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シュンキの回想──放たれた矢
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◇
「シュンキ博士! 聞きましたよ」
授業が終了して開発室へ向かう前にいったん個室へ戻ろうとしたシュンキを、同じレキサス製作チームのヤトという青年が声をかけてきた。同い年の彼もまたシュンキと同じくらいに頭が良いと言われていて、学科では何かにつけ比較をされている。あまり人と接触を持たない彼は、なぜかシュンキには懐いてよく話しかけてきていた。
「その敬語、やめてくれよ。同い年じゃないか」
いまさらなことを毎度のことながら言うと、「これがおれのスタイルですから」と肩をすくめられる。
「それより、聞きましたよ。カレンさんに赤ちゃんができたんですって? やっぱりご夫婦だったんですね」
ヤトの発言に、教材一式を足の上に落っことしてしまった。
「いてぇ……」
「痛いなら夢じゃないですよ」
「そうじゃなくて」
このヤトもどこかズレているなと思いつつ、初期化されてしまった頭をどうにか元の状態に持ってこようと努力する。
「いつ……誰が、どこで……そんなことを?」
慎重に尋ねるシュンキに、ヤトは「今朝救護室に行ったとき、カレンさんが話してましたよ」とさらりと言う。
ふかくため息をつき、シュンキはヤトを置き去りにして救護室へ向かった。そこで忙しなく働いているカレンを発見すると有無を言わさず手をつかむ。
「シュンキ? どうしたの?」
「個室においで。すぐ済むから」
カレン目当てでやってきた病人や怪我人から激しいブーイングが沸き起こるが、この際無視だ。
個室に入り、しっかり鍵がかかったのを確認すると、シュンキは切り出した。
「聞いたよ、赤ん坊のこと」
とたんにカレンは目をそらす。シュンキはその頭を撫でた。
「どうしてそんな嘘を広めたりしたんだ?」
驚きこそすれ、シュンキにはそれが嘘だと分かっていたのだ。あれから半年以上が過ぎて、カレンはレントを探さなくなった。もしもレントに会うことがあれば態度に出るから分かる。今のところそんな兆しはないから、レントとは会っていない───彼の子供ということは、まずない。
それに、何よりも。
「嘘を本当にしたかったの」
カレンが白状する。
「だってシュンキ、いまだに同じベッドで寝ないなんて変よ。シュンキの好きは、そういう好き?」
そう、何よりも、カレンとシュンキは身体の関係はまだなかったのだ。シュンキはかぶりを振る。
「ちゃんと愛してる。でも、まだ早い」
「早くないわ。お互い告白したのが春の始め、今はもう冬の始まりよ」
ふと、机の上に置いてある雑誌を目に留めたシュンキは、手に取ってみた。毎朝希望した個室に配達される雑誌だが、忙しいシュンキは帰ってから読むことが多かった。
めくると、一発でそのページが開いた。幾度もそのページを読んだ証拠だ。
近隣国の激戦が広がっている、という内容の記事だった。
「この記事を読んだのか」
だからカレンは赤ん坊を欲しいと思ったのだろう。そう思ったシュンキは、雑誌を閉じて元通りに置き、カレンを抱き寄せた。
「カレンが心配することは何も起きないよ。おれはどこにも行かないし、レントだってゼオスに戻ったっていう報告はまだセイマからも入ってない」
「確かにそれも不安だったわ、でも……それだけじゃない」
シュンキの胸に顔を埋めながら、カレンの声は沈んでいる。
「あなたの赤ちゃんが欲しい。あなたと家庭を持ちたいの」
しまった、と思った。
いつか言おうと思っていたことを、先に言われてしまった。
「結婚はおれも考えてたんだ。でも───」
レントの依頼が済んでから、と思っていた。なんとなく、それがいい区切りのように思えたのだ。
だが、レントから依頼されていることをカレンに話すわけにはいかない。
「でも───まだ、早いから」
そう言うしかなかった。
今までにも何度かカレンは夜に布団に入ってきたりもしたが、シュンキは手を出そうとは思わなかった。大事にしすぎて、そうなっていた。それがカレンに淋しさを与えてしまったのだとしたら、自分の落ち度だ。他のことで愛情を示せばよかったのに、忙しさにかまけておろそかにしていたかもしれない。
