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通い合う気持ち
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その日の業務がやっと終わって小野さんをはじめとした女子社員たち、そして部長さんや男性社員たちにも挨拶をして帰途につく。
小野さんと仲良くなってから、自然と女子社員たちとも前より距離が縮まったのは嬉しい。
ただひとつ、わたしが新田さんの本当の奥さんじゃないことを隠したままでいるのは心苦しいけれど……そのうちなんとかなるだろう、と思うことにする。
マンションに着いたときには、もうあたりは薄暗くなっていた。
スペアキーで部屋の鍵を開け、扉を開けたわたしを待っていたのは、ふわりとした夕食のいい香り。
まさかという思いであたふたと靴を脱いで部屋に上がると、キッチンで新田さんが料理をしているところだった。
「えっ……新田さん!? もう帰ってこれたんですか!?」
「そっちは遅かったな。……って、その格好じゃ会社に駆り出されてたのか」
わたしのほうを振り向いた新田さんが、口元をほころばせる。
「仕事、お疲れ」
「新田さんこそ……お疲れ様です。早く帰ってこられるんだったら、メールのひとつくらいくれればよかったのに」
「いちいち報告することでもないだろうと思ってな」
そう、新田さんとわたしはバーで初めて会ったときにケータイ番号とメールアドレスの交換はしていたのだけれど、実際にケータイでのやり取りをしたことはほとんどない。
新田さんが出張に行くまでは常に一緒にいる状態だったから、というのが理由のひとつ。
新田さんが出張に行ってからはわたしのほうから「おはようございます」「おやすみなさい」「お元気ですか?」とか当たり障りのないメールを送ってはいたのだけれど
それに対して新田さんは、メール不精なのか、「おはよう」「おやすみ」「変わりない」と一言ずつ、素っ気ない。
小野さんのことも報告しようと思ったけれど、だから躊躇していたのだ。
それになによりもわたしに会社友達ができた、というあくまでわたしにとってだけれど大きなことは、直接新田さんに口で伝えたいと思った。
新田さんがどれだけ驚くか、いまから楽しみだ。
それにしても、帰ってきて新田さんが家で待ってくれているだなんて、なんて嬉しいことだろう。
いままで一週間一人だっただけに、なおさら幸せを噛みしめてしまう。
新田さんの背中に抱き着きたくなる衝動を必死にこらえながら、そばに歩み寄った。
「なに作ってくれてるんですか?」
「ロールキャベツだ。いまはキャベツが美味いからな」
「わあ、わたしロールキャベツ大好きです! 手伝いましょうか」
「いや、もう出来るからいい。それより早く着替えてこい、メシにするぞ」
「はい!」
急いで仕事用のバッグを寝室に置いて部屋着に着替え、洗面所でメイクを落とす。
やっぱりわたしは独りでいるよりも、誰かと一緒にいたほうが断然好きだ。
それはわたしの生い立ちのせいもあるかもしれないけれど、でもほとんどの人がそうかもしれない。
ダイニングテーブルに向かい合って、「いただきます」をしてロールキャベツを食べる。
「新田さん! このロールキャベツものすごく美味しいです!」
「そうか、良かったな」
新田さんは照れくさそうにぶっきらぼうな口調だけれど、表情は柔らかだ。
そしてわざと話題をそらせるように、尋ねてきた。
「なにか変わったことはなかったか? 成宮に絡まれたりはしなかったか?」
待ってましたとばかりに、わたしは身を乗り出す。
「聞いてください、新田さん! わたし、社会人になってから初めて友達ができたんです! しかもそのお友達、成宮さんに向かって二度とわたしに近づかないでって言ってくれたんですよ!」
「へえ、それはよかったな」
心持ち新田さんの声のトーンも上がって、きれいな顔に微笑みを浮かべてくれる。
だからわたしは嬉しくなって、喋りまくった。
