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幸せの足音

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その日を境に新田さんは周囲に、「いままで結婚していたふりをしていた」ことを明かし謝罪した。
会社では部長さんをはじめとしたみんなが驚いていたけれど、

「まあ、小野くんのことをはじめいろいろあったし、仕方がないなあ」

とそれぞれに納得もしてくれたようだった。
そのうえで新田さんが、

「改めて澤田璃乃と結婚をするので、式にはぜひお越しください」

なんて爆弾発言したものだから、みんなはもっと驚いていた。
だけど新田さんは嬉しそうに、にこにこと報告したのだ。

「学生のときから両想いだったんです。きちんと式を挙げて、璃乃は俺のものだってお披露目もしたいので」

式だなんてわたしはいいって言ったんだけど、新田さんはきかない。
公然としたのろけとも取れる新田さんの台詞に、

「いやーほんとにきみたちにはあてられるなあ」

部長さんは苦笑交じりに言っていた。
もちろんその日のランチのときに、新田さんとわたしが女子社員たちの質問攻めにあったことは言うまでもない。
式はなんと、6月になった。それも、今年の。

「だってジューンブライドっていうだろう? おまえの嫁になる璃乃ちゃんにはしっかり幸せになってもらって、おまえのことも幸せにしてもらいたいからね」

そう言い切ったのは、上原先輩……もとい、上原さん。
彼はお父さんであるウエハラグループの会長に頼み込んで、その力を思う存分発揮して、予約の殺到している6月にわたしと新田さんの結婚式を強引にねじ込んだのだ。
知らないうちに勝手にそんなことを決められていたものだから、思わず新田さんとともに唖然としてしまった。

上原さんは憎んでいたことが嘘のように、いまではなにかと新田さんとわたしの面倒を見てくれている。
結婚式の準備くらい新田さんとふたりでゆっくり進めたかったというのも本音だけれど、ほかでもない新田さんが困りながらも嬉しそうなので、わたしも「まあいいかな」という気持ちだ。

最近残業の多い新田さんとわたしは、平日にも仕事の合間を縫うようにして、成宮さんを引き連れた上原さんと一緒に結婚式の準備を進めた。

そして6月のある晴れた日。
わたしと新田さんの結婚式の当日──。
式の前に新田さんとふたりで市役所に行って、ずっと前から準備していた婚姻届を提出した。

「これで、本当におまえと夫婦になれた」

車の中で新田さんは、感慨深く微笑む。
そして手の平におさまる程度の大きさの包みを取り出し、渡してくる。

「なんですか……?」

「遅れたけど、なんていうか……婚約指輪兼結婚指輪、みたいなものだ。結婚指輪は別として作ってもらったけどな」

「え……」

そっと包みを開けてみると、ケースには「printemps(プランタン)」と書かれている。
中にはダイヤをぎゅっとプラチナで抱え込むような、全体から見ると∞(無限大)の形の指輪が入っていた。
ダイヤは決して大きくはなかったけれど、センスは抜群というか、見ているだけで胸キュンしてしまうデザインだ。
もしかして……。

「新田さんがデザインしてくれたんですか?」

「ああ」

照れくさそうに言う新田さんに、わたしは横から飛びついた。

「嬉しい! それで最近残業続きだったんですね! ありがとうございます!」

「いや、その……たいしたことじゃないだろう。おまえは俺のものっていう証だ」

照れたような新田さんの頬は、赤く染まっている。
愛しすぎて勢いでその頬にくちづけると、ぎゅっと抱きしめられて唇に本格的なキスを受けてしまう。

「新田さん、早く式場に行かないと……」

「いいかげん名前で呼べ」

「りゅ、ういちさ……ん……っ」

幾度もキスを交わしてから、耳たぶを甘噛みまでされてしまう。

「ちょ、新田さんっ……!」

「火をつけたおまえが悪い」

そしてもう一度わたしの唇にキスを落とそうとした新田さんは、コンコン、と運転席の窓を外から軽くノックされてようやく身体を起こした。
見ると、上原さんがにこにこ笑顔で立っている。

そうだ、そういえばこの人もいつものようについてきてるんだった。
すっかり忘れていた。
新田さんが窓を開けると、上原さんは大仰にため息をつく。

「イチャつきたい気持ちはわかるけどさ、新郎新婦が式に遅れたらどうするんだよ。あと竜一、今日の披露宴が終わったら親父が例の話、本格的におまえに返事をもらうって息巻いてたから覚悟していたほうがいいよ」

