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56- 脱出
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甘いラムネのような、皮張りのソファのような。そんな臭いが鼻腔をくすぐる。何となく気になって陽向の意識が夢の中から浮上した。
(……ん~?)
嗅覚が嗅ぎ付けた違和が五感を刺激したのか、今度は聴覚が働き始めた。
(話し声……?)
少し聞き取りにくいが誰かが話している声がする。
声は2つ。眠気が勝り明瞭に聞き取ることはできないが、ヒートアップしているでもなく談笑しているというには刺々しいそんなトーンで会話しているようだ。
片方はネオンのものだろう。
もう1つは。温かみがあって、胸をくすぐるようなこの声は……
(……し、ぐら……?)
重くて持ち上げるのもしんどい瞼を押し上げて陽向が目を開ける。すぐにでも夢の中へ帰ろうとする意識を何とか押しとどめ、状況を確認してみる。
体に痛いところはない。むしろウォーターベッドに身を横たえているかのような心地よさすらある。拘束もされていない。
ただ、ちょっと狭いところに寝かされていたのか寝返りには苦労した。
暑くも寒くも感じないのは触り心地がいい薄手の真っ黒な布で全身を覆われているからのようだ。薄手とわかったのは、毛布の向こうが明るいのが見えるからだ。
(えーっと……、どういう……状況……だっけ)
陽向は何度もかぶりを振って眠気を追い払いながら眠る前のことを思い出す。
(たしか……透夏の給仕でネオンとご飯食べて、お風呂入って……)
その後、ベッドで寝ていたらネオンが部屋に戻ってきた。たまたま目を覚まし寝ぐずりしていた陽向を再び寝かしつけながら、ネオンは東支部の視察を終えたから報告のために北支部に帰ると話してくれて。
陽向の上にネオンが覆いかぶさってきて……
(……そうだ)
ネオンが陽向の耳元で「眠れ」と命じた直後、陽向の意識は奈落に落ちるかのように眠りの中に引きずり込まれた。意識が途切れる直前に見たネオンが思いつめた顔をしていたのを覚えている。あれは夢ではなかったはずだ。
(ここ……どこなんだろう)
この期に及んでまだ眠ろうとする頭を何度か叩いてみてようやく眠気がましになる。万全とはいいがたい状態だがひとまず行動できるレベルまで意識がしっかりしてきたのを確認し、陽向は自分の上にかかっている布をそっと押しのけてみた。視界に映ったのは真っ黒な天井と、天井から繋がる角の取れた四角ともいびつな台形ともとれる窓。窓の外が明るいのは闇を照らすべく電灯が頑張って存在を主張しているからのようだ。
視線を動かして周りを確認する。目の前にたつ皮張りの壁、逆側にある柔らかな手触りの何か、そして典型的な独特の匂い。それらから総合的に判断すると、
(車の中?)
壁は前方の座席シート、柔らかな何かは後部座席の座席部分と理解する。陽向が横たえられているのは前列シートと後部座席の間のフロアカーペットだった。
(方向……どっち?)
話し声が聞こえるのは足元側だ。ネオンと志蔵だろう人がいるのも当然そちら側ということになる。
陽向の頭の上に道路を照らす電灯の光が見える。枯れ木山の道路が狭い2車線の道路であることを考えれば、電灯があるのは歩道側ということになる。車内から見れば助手席側にあたるはずだ。陽向は頭が助手席側に向いていることになる。
(逃げなきゃ……)
陽向がドアハンドルに手をかける。が、開けようとしてみてもドアは開かなかった。なんで? としばらく考えて、原因に思い至る。
(……チャイルドロックか)
チャイルドロックとは、主に小さな子供を車に乗せる際に子供が勝手に車のドアを開けて事故に遭うのを防ぐため内側からドアが開かないようにする機能だ。
東支部近辺に差し掛かった際、陽向はカンカラから「東支部の状況はトラウマになるレベルでひどいから外を見ないでくれ」と警告を受けた。その時にネオンはチャイルドロックをかけている。状況を把握しきれているか解らない陽向が勝手に降りてしまうのを防ぐためのことだったのだろう。
(どうしよう……)
どうにか出なければ、と、思いつつ、まんじりともしがたい状況で思考が止まってしまう。思考が止まればスタンバイしていた睡魔がこれ幸いとすり寄ってくる。
陽向は抵抗する間もなく再び眠りに落ちてしまった。
ぴー、ぴー、という音が聞こえる。
(……?)
