星物語

秋長 豊

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第1章 蛙里の日常

06、センクオードより

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 ガーマアスパル一家が夜逃げしてから10年が過ぎた。

 黄金色の浮遊機センクオードが空を切り裂くように飛んでいる。船内では、ラサシン|ジオノワーセンが大きなあくびをかいていた。

 彼は緩んだ顔を引き締めコックピットへ向かう。
 上司のダフ|アムレイが前方に広がるキャンバロフォーンを眺めているところだった。

 キャンバロフォーンは大地の国アマクで7割以上の面積を占め自生している鉄木の原生林だ。五大キャンバロフォーン(東、西、南、北、中央)という区切りで大分されている。

 ジオノワーセンは助手席に飛び乗ってシートベルトを締め双眼鏡を引っ張った。

 彼のわし鼻が立派なことと言ったら、本物のワシも驚くほどそれは見事な弓なりだった。首はツルのようにほっそりと長く、顎の先は芸術的なとんがり方をしている。いたずら好きがそのまま顔に染みついたような笑い方をするのも特徴の一つだった。

「目的地、本当に合ってる?」

 操縦席に座るアムレイはジオノワーセンの指摘にけげんな顔をした。

「私はどこかの方向音痴とは違うのだぞ」

 アムレイは“どこかの”で視線を横に向けた。

「地図上レーダーに100パーセント間違いはない」

「それで、その頭の良いレーダーはなんて?」

 アムレイは大きな鼻からフンと息を漏らした。彼の目は右側の方が大きく、左側は細くまぶたの重みでつぶれている。しわでデコボコした額は熱冷まし用のシートが二枚は貼れるくらい広かった。

 ある時、額のしわにつまようじを差し込まれるという事件が発生したが、それは紛れもないジオノワーセンの悪ふざけであった。だから、彼は平たんな額に憧れているのだ。

「目的地まではあと、3モスロか」

 ジオノワーセンはメーターを読んだ。彼は引っ張った双眼鏡を鼻に掛けたまましばらくキャンバロフォーンを眺めていた。景色はずっと変わらない。やがて飽きたのか、数分もしないうちに双眼鏡を元に戻した。 

「大地とはいいものだなぁ、ジーオ」

 アムレイは地平線のかなたから差し込む太陽の光を見て言った。

「確かに。海底にあるブルワスタックという国には日没という概念すらないからね。常識なんて一歩外に出れば通じないなんてよくあることさ。まさに三大国の神秘ってやつだ」

 2人は大地の国に暮らすアマク人だ。地平線に沈む夕日を見て、大地に根付く巨大な木々を見て、そこに深い郷愁を感じる。

 やがて日が沈み、夜が訪れた。暗闇に目が慣れてくると、宝石をちりばめたように美しい星空が広がった。アマクの夜空を突っ切る浮遊機のセンクオードは緩やかな飛行を続け、静かな森に風と音だけを残していった。

「あれからもう10年か」

 ジオノワーセンはふと現実に戻って言った。目的地が近づけば近づくほど、2人の心には迷いが生じていく。彼らはある重大な任務を言い渡されているのだ。

「大樹堂の安全神話などもろいものだ。そうは思わんか」

「あぁ、前回の事件でハッキリ分かったよ。ゴドランがジリー軍の新しい王になり、妻のルダは極めて怪しい死を遂げ、多くの役人が裏切られ、虐殺され、市民も巻き込まれた。何百人もの人が犠牲になり役所内では責任のなすり付け合い、民は怒り、不信感を募らせている」

「信頼とはそういうものだ。積み上げるのに時間はかかっても、崩すのには時間はかからない」アムレイは答えた。

「呪われた王様。英雄と呼ばれた人間が、そんな大そうな冠をかぶることになるとはね。ゴドランの地位ともなれば、反乱なんて起こさずとも王様のようになれたのに」

 アムレイはその名前を聞いたとたん、苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「彼はわれわれの敵だったな」

「裏切り者はだいぶ一掃されたとは思うけど、まだ残っているのかもね」

「人は見かけだけじゃ分からない」

 10年前に起こったアマク史上最悪の事件「大樹堂内部大反乱」について、事の真相を知る人物はごくわずかだ。だとすれば、シクワ=ロゲンはまた同じ過ちを繰り返すかもしれない。

