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本気の好き

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翌日新田さんと会社に行って、仕事開始とともにいつも通りお茶くみを始めようとしたわたしを、部長さんが呼び止めた。

「澤田くん、今日も事務をやってくれないかね」

「えっ?」

「土曜日に君に事務をやってもらっただろう。なかなかの腕だったよ。同期の柴崎くんとも引けを取らないくらいだ。まあ、簡単なことからだからつまらないかもしれないが、やってくれると助かるよ」

休日出勤のときの成果が、こんなふうにあらわれるだなんて……!
もちろんわたしは、「喜んで!」と勢い込んで返事をした。
部長さんは本当にいい人のようで、指導係として新田さんをわたしにつけてくれもした。

「公私混同はしないように」

と微笑ましげに注意は受けたけれど、そんなの当然のことだ。

しばらくは新田さんの補佐的なことをしてくれないかということだった。
新田さんについてみて初めてわかったのは、新田さんが指輪などのデザインも手掛けているということ。
このフロアでは一階のアトリエの事務処理だけでなく、デザインもやると聞いてはいたけれど、まさか新田さんがそんなことまでしているだなんて。

「新田くんのデザインしたジュエリーは、評判がいいんだよ」

と部長さんが言えば、

「新田さん、デザインセンス抜群ですもんねー!」

女子社員たちもはしゃぐように言う。
自分の好きな人がそんなふうに誉められるだなんて、なんだか嬉しい。
本気の仕事をしていると、時間が経つのも早く感じる。
あっという間にお昼休憩になり、それでも出張明けの新田さんは忙しそうで、席を離れられそうにない。

「璃乃、先に社食に行ってていいぞ。腹減っただろ」

まだパソコン画面を見つつ新田さんがそう言ってくれたとたん、返事のようにお腹がぐうぅと鳴る。
は、恥ずかしい。
新田さんはパソコンから顔を上げ、ふっと微笑んだ。

「無理しないで、先に食べてろ。すぐ行くから」

「は……はい。ありがとうございます!」

本当なら新田さんの仕事が一区切りつくまでついていたかったけれど、小野さんとランチの時間に今日の仕事後の食事のことを話すという約束がある。
新田さんに話すとまた駄目だとか言われそうだったから、言ってないけれど。
相談が終わったらすぐに社食に行けば間に合うかな、なんて考えながらフロアを出ると、小野さんがいつものようにお弁当箱を二つ持って待っていてくれた。

「璃乃、もしかして今日からまた新田さんとランチ?」

「あ、うん……そうなるかもしれないけど……」

せっかくお弁当作ってきてもらったんだし、今日くらいはランチ一緒してもいいかな?
そんなわたしの思いを汲み取ってくれたのか、小野さんはにっこり可愛らしい笑みを浮かべる。

「わかった。それが自然だもんね。じゃあ、一緒にランチするのは今日が最後ってことにしよ? あ、でも新田さんがいない日とかは、また一緒にランチしようね~!」

「うん、ありがと……なんだかわたしにばっかり都合よくてごめんね」

「そんなことないよ~! 新田さんが璃乃のこと離してくれないんでしょ? わかるなあ」

新婚だもんね、なんて言いつつ屋上へ向かう小野さんのあとを、わたしはついていく。
実は今日のランチ時間が小野さんと過ごせる最後だろうと覚悟して、朝新田さんよりも早起きしてパウンドケーキを作ったのだ。
いままではクッキーだけだったし、友達に親愛の印としてちょっと頑張ってみたんだ。

朝起きてきた新田さんはごまかしようのないケーキの香りに怪訝そうな顔をしたけれど、「お昼休憩にと思って……新田さんのぶんもありますよ!」と慌てて言うと、なんとか納得したようだった。
若干心苦しいけれど、いいよね。ほんとに新田さんのぶんも作ってあるし、嘘はついていない。……と思う。

今日も屋上でうららかな陽射しの中、小野さんに作ってもらった手作り弁当を彼女とともに広げて食べる。
話し合いのすえ、ふたりでの食事は会社が終わったあと小野さんオススメのカフェでとることに決めた。

