蠍の舌─アル・ギーラ─

希彗まゆ

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 赤い雪が見えると、
 その声が聞こえるような気がする。

 ─── もっと憎悪を、
 ─── 蠍の舌(アル・ギーラ)を、

 と。



( ─── ……雪)

 雪、だ。

 しん しん しん

(雪 が 降っている)

 地上に積もる。庭土の上にさらりと。
 どんどん覆っていく。何もかも。思い出も理性も。

 しん しん しん

 『彼』の夢は、いつも濁(だく)に塗(まみ)れている。
 憎悪の炎に濡れている。

(雪……真っ赤な、赤い、雪!)

 そして、『彼』は目覚める ─── 激情に駆られた夢に、滝のように汗を流しながら。
 まだ、空は明け方にも届いていない。夜中の三時頃だろう、時計を見なくても分かる。こんなことは毎晩だ。

「三十五………三十六、三十七」

 ふうっと息をつき、起き上がる。まだ彼の頭は朦朧としている。未だ夢をさまよっているようだ。
 部屋の隅に黒い布をかぶせた大きな姿見がある。昔に死んだ両親の部屋にあった母の姿見だ。

「三十八、三十九、………四十!」

 バサッと布をはぎ取った。鏡にひとりの少年が映る。長身の美しい少年 ─── それは彼自身のものだった。
 しかし彼はそれを「あいつ」だと思った。自分と同じ背の高さの、同じ顔をした、忌まわしいあの者だと。

「くっ………」

 喉を鳴らしたのはこみあげた笑いを押し込めたためだった。しかし押さえきれない。次第に彼の肩は小刻みに震えていく。

「くっくっ……くっ」

 あいつだ。あいつがいる。憎らしいあいつが目の前に。いつもは手が届く位置にも近付いたことがない、けれどほら、今はこんなに近くにいる!
 彼の手が鏡面に触れ、そのまま爪を立ててカリリと音を立てる。
 触れられる、位置にいる。鏡を隔てた向こうに『お前』はいる。

(こんなに近くなら、すぐ殺せる)
(そう、すぐにだ)
「………三十九。三十八、三十七」

 夢の中をたゆたうように、彼はゆっくり足を踏み出す。

「すぐに ─── ……」

 ベッドの上に体を落とした時、既に彼はまた眠りに落ちている。
 あいつを殺せる。
 そう確認したことでこの上ない安らぎを得たように。


 また、眠りにつく──いつものように。
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