「わたしに、できることない?」
滅多に我侭を言わない彼女が、珍しく食い下がってくる。不安に駆られて仕方がなくなったときか、優しさが暴走したときに、よくこうなることを思い出す。
「何か抱えてるの? 悩みがあるの? あなたの力になれない?」
「ごめん、……カレン。言えないんだ。でも、もう少しで終わるから」
それは嘘ではなかった。レントから依頼されたものは、もうあとほんの少し手を加えれば終わる。レキサスもうまくいけばあと数日中には完成するだろう。
「終わったら、結婚してくれるかい?」
優しく問いかけると、カレンは恥ずかしそうに顔を上げた。
「困らせて、ごめんなさい。気にしないで」
「おれは本気だよ」
前髪を上げて額にキスを贈る。カレンは赤くなって、「あなたにアヤメの花言葉を贈るわ」とつぶやいた。
「地球にある花言葉なの。花言葉にも意味が色々あるらしいけれど、アヤメを」
「また地球か」
シュンキは笑ってもう一度、頬にキスする。
「カレンが好きな花言葉の意味、アヤメの意味は?」
「『愛(ジナ)』や『あなたを大切にします(トラヴィイーセ)』、よ」
「おれの台詞だな」
「男の台詞だなんて、誰も決めてないもの」
小さく笑い合ったとき、折り悪く内線通話の着信を知らせる音が鳴った。
開発室からの呼び出しだった。ほとんど遅刻しないシュンキを心配したらしい。
「今やってる仕事が全部終わったら、教会の予約を取ろう。カレンも考えておいて。いいね?」
こくん、とうなずくカレンの顔が晴れやかになっているのを確認して、シュンキは個室を出た。
にわかに気持ちが活気付いたからかシュンキの仕事をこなす速さはものすごく、その日のうちにレントからの依頼の品は仕上げられた。
最後にキーワードが必要となってそれを考えるのが厄介だったのだが、カレンの言っていた「地球の花言葉」をヒントにした。
誰も目の届かないところ、しかも設備が整っているところとなると皮肉にもレントとカレンのためにと手を加えた「秘密基地」、シェルターのほかになく、そこで依頼品は完成をみたのだ。
「え、休暇ですか? もうレキサスも完成間近なのに」
ヤトが驚いたのは無理もないだろう。この忙しい時期に休暇申請を出すのはシュンキくらいのものだ。
「半日だけ。無理かな?」
コンピュータと掛け合っていたヤトは、「大丈夫みたいです」と申請許可の紙を発行する。
「シュンキさん、今まで全然休暇使ってなかったですから。そうじゃなかったら許可下りなかったところです。レキサス、もしかしたら休暇中に完成してるかもしれませんよ。スタッフもみんな頑張ってますから」
「完成の瞬間には是非立ち会いたいな」
「感極まって空気分布スイッチを押すスタッフが出るかも、ですね」
ヤトは意地悪そうに笑った。
空気分布スイッチ。レキサスが完成し、政府が必要だと感じた場合には即刻空気中に分布することができるスイッチだ。それならばひとりひとりが服用するより早く空気中に溶け込んだ成分がすべての人間の中に入るが、薬として売るほうが効果的だからまずないことだろう。
シュンキは苦笑し、ヤトに軽く手を挙げ挨拶して開発室を後にする。
カルマシュの外に出て、人気のない場所を探した。久しぶりの外の空気がおいしい、と気を抜く暇も今はない。路地裏までくると、近くを通る汽車の音に紛れて「レント!」と叫んだ。
二、三十分ほど待っただろうか。まったく気配もなく、後ろを取られた。
「よう」
振り向くと、レントが立っていた。この真昼間から風呂上がりだろうか、着崩したシャツの隙間からいい香りが漂ってきた。数ヶ月前に会った時よりも、痩せたように感じる。
「完成したから持ってきた」
依頼のものを取り出そうとするところを、止められた。
「誰が見てるか分からないだろ? おれのホテルに連れてってやる。そこで説明してくれ」
言うが早いか、シュンキの腰をつかんで空に浮かび上がる。宙に浮かんだのは、ここ最近ではとんとない。叫び声を上げそうだったシュンキは空中移動中、何度も口を押さえて我慢した。