「いつも手作り弁当の人なんですけど、新田さんが出張に行った日からわたしがランチ一人になることを考えて、わたしのぶんまでその日から毎日手作りのお弁当を作ってくれて……。毎日、一緒に屋上でお弁当食べてました。だからわたしもクッキーを作ったりして、一緒に食べて……。成宮さんに釘を刺してくれたのが、今日だったんです。わたし、今日初めて事務仕事を任されたんですけど、丁寧に仕事も教えてくれて……友達になってくれますかって聞いたら、もう友達だって言ってくれて、すごく嬉しかったんです……!」
そこまで一気に話し終えたとき、箸を持つ新田さんの手がいつのまにか止まっていることに気がついた。
見れば笑顔も消えていて、わずかに眉間にしわが寄っているようにも見える。
「……どうしたんですか、新田さん」
「その……友達になってくれた奴って……もしかして、小野千里子か?」
わたしは、目をぱちくりさせた。
「すごい、どうしてわかったんですか?」
「まあ……手作り弁当を作ってくる奴なんて、あの会社では小野千里子しかいないしな」
それもそうかもしれない。
でもそれにしたって、一発で言い当てるなんてすごい。
それに新田さんてひとりだけ手作り弁当を持ってきている人がいるとか、そんな細かいところまでチェックしているんだ。
「すごい観察力ですね、新田さん」
素直に口にしたのに、新田さんの眉間のしわは消えそうにない。
それどころか、意外なことを言い出した。
「できれば、小野千里子にはもう近づかないでほしいんだが」
「えっ!? どうしてですか!?」
「……俺が気に入らないからだ」
そんな理由でせっかくできた友達から遠ざかるなんて、絶対嫌だ。
そう反論しようとすると、強い口調で言葉を遮られる。
「俺のことを、いろいろ聞かれただろう」
「ああ、それは……でもいまのところ、ボロは出てないみたいですよ。なにも怪しまれていませんし、わたしも当たり障りのないことしか答えてないですし」
「とにかく、これからはあいつに近づくんじゃないぞ。ランチも俺としろ。いいな」
新田さんはそれだけ命令口調で言い放つと、あとは黙々とロールキャベツを食べ続けた。
釈然としないまま夜ご飯を終え、お皿洗いも終わり、いつものように先にお風呂に入らせてもらったあと、寝室の大きなベッドにダイブする。
出張に行く前の不機嫌さがどこかにいってくれたのは嬉しいけれど、小野さんに近づかないでほしいという新田さんの言葉は理解できない。
せっかく喜んでくれると思ったのに。というか、友達が小野さんだって気づく前は新田さんも喜んでくれていたのに。
新田さん、小野さんとなにか過去にトラブルでもあったんだろうか。
それとも、恋愛関係でなにかあったとか……?
そう考えると、にわかに胸がモヤモヤしてきた。
小学生のとき初恋の男の子がいて、その男の子が他の女の子と仲良くしているのを見かけたときにもこんなことがあった。
このモヤモヤはもしかして……嫉妬?
わたし、本当に新田さんのことが好きなのかもしれない。
「わたしには、上原先輩がいるのにな……」
ぽつんとつぶやいてみる。
いるのにな、といっても、上原先輩とはなにもなかったしなんの関係でもないのだけれど。
「そんなにそいつのことが好きか」
いきなり声をかけられて、首を曲げて見ると新田さんがベッド脇に不機嫌そうに立っていた。
気配というものがないんだろうか、この人には。
「彼氏がいてもそいつのために操を立てるくらいに好きなんだったな」
「あ、いえ、でもそれは……」
新田さんと出逢う前の話で、ともごもごと口の中だけで言う。当然ながら、新田さんの耳には届いていなかったようだ。新田さんはベッドに上がってきて、横向きになっていたわたしの身体を挟み込むようにして両腕をついた。
「新田、さん……?」
「案外他の男に抱かれちまえば、そいつのことも忘れられるかもしれないぞ」
そう言う新田さんのほうが、どうしてか苦しそう。
その表情を見て、わたしはとてつもなく哀しくなった。
新田さんはどんな気持ちで、そんなことを言うのだろう。
「他の男って、誰のことですか? 成宮さんですか?」
「──さあな」
言外にそうだと言われているようで、胸がきりきりと痛む。
新田さんはモテるからどんな女の人でもよりどりみどりなんだろうけれど、だからわたしのことなんて眼中にないのだろうけれど
でもわたしには、いまのわたしには新田さんしかいないのに──!
