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Ⅹ
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レクリア
それは、───
ドームを出る前に、玲は小型コミュニケータをバッグから取り出してどこかに連絡を取った。
「親友の名前は延司(えんじ)っていうんだ。事情を説明したよ。今からすぐに聖を連れてきてくれるって」
車で「禁忌の都」から飛ばしてきても、間に合うだろうか。
あと数日だという玲の命に、間に合うだろうか。
「芽生に抱かれていれば、ぼくはきっともつ」
玲がそう微笑んだから。
わたしはオアシスに着いてから、玲を腕の中に抱きしめて過ごした。
ふたりで湖のふちのミルキーウェイフルーツの樹にもたれて……。
時折訪れる「生き血への渇望」を抑えるのはとても無理で、そのたびに玲が自分の腕をナイフで傷つけて血をくれた。
玲のミルキーウェイフルーツを食べる量が少しずつ減って行き───。
ドームを出て5日が経った頃、砂漠専用の特殊車がオアシスにやってきた。
濡れたように真っ黒な短髪の、20代の終わりごろくらいの片目の青い瞳の男。
右目には刀傷でつぶれたような傷痕があった。
その男は片手に荷物を持ち、もう片方の腕に小さな男の子を抱いて、車を降りて歩いてきた。
彼はわたしと、わたしの腕の中の玲を素早く見比べた。
「『禁忌の都』では挨拶しなくて悪かった」
その言葉はわたしに向けられていた。
どう答えていいか戸惑っていると、彼は、じっとわたしたちを観察している男の子を地面におろす。
「俺が延司。玲の親友だ。こいつが聖、お前らの子供だ」
そして、
「ほら、聖。パパとママだぞ」
と聖の背を押した。
白い薄茶色の髪の毛と、きれいで賢そうな顔立ちは玲に生き写しだ。
けれどその瞳の色は、わたしと同じ夕焼け色だった。
生まれてからずっと、わたしの希望は玲だけだった。
ずっと玲だけにすがって生きてきた。
そのわたしに、もうひとつ、光ができた。
初めて逢ったのに、無性に聖が愛おしくて。
「はじめまして」
2歳にしてはおとなびすぎるその台詞を言って、ぺこりとおじぎをした聖を、わたしはかき抱いていた。
「ママ……?」
驚いた聖が、やがておずおずとわたしの背に手を回す。
「エンジからおはなし、きいてました。ずっとあいたかったです」
横たわっていた玲が、わずかに声を立てて笑った。
「賢いね、聖」
そして傍らに座る延司の方向を見上げた。
けれど焦点が合っていない。
「間に合ってよかった……昨日からもう目が見えないんだ」
延司は持っていたバッグから医療器具を取り出し、しばらく玲の身体を診察していた。
やがて彼は手を止めると、わたしを振り向いて目くばせをする。
ああ───玲はもう限界なんだ。
わたしは聖の片手を握りしめ、玲のそばに座った。
「芽生。もうひとつ、きみに言わなくちゃならないことがある。きみを見ていて、気づいたことだよ」
玲の手が持ち上がり、わたしを探る。
わたしはその手をもう片方の手で強く握りしめた。
「一年ぶりに会ったとき、きみは確かに背が伸びていた。……たぶん、人魚の肉も完全じゃないんだ」
ドームを出ようとしたあの日。
くずおれる前に、「背がのびた」と彼が言っていた、そのわけがようやく分かった。
───では、わたしもいつかは死ぬのだ。
「人魚の肉を食べたとき、急激な身体の変化もあったはずだ。そして、食べたあとにも変化がある。だからこそ、そのぶんきみの寿命もそう長くない。だけど、これだけは覚えていて」
玲は握った手に力をこめる。
「きみはこの世を憎んでいたよね。何もかもが不完全だって。自分のことを憎んでいたよね。とても無力だって。
だけど、愛だけは不完全じゃない。ううん、不完全だからこそ唯一の『完全』なんだ。
芽生はぼくのためならなんでも犠牲にしようとしてくれた。それは決して無力なことじゃない。
人を愛せるきみは、ちっとも無力なんかじゃない」
玲の呼吸が、小さくなっていく。
「覚えてる? レクリア───ふたりでつけた、秘密の言葉。その意味を。芽生、きみは……覚えてくれている……?」
忘れるわけがない。
命のために、魂のために、鎮魂のために、愛のために。
ふたりで考えて、ふたりでこの世界に新しい言葉を作った。
それは今、玲がわたしとわたしとの子供とのふたりのために、この世で最も尊いと言われている研究の名前としてつけている。
レクリア────その言葉を。
「永久愛」の意味の言葉を。
「きみは気づかなかっただろうけど、ぼくはきみのために、そのためにその名前をつけたんだよ。