新田さんに反対されるかもしれないけれど、なんとか言い含めて今日は先に帰っていてもらおう。
せっかくできた友達だもん、大事なしなくちゃ。

お弁当をきれいに食べ終えると、小野さんはいつものようにわたしのぶんのお弁当箱を引き取る。
お弁当箱くらいは洗って返します、と初日に言ったのだけれど、「あたしが勝手にやってることだから」とさせてもらえなかった。
小野さんてほんとに優しい人だなあ。

「今日は、パウンドケーキを作ってみたんです。お菓子作りはあんまりうまくないので、うまくできてるかわからないんですけど……」

そっとパウンドケーキの包みが入った紙袋を差し出すと、小野さんは嬉しそうに受け取ってくれた。

「きゃー! 璃乃からのパウンドケーキだぁ。ね、食べていい~?」

「もちろん」

「いっただっきまーす」

小野さんは紙袋から包みを取り出し、二切れあるうちのひとつを手で取ると、パクリとひとくちかじった。

「おいし~い」

語尾に音符マークかハートマークでもついていそうで、わたしまでウキウキしてしまう。
そこへ、唐突に質問を突っ込まれた。

「ねえねえ、新田さんの背中と太ももの内側にほくろってある?」

「えっ……」

ほ、ほくろ?
しかも……背中と……太ももの内側に?

もちろん新田さんのそんなところ見たことがないから、答えに詰まってしまう。
小野さんはゆっくりとパウンドケーキを頬張りながら、上目遣いに言葉を続ける。

「新田さんの身体のその二ヵ所にはほくろがあるんだって。なんでも、その部分にほくろがある男の人ってテクニシャンだし抱いた女の人はみんな運気が上がるんだって。新田さんの噂って、そこからもきてるみたいよ。璃乃、知らないの? 新田さんに抱かれてないの? あんなにラブラブなのに?」

ギクリとして、とっさに答えてしまっていた。

「あ、あります。新田さんの背中と太ももの内側にほくろ、ありますよ」

小野さんに疑われて、嫌われるのが嫌だった。
だから慌てて答えてしまったのだ。
小野さんは「へー、そうなんだぁ」と口の中のパウンドケーキをごくんと飲み込む。
そして、にっこりと微笑んだ。

「嘘つき」

可愛らしい笑顔なのに、その大きな瞳と声には嫌というほど険が含まれていて、わたしの心臓がドクンと嫌な音を立てた。

「去年の社員旅行で海に行ったときに、新田さんの水着姿見たことがあるから社員はみんな知ってるよ。新田さんには背中にも太ももの内側にも、ほくろなんてない」

小野さんがなにを考えているのかが、わからない。
どうしてこんなふうに、手の平を返したみたいなことを言うんだろう。
どうして、……顔は笑ってるのに……だからこそなおさら、恐ろしい。

「ちょっとカマかけてみたの。ランチ一緒にできるの、今日が最後のチャンスだと思ったから。懐にまで入り込んで探ってみた甲斐があったわー、みんなにも教えなくちゃね。澤田璃乃は新田さんに抱かれてなんてない嘘つきだって」

愕然とするわたしに、小野さんは残りのパウンドケーキを投げつける。
パウンドケーキはわたしのスーツのお腹のあたりにあたって、コンクリートの地面に落ちた。

「お菓子作りもヘタ。生焼けじゃない。クッキーだってお煎餅みたいに堅かったし。料理もヘタなんじゃないの? 新田さん、こんな奥さんで可哀想」

「……小野さん、どうして……?」

「どうしてってなにが?」

「だって、」

泣き出しそうになるのを、必死にこらえる。

「だって……友達でしょ……?」

「ばっかみたい。あんたなんかと友達になるわけないじゃない。偵察するために近づいただけ。そのために仲良くしてただけ。食事の約束も当然取り消しね。あー、これですっきりしたぁ! じゃあね、二度と話すことはないと思うけど」

小野さんは最後までにこにこと笑みを崩さずに、でも憎々しげに吐き捨ててひらひらと手を振ると、屋上から去っていった。
あとにはもう一切れのパウンドケーキが入った紙袋だけが、残される。
それと……地面に落ちて、無惨につぶれた小野さんのためのパウンドケーキ……。
わたしを嘘つきと言った小野さん。

