星物語

秋長 豊

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第5章 動き始めた調査

17、アマク大学のルバラー教授

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 本物のブユの石板が、広間の中央に大きくそびえ立っている。石板の回りには規制線が張られ、何十もの監視カメラが壁には取りつけられていた。エシルバはこんな時にリフたちがそばにいてくれれば、少しは恐怖も和らぐのにと彼らを連れてこなかったことを後悔した。

「先生、今日もずっと石板の相手とは精が出ますね」

 グリニアが話し掛けた相手は二十代後半くらいの男で、先生と呼ばれるまでアマク人特有のしなびれた学者のような雰囲気はいささかも感じられなかった。
 高価そうな長袖の上着に長ズボン、上品な手袋、色付きのサングラス、凝った形のネックレス――と、一風変わった見た目である。しかし、純金でできている指輪、宝石、その他の装飾具を見る限り、いかにもはぶりはよさそうだ。

 男はバインダーとペンを片手に簡易テントの下で考え事をしていた。屈強な男とは程遠い物腰柔らかな優男で、顔に張り付いたような笑顔が残っている。男はペンを置いて木製の風変りな傘に持ち替えると、つえのようにして立ち上がった。

「私の本分ですから。それに、光栄です。これ程までに重要な歴史的史料をこの目で見られることに私は大変感動しているのです。一報を受けてからというもの、寝る間も惜しんで研究に没頭していますよ」

 色付きのレンズ越しに目が合った。エシルバはこの男の一挙手一動目が離せず圧倒されていた。初めてジグと会った時も似た感覚を抱いたが、彼はまた違ったカリスマ性を醸し出している。

「彼はアマク大教授のルバラー|ヒューバン。専門は三大史だそうだ」

「あと、民族学と考古学も」

 ルバラーは屈託のない笑顔で補足し、エシルバを見下ろした。

「君はさっき、実に興味深そうにこの傘を見ていたね」

 エシルバはドキリとして目をそらした。

「これはつえにもなる優れものなんだ。私は生まれつき肌が弱くてね、右足が少しばかり言うことを聞いてくれないのだよ。それにしても、会えてうれしいよ、エシルバ。君とは不思議な縁がありそうだと思っていたんだ。私の名、ルバラーとは英雄エシンルバラーの名前から取ったものなんだ。実は、君もなんじゃないかって考えていたんだけど、実際はどうなのか興味があるね」

 察しがいいというのか、とにかく驚いた。エシルバはまさにその通りだとうなずいた。

「だろう、エシンルバラーは実に素晴らしい勇者だった。あぁ、心配せずとも面倒な話はしないとも。私のモットーは人に自分の知識を押し付けないことだからね。グリニア、この子を少しお借りしてもいいでしょうか。実際にこの子から石板を初めて見た時のことを聞かせてもらいたいのです」

 エシルバはテントの下で、ルバラーと石板のことについてじっくりと話した。事件後に捜査局で受けた聴取とは違い、彼はエシルバの考えを理解し興味深そうに接してくれた。
 根っからの探求好きらしく、エシルバの話を録音して大事なところを記者のようにメモしては次々と紙を消費していった。話の最後には右手にある鍵の文様を写真で撮られ、終始興奮気味に鼻の息を荒くしていた。無理もない、誰だって自分が情熱を注ぎこむものに出くわしたときは興奮するのだから。

「素晴らしい話をありがとう、きっとこの先の解決策に役立つはずだ」

「先生はどうしてここに呼ばれたんですか?」

「私も選ばれたんだよ、重要なトップシークレットの人間にね。君ほどではないが、世界の行く末を託されるというのは光栄なことだ。ほら、ブユの暴走対策課っていうのがあるだろう? あそこに設置された専門家会議、いわゆる諮問機関の人間だ」

「アマク大学って世界一有名な大学ですよね」

「うれしいねぇ! そうとも、アマク大学は世界大学ランキングで七年連続トップの地位を築いたまさにこの国の財産とも言える」

 ルバラーの会話は知見に富んでいる上、人の扱い方をよく心得ているためか非常に心地よかった。その人その人に合わせた柔軟な対応ができるのも、他の人と接する態度を見てすぐに分かった。

 彼がすっかり機嫌がよくなったところで、エシルバはこう切り出した。

「銀のつるぎってなんですか? あなたなら、よくご存じでしょう?」


「グリニアから聞いたんだね。次のステップに進むためには銀のつるぎが必要だということを」

「でも、誰も銀のつるぎがどこにあるのか分からないって」

「私の考えでは、銀のつるぎは地底深くに眠っている」

 そう聞いたエシルバは随分と好奇心をくすぶられた。誰も見たことがないという幻のつるぎが地底深くに眠っているなんて、想像力がいくつあっても足りないではないか。 

「君にいいものを見せてあげよう、こっちにおいで」

 ルバラーはつえを突きながら、暗いテントの中に呼んである史料をモニターに映した。片足を引きずって歩くような後ろ姿を見たエシルバは、何度も彼に手を貸しそうになった。でも助けは不要だった。そもそもこの男は助なんて求めていないのだ。あのレンズの奥にある深い色の瞳を見た後では、不思議とそう思えた。
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