……たとえきみがどんな罪を犯しても、天国にいこうと地獄にいこうとも。魂が永久に彷徨ってしまったとしても。
ぼくはあきらめない。見つけ出して、その手を離さない、魂を離さない」
だって、そのための、そのために、
レクリアになったんだから────
玲───わたしの愛するただひとつの光。
ただひとりの、ひと。
その黒い瞳が静かに閉じられてから。
半狂乱に暴れるわたしを延司がずっと抱きしめていてくれた。
引っ掻いても噛みついても、彼はじっとしてわたしを離さなかった。
聖は動かなくなった玲のそばを離れなかった。
どれだけの時間が経ったのか───。
暴れすぎて疲れ切り、延司の腕の中で眠ってしまったわたしが目を覚ましたとき。
オアシスは、明け方を迎えようとしていた。
延司がミルキーウェイフルーツの根本に穴を掘って待っていた。
「ママ」
起き上がったわたしのすぐ隣から、声が上がる。
聖がわたしにぴったり寄り添って横になっていたのだ。
頭を撫でると、聖は初めてくすぐったそうな笑顔を見せた。
小さなころの、玲を思い出す───。
半ば機械的な動きで、延司とともに玲の遺体を穴に埋めた。
「心配するな」
玲が死んでから初めて、延司が口をきいた。
「たとえお前が死んでも、聖は俺が育てていく。完成したレクリアの交渉も俺がする。聖は不死の身体にしかなれないが、賢い。きっとこの世の中でも愛を見つけるだろう。玲がお前を愛したように」
玲はわたしを愛してくれた。
こんなに不完全の世の中で。
こんなに不完全なわたしを愛してくれた。
その玲がわたしのために遺してくれた、───聖。
大切な子供……。
『ありがとう』
延司に向けて、唇だけで言葉をかたどる。
くちもとに笑みを浮かべて、延司は小さくうなずいた。
「ママはぼくがまもるよ。ずっとまえから、きめてたよ」
まだ幼すぎる聖のその言葉がとても嬉しくて。
わたしは聖を抱き上げた。
ずっしりと重いその身体が、命はここにあるのだと教えてくれるようで。
わたしは、泣いた。
玲───約束する。
あなたが遺したすべてを、大切にする。
もう決して、自棄になったりはしない。
これから、やがてわたしが死ぬそのときまで。
延司と協力して、聖を育てていくから───。
「ママ、よあけ。きれいだね」
聖の指さすほうを振り向けば。
黄金色の太陽が、わたしたちを照らしていた。
その光が、とても暖かく思えた。
レクリア───永久愛
この世で唯一
確かな導(しるべ)───
《完》
それは、───
ドームを出る前に、玲は小型コミュニケータをバッグから取り出してどこかに連絡を取った。
「親友の名前は延司(えんじ)っていうんだ。事情を説明したよ。今からすぐに聖を連れてきてくれるって」
車で「禁忌の都」から飛ばしてきても、間に合うだろうか。
あと数日だという玲の命に、間に合うだろうか。
「芽生に抱かれていれば、ぼくはきっともつ」
玲がそう微笑んだから。
わたしはオアシスに着いてから、玲を腕の中に抱きしめて過ごした。
ふたりで湖のふちのミルキーウェイフルーツの樹にもたれて……。
時折訪れる「生き血への渇望」を抑えるのはとても無理で、そのたびに玲が自分の腕をナイフで傷つけて血をくれた。
玲のミルキーウェイフルーツを食べる量が少しずつ減って行き───。
ドームを出て5日が経った頃、砂漠専用の特殊車がオアシスにやってきた。
濡れたように真っ黒な短髪の、20代の終わりごろくらいの片目の青い瞳の男。
右目には刀傷でつぶれたような傷痕があった。
その男は片手に荷物を持ち、もう片方の腕に小さな男の子を抱いて、車を降りて歩いてきた。
彼はわたしと、わたしの腕の中の玲を素早く見比べた。
「『禁忌の都』では挨拶しなくて悪かった」
その言葉はわたしに向けられていた。
どう答えていいか戸惑っていると、彼は、じっとわたしたちを観察している男の子を地面におろす。
「俺が延司。玲の親友だ。こいつが聖、お前らの子供だ」
そして、
「ほら、聖。パパとママだぞ」
と聖の背を押した。
白い薄茶色の髪の毛と、きれいで賢そうな顔立ちは玲に生き写しだ。
けれどその瞳の色は、わたしと同じ夕焼け色だった。
生まれてからずっと、わたしの希望は玲だけだった。
ずっと玲だけにすがって生きてきた。
そのわたしに、もうひとつ、光ができた。
初めて逢ったのに、無性に聖が愛おしくて。
「はじめまして」
2歳にしてはおとなびすぎるその台詞を言って、ぺこりとおじぎをした聖を、わたしはかき抱いていた。
「ママ……?」
驚いた聖が、やがておずおずとわたしの背に手を回す。
「エンジからおはなし、きいてました。ずっとあいたかったです」
横たわっていた玲が、わずかに声を立てて笑った。
「賢いね、聖」
そして傍らに座る延司の方向を見上げた。