足元のドアがゆっくりと閉まっていく音だった。陽向は咄嗟に飛び起きてドアの動きを止めようとしたが、横向きで眠ってしまったせいで向きが悪くすぐには起き上がれず。体を起こしたときには無常にもドアはカチャンと音を立てて閉じてしまった。
ドアのすぐ外にいるネオンと目が合う。
彼は動揺することもなく志蔵に背をつけたまま何食わぬ顔で会話を続ける。
「外のトイレに向かわれてそのままどこかで眠ってしまわれたのでは」
「そんなこと 」
「じょうきょうが 」
何気ない話題に混ぜて陽向に眠りを強制してくる。窓一枚挟んでいたおかげで直撃こそしなかったものの、それでも陽向の中で十二分なほど眠気が増ました。身体が脳の命令を無視して横たわり、目が閉じていく。覚醒したはずの聴覚すら眠り始めたのか2人の会話すら途切れ途切れで聞き取れなくなってしまう。
(だ、めだ……)
ネオンは本気で陽向を連れ去るつもりでいる。目の前にいる他支部の支部長補佐を欺いてまで。
どこに? それすらわからない。
(怖い……)
目的が見えない恐怖で黒く塗りつぶされるように意識がふつりと途絶えては、またふっと目覚めてを繰り返す。
がちゃ、と音がする。その音を聞きつけた瞬間、陽向は咄嗟に布で顔を覆った。ぷ、ぷ、ぷ、と警告音を立てながらドアが開いていく音がして、しばらくすると顔の上に何かが落ちてきた。開いたドアから外へも何かが落ちていった音がした。
「ああもう! だから申しましたでしょうに」
「お、おう。ははは、すまんちょっとしたお茶目心だ」
志蔵が茶化す声がする。すぐそばに彼がいる。
声を出せば見つけてもらえるのだと解っていても、目覚めたばかりの陽向の喉は声を紡いではくれなかった。
「悪かったな。俺が拾うわ」
「いえ結構。汚れものですから」
言いながらネオンの声が近づいてくる。逆に志蔵の声は遠ざかった。おそらくネオンが志蔵を押しのけて開いたドアの傍に立ち、外に落ちた何かを拾って車に放り込んでいるのだろう。
「気は済みましたか?」
「ああ」
志蔵から言質を取り、ネオンがガチャリとドアハンドルを動かしたようだ。ぴー、ぴー、と音を立ててドアが閉まる音がする。陽向は布をわずかに持ち上げて視界を確保しネオンに見つからないように手を伸ばした。手がチャイルドロックに届く。
警告音に紛れるタイミングを狙って静かにロックを解除した。もののついでにドアが閉まり切る前にドアハンドルを引いてドアの動きを止める。この状態なら安全装置が働いてドアの動きを手動にできる上、警告音が止まってくれるからだ。
2人の話し声がドアから遠ざかっていく。ネオンと志蔵が分かれる時間が近いのかもしれない。ネオンに運転席に乗られたら脱出が厳しくなる。
陽向は自分の上に乗っていたものを座席の上にあげ、車の内側にできた影に隠れて外を窺う。志蔵とネオンはそれぞれの運転席の戻るまでの間も情報交換をしているようで、難しい顔をして話していた。
チカっと何かが光った気がした。後部座席をみるとリアウィンドから車がハイビームにして近づいてきているのが見える。
どうやらネオンと志蔵は堂々と車道の真ん中に止めて話し込んでいたようだ。それに対する警告のつもりなのだろう。
(今しかない)
ネオンの車の後ろについた車が馬鹿みたいにハイビームを使ってくれているおかげでネオンと志蔵は目が眩んでいる。これなら余裕で車外に出れるはずだ。
陽向はそっとドアを開けた。半分くらい開けたところで身体を車外に放り出すべくこそっと動きだす。
派手に動くわけにはいかないし、そもそも撃ち込まれた眠気のせいで体が満足に動かない。とにかく腕一本を道路に付けてゆっくり体を降ろそうとした。
