いて有之助にすり寄ると、のんきに寝そべって腹を見せた。
「お前は気楽でいいよな」
チラッとふすまの奥をのぞいてみると、長い廊下が続いていた。確か廊下の向こうは次男の部屋があるはずだ。
「葉牡丹、普段は次男さんの部屋にいるんだな? 今日は家出でもしたのか」
本を片手に寝そべりながら頭をなでていると、心まで猫に吸い寄せられそうになり、危うく集中力が途切れそうになった。猫とは隣にいるだけでここまで破壊的な誘惑があるのか。恐ろしい。
理由は分からないが、事務所の棚には図書館に匹敵するほどの医学本が並べられていた。町の図書館とも合わせ、地道な原因究明に勤しんだ。
軽いけがはよくやったが、足を骨折したこともあった。そんな時は、治るまで仕事を休み、屋敷の部屋で本を読んで過ごした。葉牡丹がふすまをカリカリするのも相変わらずで、時々脱線して猫じゃらしで遊んでやることもあった。
「有之助さん、今日もお勉強ですか」
「花さん」
お茶を運んできてくれた花を見て、有之助は分厚い本から顔を上げた。
「なにか新しい発見はありましたか」
「そう思って探してはいるんですけど、なかなか。どうして脚が動かなくなったのか、声が出なくなったのかも、分からないんです」
うつむく有之助に花はそっとお茶を出した。
「そりゃあそうですよね、医者だってお手上げなんですから。僕なんかに――」
「あなたはよく頑張っています」
そっと、ささやくような声で花は言った。
「仕事をして、お母様のお見舞いに行って、鍛錬をする。それだけで十分立派です」
「まだ、足りないんです」
山積みになった本を見つめ、有之助は静かに言った。
「豊さんがあなたのことを褒めていましたよ」
「え?」
「あなたの太刀筋がいいと」
誰かに褒められるのはうれしい。直接言われるのもうれしいが、第三者から聞かされるのはもっとうれしかった。
「有之助さん!」
ふすまがパッと開いてキラキラ目を輝かせる白知丸が入ってきた。彼はお盆の上に載せた茶菓子を差し出すとニッコリほほ笑んだ。
「おけがの調子はどうですか? これ、俺と花様で作った茶菓子なんです。よかったら召し上がってください」
みたらし団子に桜餅、練り菓子、普段お店で出しているものとは違い、アレンジが加えれていた。
「わぁ、すっごくおいしそうだよ。ありがとう!」
感想を聞きたそうに待っているので、有之助は菓子を一口食べてうなずいた。「うまい」
「へへっ、よかったぁ」
「本当に上手だなぁ。もしかして、新しいメニューにするんですか?」
「有之助さんがおいしいと言ってくれたので、考えてみてもいいかもしれませんね。――あら、葉牡丹。いつも有之助さんのところにいるんですね。あまり邪魔してはいけませんよ」
「いいんです、見ているだけで癒されるので」
脚の骨折が治ってから、有之助は行きつけの図書館に本を返しに行った。医学関連の本棚が並ぶ奥へ行くと、きょうに限って4人の男たちがたむろしていた。
嫌な雰囲気だった。彼らはなぜこちらを見てくるのだろうか? 気にしないふりをして本を返却していると、その中で一番背の高い男がわざとぶつかってきた。
「お前、商屋に雇われてる使用人だろ? 実はさぁ、ずっと前から会いたいと思ってたんだよね、君に」
このねっとりした言い方、敵意のある目、間違いない、待ち伏せしていたのだ。
「商屋次男を知ってるだろ」
「それがどうしたんだ」
不愛想に目を細めながら有之助は言った。
「俺たちはなぁ、名切り同盟を心底恨んでるんだ。あんなふざけたものを広めやがったせいで、関係のない俺たちの地位まで脅かされる。商人は商人らしくその仕事だけをしていればいいんだ。お前もあの男に影響されてお医者さんごっこか? くだらない」
背の高い男は苛立たしい目で笑った。
「なにが言いたい。当てつけか」
「勉強なんかして、なんの意味があるってんですかねぇ。そんな資格どこにもありはしないのに、お前たちには」
背の低い太った男が後ろでニタリと笑った。
「次男さんは関係ない。これは僕が好きでしていることだ」
