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遺髪の金子は別れの事
しおりを挟む「おっとう、おっかぁ、新太、お圭、ただいま~っ!」
お玉は、瓜坊を縛った棒を担いで、勢いよく家に入った。
「お玉・・・。」
「・・・おっとう、どうしたの?」
いつもは、両親も弟妹達も笑顔で迎えてくれるが、今日はそれが無かった。
それはおろか、母のお波は囲炉裏の傍らで、顔を手で覆い、肩は小刻みに震えている。
弟の新太も妹のお圭も、そんなお波の背にしがみ付いていた。
「・・・・・・。」
そして、その傍には、村の庄屋である佐平と見たことの無い旅姿をした男が座っていた。
「庄屋様、おっとう、この人・・・。」
「お玉、これを・・・。」
父親の正六がお玉の言葉を遮り、前に差しだしたのは、白い布だった。
「・・・・・・。」
お玉は、恐る恐る布を手に取ると、僅かに感じた重みに首を傾げつつ、布を開いた。
「っ!?」
そこには、一房に束ねられた髪の毛が入っていた。
「な、何、これ・・・?」
「・・・勘治だ。」
「えっ?」
お玉は、その名に耳を疑った。
勘治とは、お玉の兄の名だ。
「勘治、なんだ・・・。」
「に、兄ちゃん・・・?」
お波の様子や正六が尚も続けるので、お玉は、手の中にある髪の毛が、江戸に出稼ぎに行った兄、勘治の遺髪だと思わざるおえなかった。
「何でっ!?何で、兄ちゃん、こんな・・・。」
「くっ・・・。」
父親は床に膝を折った。
「あっしが、お話しやしょう。」
座っていた見知らぬ男が、漸くお玉の方を向き直り、言葉を発した。
「・・・貴方は?」
「あっしは、江戸の三浦屋で女衒をしております、権助と申しやす。勘治とは、仕事柄、顔なじみでして。」
お玉の兄、勘治は飛脚だった。
勘治は近隣の村の中で一番足が速く『韋駄天の勘治』という異名をとっていた。
それを生かして、数年前、同じ村の数名と共に江戸に出稼ぎに出て、飛脚になったのだった。
飛脚も女衒も諸国を回る仕事。顔なじみと言うのも頷ける。
「三月前、江戸で大火事が起こりやした。その日、権助は、この佐平さんに金子を届ける役を任されていたんです。
しかし、荒れ狂う炎に逃げ遅れた子どもを助けた際、倒れて来た木材の下敷きになったんです。」
「・・・・・・。」
お玉は身体の力が抜け、板の間に倒れるように腰を下ろした。
目の前が真っ暗になり、視界が揺らぎだす。
「それで、権助さん。勘治が持ってくるはずだった金子は・・・。」
「・・・・・・。」
「あぁ・・・何ということじゃ・・・。」
権助が首を横に振ると、佐平は力が抜けたように壁に寄りかかった。
「おそらく、火事場に出る盗人に盗られたのでしょう。あっしが見た時は、何も持っておりやせんでした。」
「・・・・・・・。」
「・・・な、何?どういうこと、なの?」
「・・・お玉、勘治が届ける筈だった金は、儂が、村の為に借りた金だったんじゃ。」
「えっ!?」
「不作続きで、狩りに頼る不安定な生活。男でも少ない、この村にせめて種籾だけでもと思って、金を借りたのじゃ・・・。」
「庄屋様・・・。」
項垂れる佐平に、お玉はそれ以上何も言うことは出来なかった。
「ご安心下さぇ。あっしは、勘治のことだけを知らせる為に来たんじゃありません。庄屋様、こいつを・・・。」
権助が懐から出したのは、上品な小豆色の布であった。
庄屋は、首を傾げながら布をめくると、
「こ、これはっ!?」
小豆色の布に包まれていたのは、白い和紙に覆われた塊が出てきた。
「三浦屋楼主から、預かってまいりやした。勘治が届ける筈であった金子を肩代わりすると。こちらが、証文です。」
権助は、紙を広げ、佐平に渡した。
お玉も横から覗き、眉を寄せ、同時に持っていた髪の毛を強く握りしめた。
「・・・・・・。」
「お玉さん、あっしと一緒に江戸に行っていただけますか?」
「?!」
「!?貴様、何を言い出すんだっ!」
顔を覆っていたお波は、お玉下に駆け寄り、力が抜けてい正六も立ち上がり、声を上げた。
「三浦屋が肩代わりしたことで、この村は救われます。しかし、あっしは三浦屋の女衒。お役目がありやす。皆さんも、お分かりにならないわけでは無いでしょう。」