が。
運がなかった。腕をついたつもりだったそこは道路の端の端。腕に体重を乗せた瞬間ずるりと滑り、そのままガードレールの下をくぐる形で陽向は山肌を滑り落ちていく。
最終的に身体が止まったのは見覚えのあるモノの上だった。首ブラライダーの持ち物を漁った時に広げたテントの上に落ちたのだ。
「う~……」
いろんなところを打ちつけたせいであちこちが痛い。だが、ほんの少しだけ意識がはっきりした。
陽向はテントの下に隠れこんだ。その直後、ガードレールの上から狐の面の男が崖下を覗き込んだのを陽向は知らない。
テントの下に身を隠してしばらく。車が走り去る音がした。エンジン音や排気ガスの気配が消えたのを確認して陽向はテントの下から這い出す。
見上げた道路に人の気配はない。今いる場所も致死者がいる独特の甘い匂いはしない。
「たすかった……? のか?」
ホッとして安堵が口をついたものの、そんなにいい状況なわけでもないのは陽向も理解していた。
現在地がぼんやりとわかるのはアドバンテージだ。
だがそのアドバンテージだっていつまでもつかは解らない。陽向が車にいないことに気付いたネオンが何時この場所まで戻ってくるか解らないのだ。
(カエラナキャ……)
陽向は突き動かされるように歩き出した。
向かうべきは本宮?
「違う」
陽向は足を止める。
本宮にいる山岳戦隊が味方かどうかは解らない。昨日の今日だ、陽向is徒花という誤解が解消されているかわからない以上まだ近づくべきじゃない。
それに、帰りたいのは本宮じゃない。役目を終えてただのひととなった自分が重たかった役目の全てから解放され、ただ生きることを赦される場所。
元の世界に帰りたいのだ。
(ドコ……?)
周りを見渡して落下地点と歩いた距離を確認し、目印となるものの位置から方角を割り出す。
今から向かうべきは1つ目のビバーグポイント。
「廃墟群ポータル」
元の世界に帰るための崖のポータルはわりかし険しいところにある。白い直垂に頼れない状態であそこまで無事にたどり着くためには、まずは廃墟群ポータルにある九重の祖母の家に隠した非常用災害持ち出し袋を回収せねばならない。
眠気でぼんやりした頭を振りほんの少しでいいから眠気を祓う。しゃっきりとはしないが、それでもまともに歩けるレベルまでは回復した。
「……行こう」
目的地は定まった。
向かうべき方向は解っている。陽向はうわごとのように眠い、眠いと繰り返しながらただひたすら歩いた。
途中、何度も座り込み、そのたびに夢と現実の狭間に迷い込んだ。好調に歩いている時でも、周りに気配を感じればすぐに茂みに身を隠した。そのまま眠ってしまい、見つかった夢を見ては飛び起きて己が身の安全を確認する、そんなことが何度もあった。何よりただでさえ薄暗いというのに、重たい曇天が日を遮っているせいで時間が全く把握できないのも怖かった。
ふいと。
視線を下げた陽向の目に縄が映る。
(これ、見覚えが……)
しゃがんで持ち上げてみて、その先を目で追って。陽向は目を瞠った。
縄の先は一本の木に括りつけられている。そしてその木の先には九重の祖母の家が建っていた。
「……着いた」
陽向は縄を捨てて走り出す。乱暴に扉を開け、座敷牢を確認する。
誰かが入った形跡はなかった。置いておいた非常用災害持ち出し袋も無事だ。
「よかった」
思わず泣きそうになるほどの安堵。そして一気に襲い掛かってくる疲れと眠気。
陽向は膝から崩れ落ち、そのまま床に倒れ伏した。
そう時を経ることなく、陽向は安らかな寝息を立て始めたのだった。
(……ん~?)
