隠密遊女

霧氷

文字の大きさ
3 / 16

遺髪の金子は別れの事

しおりを挟む




「おっとう、おっかぁ、新太、お圭、ただいま~っ!」

お玉は、瓜坊を縛った棒を担いで、勢いよく家に入った。

「お玉・・・。」

「・・・おっとう、どうしたの?」

いつもは、両親も弟妹達も笑顔で迎えてくれるが、今日はそれが無かった。

それはおろか、母のお波は囲炉裏の傍らで、顔を手で覆い、肩は小刻みに震えている。

弟の新太も妹のお圭も、そんなお波の背にしがみ付いていた。

「・・・・・・。」

そして、その傍には、村の庄屋である佐平と見たことの無い旅姿をした男が座っていた。

「庄屋様、おっとう、この人・・・。」

「お玉、これを・・・。」

父親の正六がお玉の言葉を遮り、前に差しだしたのは、白い布だった。

「・・・・・・。」

お玉は、恐る恐る布を手に取ると、僅かに感じた重みに首を傾げつつ、布を開いた。

「っ!?」

そこには、一房に束ねられた髪の毛が入っていた。

「な、何、これ・・・?」

「・・・勘治だ。」

「えっ?」

お玉は、その名に耳を疑った。

勘治とは、お玉の兄の名だ。

「勘治、なんだ・・・。」

「に、兄ちゃん・・・?」

 お波の様子や正六が尚も続けるので、お玉は、手の中にある髪の毛が、江戸に出稼ぎに行った兄、勘治の遺髪だと思わざるおえなかった。

「何でっ!?何で、兄ちゃん、こんな・・・。」

「くっ・・・。」

父親は床に膝を折った。


「あっしが、お話しやしょう。」

座っていた見知らぬ男が、漸くお玉の方を向き直り、言葉を発した。

「・・・貴方は?」

「あっしは、江戸の三浦屋で女衒をしております、権助と申しやす。勘治とは、仕事柄、顔なじみでして。」


お玉の兄、勘治は飛脚だった。

勘治は近隣の村の中で一番足が速く『韋駄天の勘治』という異名をとっていた。

それを生かして、数年前、同じ村の数名と共に江戸に出稼ぎに出て、飛脚になったのだった。

飛脚も女衒も諸国を回る仕事。顔なじみと言うのも頷ける。


「三月前、江戸で大火事が起こりやした。その日、権助は、この佐平さんに金子を届ける役を任されていたんです。
しかし、荒れ狂う炎に逃げ遅れた子どもを助けた際、倒れて来た木材の下敷きになったんです。」