権助は、静かな顔で言った。
「お玉。」
「・・・?」
佐平の方を向くと、お玉に向かって土下座をしていた。
「頼む、村の為、吉原に行ってくれっ!」
「!?」
『吉原』という単語に、お玉の肩は跳ねた。
お玉ですら聞いたことのある江戸に有る遊女の里だ。
「庄屋様っ!何をおっしゃるのですっ!」
「分かっておるっ!だが、この村には手立てがないのだ。関東代官所のお役人に申し上げた所で、一向に取り合ってはくれん・・・じゃから、金を・・・。」
「庄屋様・・・。」
お波も正六も佐平の擦れるような声を聞かなくても、村の現状は分かっていた。
不作続きの村では生きていけない。
働ける男の殆どは、江戸に出稼ぎに行ってしまった。
しかし、それでも、自分の娘を遊里に沈めることだけはしたくないと、皆、必死に狩りや木の実を採り暮らしている。だが、
「良いよ。行っても。」
お玉の言葉は風が舞ったように、その場にいる全員に聞こえた。
「本当ですかい?」
「うん。私、行く。」
目を丸くして聞き返す権助に、お玉は尚も肯定の返事をした。
「お玉っ!ダメよ、行ってはっ!」
お波のお玉を抱く手の力が強まる。
しかしお玉は、お波の肩に優しく手を下ろし、
「おっかぁ、聞いて。兄ちゃんが持って来てくれる筈だったお金を権助さんは、持って来てくれたんだよ。そのお金で、村が助かるなら、私行く。」
「何も、お前が行く必要は・・・。」
正六も言うが、
「ううん。私でいいんだよ。お雁ちゃんの家は、お婆と病気がちのおっとうがいる。お凛ちゃんの家は、おっかぁが死んじまって、五人もいる弟妹の世話を一人でやんなきゃなんない。お風ちゃんの家は、お婆と病気がちのお姉と一緒に、出稼ぎに行ったおっとうを待ってる。でも家は、おっとうもおっかあも元気だし、もう少ししたら、新太やお圭も狩りや木の実採りが出来るようになる。だから、私が行っても問題ないよ。」
「お玉っ!!」
お波は、再び噴出した涙を拭くことせず、お玉の身体に縋りついた。
お玉は、お波の頭に手を回し抱き込んだ。
正六も佐平も、目を伏せ、お波のすすり泣く声を聞いていた。
「にぃちゃん・・・。」
「・・・・・・。」
部屋の隅にいたお圭は、事態が飲み込めず、隣にいる新太を呼ぶが、新太は着物の裾を強く握りしめ、震えていた。
それを見たお圭は、何も言えなくなった。
囲炉裏の火が跳ねる音とお波の泣く声が、静まり返った家中に響いた。
隙間から入り込む陽の光も西に傾き、淡黄色から蜜柑色に変わっていった。
鶏が鳴いた。
山里は、霞に覆われ、いつもとは違う風景に見えた。
「お玉、身体に気をつけるんだよ。」
「うん。」
「姉ちゃん・・・。」
「新太、お圭のこと、ちゃんと面倒見るんだよ。」
「・・・うん。」
「お玉、道中気を付けてな。」
「ありがとう、おっとう。皆、行ってきます。」
両親と弟妹に見送られながら、お玉は権助と共に村を出た。
朝日が霞の中から、差し込んでくる。
誰にも会わない為に、お玉は昨日、権助に早朝の出発を提案した。
お玉は、分かっていたのだ。友人達に会ってしまえば、決意が鈍ると。
だから、途中、何度も振り返りたくなっても、唇を噛みながら歩いた。
振り返ることなく。
村を出てしばらくすると、鳥の鳴き声が聞こえた。
音に面れて、卯の方角を見ると、
「!?」
「お玉~!」
声は聞こえないが、お玉には見えていた。
遠くから手を振る三つの影が。
お玉は、影に向かって大きく手を振った。
杖や笠が落ちることも気にせず。
「何してるんですかい?」
「見送りに来てくれたから、手を振っているんですっ!」
「はぁ?何言ってるんですかい、誰もいやしませんぜ?」
「いますよっ!ほら、あそこっ!」
お玉は、影の方向を指すが、権助は目を細めても見ることは出来なかった。
「さぁ、行きやすよ!」
権助は、お玉が未練から言ってるのだと思い、お玉の腕を掴み、歩を進めた。
お玉は、引き摺られながらも、手を振った。
その瞳に、三つの影が消えるまで。
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