「知らないのか。あいつはな、医者になりたかったんだ」
有之助の頭の中には、事務所の棚を埋め尽くす医学書が浮かんでいた。次男が医者になりたかったのであれば、合点のいく話ではある。
「諦めたのさ。どういう意味か分かるだろ? あいつは名切り同盟の頭なんて大層ご立派な名前を持っちゃいるが、結局国には歯も立たない。夢なんて持つからいけないんだ」
「正直、僕は次男さんのことは半分も知らない。でも、僕と母さんを助けてくれた。命の恩人なんだ。医者になりたかった、そう思っていたのなら、僕は全力で肯定する。次男さんの夢を笑うな」
有之助は床に落ちた本を拾い集め、男たちを見上げて言った。
「いいな、お前」
男は本を拾う有之助の手を踏みつけた。
「いっ!」
「ここは医療関係者が借りるための棚なんだよ。医者にもならないやつが借りてんじゃねぇ。お前のしてることは全部無駄なんだよ、無駄」
背の高い男は有之助から本を取り上げると怒鳴った。男たちの手についた刻印を見た途端、有之助は信じられない思いで目を見開いた。「医者、なのか?」
震える声で尋ねると、背の高い男は眉間にしわを寄せた。
「手の刻印を見れば分かるだろ」
心に蓄積された怒りと悔しさは同情に変わった。彼らもまた、平等に仕事を選べない運命なのだ。
「もう二度とここには来るな」
男は本の角で有之助の頭をたたきながら言った。「お・ば・か・さ・ん」
「嫌だ」
背の高い男は舌打ちした。
「やっぱり底辺は頭が悪いなぁ。一度言っただけじゃ分からないみたいだ。これだから学がないやつは」
「嫌だって言ってるだろ!」
今度は大きな声で言った。
「次男さんをばかにするな。医者は素晴らしい仕事だ。いい先生だってたくさんいる。でも、それを目指すあなたは尊敬できない。僕が雇う側なら、一緒に働きたいとは思わない。絶対に」
嫌らしい笑みを浮かべていた男たちはあっけにとられ、互いに弱気な目くばせをし、背の高い男に判断をゆだねようとした。背の高い男は笑顔を消すと、3人に目で合図した。
「お前は気楽でいいよな」
チラッとふすまの奥をのぞいてみると、長い廊下が続いていた。確か廊下の向こうは次男の部屋があるはずだ。
「葉牡丹、普段は次男さんの部屋にいるんだな? 今日は家出でもしたのか」
本を片手に寝そべりながら頭をなでていると、心まで猫に吸い寄せられそうになり、危うく集中力が途切れそうになった。猫とは隣にいるだけでここまで破壊的な誘惑があるのか。恐ろしい。
理由は分からないが、事務所の棚には図書館に匹敵するほどの医学本が並べられていた。町の図書館とも合わせ、地道な原因究明に勤しんだ。
軽いけがはよくやったが、足を骨折したこともあった。そんな時は、治るまで仕事を休み、屋敷の部屋で本を読んで過ごした。葉牡丹がふすまをカリカリするのも相変わらずで、時々脱線して猫じゃらしで遊んでやることもあった。
「有之助さん、今日もお勉強ですか」
「花さん」
お茶を運んできてくれた花を見て、有之助は分厚い本から顔を上げた。
「なにか新しい発見はありましたか」
「そう思って探してはいるんですけど、なかなか。どうして脚が動かなくなったのか、声が出なくなったのかも、分からないんです」
うつむく有之助に花はそっとお茶を出した。
「そりゃあそうですよね、医者だってお手上げなんですから。僕なんかに――」
「あなたはよく頑張っています」
そっと、ささやくような声で花は言った。
「仕事をして、お母様のお見舞いに行って、鍛錬をする。それだけで十分立派です」
「まだ、足りないんです」
山積みになった本を見つめ、有之助は静かに言った。
「豊さんがあなたのことを褒めていましたよ」
「え?」
「あなたの太刀筋がいいと」
誰かに褒められるのはうれしい。直接言われるのもうれしいが、第三者から聞かされるのはもっとうれしかった。
「有之助さん!」
ふすまがパッと開いてキラキラ目を輝かせる白知丸が入ってきた。彼はお盆の上に載せた茶菓子を差し出すとニッコリほほ笑んだ。
「おけがの調子はどうですか? これ、俺と花様で作った茶菓子なんです。よかったら召し上がってください」