「新田さんじゃなくちゃ、わたしはイヤです!」
モヤモヤがいつのまにか自分でも止められないほどに膨れ上がって、ついそう叫んでいた。
叫んでしまってからハッと我に返ったけれど、それでようやく自分の気持ちに気がついた。
そうか。わたし、新田さんじゃなくちゃイヤなんだ。
いつのまにそうなったのかわからないけれど、新田さんが他の女の人と仲良くするところなんて見たくないんだ。
恐る恐る見上げると、新田さんは驚いたようにわたしを見下ろしている。
「……おまえ……」
「に、新田さんが上原先輩に似てるからっていうのもあるかもしれないですけど、……あくまでそれはきっかけっていうか、たぶんそういうようなもので」
「……嘘だろう。出逢ってまだ一ヵ月も経ってないのに」
「そんなの関係ないです!」
嘘だと言われて、しぼみかけた勇気を振り絞る。
こうなったら……ここまで言ったら、最後まで言わなくちゃ女がすたる。
いままで支え続けてくれていた上原先輩にも、申し訳が立たない……!
「わたし、新田さんのことが好きです! キスをするのも触れられるのも、新田さんじゃなくちゃ嫌です!」
モヤモヤしていたものがそのまままるまる勇気に切り替わったかのように、わたしは告白していた。
ものすごく恥ずかしくて仕方がなくて、自分の耳にまで早鐘のような心臓の音が聞こえてきそうだ。
目を見開いていた新田さんは、ふっときれいな顔に優しい笑みを浮かべて、片手をわたしの頬に添えた。
「……そんなに元気のいい告白を聞いたのは、初めてだ」
ああ、やっぱり新田さんに告白する女の子はいっぱいいるんだ。
きっとこれでふられておしまい。契約も終わり、わたしのすべても終わってしまう。
そう思いかけたとき、
「俺も──おまえのことが、好きだ」
いままで以上に艶めいた声音で、新田さんがささやいた。
今度はわたしが目を見開く番だ。
「そんな、……それこそ嘘です」
「人の気持ちを勝手に嘘って決めつけるな」
「新田さんだって、さっき嘘だろうって言ったじゃないですか」
「人の揚げ足を取るな」
「ほんとだとしたら、じゃあ新田さんこそいつからなんですか? あんなにモテるのに」
「いつからかは、忘れた」
「そんなのずる、」
「ああ、ほんとにうるさいなおまえは」
ずるいと言いかけた言葉を、形の良い唇で強引にふさがれた。いつかの車内でのように。
あのときよりも情熱的に、あのときよりも長く、深く。
あまりにも長いキスに呼吸をすることを忘れていたわたしは、ようやく新田さんの唇が離れると勢いよく「ぷはぁ!」と息を吸い込んだ。
色気もなにもないことはわかっている。雰囲気を台無しにしたことも。
けれど新田さんはクスクスと笑い出して、……仕方ないじゃないですか苦しかったんだから!
「おまえ、……キス下手」
「はぁ、はぁ、……悪かった……、ですねっ……!」
「そんなに苦しかったか?」
「そりゃもう素潜りのごとくっ!」
キッと思い切り睨みつけたのに、新田さんはぶはっと本格的に笑い出してしまった。
「おまえ、最高」
そんなにツボること言いましたかね!?
