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Ⅲ
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手術が一年もかかると聞いて、わたしは、ある決心をした。
『禁忌の都』に行くこと。
そこにあるはずの人魚の肉を食べること───。
幼いころ、玲とふたりで家出をしたことがある。
正確には、いじめられてドームを飛び出したわたしを玲が追いかけてきてそうなったのだけれど。
「どうせなら禁忌の都に行ってみようよ」
玲は昔から、とても頭がよかった。
よすぎるくらいだった。
「キンキのミヤコ?」
首を傾げるわたしを、玲はわざわざドームに戻り、図書館から地図を盗み出してきてその場所へ連れて行った。
砂漠を越えるための特別な車を、まだ子供の玲が運転した。
気づいた大人たちは、けれど無視をしただけだった。
厄介事にはかからわないほうがいい───それがこの世界での暗黙の了解だったから。
誰かが目の前でいじめられても殺されても、彼らはきっと干渉しないだろう。
「禁忌の都っていうのはね、少し前まで稼働してた施設なんだ。いろんな動物のかけあわせをして、人工の生物を造る施設。大きな砂嵐にやられてそこの機能も止まっちゃって、誰もいなくなったけど」
玲は、助手席で膝を抱えているわたしに話してくれた。
「そこに人魚もいる。ぼくは図書館で写真を見たけど、本当に人魚姫に出てくる人魚の形をしてた」
「……にんぎょひめ?」
わたしは、少しだけ興味を惹かれた。
人魚姫の話なら、幼いわたしだって知っていたから。
「うん。その肉を食べるとね、不老不死になるんだって。あちこちの本でも見かけるその話は本当なのかな」
「ふろうふし……?」
「年も取らないし、死にもしないってこと」
「そんなの、やだ」
わたしはいっそうぎゅっと膝を抱え込む。
「子供のままじゃ、『ふかんぜん』だもん。なんにもできないままの自分でただいきつづけるだけなんて、やだ」
「ぼくもそう思うよ」
玲はとてもとても、優しい瞳をして。
「ぼくは芽生と一緒に年を取って、一緒に死にたいな」
わたしの答えが本当に嬉しいというふうに、彼はそう微笑んだ。
「しんだら、ぜんぶおわるのかな? ひとりぼっちになるのかな?」
急に恐くなって言ったわたしに、玲はかぶりを振る。
「死んだあとも芽生の魂はぼくの魂と一緒だよ。芽生はぼくが離さない」
意味はよく、分からなかったけれど。
玲のその言葉に安心したわたしは、眠りに落ちて。
目覚めたとき、崩れかけた建物の前に車は停まっていたのだった。
建物は確かに砂嵐でやられていたけれど。
それでもギイギイと風に音を立てる扉の隙間から中へ入ると、透明な容器がどらりと並んでいて、その中に奇妙な生物が入っていた。
かろうじて生きている生物もいたし、けれどほぼ死に絶えていた。
「いた」
その人魚も、死んでいた。
玲が見つけたその人魚は、まるで本当に童話に出てくる人魚姫のように美しく。
けれど、目はふかく閉じられていて、ことりとも動く気配はなかった。
「にんぎょさん……?」
震えるわたしの手を、玲は握ってくれた。
「人魚さんは死んじゃってるみたいだ。この容器の中の液体は腐敗しない成分が含まれているんだろうね」
台詞の後半は、意味が分からなかった。
「不老不死になる研究のために、この人魚だけ特別扱いされていたんだね。取り付けられた機械がほかの生物と差が激しい」
「……さかなのぶぶんを、たべるの?」
単純に疑問に思ったことを聞いたわたしは、自分の台詞にどうしてかゾクッとした。
玲はそんなわたしの頭を撫でてくれる。
「記述ではそうなってるね。でもね芽生、覚えておいて。もし人魚の肉が食べたくなっても、決して食べちゃいけない」
「……どうして?」
「食べたら、ドームのはるか下にある地下牢獄で永遠に血を啜り続けなければならないから」
玲は人魚を見上げる。
「人魚の肉を食べたら不老不死になるかわりに、代償も大きい。生き物の生き血なしではいられなくなって、そうしたら人間は自分たちの生き血も啜られるんじゃないかと怯える。だから食べた人間は地下牢獄に入れられて、自分の生き血を飲んで空腹を満たさなければならない。自分の生き血はそれにより再度身体の中で再生されて、またその生き血を自分で飲んで───」
そこで玲は、わたしが完全に置いてきぼりになっていることに気がついたようだった。
「……ごめん。とにかく、地下牢獄はこのドームの闇の部分、危険人物が入れられる太陽のささない絶望の場所なんだよ。人魚の肉を食べるのは罪なんだ」
つみ───。