『璃乃ちゃんの嘘つき!』

中学生のとき親友だったユウちゃんの声が、耳元で聞こえる。
それと同時に、当時のことが一気に頭の中にフラッシュバックした。
ああ、わたしはまたあのときと同じことをしてしまったんだ。
あのときと少し状況は違うけれど、今回だって……きっかけは嫌われたくなかったからだからといって、嘘をついたことは同じだ。

せっかくわたしは、人生をやり直したのに。
上原先輩が、ずっと支えてくれていたのに。

『人は、マイナスからでも歩き出せる』

わたしはあのときの上原先輩の言葉をも、無駄にしてしまったんだ──。
見る間に視界が滲んでゆく。
泣いたらだめだ。そんなの卑怯だ。
だってわたしが悪いのに、泣いたら被害者ですって言ってるようなものじゃないか。
なのに涙は勝手に溢れてきて、頬を伝う。顎をも伝い、コンクリートにぽたりぽたりと落ちてゆく。

「……小野千里子が女子社員を集めて噂話を始めたから、探してきてみれば」

耳に心地よい低音ボイスが、鼓膜を打つ。
見なくてもわかる。声だけでわかる。大好きな人だから。

「小野千里子に、なにを言われた?」

歩み寄ってきた新田さんは、少しだけ汚れたわたしのスーツと地面に落ちてつぶれたパウンドケーキを交互に見て息を呑み、次いで怒ったように聞いてきた。
そんなの、言えない。みっともなさすぎて、言えない。

「言え。言わないと小野千里子に問いただすぞ」

そんな聞き方、ずるい。

「わたしが、悪いんです……だから小野さんに聞いたりなんてしないで……」

しゃくり上げながらそう言うと、新田さんは両手でわたしの両肩をがしっとつかむ。
顔を覗き込まれ、否応なしに視線が重なった。
滲む視界に新田さんのきれいな顔が、厳しい表情で揺れている。

「どんなことでも受け止める。吐き出せ、全部。ひとりで抱え込むな」

新田さんって、案外馬鹿なのかもしれない。
だって誰だってこんなとき、そんな優しい言葉をかけられたら涙腺は崩壊してしまう。
わたしも例外ではなかった。

だけど新田さんは、みっともなくわんわん声を上げて泣き出したわたしに対して呆れるでもなく、ただただひたすら抱きしめて背中をぽんぽん撫でてくれていた。
泣きじゃくりながら、わたしはさっきの小野さんとのやり取りを話した。

「できるだけ小野千里子の言葉も正確に言え。自分に不利なようには言うな」

新田さんがそう言ったため、必死に思い出して伝える。

不思議とそうすることで、だんだんとわたしは冷静さを取り戻していって
最後まで話し終えたころには、涙も自分の手で拭えるくらいになっていた。

「ごめんなさい、こんな……泣いたり、して……」

鼻水をすすりあげながら言うと、新田さんはギリッと歯を食いしばるようにしてわたしを抱きしめた。

「……そんなことをされたら傷つくのは当たり前だ。だから小野千里子には近づくなと言ったんだ」

「小野さんは悪くないです、わたしが悪いんです。嘘をついてしまったから……わたし中学のときとおなじ失敗を繰り返して、……馬鹿、です……」

「おまえは馬鹿なんかじゃない」

新田さんはわたしを抱きしめる腕に力をこめ、耳元でささやくように言う。

「傷ついてボロボロになって、人はそこから成長していくんだ。おなじ失敗を繰り返したって、決して無駄なことじゃない。みんなひっくるめて、その人の人生。みんな、それでいいんだ」

……この人はどうして、そんなにあたたかな言葉を言ってくれるんだろう。
わたしの中学のときの失敗なんて知らないはずなのに、それでもこうして受け止めてくれる。
ああ、……やっぱりわたしこの人のことが好きだ。大好きだ──。

