SINNES~歯車の紡ぐ夢~

希彗まゆ

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第4章:希塊回帰~SELECT MAM~

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引っ越しが多かったのは、追っ手から逃げているためだった。博士はわたしを「廃棄処分」させないために逃亡していたのだ。
 荷物が少ないのも、いつでもすぐに逃げられるようにという理由からだった。知り合った人間とわざと深い関係にならないのも、自分の心にも相手の心にも互いを残さないためだ。
 すべて告白してくれたあの晩から、博士はよくわたしを抱きしめるようになった。

「優しいイサヤ」

 特に夜になると、不安に駆られた幼子のようにわたしに触れた。

「このまま逃げ続けられたらいいわ。ずっと、一生でも構わない。あなたが生きていて、あなたのそばにいられればどれだけ追っ手がきても構わない」

 博士の歳はいくつだったろう。誕生日は十二月半ばだと聞いている。今はまだ月の初めだから、そう、二十八歳だ。
 人間は恋愛をするものだ。あちこちから得た情報によると、そうらしい。動物は必ず、オスはメスを、メスはオスを求めるものだ。ならば博士もまた、例外ではないだろう。
わたしは尋ねてみる。

「博士。交際はしないのですか。あなたの歳ならまだ伴侶を求めるものでしょう」
「いらない知識ばっかりあるのね」

博士は笑う。

「こんなに大きな子供がいるのに、お嫁にもらってくれる人なんていないわ」
「そうでしょうか」

わたしの答え方がおかしかったのか、博士はくすくす笑ってわたしに抱きついた。手をのばしてわたしの短い髪を撫でる。

「いいのよ。世間ではあなたをわたしの若い愛人として見ているから」

愛人、という言葉の意味がよくわからなかったが、わたしはそれ以上追及するのはやめた。
博士は窓の外に月を認めて、ふと哀しげな顔になった。

「小さいころからの夢だったわ。いつか自分の手でヒューマノイドを造るんだって。でも、こんな形になるのなら夢など持たなければよかった───自業自得なんだけどね」
「そうでしょうか。わたしは夢を持って後悔したことはありませんが」

 わたしの言葉に、博士は驚いたように振り向いた。

「……夢を持ってるの?」
「はい」

 博士があんまり驚いているので、わたしはふと不安になった。

「やめたほうがいいですか?」
「いえ、違うの。びっくりしたわ。機械が夢を持つなんて。もっとも少しでも感情があるんだからそれも分からないことでもないけど」

 いけないことではないと分かって安心しながら、わたしは言う。

「ですからわたしは、自分が欠陥品であることを嬉しく思います。もし完全であったなら、きっと夢など持たなかったでしょう」

 わたしは窓の外に視線を投じる。博士がさっき見ていた月が、皓々と輝いている。ここは都会ではないから、星も冴え冴えと瞬いていた。

「人間も同じなのだと思います。夢を望めるのは、自分の何かが欠けているからです。満たされていたら、夢などきっと見ないでしょう。欠けていればこそ、人間として、あるいは感情を持つものとして、完全なのではないですか」

 ふわりと肩に何かが当たった。博士のやわらかい髪の毛だった。彼女は、わたしに寄りかかっていた。
 博士は黙って、しばらくの間そうしていた。



そのマンションに越してから、十日が過ぎた。今までには三日で引っ越したこともあったから、まあまあ長いほうだと言えるだろう。
 その夜、わたしはいつものように大家のところでテレビを見て、家に戻ってきた。
 玄関に、不思議なものがあった。今までに見たことがあるような気がするのに、何なのかはっきり思い出せない。

「何やってるの、イサヤ?」

 風呂から上がってきたばかりの博士が、髪の毛を拭きながら歩いてきた。
わたしはその不思議なものを指さした。

「博士、これは何ですか」
「これって?」
「この、ふたつ対になっているものです」

 すると博士はわたしを食い入るように見つめた。わたしは、なぜ博士がこんなに驚くのか分からなかった。

「……本当に分からないの」
「ええ。見たことがあるような気はするのですが」
「これは、靴よ。わたしの靴。……靴が分からなかったの、イサヤ?」

───くつ。
その単語を聞いたとたん、ようやくわたしの目にもそれは「靴」として認識された。

「ああ───言われてみればそうですね。どうして忘れていたのでしょう」
「イサヤ」

 博士はいつになく真面目な瞳で、わたしの腕を取る。部屋に上がらせて、言った。

「部屋にあるものの名前を言ってみて。片っぱしから」

わたしはわけが分からなかったが、言われたとおりにした。
大家からもらってきた新聞、雑誌、借り物の時計、コンビニの袋、ゴミ袋。わたしはふたつの物体を抜かしてひとつずつ単語をあげた。
 わたしが分からなかったのは、窓にくっついているひらひらしたものと、たくさん集めて置いてあるアルミでできたコップのようなものだった。

「カーテンと缶ビールが分からないのね」

 博士の顔は青ざめていた。
 みるみるうちに涙が盛り上がり、ぽたぽたと床に落ちる。わたしは慌てた。

「どうしたのですか。まタ、哀しいのデスカ。ハかセ」

突然の言葉の違和感に、博士だけでなくわたし自身も驚いた。
舌がうまく回らない。いや、舌というよりも声が───うまく、言葉をかたどれない。

「イサヤ───あなた、狂い始めてるんだわ」

嗚咽とともに、博士は言葉を吐き出した。
狂い始めている───わたしが? なぜ?