着いたところは豪奢な建物だった。ゼオス管理下だと分かる紋章が壁に掘り込まれていた。
視線を感じたのか、
「飼われてるのさ」
とレントは皮肉げに笑った。
案内されたのはその一室。そこだけでシュンキの個室の何倍あるだろうか。ベッドルームは別にあるようで、少しだけ扉が開いていた。
「座れよ」
レントは出来合いの紅茶のポットを持ってきて、テーブルに伏せて置いてあった二つのカップに注ぐ。言われたままに椅子のひとつに座ったとたんに聞かれた。
「カレンとはうまくいってるか?」
───レントの中では、もう終わったことなのだろうか。いざこんな場面になると、どう答えていいものか分からない。そんなシュンキを見越していたように、レントは口の端を上げた。
「悪い悪い。お前が可愛がらないわけがないよなぁ」
気を取り直すように、シュンキはポケットから小さなビニール袋を取り出した。中にはこれもまた小さな白いカプセルのようなものがひとつだけ入っている。
「これがお前の望んだ『武器』だ。カプセル型薬(やく)爆弾(ばくだん)だよ」
受け取り、しげしげと見つめるレントに説明する。
「飲ませることで効力を発揮し、体内で爆発して細胞に至るまで破壊成分が行き渡り、死に至る。ただ、爆発させるにはキーワードが必要だ。そのキーワードを、飲ませた人間の耳に届くところで言えばいい。カプセルはキーワードを言うまで体内にずっと常駐される。例外はない。
飲ませるのが難しいなら、普通に爆弾として使用しても空気中から体内に入ってその人間の命だけを奪える。血液から得た情報があったから、その特定ができたんだ」
「爆弾として使用、それにもキーワードが必要か?」
「キーワードは絶対だ。今はデフォルトのおれの声紋に反応するけど、使用する前なら一度だけ変換できるようにセットしてある。レント、お前の声紋に変換することが可能だ」
そこまで言ったとき、物音が聞こえた。何か重いものが倒れたような音が、わずかに開いていた扉の向こうから。
思わず耳を澄ませたとき、確かに女の声で「助けて」と弱々しく聞こえてきた。
「気にするな、死に損ないだ」
面倒くさそうにレントは扉に向かい、勢い良く開く。むっとした血のにおいに、シュンキは立ち上がった。
部屋に入っていくレントに急いで続く。ベッドルーム、その白い布団も絨毯も赤く染まっている。四人の女達が、無残な姿で転がっていた。ベッドから転がり落ちたのだろう、その中のひとりがシュンキの姿を認めて助けを求めるように手を伸ばした。
「!」
駆け寄ろうとしたところを遮り、レントが指を鳴らしただけでとどめを刺した。ちからで攻撃された女が、今度こそ息絶える。
「なに、するんだ」
シュンキの声は震えていた。
「この人達がお前に何をした!?」
「バーで会ってさ。おれと過ごしたいって言うから連れてきた。ちからが見たいというから身体に刻みつけてやった。それだけだ」
なんでもないことのように言い捨て、レントはカプセル型薬爆弾をビニール袋から取り出した。
「これ、名前はあるのか?」
「レント!」
親友のあまりの変貌に、身体が震える。そんなシュンキを見て、レントは自嘲するように微笑した。
「だから、な」
カプセルを口に持って行き、
「おれがこうなっちまったから、こうするんだ」
そのまま口に入れた。
動揺と混乱が一緒くたになってシュンキを責める。
レントは、ゆっくりカプセルを飲み込んだ。喉につまらないように、慎重に。
「騙して作らせたのは悪かった。でも、こうしないとお前はおれを殺せる物なんて作ろうとしなかっただろ?」
「どういう、ことだよ」
もしかして、という思いが心臓の鼓動を早くする。
「どういうことだよ、レント」
「あんな激戦地で傷ひとつないなんて、あり得ない。おれはセヌエに行って間もなく死んだ。でもすぐに目を覚ました。見ると、傷もきれいになくなっていたし痛みもなくなってた。それから何回かそういうことがあって、おれは気づいたんだ。おれは『そういう特例』なんだ、ってな。
どんなに人を殺しても戦争は終わってくれない。どんなに殺されても死ぬこともできない。延々と続く地獄に気が狂いそうだった」
もう狂ってるかもしれないけどな、とつぶやく。