「それにおまえがそんな嘘をつく羽目になったのも、俺との契約のせいだしな」

「そっ……それは違います! あの契約とは関係ないです!」

「あるだろ。なによりおまえに関することだ、俺にも関係がある」

新田さんは一度身体を離し、わたしを見下ろす。
その表情には、なにかを決意したような色があった。

「午後、みんなが集まったところで部長に話したいことがある。おまえは俺が守る。小野千里子が仮になにか言ってきたとしても、俺を信じて少しだけ耐えてくれ」

新田さんの言っていることが、よくわからない。

「話したいことって……? 部長さんがなにか、関係あるんですか……?」

「いいから、言うとおりにしろ」

そこでちょうど、お昼休憩の終了を知らせるチャイムの音が聞こえてくる。

「先に戻っていろ」

新田さんはそう言ってわたしの頭を軽く撫でると、足早に屋上を去っていった。
小野さんと、これからどんなふうに顔を合わせたらいいんだろう。
コンクリートに落ちたパウンドケーキの残骸を片付け、重い足取りでパウンドケーキの紙袋を持ってフロアへ戻ったわたしを、小野さんを中心に一塊になっていた女子社員たちがちらちらと見る。

「嘘つきは死ねばいいのよ」

ひときわ高い声で小野さんが言う。
それに対して、誰も注意をしない。もうわたしが嘘つきだという噂も広まっているからかもしれない。
自分のデスクに戻ってから、机の上に花瓶が置いてあることに気がついた。
まるで、亡くなった人間の机にそうするように──。

こんなの子供がする嫌がらせだ、そう思って出かかった涙をぐっとこらえる。
花瓶を自分で元の場所へと戻し終えたとき、部長さんが戻ってきてみんなそれぞれ仕事を始めた。
こんなとき、やるべき仕事があると気が紛れる。
事務仕事を任されるようになって本当によかった。

半ばがむしゃらになってパソコンに向かって仕事に没頭していると、

「新田くん、遅かったじゃないか」

部長さんの声が聞こえてきて、ハッと顔を上げた。
いま戻ってきたらしい新田さんは大きな紙袋を持って、自分のデスクではなくまっすぐに部長さんの席へと向かう。

「すみません。残業は覚悟です。どうしても会社に公にしなければならないことができまして」

「仕事が終わってから、どこかの店では駄目なのかね?」

「そうなると、加害者がこない可能性が高い。それでは意味がないんです」

「加害者? 新田くん、なんのことかね?」

新田さんと部長さんのやり取りを、仕事をしつつもフロアの社員全員が気にしているのがわかる。
それを充分にわかったうえでだろうか、新田さんは紙袋の中身を部長さんのデスクの上にぶちまけた。

「これは、俺が入社してから澤田璃乃と結婚するまでのあいだ、俺に届いた手紙です。すべてとある人物一人からのものです」

それは、大量の手紙だった。
山と積まれた手紙の一通を取り、部長さんが新田さんを見上げる。
新田さんが軽くうなずくと、部長さんは手紙を開封した。
軽く流し読みをし、眉をひそめる。

「これは……ずいぶんと熱烈なラブレターだな」

「こちらには加害者の自宅のスペアキーが同封されています」

その新田さんの言葉に、社員全員がぎょっとしたようだった。
わたしも初めて、新田さんにラブレターを送り続けた人物の異常性を理解し始めた。
このご時世にメールではなく、大量の手紙を送りつけるだけでなく……スペアキーまで同封するなんて……かなり自己主張の強い人間と思わざるを得ない。

「手紙だけでなく、メールも毎日何十通も届いていました。俺は最初にメールがきた時点で交際を断りましたが、その人物は一方的にこうしてメールや手紙を俺に送り続けました。中には、こんなものもあります」

新田さんが差し出した手紙の一通を部長さんが受け取り、開封したとたんに「ひっ」と悲鳴を上げた。
思わずのように部長さんが放り出した手紙からは、髪の毛の束までもが出てきたのだ。

「『あたしのかわりに愛してね』……俺が会社でも無視をし続けても、かわりませんでした。いつか俺の我慢の限界をこえたときいつでも警察に突き出せるように、これらの品は証拠としてすべて取っておいたんです。メールもすべて保護してあります」

