レビス─絶対的存在─

希彗まゆ

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memento mori リヴィSide

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食堂の壁紙が一部はがれかけていることに気付いたのは、夜中の12時を告げる柱時計の鐘が鳴り終えたときだった。
既に寝衣を身につけ、長い髪を三つ編みにして──なにしろ腰まであるので、そうでもしなければ翌朝えらい目にあうのだ──蝋燭を片手に持っていたぼくは、どうにも気になって電気を点けた。
明日にやればいいのだろうが、こういうことは早めにやらなければ気が済まない。

「おや」

よく見ると壁紙の下の壁板までも、釘が取れかかっている。

「金槌は、どこにありましたか……」

広い屋敷なので歩きながら探すと、とてつもないほど体力を浪費する。
食堂を出る前に見当をつけなければならなかった。

倉庫だったろうか? いや、この前アインが車庫に持っていったような記憶がある。アインはその後、ちゃんと戻しておいただろうか?

考えに没頭していたぼくは、どん、と壁を叩く音に飛び上がった。
いつのまに来ていたのか、ジェイドが自らの左手を金槌にして、釘を打ちつけたところだった。

「ああ、ありがとうジェイド。助かりましたよ。ところで、こんな夜中にどうしたんです? 何か用があったんでしょう?」

するとジェイドは、右手に持っていた紙を広げてみせた。
そこには『LIVY(リヴィ)』の文字が、かなり危ういものではあったが並んでいる。

「僕の名前が書けるようになったんですか! はは、嬉しいですね」

わざわざぼくに見せにきたのだ。
ぼくは喜んで、「何かお礼をしなくてはいけませんね」と厨房へいそいそと向かう。
明日のお茶の時間にとっておいたゴーフルがあった。

「ゴーフル、これならこの時間でもあまり毒にはならないでしょう。今、ミルクを温めて……」

ゴーフルをトレイに乗せたぼくは、そこにラディアス様の姿を認めて立ちすくんだ。

「いつのまにか、この木偶の坊と仲良くなったようだな」

青灰色の瞳が、剣呑な光を放っている。
しかしぼくはすぐに気を取り直した。

「ジェイドはいい人ですから。力持ちで、優しくて。ほら、その釘だって」

ぼくの声は、突然の高笑いに遮られる。
屋敷の主人はボサボサの髪の毛を振り乱し、大仰なほど笑い転げていた。

「翡翠(ジェイド)! 翡翠(ジェイド)だと! この動く人形がか! この世ならぬ灰の塊がか!」

ジェイドは、驚いたように翡翠の瞳を大きく開いている。ぼくはその肩を優しく叩いた。

「気にしなくていいんですよ。そこにお座りなさい」
「気にするだと!? その灰の塊に意志などあるものか!」

一転して、ラディアス様の顔つきが変わる。激しい憎悪と失望が、その瞳の奥にある。

「リーヴィー!!」

乱暴に髪の毛をかきむしり、彼は叫んだ。

「あの娘は、いつまでここにいる気だ!?」
「もうしばらくの間は、いてもらおうかと」
「これ以上、私を苦しませる気か! あの娘のうるさい足音が聞こえるたび、私の鼓膜は破れてしまいそうだ! 私が何日眠っていないか知っているか? 今夜もあ──」

ふと、ラディアス様は言葉を途切らせた。
なぜかぼくの背筋を、悪寒が走る。
青灰色の瞳がこちらを向いたとき、ぼくの予感は確かなものになった。

「……あの娘は、どこの部屋で眠っているのだ、リヴィ?」
「──ラディアス様の研究室からは、ほど遠いところです」
「どこなのだ、リヴィ!」

ぼくは答えられなかった。
何か言い訳を、と考えを振り絞ろうとするぼくを待ってはくれず、ラディアス様はジェイドを振り向いた。

「アシュー! 私の失敗作よ! お前は自分で考え、行動することすらできない。しかしせめて命令に忠実になるようにと与えた暗示(もの)が、お前にはある!」

瞳に狂気の光が宿る。
それを見たぼくは「やめてください!」、と叫んだ。
しかし肩をつかんだぼくの手をひきはがし、ラディアス様は言葉を口にした──。

「memento mori(メメント モリ)<死を思い起こせ>……あの娘を殺せ!!」

弾かれたように、ジェイドは床を蹴った。

「待ちなさい、ジェイド!」

ぼくは追いかける。
いつも動作の鈍い大男は、何かに取り憑かれたように身のこなしが早い。たちまち廊下の端に消えていく。

駄目だ。
ジェイドにあの子を殺させては、駄目だ。

この屋敷に明るい陽射しを灯してくれているあの子を。
ジェイドをこよなく愛しているあの子を。

殺させては、駄目だ──!
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