けれど焦点が合っていない。
「間に合ってよかった……昨日からもう目が見えないんだ」
延司は持っていたバッグから医療器具を取り出し、しばらく玲の身体を診察していた。
やがて彼は手を止めると、わたしを振り向いて目くばせをする。
ああ───玲はもう限界なんだ。
わたしは聖の片手を握りしめ、玲のそばに座った。
「芽生。もうひとつ、きみに言わなくちゃならないことがある。きみを見ていて、気づいたことだよ」
玲の手が持ち上がり、わたしを探る。
わたしはその手をもう片方の手で強く握りしめた。
「一年ぶりに会ったとき、きみは確かに背が伸びていた。……たぶん、人魚の肉も完全じゃないんだ」
ドームを出ようとしたあの日。
くずおれる前に、「背がのびた」と彼が言っていた、そのわけがようやく分かった。
───では、わたしもいつかは死ぬのだ。
「人魚の肉を食べたとき、急激な身体の変化もあったはずだ。そして、食べたあとにも変化がある。だからこそ、そのぶんきみの寿命もそう長くない。だけど、これだけは覚えていて」
玲は握った手に力をこめる。
「きみはこの世を憎んでいたよね。何もかもが不完全だって。自分のことを憎んでいたよね。とても無力だって。
だけど、愛だけは不完全じゃない。ううん、不完全だからこそ唯一の『完全』なんだ。
芽生はぼくのためならなんでも犠牲にしようとしてくれた。それは決して無力なことじゃない。
人を愛せるきみは、ちっとも無力なんかじゃない」
玲の呼吸が、小さくなっていく。
「覚えてる? レクリア───ふたりでつけた、秘密の言葉。その意味を。芽生、きみは……覚えてくれている……?」
忘れるわけがない。
命のために、魂のために、鎮魂のために、愛のために。
ふたりで考えて、ふたりでこの世界に新しい言葉を作った。
それは今、玲がわたしとわたしとの子供とのふたりのために、この世で最も尊いと言われている研究の名前としてつけている。
レクリア────その言葉を。
「永久愛」の意味の言葉を。
「きみは気づかなかっただろうけど、ぼくはきみのために、そのためにその名前をつけたんだよ。
……たとえきみがどんな罪を犯しても、天国にいこうと地獄にいこうとも。魂が永久に彷徨ってしまったとしても。
ぼくはあきらめない。見つけ出して、その手を離さない、魂を離さない」
だって、そのための、そのために、
レクリアになったんだから────
玲───わたしの愛するただひとつの光。
ただひとりの、ひと。
その黒い瞳が静かに閉じられてから。
半狂乱に暴れるわたしを延司がずっと抱きしめていてくれた。
引っ掻いても噛みついても、彼はじっとしてわたしを離さなかった。
聖は動かなくなった玲のそばを離れなかった。
どれだけの時間が経ったのか───。
暴れすぎて疲れ切り、延司の腕の中で眠ってしまったわたしが目を覚ましたとき。
オアシスは、明け方を迎えようとしていた。
延司がミルキーウェイフルーツの根本に穴を掘って待っていた。
「ママ」
起き上がったわたしのすぐ隣から、声が上がる。
聖がわたしにぴったり寄り添って横になっていたのだ。
頭を撫でると、聖は初めてくすぐったそうな笑顔を見せた。
小さなころの、玲を思い出す───。
半ば機械的な動きで、延司とともに玲の遺体を穴に埋めた。
「心配するな」
玲が死んでから初めて、延司が口をきいた。
「たとえお前が死んでも、聖は俺が育てていく。完成したレクリアの交渉も俺がする。聖は不死の身体にしかなれないが、賢い。きっとこの世の中でも愛を見つけるだろう。玲がお前を愛したように」
玲はわたしを愛してくれた。
こんなに不完全の世の中で。
こんなに不完全なわたしを愛してくれた。
その玲がわたしのために遺してくれた、───聖。
大切な子供……。
『ありがとう』
延司に向けて、唇だけで言葉をかたどる。
くちもとに笑みを浮かべて、延司は小さくうなずいた。
「ママはぼくがまもるよ。ずっとまえから、きめてたよ」
まだ幼すぎる聖のその言葉がとても嬉しくて。
わたしは聖を抱き上げた。
ずっしりと重いその身体が、命はここにあるのだと教えてくれるようで。
わたしは、泣いた。
玲───約束する。
あなたが遺したすべてを、大切にする。
もう決して、自棄になったりはしない。
これから、やがてわたしが死ぬそのときまで。
延司と協力して、聖を育てていくから───。
「ママ、よあけ。きれいだね」
聖の指さすほうを振り向けば。
黄金色の太陽が、わたしたちを照らしていた。
その光が、とても暖かく思えた。
レクリア───永久愛
この世で唯一
確かな導(しるべ)───
《完》
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