「ゴドランはブユの暴走を起こそうとしているんだろう?」

 ジオノワーセンは聞いた。

「ブユの暴走とは、あれか。三大界の守護者が守る鍵を集め、扉を開くことによって世界に破壊をもたらすとかいう、現実味のない話か」

「説得する側がそんなこと言ってどうするのさ」ジオノワーセンは肩をすくめた。

「そもそも、反乱の現場も見ずになにを想像しろと? エスパーにでもなれと言うのか」

「俺たちは与えられた仕事だけをしていればいいのさ」

 ジオノワーセンは脚をブラブラさせながら言った。

「あの事件から10年が過ぎた今も、事件の真相は謎に包まれたままだ」

 アムレイは言った。

「はあぁ、面倒なことは全部俺たちに押し付けるんだ! シハンは一体どこに消えたんだか」

「そうカリカリするんじゃない、ジーオ。私たちにしてみれば、この上なく平和で退屈な時間だったじゃないか」
 アムレイの言葉にジオノワーセンは驚き、次の瞬間皮肉めいた笑みをこぼした。

「世の中が平和だと?」

 2人はコックピットの操縦席に肩を並べ、思わず噴き出した。

 アムレイとジオノワーセンは秘密議会七・七・七で初めてペアを組んで以来、ずっと任務をともにしてきた仲だ。七・七・七というのは(表社会を牛耳るといわれる)三大界平和議会が所有する秘密議会のことだ。

「使節団の連中は俺たちのことを歓迎していない」

「好かれたいのか」

「別に」

「エム=ビィは私たちのことを歓迎してくれたじゃないか」

「あれは単なる人工知能だ」

 ジオノワーセンはくぎを刺すように言い返したが、天井から声が降ってこないことにあんどした。エム=ビィはシクワ=ロゲン使節団が所有する大型ロラッチャーに組み込まれている高性能人工知能で、人間のように多くの感情を持つ。でも、このセンクオードにはいない。

「私には理解できないことがある」
 ふとアムレイは言った。
「反乱のせいで使節団は壊滅したも同然だった。一時は再建すら不可能とも言われていたが、10年目にしてようやく使節団が再結成されようとしている。しかし、そうまでして守り続ける必要があるのだろうか?」

「シハンが存続の意向を俺たちに残したのは、なにも身の保身だけではないはず。恐らく、エシルバ|スーの受け口としても、完全廃止するわけにはいかなかったんだよ」

 ジオノワーセンは言った。

 アムレイはゆううつな表情になった。

「残酷過ぎる世界だな。たとえ世界一のサポートを受けられる環境だとしても、彼がやっていけるのかどうか疑問に思う」

 2人はそろって苦い顔をした。

「ジグはエシルバの意思を尊重したいそうだよ」

 途中で任務と矛盾する点に気付いたジオノワーセンは黙り、話を振り出しに戻した。「俺たちの任務は、アマクから発付された強制送還令状を使い、エシルバ|スーをアマクの首都ロッフルタフまで連れていくことだ。彼の気持ちは分かるけど、それじゃあ時間がかかる。エシルバが拒絶すれば力を使うことも考えないと」

「それは駄目だ」アムレイは言った。

「どうして?」

「一見理不尽にも思える権限の行使だが、そこには条件というものがある。ジグの言うとおり、彼の意思に沿えるようにするさ」

 センクオードは徐々に高度を下げていき、眼下にはキャンバロフォーンが迫力を増して広がった。2人は何年も仕事をともにしてきた護衛のプロだったが、今回ばかりは乗り気でなかったし、できればキャンセルしたいというのが本音だった。そう、その心中は“放っておいてあげたい”というものだ。

 エシルバは蛙里かえるざとという場所で暮らしている。そもそも、半月前までは彼が生きているのかも不明だった。

 10年もの間安否が分からなかったが、ある情報が寄せられたことで彼の存命が判明した。レブニ島という小さな島の病院で働く一人の医師から、一本の電話を大樹堂病院側が受け取ったのだ。「難病の子どもがいるからそちらで精密検査をさせてほしい」――と。