ああ、せっかくいい雰囲気だったのに。あわよくば新田さんと身体の関係にまでなるかな、なんて少しばかり思ったのに。
新田さんはわたしを抱きしめ続けはしたけれど、仕事の疲れでわたしがいつのまにか寝つくまで笑い続けてもいた。
……新田さんて普段は無表情だけれど、一度ツボにハマッたらなかなか抜けない人のようだ。
だけどこうしてなんだかんだで重なった、わたしと新田さんの気持ち。
身体の関係にまでなるのも、……時間の問題かもしれない。
小野さんと仲良くなってから、自然と女子社員たちとも前より距離が縮まったのは嬉しい。
ただひとつ、わたしが新田さんの本当の奥さんじゃないことを隠したままでいるのは心苦しいけれど……そのうちなんとかなるだろう、と思うことにする。
マンションに着いたときには、もうあたりは薄暗くなっていた。
スペアキーで部屋の鍵を開け、扉を開けたわたしを待っていたのは、ふわりとした夕食のいい香り。
まさかという思いであたふたと靴を脱いで部屋に上がると、キッチンで新田さんが料理をしているところだった。
「えっ……新田さん!? もう帰ってこれたんですか!?」
「そっちは遅かったな。……って、その格好じゃ会社に駆り出されてたのか」
わたしのほうを振り向いた新田さんが、口元をほころばせる。
「仕事、お疲れ」
「新田さんこそ……お疲れ様です。早く帰ってこられるんだったら、メールのひとつくらいくれればよかったのに」
「いちいち報告することでもないだろうと思ってな」
そう、新田さんとわたしはバーで初めて会ったときにケータイ番号とメールアドレスの交換はしていたのだけれど、実際にケータイでのやり取りをしたことはほとんどない。
新田さんが出張に行くまでは常に一緒にいる状態だったから、というのが理由のひとつ。
新田さんが出張に行ってからはわたしのほうから「おはようございます」「おやすみなさい」「お元気ですか?」とか当たり障りのないメールを送ってはいたのだけれど
それに対して新田さんは、メール不精なのか、「おはよう」「おやすみ」「変わりない」と一言ずつ、素っ気ない。
小野さんのことも報告しようと思ったけれど、だから躊躇していたのだ。
それになによりもわたしに会社友達ができた、というあくまでわたしにとってだけれど大きなことは、直接新田さんに口で伝えたいと思った。
新田さんがどれだけ驚くか、いまから楽しみだ。
それにしても、帰ってきて新田さんが家で待ってくれているだなんて、なんて嬉しいことだろう。
いままで一週間一人だっただけに、なおさら幸せを噛みしめてしまう。
新田さんの背中に抱き着きたくなる衝動を必死にこらえながら、そばに歩み寄った。
「なに作ってくれてるんですか?」
「ロールキャベツだ。いまはキャベツが美味いからな」
「わあ、わたしロールキャベツ大好きです! 手伝いましょうか」
「いや、もう出来るからいい。それより早く着替えてこい、メシにするぞ」
「はい!」
急いで仕事用のバッグを寝室に置いて部屋着に着替え、洗面所でメイクを落とす。
やっぱりわたしは独りでいるよりも、誰かと一緒にいたほうが断然好きだ。
それはわたしの生い立ちのせいもあるかもしれないけれど、でもほとんどの人がそうかもしれない。
ダイニングテーブルに向かい合って、「いただきます」をしてロールキャベツを食べる。
「新田さん! このロールキャベツものすごく美味しいです!」
「そうか、良かったな」
新田さんは照れくさそうにぶっきらぼうな口調だけれど、表情は柔らかだ。
そしてわざと話題をそらせるように、尋ねてきた。
「なにか変わったことはなかったか? 成宮に絡まれたりはしなかったか?」
待ってましたとばかりに、わたしは身を乗り出す。
「聞いてください、新田さん! わたし、社会人になってから初めて友達ができたんです! しかもそのお友達、成宮さんに向かって二度とわたしに近づかないでって言ってくれたんですよ!」
「へえ、それはよかったな」
心持ち新田さんの声のトーンも上がって、きれいな顔に微笑みを浮かべてくれる。
だからわたしは嬉しくなって、喋りまくった。