嗅覚が嗅ぎ付けた違和が五感を刺激したのか、今度は聴覚が働き始めた。
(話し声……?)
少し聞き取りにくいが誰かが話している声がする。
声は2つ。眠気が勝り明瞭に聞き取ることはできないが、ヒートアップしているでもなく談笑しているというには刺々しいそんなトーンで会話しているようだ。
片方はネオンのものだろう。
もう1つは。温かみがあって、胸をくすぐるようなこの声は……
(……し、ぐら……?)
重くて持ち上げるのもしんどい瞼を押し上げて陽向が目を開ける。すぐにでも夢の中へ帰ろうとする意識を何とか押しとどめ、状況を確認してみる。
体に痛いところはない。むしろウォーターベッドに身を横たえているかのような心地よさすらある。拘束もされていない。
ただ、ちょっと狭いところに寝かされていたのか寝返りには苦労した。
暑くも寒くも感じないのは触り心地がいい薄手の真っ黒な布で全身を覆われているからのようだ。薄手とわかったのは、毛布の向こうが明るいのが見えるからだ。
(えーっと……、どういう……状況……だっけ)
陽向は何度もかぶりを振って眠気を追い払いながら眠る前のことを思い出す。
(たしか……透夏の給仕でネオンとご飯食べて、お風呂入って……)
その後、ベッドで寝ていたらネオンが部屋に戻ってきた。たまたま目を覚まし寝ぐずりしていた陽向を再び寝かしつけながら、ネオンは東支部の視察を終えたから報告のために北支部に帰ると話してくれて。
陽向の上にネオンが覆いかぶさってきて……
(……そうだ)
ネオンが陽向の耳元で「眠れ」と命じた直後、陽向の意識は奈落に落ちるかのように眠りの中に引きずり込まれた。意識が途切れる直前に見たネオンが思いつめた顔をしていたのを覚えている。あれは夢ではなかったはずだ。
(ここ……どこなんだろう)
この期に及んでまだ眠ろうとする頭を何度か叩いてみてようやく眠気がましになる。万全とはいいがたい状態だがひとまず行動できるレベルまで意識がしっかりしてきたのを確認し、陽向は自分の上にかかっている布をそっと押しのけてみた。視界に映ったのは真っ黒な天井と、天井から繋がる角の取れた四角ともいびつな台形ともとれる窓。窓の外が明るいのは闇を照らすべく電灯が頑張って存在を主張しているからのようだ。
視線を動かして周りを確認する。目の前にたつ皮張りの壁、逆側にある柔らかな手触りの何か、そして典型的な独特の匂い。それらから総合的に判断すると、
(車の中?)
壁は前方の座席シート、柔らかな何かは後部座席の座席部分と理解する。陽向が横たえられているのは前列シートと後部座席の間のフロアカーペットだった。
(方向……どっち?)
話し声が聞こえるのは足元側だ。ネオンと志蔵だろう人がいるのも当然そちら側ということになる。
陽向の頭の上に道路を照らす電灯の光が見える。枯れ木山の道路が狭い2車線の道路であることを考えれば、電灯があるのは歩道側ということになる。車内から見れば助手席側にあたるはずだ。陽向は頭が助手席側に向いていることになる。
(逃げなきゃ……)
陽向がドアハンドルに手をかける。が、開けようとしてみてもドアは開かなかった。なんで? としばらく考えて、原因に思い至る。
(……チャイルドロックか)
チャイルドロックとは、主に小さな子供を車に乗せる際に子供が勝手に車のドアを開けて事故に遭うのを防ぐため内側からドアが開かないようにする機能だ。
東支部近辺に差し掛かった際、陽向はカンカラから「東支部の状況はトラウマになるレベルでひどいから外を見ないでくれ」と警告を受けた。その時にネオンはチャイルドロックをかけている。状況を把握しきれているか解らない陽向が勝手に降りてしまうのを防ぐためのことだったのだろう。
(どうしよう……)
どうにか出なければ、と、思いつつ、まんじりともしがたい状況で思考が止まってしまう。思考が止まればスタンバイしていた睡魔がこれ幸いとすり寄ってくる。
陽向は抵抗する間もなく再び眠りに落ちてしまった。
ぴー、ぴー、という音が聞こえる。
(……?)