死んだら勝手に生まれ変わることができる特殊な能力を持つ人間とは、レントその人だったのだ。
「シュンキ博士! 聞きましたよ」
授業が終了して開発室へ向かう前にいったん個室へ戻ろうとしたシュンキを、同じレキサス製作チームのヤトという青年が声をかけてきた。同い年の彼もまたシュンキと同じくらいに頭が良いと言われていて、学科では何かにつけ比較をされている。あまり人と接触を持たない彼は、なぜかシュンキには懐いてよく話しかけてきていた。
「その敬語、やめてくれよ。同い年じゃないか」
いまさらなことを毎度のことながら言うと、「これがおれのスタイルですから」と肩をすくめられる。
「それより、聞きましたよ。カレンさんに赤ちゃんができたんですって? やっぱりご夫婦だったんですね」
ヤトの発言に、教材一式を足の上に落っことしてしまった。
「いてぇ……」
「痛いなら夢じゃないですよ」
「そうじゃなくて」
このヤトもどこかズレているなと思いつつ、初期化されてしまった頭をどうにか元の状態に持ってこようと努力する。
「いつ……誰が、どこで……そんなことを?」
慎重に尋ねるシュンキに、ヤトは「今朝救護室に行ったとき、カレンさんが話してましたよ」とさらりと言う。
ふかくため息をつき、シュンキはヤトを置き去りにして救護室へ向かった。そこで忙しなく働いているカレンを発見すると有無を言わさず手をつかむ。
「シュンキ? どうしたの?」
「個室においで。すぐ済むから」
カレン目当てでやってきた病人や怪我人から激しいブーイングが沸き起こるが、この際無視だ。
個室に入り、しっかり鍵がかかったのを確認すると、シュンキは切り出した。
「聞いたよ、赤ん坊のこと」
とたんにカレンは目をそらす。シュンキはその頭を撫でた。
「どうしてそんな嘘を広めたりしたんだ?」
驚きこそすれ、シュンキにはそれが嘘だと分かっていたのだ。あれから半年以上が過ぎて、カレンはレントを探さなくなった。もしもレントに会うことがあれば態度に出るから分かる。今のところそんな兆しはないから、レントとは会っていない───彼の子供ということは、まずない。
それに、何よりも。
「嘘を本当にしたかったの」
カレンが白状する。
「だってシュンキ、いまだに同じベッドで寝ないなんて変よ。シュンキの好きは、そういう好き?」
そう、何よりも、カレンとシュンキは身体の関係はまだなかったのだ。シュンキはかぶりを振る。
「ちゃんと愛してる。でも、まだ早い」
「早くないわ。お互い告白したのが春の始め、今はもう冬の始まりよ」
ふと、机の上に置いてある雑誌を目に留めたシュンキは、手に取ってみた。毎朝希望した個室に配達される雑誌だが、忙しいシュンキは帰ってから読むことが多かった。
めくると、一発でそのページが開いた。幾度もそのページを読んだ証拠だ。
近隣国の激戦が広がっている、という内容の記事だった。
「この記事を読んだのか」
だからカレンは赤ん坊を欲しいと思ったのだろう。そう思ったシュンキは、雑誌を閉じて元通りに置き、カレンを抱き寄せた。
「カレンが心配することは何も起きないよ。おれはどこにも行かないし、レントだってゼオスに戻ったっていう報告はまだセイマからも入ってない」
「確かにそれも不安だったわ、でも……それだけじゃない」
シュンキの胸に顔を埋めながら、カレンの声は沈んでいる。
「あなたの赤ちゃんが欲しい。あなたと家庭を持ちたいの」
しまった、と思った。
いつか言おうと思っていたことを、先に言われてしまった。
「結婚はおれも考えてたんだ。でも───」
レントの依頼が済んでから、と思っていた。なんとなく、それがいい区切りのように思えたのだ。
だが、レントから依頼されていることをカレンに話すわけにはいかない。
「でも───まだ、早いから」
そう言うしかなかった。
今までにも何度かカレンは夜に布団に入ってきたりもしたが、シュンキは手を出そうとは思わなかった。大事にしすぎて、そうなっていた。それがカレンに淋しさを与えてしまったのだとしたら、自分の落ち度だ。他のことで愛情を示せばよかったのに、忙しさにかまけておろそかにしていたかもしれない。
「わたしに、できることない?」