「か、会社でもって……新田くん、加害者とは……この会社の人間なのか?」

「はい」

新田さんは、力強くうなずく。
これって立派なストーカーよね、と女子社員たちがひそひそと話す声が聞こえる。
新田さんがストーカーにあっていたなんて、わたしも初めて知った。
もはや社員の誰もが仕事の手を止め、新田さんに注目していた。
新田さんは、続ける。

「部長、ラブレターの筆跡に覚えはありませんか」

うう、と部長さんはうなり声を上げた。

「かなりくせのある字だからもしやと思うが……これは、小野くんの……?」

新田さんは、大きくうなずいた。

「そうです。俺をずっとストーカーしていたのは、小野千里子です」

ええっと社員全員が目を剥き、一斉に小野さんを見た。
わたしも驚いて、それにならう。
小野さんは青ざめた顔をして、立ち上がった。

「う、嘘よ! なん、なにいってるのよ新田さん! ちょっとモテるからってそんな嘘つかないで!」

けれど新田さんは、あくまでも冷静に小野さんを冷たい瞳で見つめ返す。

「きみが否定しても証拠はご覧のとおり、わんさかとある。俺が結婚したとたん手口を切り替えて澤田璃乃に探りを入れ始めた、それがなければ俺ひとりの問題としてすませてやれたのに」

「あたしを誰だと思ってるの!? 社長の娘よ!?」

「そう、だから目をつぶっていたんだ。女子社員たちがきみに右習えしているのもそういう事情があってのことだろう。だが、きみが澤田璃乃にしたことで俺の堪忍袋の緒が切れた。なんなら本当にこの手紙や鍵や髪の毛を警察に持って行って、俺の言っていることが嘘かどうか調べてもらおうか?」

もはや小野さんはなにも言えず、その場から駆け出して行ってしまった。
社員たちのあいだからは、「小野さんこええー」だの「小野さんが新田さんのこと好きなのは知ってたけど、そこまでしてたなんて……」だのいう声が聞こえてくる。
小野さんが社長の娘だったことや、わたしにしたことにはそういう理由があったんだということが初めてわかって、わたしは半ば呆然としていた。
新田さんと部長さんはそれから短い会話を交わして、気がつけば新田さんはいつもどおり自分のデスクに座っていて、わたしを呼んだ。

「澤田さん、午前中のとおり、補佐を頼みたいんだけど」

「あ……はい!」

わたしは慌てて席を立ち、新田さんの席へと走る。
まだ騒然とする社内の中、新田さんだけが落ち着いている。
新田さんが与えてくる仕事の指示を聞きながら、わたしはつい尋ねていた。

「あの紙袋……、どこから持ってきたんですか?」

「俺が結婚したと公にしたとたんにああいう行為がなくなったから、きっと手段を変えてなにかしてくるだろうと思った。おまえに接触してきたことがわかってから、いつでも証拠として公にできるように車のトランクに入れておいたんだ」

とすると、お昼休憩が終わったあとに新田さんはあの紙袋を取りに駐車場に行っていたんだ。

「結婚したふりをしてたのって、もしかして……小野さんのストーカーのせいですか?」

「だから言ったろ? くだらない理由だって」

苦虫を噛み潰したような新田さんの表情に、「くだらなくなんかないです!」とわたしは言っていた。
きっと新田さんは、社長の娘である小野さんの体裁も考えて、自分にストーカー被害があっても黙認していたのだ。
あんなことをされたら、わたしだったらとっくに気がおかしくなっているかもしれないのに。

そこまで沈黙を貫いた新田さんは、わたしのために事を公にしてくれた。
文字通り、そうしてわたしを守ってくれたのだ。
この人はなんて強くて優しい人なんだろう。

「新田さん」

新田さんの隣で書類の整理をしながら、わたしはそっとささやく。

「大好きです」

パソコンを打つ新田さんの手が止まり、そっと目を上げると視線が合った。

「俺もだ」

新田さんが、微笑む。
きっと本気で好きになったのは、この人が初めてだ。
いままでの恋は、きっと本物じゃなかった。
憧れだったり恋に恋をしていたり、たぶんそんなふうだったんだと思う。

だってこんなに誰かに何もかもを捧げたい衝動に駆られたのは、初めてだ──。
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