みたらし団子に桜餅、練り菓子、普段お店で出しているものとは違い、アレンジが加えれていた。
「わぁ、すっごくおいしそうだよ。ありがとう!」
感想を聞きたそうに待っているので、有之助は菓子を一口食べてうなずいた。「うまい」
「へへっ、よかったぁ」
「本当に上手だなぁ。もしかして、新しいメニューにするんですか?」
「有之助さんがおいしいと言ってくれたので、考えてみてもいいかもしれませんね。――あら、葉牡丹。いつも有之助さんのところにいるんですね。あまり邪魔してはいけませんよ」
「いいんです、見ているだけで癒されるので」
脚の骨折が治ってから、有之助は行きつけの図書館に本を返しに行った。医学関連の本棚が並ぶ奥へ行くと、きょうに限って4人の男たちがたむろしていた。
嫌な雰囲気だった。彼らはなぜこちらを見てくるのだろうか? 気にしないふりをして本を返却していると、その中で一番背の高い男がわざとぶつかってきた。
「お前、商屋に雇われてる使用人だろ? 実はさぁ、ずっと前から会いたいと思ってたんだよね、君に」
このねっとりした言い方、敵意のある目、間違いない、待ち伏せしていたのだ。
「商屋次男を知ってるだろ」
「それがどうしたんだ」
不愛想に目を細めながら有之助は言った。
「俺たちはなぁ、名切り同盟を心底恨んでるんだ。あんなふざけたものを広めやがったせいで、関係のない俺たちの地位まで脅かされる。商人は商人らしくその仕事だけをしていればいいんだ。お前もあの男に影響されてお医者さんごっこか? くだらない」
背の高い男は苛立たしい目で笑った。
「なにが言いたい。当てつけか」
「勉強なんかして、なんの意味があるってんですかねぇ。そんな資格どこにもありはしないのに、お前たちには」
背の低い太った男が後ろでニタリと笑った。
「次男さんは関係ない。これは僕が好きでしていることだ」
「知らないのか。あいつはな、医者になりたかったんだ」
有之助の頭の中には、事務所の棚を埋め尽くす医学書が浮かんでいた。次男が医者になりたかったのであれば、合点のいく話ではある。
「諦めたのさ。どういう意味か分かるだろ? あいつは名切り同盟の頭なんて大層ご立派な名前を持っちゃいるが、結局国には歯も立たない。夢なんて持つからいけないんだ」
「正直、僕は次男さんのことは半分も知らない。でも、僕と母さんを助けてくれた。命の恩人なんだ。医者になりたかった、そう思っていたのなら、僕は全力で肯定する。次男さんの夢を笑うな」
有之助は床に落ちた本を拾い集め、男たちを見上げて言った。
「いいな、お前」
男は本を拾う有之助の手を踏みつけた。
「いっ!」
「ここは医療関係者が借りるための棚なんだよ。医者にもならないやつが借りてんじゃねぇ。お前のしてることは全部無駄なんだよ、無駄」
背の高い男は有之助から本を取り上げると怒鳴った。男たちの手についた刻印を見た途端、有之助は信じられない思いで目を見開いた。「医者、なのか?」
震える声で尋ねると、背の高い男は眉間にしわを寄せた。
「手の刻印を見れば分かるだろ」
心に蓄積された怒りと悔しさは同情に変わった。彼らもまた、平等に仕事を選べない運命なのだ。
「もう二度とここには来るな」
男は本の角で有之助の頭をたたきながら言った。「お・ば・か・さ・ん」
「嫌だ」
背の高い男は舌打ちした。
「やっぱり底辺は頭が悪いなぁ。一度言っただけじゃ分からないみたいだ。これだから学がないやつは」
「嫌だって言ってるだろ!」
今度は大きな声で言った。
「次男さんをばかにするな。医者は素晴らしい仕事だ。いい先生だってたくさんいる。でも、それを目指すあなたは尊敬できない。僕が雇う側なら、一緒に働きたいとは思わない。絶対に」
嫌らしい笑みを浮かべていた男たちはあっけにとられ、互いに弱気な目くばせをし、背の高い男に判断をゆだねようとした。背の高い男は笑顔を消すと、3人に目で合図した。
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