「いつも手作り弁当の人なんですけど、新田さんが出張に行った日からわたしがランチ一人になることを考えて、わたしのぶんまでその日から毎日手作りのお弁当を作ってくれて……。毎日、一緒に屋上でお弁当食べてました。だからわたしもクッキーを作ったりして、一緒に食べて……。成宮さんに釘を刺してくれたのが、今日だったんです。わたし、今日初めて事務仕事を任されたんですけど、丁寧に仕事も教えてくれて……友達になってくれますかって聞いたら、もう友達だって言ってくれて、すごく嬉しかったんです……!」
そこまで一気に話し終えたとき、箸を持つ新田さんの手がいつのまにか止まっていることに気がついた。
見れば笑顔も消えていて、わずかに眉間にしわが寄っているようにも見える。
「……どうしたんですか、新田さん」
「その……友達になってくれた奴って……もしかして、小野千里子か?」
わたしは、目をぱちくりさせた。
「すごい、どうしてわかったんですか?」
「まあ……手作り弁当を作ってくる奴なんて、あの会社では小野千里子しかいないしな」
それもそうかもしれない。
でもそれにしたって、一発で言い当てるなんてすごい。
それに新田さんてひとりだけ手作り弁当を持ってきている人がいるとか、そんな細かいところまでチェックしているんだ。
「すごい観察力ですね、新田さん」
素直に口にしたのに、新田さんの眉間のしわは消えそうにない。
それどころか、意外なことを言い出した。
「できれば、小野千里子にはもう近づかないでほしいんだが」
「えっ!? どうしてですか!?」
「……俺が気に入らないからだ」
そんな理由でせっかくできた友達から遠ざかるなんて、絶対嫌だ。
そう反論しようとすると、強い口調で言葉を遮られる。
「俺のことを、いろいろ聞かれただろう」
「ああ、それは……でもいまのところ、ボロは出てないみたいですよ。なにも怪しまれていませんし、わたしも当たり障りのないことしか答えてないですし」
「とにかく、これからはあいつに近づくんじゃないぞ。ランチも俺としろ。いいな」
新田さんはそれだけ命令口調で言い放つと、あとは黙々とロールキャベツを食べ続けた。
釈然としないまま夜ご飯を終え、お皿洗いも終わり、いつものように先にお風呂に入らせてもらったあと、寝室の大きなベッドにダイブする。
出張に行く前の不機嫌さがどこかにいってくれたのは嬉しいけれど、小野さんに近づかないでほしいという新田さんの言葉は理解できない。
せっかく喜んでくれると思ったのに。というか、友達が小野さんだって気づく前は新田さんも喜んでくれていたのに。
新田さん、小野さんとなにか過去にトラブルでもあったんだろうか。
それとも、恋愛関係でなにかあったとか……?
そう考えると、にわかに胸がモヤモヤしてきた。
小学生のとき初恋の男の子がいて、その男の子が他の女の子と仲良くしているのを見かけたときにもこんなことがあった。
このモヤモヤはもしかして……嫉妬?
わたし、本当に新田さんのことが好きなのかもしれない。
「わたしには、上原先輩がいるのにな……」
ぽつんとつぶやいてみる。
いるのにな、といっても、上原先輩とはなにもなかったしなんの関係でもないのだけれど。
「そんなにそいつのことが好きか」
いきなり声をかけられて、首を曲げて見ると新田さんがベッド脇に不機嫌そうに立っていた。
気配というものがないんだろうか、この人には。
「彼氏がいてもそいつのために操を立てるくらいに好きなんだったな」
「あ、いえ、でもそれは……」
新田さんと出逢う前の話で、ともごもごと口の中だけで言う。当然ながら、新田さんの耳には届いていなかったようだ。新田さんはベッドに上がってきて、横向きになっていたわたしの身体を挟み込むようにして両腕をついた。
「新田、さん……?」
「案外他の男に抱かれちまえば、そいつのことも忘れられるかもしれないぞ」
そう言う新田さんのほうが、どうしてか苦しそう。
その表情を見て、わたしはとてつもなく哀しくなった。
新田さんはどんな気持ちで、そんなことを言うのだろう。
「他の男って、誰のことですか? 成宮さんですか?」
「──さあな」
言外にそうだと言われているようで、胸がきりきりと痛む。
新田さんはモテるからどんな女の人でもよりどりみどりなんだろうけれど、だからわたしのことなんて眼中にないのだろうけれど
でもわたしには、いまのわたしには新田さんしかいないのに──!