今度は新田さんが、ため息をつく番だ。

「勘弁してくれ。俺はウエハラグループの後なんて継ぐつもりはない。いまの仕事が好きなんだ」

「仕方がないだろ? 俺は画家として独立してるから跡継ぎとしては無理だし、親父は元からおまえに継がせたかったって言ってるじゃないか」

そして上原さんは、わたしのほうへと視線を移す。

「ねえ? 璃乃ちゃんからも説得してよ。竜一が後を継いだら、璃乃ちゃんも会長夫人だよ」

新田さんのお父さんが新田さんにウエハラグループの後を継がせたがっている、という話はわたしも聞いている。
もちろんいますぐに、という話ではない。
けれど会長の跡継ぎとして受諾するのならば、それなりの準備もあるし社会勉強もしなければならない。必然的にウエハラグループの傘下の会社に入れられることになるだろうし、そうしたらいまの仕事は続けられなくなるだろう。
だけど、わたしの答えは決まっている。

「どんな道でも、新田さんが選ぶ道にわたしは寄り添います。どんな新田さんでも、わたしは好きですから」

「ああもう、おまえらは溺愛してるし溺愛されまくってるんだなあ」

呆れたように笑う、上原さん。

「まあ、親父は頑固だしあきらめが悪いから、おまえがうんてうなずくまで離れないと思うけどね」

「本気で勘弁してくれ」

「っと、急がないとほんとに遅刻するぞ?」

「わかってる」

上原さんは成宮さんが待機する車に戻っていき、新田さんも車を発車させる。
式には一応、お世話になっている親戚もきてくれる予定だ。もちろん弟もその彼女も、大学時代にできた親友も。
会社では柴崎くんはもちろん、社員全員が参加してくれる予定だった。

わたしと新田さんは、小柳さんにも、「改めて結婚する」と報告をしていた。彼女はすでに旦那さんとまた一緒に暮らすようになっていて、びっくりはしていたけれど、「おめでとう」と言ってくれた。
だけど、「わたしが行くといろいろ問題もあるでしょうから」と、式は欠席している。会社でわたしと新田さんがあることないこと言われないようにと、気遣ってくれたらしい。

控室でウェディングドレスに身体を纏われ、メイクもしっかりされた顔をヴェールで覆った自分は、別人のよう。

「姉ちゃん、お姫様みたいだな」

なんて弟の博樹(ひろき)まで、ガラにもないことを言う。
時間になり、いまはいない父親のかわりに、博樹がわたしと一緒にヴァージンロードを歩く。
そうしたいと言い出したのは、博樹だった。

「俺、いままで親戚のところでも姉ちゃんにおんぶにだっこだったからさ。澤田家から旅立つ姉ちゃんを、肉親として俺が見送りたいんだ」

その言葉を思い出すたびに、涙があふれてきそうになる。
ヴァージンロードの先では新田さんが立ってわたしを待っていて、博樹が去ると彼はそっとささやいた。

「どこかのお姫様みたいだ」

「博樹とおなじこと言ってる」

わたしがそう笑うと、

「惚れ直した」

少し意地悪っぽい、優しい笑顔で言われて顔が熱くなった。

病めるときも健やかなるときも──。
神父さんの言葉に続き、わたしと新田さんはそれぞれ「誓います」と言う。

指輪の交換のあとは、誓いのキスだ。
新田さんがわたしのヴェールを持ち上げ、わたしの唇に、そっと触れるだけのキスをする。
それだけでもう、こらえていた涙があふれて頬を伝い落ちてしまった。

みんなに口々に「おめでとう」と言われ、ひらひらと舞い落ちるフラワーシャワーの中、拍手とともに新田さんと一緒に式場を出る。
このまま、広くお洒落なガーデンで披露宴だ。

その前に、とわたしは新田さんと一緒にたくさんの写真を撮られる。
博樹もビデオカメラを回してくれているはずだ。

天国のお父さんもお母さんも、わたしのことを見てくれているだろうか。
そんな思いで空を振り仰ぐわたしの肩を、新田さんが抱く。

「そんなに泣くな」

「だって、……幸せすぎて……」

「心配しなくても、おまえはずっと俺のものだ」

どんな俺様発言ですか、と心の中で突っ込みつつも、新田さんのその言葉が嬉しくて、また涙が出てきてしまう。
そんなわたしの涙を長い指で拭ってくれながら、新田さんは言った。

「ずっとずっと、愛し抜いてやる。一生後悔するくらい、幸せにしてやる」

なんだかものすごい告白をされてしまった気がする。
だからわたしも笑顔で答えるのだ。

「わたしも、後悔するくらい幸せにしてあげます。──竜一さん」

とたんに不意打ちのキスが降ってきて、いまだ!とばかりにいくつものシャッターが切られる。

「新田さんてば、もう……っ!」

「理性を飛ばすようなことを言うおまえが悪い」

しれっとそう言った新田さん……竜一さんは、わたしにもう一度、あのとろけるようなキスをして微笑んだ。

「璃乃、……愛してる」

「わたしも……愛してます……」

今日幾度目かわからない竜一さんからのキスを受けながら、わたしは
幸せの足音が聞こえたような、気がしていた。

《完》
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