「こんなにきれいなにんぎょさん、食べないよ、わたし」
心の底から、わたしはそう思った。
なのに。
『禁忌の都』に行くこと。
そこにあるはずの人魚の肉を食べること───。
幼いころ、玲とふたりで家出をしたことがある。
正確には、いじめられてドームを飛び出したわたしを玲が追いかけてきてそうなったのだけれど。
「どうせなら禁忌の都に行ってみようよ」
玲は昔から、とても頭がよかった。
よすぎるくらいだった。
「キンキのミヤコ?」
首を傾げるわたしを、玲はわざわざドームに戻り、図書館から地図を盗み出してきてその場所へ連れて行った。
砂漠を越えるための特別な車を、まだ子供の玲が運転した。
気づいた大人たちは、けれど無視をしただけだった。
厄介事にはかからわないほうがいい───それがこの世界での暗黙の了解だったから。
誰かが目の前でいじめられても殺されても、彼らはきっと干渉しないだろう。
「禁忌の都っていうのはね、少し前まで稼働してた施設なんだ。いろんな動物のかけあわせをして、人工の生物を造る施設。大きな砂嵐にやられてそこの機能も止まっちゃって、誰もいなくなったけど」
玲は、助手席で膝を抱えているわたしに話してくれた。
「そこに人魚もいる。ぼくは図書館で写真を見たけど、本当に人魚姫に出てくる人魚の形をしてた」
「……にんぎょひめ?」
わたしは、少しだけ興味を惹かれた。
人魚姫の話なら、幼いわたしだって知っていたから。
「うん。その肉を食べるとね、不老不死になるんだって。あちこちの本でも見かけるその話は本当なのかな」
「ふろうふし……?」
「年も取らないし、死にもしないってこと」
「そんなの、やだ」
わたしはいっそうぎゅっと膝を抱え込む。
「子供のままじゃ、『ふかんぜん』だもん。なんにもできないままの自分でただいきつづけるだけなんて、やだ」
「ぼくもそう思うよ」
玲はとてもとても、優しい瞳をして。
「ぼくは芽生と一緒に年を取って、一緒に死にたいな」
わたしの答えが本当に嬉しいというふうに、彼はそう微笑んだ。
「しんだら、ぜんぶおわるのかな? ひとりぼっちになるのかな?」
急に恐くなって言ったわたしに、玲はかぶりを振る。
「死んだあとも芽生の魂はぼくの魂と一緒だよ。芽生はぼくが離さない」
意味はよく、分からなかったけれど。
玲のその言葉に安心したわたしは、眠りに落ちて。
目覚めたとき、崩れかけた建物の前に車は停まっていたのだった。
建物は確かに砂嵐でやられていたけれど。
それでもギイギイと風に音を立てる扉の隙間から中へ入ると、透明な容器がどらりと並んでいて、その中に奇妙な生物が入っていた。
かろうじて生きている生物もいたし、けれどほぼ死に絶えていた。
「いた」
その人魚も、死んでいた。
玲が見つけたその人魚は、まるで本当に童話に出てくる人魚姫のように美しく。
けれど、目はふかく閉じられていて、ことりとも動く気配はなかった。
「にんぎょさん……?」
震えるわたしの手を、玲は握ってくれた。
「人魚さんは死んじゃってるみたいだ。この容器の中の液体は腐敗しない成分が含まれているんだろうね」
台詞の後半は、意味が分からなかった。
「不老不死になる研究のために、この人魚だけ特別扱いされていたんだね。取り付けられた機械がほかの生物と差が激しい」
「……さかなのぶぶんを、たべるの?」
単純に疑問に思ったことを聞いたわたしは、自分の台詞にどうしてかゾクッとした。
玲はそんなわたしの頭を撫でてくれる。
「記述ではそうなってるね。でもね芽生、覚えておいて。もし人魚の肉が食べたくなっても、決して食べちゃいけない」
「……どうして?」
「食べたら、ドームのはるか下にある地下牢獄で永遠に血を啜り続けなければならないから」
玲は人魚を見上げる。
「人魚の肉を食べたら不老不死になるかわりに、代償も大きい。生き物の生き血なしではいられなくなって、そうしたら人間は自分たちの生き血も啜られるんじゃないかと怯える。だから食べた人間は地下牢獄に入れられて、自分の生き血を飲んで空腹を満たさなければならない。自分の生き血はそれにより再度身体の中で再生されて、またその生き血を自分で飲んで───」
そこで玲は、わたしが完全に置いてきぼりになっていることに気がついたようだった。
「……ごめん。とにかく、地下牢獄はこのドームの闇の部分、危険人物が入れられる太陽のささない絶望の場所なんだよ。人魚の肉を食べるのは罪なんだ」
つみ───。
「こんなにきれいなにんぎょさん、食べないよ、わたし」
心の底から、わたしはそう思った。
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