滅多に我侭を言わない彼女が、珍しく食い下がってくる。不安に駆られて仕方がなくなったときか、優しさが暴走したときに、よくこうなることを思い出す。
「何か抱えてるの? 悩みがあるの? あなたの力になれない?」
「ごめん、……カレン。言えないんだ。でも、もう少しで終わるから」
それは嘘ではなかった。レントから依頼されたものは、もうあとほんの少し手を加えれば終わる。レキサスもうまくいけばあと数日中には完成するだろう。
「終わったら、結婚してくれるかい?」
優しく問いかけると、カレンは恥ずかしそうに顔を上げた。
「困らせて、ごめんなさい。気にしないで」
「おれは本気だよ」
前髪を上げて額にキスを贈る。カレンは赤くなって、「あなたにアヤメの花言葉を贈るわ」とつぶやいた。
「地球にある花言葉なの。花言葉にも意味が色々あるらしいけれど、アヤメを」
「また地球か」
シュンキは笑ってもう一度、頬にキスする。
「カレンが好きな花言葉の意味、アヤメの意味は?」
「『愛(ジナ)』や『あなたを大切にします(トラヴィイーセ)』、よ」
「おれの台詞だな」
「男の台詞だなんて、誰も決めてないもの」
小さく笑い合ったとき、折り悪く内線通話の着信を知らせる音が鳴った。
開発室からの呼び出しだった。ほとんど遅刻しないシュンキを心配したらしい。
「今やってる仕事が全部終わったら、教会の予約を取ろう。カレンも考えておいて。いいね?」
こくん、とうなずくカレンの顔が晴れやかになっているのを確認して、シュンキは個室を出た。
にわかに気持ちが活気付いたからかシュンキの仕事をこなす速さはものすごく、その日のうちにレントからの依頼の品は仕上げられた。
最後にキーワードが必要となってそれを考えるのが厄介だったのだが、カレンの言っていた「地球の花言葉」をヒントにした。
誰も目の届かないところ、しかも設備が整っているところとなると皮肉にもレントとカレンのためにと手を加えた「秘密基地」、シェルターのほかになく、そこで依頼品は完成をみたのだ。
「え、休暇ですか? もうレキサスも完成間近なのに」
ヤトが驚いたのは無理もないだろう。この忙しい時期に休暇申請を出すのはシュンキくらいのものだ。
「半日だけ。無理かな?」
コンピュータと掛け合っていたヤトは、「大丈夫みたいです」と申請許可の紙を発行する。
「シュンキさん、今まで全然休暇使ってなかったですから。そうじゃなかったら許可下りなかったところです。レキサス、もしかしたら休暇中に完成してるかもしれませんよ。スタッフもみんな頑張ってますから」
「完成の瞬間には是非立ち会いたいな」
「感極まって空気分布スイッチを押すスタッフが出るかも、ですね」
ヤトは意地悪そうに笑った。
空気分布スイッチ。レキサスが完成し、政府が必要だと感じた場合には即刻空気中に分布することができるスイッチだ。それならばひとりひとりが服用するより早く空気中に溶け込んだ成分がすべての人間の中に入るが、薬として売るほうが効果的だからまずないことだろう。
シュンキは苦笑し、ヤトに軽く手を挙げ挨拶して開発室を後にする。
カルマシュの外に出て、人気のない場所を探した。久しぶりの外の空気がおいしい、と気を抜く暇も今はない。路地裏までくると、近くを通る汽車の音に紛れて「レント!」と叫んだ。
二、三十分ほど待っただろうか。まったく気配もなく、後ろを取られた。
「よう」
振り向くと、レントが立っていた。この真昼間から風呂上がりだろうか、着崩したシャツの隙間からいい香りが漂ってきた。数ヶ月前に会った時よりも、痩せたように感じる。
「完成したから持ってきた」
依頼のものを取り出そうとするところを、止められた。
「誰が見てるか分からないだろ? おれのホテルに連れてってやる。そこで説明してくれ」
言うが早いか、シュンキの腰をつかんで空に浮かび上がる。宙に浮かんだのは、ここ最近ではとんとない。叫び声を上げそうだったシュンキは空中移動中、何度も口を押さえて我慢した。
着いたところは豪奢な建物だった。ゼオス管理下だと分かる紋章が壁に掘り込まれていた。
視線を感じたのか、
「飼われてるのさ」
とレントは皮肉げに笑った。