足元のドアがゆっくりと閉まっていく音だった。陽向は咄嗟に飛び起きてドアの動きを止めようとしたが、横向きで眠ってしまったせいで向きが悪くすぐには起き上がれず。体を起こしたときには無常にもドアはカチャンと音を立てて閉じてしまった。
ドアのすぐ外にいるネオンと目が合う。
彼は動揺することもなく志蔵に背をつけたまま何食わぬ顔で会話を続ける。
「外のトイレに向かわれてそのままどこかで眠ってしまわれたのでは」
「そんなこと 」
「じょうきょうが 」
何気ない話題に混ぜて陽向に眠りを強制してくる。窓一枚挟んでいたおかげで直撃こそしなかったものの、それでも陽向の中で十二分なほど眠気が増ました。身体が脳の命令を無視して横たわり、目が閉じていく。覚醒したはずの聴覚すら眠り始めたのか2人の会話すら途切れ途切れで聞き取れなくなってしまう。
(だ、めだ……)
ネオンは本気で陽向を連れ去るつもりでいる。目の前にいる他支部の支部長補佐を欺いてまで。
どこに? それすらわからない。
(怖い……)
目的が見えない恐怖で黒く塗りつぶされるように意識がふつりと途絶えては、またふっと目覚めてを繰り返す。
がちゃ、と音がする。その音を聞きつけた瞬間、陽向は咄嗟に布で顔を覆った。ぷ、ぷ、ぷ、と警告音を立てながらドアが開いていく音がして、しばらくすると顔の上に何かが落ちてきた。開いたドアから外へも何かが落ちていった音がした。
「ああもう! だから申しましたでしょうに」
「お、おう。ははは、すまんちょっとしたお茶目心だ」
志蔵が茶化す声がする。すぐそばに彼がいる。
声を出せば見つけてもらえるのだと解っていても、目覚めたばかりの陽向の喉は声を紡いではくれなかった。
「悪かったな。俺が拾うわ」
「いえ結構。汚れものですから」
言いながらネオンの声が近づいてくる。逆に志蔵の声は遠ざかった。おそらくネオンが志蔵を押しのけて開いたドアの傍に立ち、外に落ちた何かを拾って車に放り込んでいるのだろう。
「気は済みましたか?」
「ああ」
志蔵から言質を取り、ネオンがガチャリとドアハンドルを動かしたようだ。ぴー、ぴー、と音を立ててドアが閉まる音がする。陽向は布をわずかに持ち上げて視界を確保しネオンに見つからないように手を伸ばした。手がチャイルドロックに届く。
警告音に紛れるタイミングを狙って静かにロックを解除した。もののついでにドアが閉まり切る前にドアハンドルを引いてドアの動きを止める。この状態なら安全装置が働いてドアの動きを手動にできる上、警告音が止まってくれるからだ。
2人の話し声がドアから遠ざかっていく。ネオンと志蔵が分かれる時間が近いのかもしれない。ネオンに運転席に乗られたら脱出が厳しくなる。
陽向は自分の上に乗っていたものを座席の上にあげ、車の内側にできた影に隠れて外を窺う。志蔵とネオンはそれぞれの運転席の戻るまでの間も情報交換をしているようで、難しい顔をして話していた。
チカっと何かが光った気がした。後部座席をみるとリアウィンドから車がハイビームにして近づいてきているのが見える。
どうやらネオンと志蔵は堂々と車道の真ん中に止めて話し込んでいたようだ。それに対する警告のつもりなのだろう。
(今しかない)
ネオンの車の後ろについた車が馬鹿みたいにハイビームを使ってくれているおかげでネオンと志蔵は目が眩んでいる。これなら余裕で車外に出れるはずだ。
陽向はそっとドアを開けた。半分くらい開けたところで身体を車外に放り出すべくこそっと動きだす。
派手に動くわけにはいかないし、そもそも撃ち込まれた眠気のせいで体が満足に動かない。とにかく腕一本を道路に付けてゆっくり体を降ろそうとした。