「なぜ? 博士」
「あたしが悪いのよ、あたしが……資格のないあたしが造ったから、あなた……もう、もたないんだわ」

 欠陥品、であるわたし。言語力や判断力だけでなく、その他の部分だけでなく、……身体(ボディ)の機能までも充分なものではなかったのだ。

「イサヤ……イサヤ! イサヤ!」

 博士はわたしの胸に顔をうずめた。彼女こそが狂ってしまったかのように、わたしの名を何度も呼んだ。
博士は、悔いているのだ。
満足に造れないことが分かっていて興味本位でわたしを造った。その結果がこれなのだ。わたしは欠陥品で、長くこの世に在ることもできない。
 博士は何度も謝罪する。わたしに、ごめんなさいと言う。罪を悔いて涙を流す。

「博士。だいじょウブ。大丈夫です、わたしハ」

 そんなに悔やまなくても、謝らなくても、大丈夫なのに。
 だってわたしは、感謝している。
 あなたが、わたしを───。

 そのときわたしの耳に、大勢の人間の足音が聞こえてきた。忍び足で近づいてくる。
 無論それはわたしがまがりなりにも戦闘用のヒューマノイドだったから感知できたのであって、人間である博士は気づいていない。
ここが一階でよかった。

わたしはとっさに博士を抱き上げ、窓を突き破った。
一瞬遅れて、扉が破られる。十人ほどの武装した人間が部屋になだれ込んだときには、わたしはすでに地上に降りて夜道を走っていた。

「追っ手だわ……!」

 わたしの腕に抱かれながら、博士はマンションを振り返る。
突然、わたしの足が動かなくなった。つんのめるようにして倒れこんだわたしは、迫るコンクリートから博士を守るために腕をついた。

「イサヤ!?」
「博士だけデモ逃げてくださイ」
「どうして───」
「足ガ動きませン」

 しかし遅かった。
 わたし達は、追っ手に取り囲まれていた。
 リーダーらしき男が一歩手前へ出て、博士に銃を突きつける。

「志基(しもと)水(みず)穂(ほ)博士。もうご存知だろうが、我々は政府直属の警察隊です。ご同行願います」

 博士は黙って立ち上がった。表情は静かだった。わたしは、こんなにおとなびた顔をする博士を初めて見た。

「分かりました。もう逃げないわ。その代わりこの子を逃がしてあげて」
「───博士」

顔を上げるわたしに、博士は言う。

「それがわたしの最期の夢。あなたがわたしの分も存在し続けること。幸せになること」
「妙なことを仰る」

男は嘲笑した。

「ヒューマノイドに夢を託すなど、変わったお方だ。残念ながらこのヒューマノイドは廃棄処分に決定している。まあ処分の前に一度検査して、使える部品は取り除くようにはしますが」
「では、わたしは行かないわ」

 強く睨みつける彼女に、男はふっと笑いかけた。
次の瞬間───博士は突然身体を折った。
わたしの隣に倒れる彼女の胸のあたりがみるみる赤くなっていくのを見て、初めてわたしは何が起こったのか理解できた。
 事実男の手には、銃口から煙の昇る消音銃(サイレンサー)が握られていた。

「あなたが……」

 博士は、首をひねって男をねめあげる。

「あなたなどが……刑の執行をしたら、……あなたこそ、罰せられるのよ───」
「あなたは逃亡していましたからね、数ヶ月も! 欠陥のある戦闘用ヒューマノイドを連れた犯罪者は、抵抗すればその場で銃殺しても良いと決められているのですよ」

悔しそうに歯を食いしばった博士は、ふとあきらめたようにわたしのほうを見つめた。

「イサヤ……」

 瞳には相変わらず謝罪の色がある。そして、輝きが失せ始めていた。あと数分で、博士はこの地上から消えるだろう。

「感謝しています。わたしは、あなたに。博士」

 わたしは決めた。

「わたしを生み出してくれたことに。そして」

わたしの全身が赤く光り始める。ギョッとして男は一歩退いた。───もう遅い!

「わたしを、自爆(カミカゼ)型にしてくれたことを」

全身を包む赤が頂点の輝きに達した瞬間、わたしの中でカチリとスイッチが入った。

───感謝します。
あなたを傷つけた男を、巻き添えにして死ねる。
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