「・・・・・・。」

お玉は身体の力が抜け、板の間に倒れるように腰を下ろした。

目の前が真っ暗になり、視界が揺らぎだす。


「それで、権助さん。勘治が持ってくるはずだった金子は・・・。」

「・・・・・・。」

「あぁ・・・何ということじゃ・・・。」

権助が首を横に振ると、佐平は力が抜けたように壁に寄りかかった。

「おそらく、火事場に出る盗人に盗られたのでしょう。あっしが見た時は、何も持っておりやせんでした。」

「・・・・・・・。」

「・・・な、何?どういうこと、なの?」

「・・・お玉、勘治が届ける筈だった金は、儂が、村の為に借りた金だったんじゃ。」

「えっ!?」

「不作続きで、狩りに頼る不安定な生活。男でも少ない、この村にせめて種籾だけでもと思って、金を借りたのじゃ・・・。」

「庄屋様・・・。」

項垂れる佐平に、お玉はそれ以上何も言うことは出来なかった。


「ご安心下さぇ。あっしは、勘治のことだけを知らせる為に来たんじゃありません。庄屋様、こいつを・・・。」

権助が懐から出したのは、上品な小豆色の布であった。

庄屋は、首を傾げながら布をめくると、

「こ、これはっ!?」

小豆色の布に包まれていたのは、白い和紙に覆われた塊が出てきた。

「三浦屋楼主から、預かってまいりやした。勘治が届ける筈であった金子を肩代わりすると。こちらが、証文です。」

権助は、紙を広げ、佐平に渡した。

お玉も横から覗き、眉を寄せ、同時に持っていた髪の毛を強く握りしめた。

「・・・・・・。」

「お玉さん、あっしと一緒に江戸に行っていただけますか?」

「?!」

「!?貴様、何を言い出すんだっ!」

顔を覆っていたお波は、お玉下に駆け寄り、力が抜けてい正六も立ち上がり、声を上げた。

「三浦屋が肩代わりしたことで、この村は救われます。しかし、あっしは三浦屋の女衒。お役目がありやす。皆さんも、お分かりにならないわけでは無いでしょう。」

権助は、静かな顔で言った。

「お玉。」

「・・・?」

佐平の方を向くと、お玉に向かって土下座をしていた。

「頼む、村の為、吉原に行ってくれっ!」

「!?」

『吉原』という単語に、お玉の肩は跳ねた。

お玉ですら聞いたことのある江戸に有る遊女の里だ。


「庄屋様っ!何をおっしゃるのですっ!」

「分かっておるっ!だが、この村には手立てがないのだ。関東代官所のお役人に申し上げた所で、一向に取り合ってはくれん・・・じゃから、金を・・・。」

「庄屋様・・・。」

お波も正六も佐平の擦れるような声を聞かなくても、村の現状は分かっていた。

不作続きの村では生きていけない。

働ける男の殆どは、江戸に出稼ぎに行ってしまった。

しかし、それでも、自分の娘を遊里に沈めることだけはしたくないと、皆、必死に狩りや木の実を採り暮らしている。だが、

「良いよ。行っても。」

お玉の言葉は風が舞ったように、その場にいる全員に聞こえた。

「本当ですかい?」

「うん。私、行く。」

目を丸くして聞き返す権助に、お玉は尚も肯定の返事をした。


「お玉っ!ダメよ、行ってはっ!」

お波のお玉を抱く手の力が強まる。

しかしお玉は、お波の肩に優しく手を下ろし、

「おっかぁ、聞いて。兄ちゃんが持って来てくれる筈だったお金を権助さんは、持って来てくれたんだよ。そのお金で、村が助かるなら、私行く。」

「何も、お前が行く必要は・・・。」

正六も言うが、

「ううん。私でいいんだよ。お雁ちゃんの家は、お婆と病気がちのおっとうがいる。お凛ちゃんの家は、おっかぁが死んじまって、五人もいる弟妹の世話を一人でやんなきゃなんない。お風ちゃんの家は、お婆と病気がちのお姉と一緒に、出稼ぎに行ったおっとうを待ってる。でも家は、おっとうもおっかあも元気だし、もう少ししたら、新太やお圭も狩りや木の実採りが出来るようになる。だから、私が行っても問題ないよ。」

「お玉っ!!」

お波は、再び噴出した涙を拭くことせず、お玉の身体に縋りついた。

お玉は、お波の頭に手を回し抱き込んだ。


正六も佐平も、目を伏せ、お波のすすり泣く声を聞いていた。


「にぃちゃん・・・。」

「・・・・・・。」

部屋の隅にいたお圭は、事態が飲み込めず、隣にいる新太を呼ぶが、新太は着物の裾を強く握りしめ、震えていた。

それを見たお圭は、何も言えなくなった。


囲炉裏の火が跳ねる音とお波の泣く声が、静まり返った家中に響いた。

隙間から入り込む陽の光も西に傾き、淡黄色から蜜柑色に変わっていった。






鶏が鳴いた。

山里は、霞に覆われ、いつもとは違う風景に見えた。


「お玉、身体に気をつけるんだよ。」

「うん。」

「姉ちゃん・・・。」

「新太、お圭のこと、ちゃんと面倒見るんだよ。」

「・・・うん。」

「お玉、道中気を付けてな。」

「ありがとう、おっとう。皆、行ってきます。」


両親と弟妹に見送られながら、お玉は権助と共に村を出た。

朝日が霞の中から、差し込んでくる。

誰にも会わない為に、お玉は昨日、権助に早朝の出発を提案した。

お玉は、分かっていたのだ。友人達に会ってしまえば、決意が鈍ると。

だから、途中、何度も振り返りたくなっても、唇を噛みながら歩いた。

振り返ることなく。




村を出てしばらくすると、鳥の鳴き声が聞こえた。

音に面れて、卯の方角を見ると、

「!?」

「お玉~!」

声は聞こえないが、お玉には見えていた。

遠くから手を振る三つの影が。

お玉は、影に向かって大きく手を振った。

杖や笠が落ちることも気にせず。

「何してるんですかい?」

「見送りに来てくれたから、手を振っているんですっ!」

「はぁ?何言ってるんですかい、誰もいやしませんぜ?」

「いますよっ!ほら、あそこっ!」

お玉は、影の方向を指すが、権助は目を細めても見ることは出来なかった。

「さぁ、行きやすよ!」

権助は、お玉が未練から言ってるのだと思い、お玉の腕を掴み、歩を進めた。

お玉は、引き摺られながらも、手を振った。

その瞳に、三つの影が消えるまで。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

米国戦艦大和        太平洋の天使となれ

みにみ
歴史・時代
1945年4月 天一号作戦は作戦の成功見込みが零に等しいとして中止 大和はそのまま柱島沖に係留され8月の終戦を迎える 米国は大和を研究対象として本土に移動 そこで大和の性能に感心するもスクラップ処分することとなる しかし、朝鮮戦争が勃発 大和は合衆国海軍戦艦大和として運用されることとなる

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

処理中です...