「新田さんじゃなくちゃ、わたしはイヤです!」
モヤモヤがいつのまにか自分でも止められないほどに膨れ上がって、ついそう叫んでいた。
叫んでしまってからハッと我に返ったけれど、それでようやく自分の気持ちに気がついた。
そうか。わたし、新田さんじゃなくちゃイヤなんだ。
いつのまにそうなったのかわからないけれど、新田さんが他の女の人と仲良くするところなんて見たくないんだ。
恐る恐る見上げると、新田さんは驚いたようにわたしを見下ろしている。
「……おまえ……」
「に、新田さんが上原先輩に似てるからっていうのもあるかもしれないですけど、……あくまでそれはきっかけっていうか、たぶんそういうようなもので」
「……嘘だろう。出逢ってまだ一ヵ月も経ってないのに」
「そんなの関係ないです!」
嘘だと言われて、しぼみかけた勇気を振り絞る。
こうなったら……ここまで言ったら、最後まで言わなくちゃ女がすたる。
いままで支え続けてくれていた上原先輩にも、申し訳が立たない……!
「わたし、新田さんのことが好きです! キスをするのも触れられるのも、新田さんじゃなくちゃ嫌です!」
モヤモヤしていたものがそのまままるまる勇気に切り替わったかのように、わたしは告白していた。
ものすごく恥ずかしくて仕方がなくて、自分の耳にまで早鐘のような心臓の音が聞こえてきそうだ。
目を見開いていた新田さんは、ふっときれいな顔に優しい笑みを浮かべて、片手をわたしの頬に添えた。
「……そんなに元気のいい告白を聞いたのは、初めてだ」
ああ、やっぱり新田さんに告白する女の子はいっぱいいるんだ。
きっとこれでふられておしまい。契約も終わり、わたしのすべても終わってしまう。
そう思いかけたとき、
「俺も──おまえのことが、好きだ」
いままで以上に艶めいた声音で、新田さんがささやいた。
今度はわたしが目を見開く番だ。
「そんな、……それこそ嘘です」
「人の気持ちを勝手に嘘って決めつけるな」
「新田さんだって、さっき嘘だろうって言ったじゃないですか」
「人の揚げ足を取るな」
「ほんとだとしたら、じゃあ新田さんこそいつからなんですか? あんなにモテるのに」
「いつからかは、忘れた」
「そんなのずる、」
「ああ、ほんとにうるさいなおまえは」
ずるいと言いかけた言葉を、形の良い唇で強引にふさがれた。いつかの車内でのように。
あのときよりも情熱的に、あのときよりも長く、深く。
あまりにも長いキスに呼吸をすることを忘れていたわたしは、ようやく新田さんの唇が離れると勢いよく「ぷはぁ!」と息を吸い込んだ。
色気もなにもないことはわかっている。雰囲気を台無しにしたことも。
けれど新田さんはクスクスと笑い出して、……仕方ないじゃないですか苦しかったんだから!
「おまえ、……キス下手」
「はぁ、はぁ、……悪かった……、ですねっ……!」
「そんなに苦しかったか?」
「そりゃもう素潜りのごとくっ!」
キッと思い切り睨みつけたのに、新田さんはぶはっと本格的に笑い出してしまった。
「おまえ、最高」
そんなにツボること言いましたかね!?
ああ、せっかくいい雰囲気だったのに。あわよくば新田さんと身体の関係にまでなるかな、なんて少しばかり思ったのに。
新田さんはわたしを抱きしめ続けはしたけれど、仕事の疲れでわたしがいつのまにか寝つくまで笑い続けてもいた。
……新田さんて普段は無表情だけれど、一度ツボにハマッたらなかなか抜けない人のようだ。
だけどこうしてなんだかんだで重なった、わたしと新田さんの気持ち。
身体の関係にまでなるのも、……時間の問題かもしれない。
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