案内されたのはその一室。そこだけでシュンキの個室の何倍あるだろうか。ベッドルームは別にあるようで、少しだけ扉が開いていた。
「座れよ」
レントは出来合いの紅茶のポットを持ってきて、テーブルに伏せて置いてあった二つのカップに注ぐ。言われたままに椅子のひとつに座ったとたんに聞かれた。
「カレンとはうまくいってるか?」
───レントの中では、もう終わったことなのだろうか。いざこんな場面になると、どう答えていいものか分からない。そんなシュンキを見越していたように、レントは口の端を上げた。
「悪い悪い。お前が可愛がらないわけがないよなぁ」
気を取り直すように、シュンキはポケットから小さなビニール袋を取り出した。中にはこれもまた小さな白いカプセルのようなものがひとつだけ入っている。
「これがお前の望んだ『武器』だ。カプセル型薬(やく)爆弾(ばくだん)だよ」
受け取り、しげしげと見つめるレントに説明する。
「飲ませることで効力を発揮し、体内で爆発して細胞に至るまで破壊成分が行き渡り、死に至る。ただ、爆発させるにはキーワードが必要だ。そのキーワードを、飲ませた人間の耳に届くところで言えばいい。カプセルはキーワードを言うまで体内にずっと常駐される。例外はない。
飲ませるのが難しいなら、普通に爆弾として使用しても空気中から体内に入ってその人間の命だけを奪える。血液から得た情報があったから、その特定ができたんだ」
「爆弾として使用、それにもキーワードが必要か?」
「キーワードは絶対だ。今はデフォルトのおれの声紋に反応するけど、使用する前なら一度だけ変換できるようにセットしてある。レント、お前の声紋に変換することが可能だ」
そこまで言ったとき、物音が聞こえた。何か重いものが倒れたような音が、わずかに開いていた扉の向こうから。
思わず耳を澄ませたとき、確かに女の声で「助けて」と弱々しく聞こえてきた。
「気にするな、死に損ないだ」
面倒くさそうにレントは扉に向かい、勢い良く開く。むっとした血のにおいに、シュンキは立ち上がった。
部屋に入っていくレントに急いで続く。ベッドルーム、その白い布団も絨毯も赤く染まっている。四人の女達が、無残な姿で転がっていた。ベッドから転がり落ちたのだろう、その中のひとりがシュンキの姿を認めて助けを求めるように手を伸ばした。
「!」
駆け寄ろうとしたところを遮り、レントが指を鳴らしただけでとどめを刺した。ちからで攻撃された女が、今度こそ息絶える。
「なに、するんだ」
シュンキの声は震えていた。
「この人達がお前に何をした!?」
「バーで会ってさ。おれと過ごしたいって言うから連れてきた。ちからが見たいというから身体に刻みつけてやった。それだけだ」
なんでもないことのように言い捨て、レントはカプセル型薬爆弾をビニール袋から取り出した。
「これ、名前はあるのか?」
「レント!」
親友のあまりの変貌に、身体が震える。そんなシュンキを見て、レントは自嘲するように微笑した。
「だから、な」
カプセルを口に持って行き、
「おれがこうなっちまったから、こうするんだ」
そのまま口に入れた。
動揺と混乱が一緒くたになってシュンキを責める。
レントは、ゆっくりカプセルを飲み込んだ。喉につまらないように、慎重に。
「騙して作らせたのは悪かった。でも、こうしないとお前はおれを殺せる物なんて作ろうとしなかっただろ?」
「どういう、ことだよ」
もしかして、という思いが心臓の鼓動を早くする。
「どういうことだよ、レント」
「あんな激戦地で傷ひとつないなんて、あり得ない。おれはセヌエに行って間もなく死んだ。でもすぐに目を覚ました。見ると、傷もきれいになくなっていたし痛みもなくなってた。それから何回かそういうことがあって、おれは気づいたんだ。おれは『そういう特例』なんだ、ってな。
どんなに人を殺しても戦争は終わってくれない。どんなに殺されても死ぬこともできない。延々と続く地獄に気が狂いそうだった」
もう狂ってるかもしれないけどな、とつぶやく。
死んだら勝手に生まれ変わることができる特殊な能力を持つ人間とは、レントその人だったのだ。
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