が。
運がなかった。腕をついたつもりだったそこは道路の端の端。腕に体重を乗せた瞬間ずるりと滑り、そのままガードレールの下をくぐる形で陽向は山肌を滑り落ちていく。
最終的に身体が止まったのは見覚えのあるモノの上だった。首ブラライダーの持ち物を漁った時に広げたテントの上に落ちたのだ。
「う~……」
いろんなところを打ちつけたせいであちこちが痛い。だが、ほんの少しだけ意識がはっきりした。
陽向はテントの下に隠れこんだ。その直後、ガードレールの上から狐の面の男が崖下を覗き込んだのを陽向は知らない。
テントの下に身を隠してしばらく。車が走り去る音がした。エンジン音や排気ガスの気配が消えたのを確認して陽向はテントの下から這い出す。
見上げた道路に人の気配はない。今いる場所も致死者がいる独特の甘い匂いはしない。
「たすかった……? のか?」
ホッとして安堵が口をついたものの、そんなにいい状況なわけでもないのは陽向も理解していた。
現在地がぼんやりとわかるのはアドバンテージだ。
だがそのアドバンテージだっていつまでもつかは解らない。陽向が車にいないことに気付いたネオンが何時この場所まで戻ってくるか解らないのだ。
(カエラナキャ……)
陽向は突き動かされるように歩き出した。
向かうべきは本宮?
「違う」
陽向は足を止める。
本宮にいる山岳戦隊が味方かどうかは解らない。昨日の今日だ、陽向is徒花という誤解が解消されているかわからない以上まだ近づくべきじゃない。
それに、帰りたいのは本宮じゃない。役目を終えてただのひととなった自分が重たかった役目の全てから解放され、ただ生きることを赦される場所。
元の世界に帰りたいのだ。
(ドコ……?)
周りを見渡して落下地点と歩いた距離を確認し、目印となるものの位置から方角を割り出す。
今から向かうべきは1つ目のビバーグポイント。
「廃墟群ポータル」
元の世界に帰るための崖のポータルはわりかし険しいところにある。白い直垂に頼れない状態であそこまで無事にたどり着くためには、まずは廃墟群ポータルにある九重の祖母の家に隠した非常用災害持ち出し袋を回収せねばならない。
眠気でぼんやりした頭を振りほんの少しでいいから眠気を祓う。しゃっきりとはしないが、それでもまともに歩けるレベルまでは回復した。
「……行こう」
目的地は定まった。
向かうべき方向は解っている。陽向はうわごとのように眠い、眠いと繰り返しながらただひたすら歩いた。
途中、何度も座り込み、そのたびに夢と現実の狭間に迷い込んだ。好調に歩いている時でも、周りに気配を感じればすぐに茂みに身を隠した。そのまま眠ってしまい、見つかった夢を見ては飛び起きて己が身の安全を確認する、そんなことが何度もあった。何よりただでさえ薄暗いというのに、重たい曇天が日を遮っているせいで時間が全く把握できないのも怖かった。
ふいと。
視線を下げた陽向の目に縄が映る。
(これ、見覚えが……)
しゃがんで持ち上げてみて、その先を目で追って。陽向は目を瞠った。
縄の先は一本の木に括りつけられている。そしてその木の先には九重の祖母の家が建っていた。
「……着いた」
陽向は縄を捨てて走り出す。乱暴に扉を開け、座敷牢を確認する。
誰かが入った形跡はなかった。置いておいた非常用災害持ち出し袋も無事だ。
「よかった」
思わず泣きそうになるほどの安堵。そして一気に襲い掛かってくる疲れと眠気。
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