 血眼になって彼のことを捜していた政府にとって、これほど運のいいことはなかった。

 問題なのは、エシルバが自分の父親についてどこまで知っているかということだった。ゴドランがかつてどんな偉業を成し遂げ、どんな最後を迎えたのかを知らないだろう。何も知らないまま里で平和な日々を送っていればよかったはずなのに……

 そうはいかない問題がこのような任務を発案させ、2人を派遣させた。その問題とやらは非常に複雑で、三大界に所在する三国をも巻き込む重大事項となるものだった。だから、2人は国家の命令の下こうして動いている。

 どこか沈んだ空気のコックピットに新しい風が吹いた。

 自動ドアが開閉し、灰色のローブに頭から足先まですっぽりと身を包んだ長身の男が現れた。

 もう一人の乗船者であるこの男は、2人の同行者でこの任務のいわばキーパーソンだ。

 顔は包帯まみれで、唯一のぞくパッチリと開かれた目からは、物怖じしない眼光が放たれている。

 足の動き、手の動き、立ち止まり方、そのすべてに落ち着きがあり無駄がない。この男がジグ|コーカイスだと言えば、世界中の人が感嘆するだろう。

 なぜなら、彼はてっきり死んだと思われていた男だからだ。彼は10年前、反乱最中の爆発事故に巻き込まれ生命の危機に陥った。しかし、世界的外科医の手術によって奇跡的な生還をとげた。

 そのことを知る2人は、奇跡にも近い彼の復活劇に驚嘆し、目の前に立つ男から並々ならぬ気概を感じ取った。

 アムレイとジオノワーセンが彼の安否を知ったのはこの任務を任されるたった1ケ月前のことだ。それまでは彼が生きているのか、死んでいるのか、生きているとしたらどこで何をしているのか? 彼となじみ深い使節団の団員ですら分からない者が大半だった。シハンはとんでもないシークレットを隠していたということになる。

 ジグ|コーカイスはアマク使節団のなかでも若くして成功したパナン=シハンだった。顔もハンサムで頭はきれるし、慈悲深い一面がある。

 そんな彼には、死んだとされている現在でも熱烈なファンが存在しており、生存説やら逃亡説やらを唱えて生きている証拠をかき集める者もいるくらいだ。

 アムレイは包帯の下にある彼の顔がどうなっているのか気になったが、それを聞くのは失礼甚だしいというものだ……。 

「ずっと操縦させてしまって悪いね」

 ジグはそう言って手持ち無沙汰にコックピット内部を見渡した。ふと、彼の陰に隠れていたキャスターロボが前に出てきた。ジグはロボから大きな荷物を受け取ると、帰るように指で指示した。

「大した苦労はない」アムレイが言うや否や、ジグは操縦席の操作盤にくぎ付けになって彼の肩ほどまで近寄り座席に手をついた。その目は複雑なスイッチや回線を追い掛け、レーダーに映るリアルタイムの情報に引き込まれていた。

 そばにいたジオノワーセンは彼からドシッと重い荷物を受け取り、顎を引きながら眉をひそめた。

「お菓子だよ。お土産が必要だと思って買ってきたんだ。もちろん君たちの分も」

 ジオノワーセンはランダムでチェリーとリンゴのソルイヤをつかむと、チェリーの方をアムレイにパスした。“ニセブ店”と書かれたラベルを見たアムレイは驚いた。

「ロッフルタフで半年は予約が取れない有名な店だ」

 ジオノワーセンはソルイヤをかじりながらアムレイの話に相づちを打った。

 なるほど、確かにこれは高級な味がする。短いお茶の時間が過ぎると、アムレイは自動操縦から手動操縦に切り替えた。

 3人の目の前には、白い岩肌がむき出しになった島が見えた。レブニ島だ。あの島に今回の目的地“蛙里”がある。

「実はまだ心の準備ができていなくてね」
 ジグの声は落ち着いているように聞こえたが、どうやらそれは本心のようだった。

 ジオノワーセンがうなずいた。
「エシルバは今年で10歳を迎えるそうですが、誰にも彼に会っていませんからね。ガーマアスパル夫妻と蛙里の住人だけが彼のことを知っています」

「まったく、捜すのに苦労したな」

 アムレイは仕事人の目に変わって、操縦桿を強く握りしめた。
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