隠密遊女

霧氷

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道中

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変わり身が早いのは、遊里故か。


先程の騒ぎが嘘のように、人々は、それぞれの世界に入り込んでいた。


身分を気にしない場所だ。


捕物であろうと、気にしない廓な気質らしい。



「権助、お玉とやら、お手柄であったな。」

三次と平太を久蔵と伝八に預けた市ノ瀬は、まだ吉原にいた。

「市ノ瀬様、ありがとうごぜぇやす。」

「ありがとうございました。」

権助とお玉は、深々と頭を下げた。


「しかし、お玉さん、怖くなかったんですかい?」

「そうだ。恐ろしくは無かったのか?」

「怖かったですよ・・・でも。」

「でも?」

「人の物を盗ったら地獄に落ちるって、死んだばっちゃんが言ってたんだっ!だから、悪さをした人を見つけたら、必ず、御上の裁きを受けさせなさいって・・・。」

「・・・お玉さん・・・。」

「しかし、その洞察眼。見事だ。いくら昼間で、少しは人が少ないとは言え、この往吉原の往来だ。よく分かったな。」

「私、山育ちだから目は良いんです。」

「だが、それだけと思えんが?山育ちでは、スリなど見たことが無かろう。」

「スリのお話は、権助さんが江戸に来る間に、教えてくれたんです。」


権助は、この四日。遊里のことを含め、江戸の事をお玉に話していた。

聞けば聞くほど、お玉にとって江戸の事も遊里の事も、村の寺の和尚が話してくれた御伽噺のような感覚だ。


「ほぉ・・・そうか。ところで、お玉、お主が吉原に来たのは・・・。」

「私、吉原にあるみうらやって所に来たんです。」

「・・・やはりか。」

市ノ瀬は、捕物で見せた真っ直ぐなお玉の姿勢が、これから遊里に沈み変容してしまうだろうと思い、目を伏せ短く返した。


「お玉さんっ!」

「吉兵衛さんっ!」

財布の中身を確認し終えた吉兵衛は、皆の所に戻って来た。

「市ノ瀬様、権助さん、お玉さん、本当にありがとうございました。おかげさまで、無事に財布が戻りました。」

「お財布が無事で良かったですね。」

「はい・・・。」

財布を胸の前で強く握りしめる吉兵衛を見て、お玉は笑顔で返した。

「お玉さん、旅姿を見ますと、もしや、この吉原に。」

「はい・・・みうらやに来たんです。」

「そうですか・・・お玉さん、江戸はどうですか?」

「おっかない所だなぁと思いました。でも、賑やかな場所ですね。」

「えぇ。江戸は、そういうところです。」


 〝ボンッボンッ″ 


 〝リンッリンッ″


「ん?」

太鼓と鈴の音が聞こえて来た。

「おぉ、お出ましだな。」

「えっ?」

「見ておくと良い。後々のために・・・。」


市ノ瀬が静かに言うので、お玉は音のする方を見た。


すると、


「あぁ・・・。」


音の正体は、吉原名物の『花魁道中』であった。

権助が話してくれたが、想像よりも遙かに豪華で、お玉は言葉が出なかった。

紅い蛇の目傘を傾けら、周りを、お玉より幼い子どもや少し歳上の少女達が着飾り、中心にいる花魁を囲んでいた。

花魁が一歩一歩を水鏡を揺らす波のように、しなやかに動く度、着物の刺繍も、頭髪に結われた鼈甲や銀の笄や簪も、螺鈿や金箔が施された櫛も、陽の光に反射して、コロコロと表情を変えながら、輝いていた。


「おぉ、見事だなぁ~!」

「これを見ると、吉原に来たって気がするよな。」

「お美しいわ~。」

「女のあたしから見ても、惚れ惚れするよ。」


道を開けて話す人々も、道中の一点を見つめていた。

もちろん、お玉も。


「綺麗だなぁ・・・。」

お玉の口から出た言葉は、それだけだった。

「あちらが、この吉原の頂点に立つ高尾太夫ですよ。」

「・・・あれが・・・。」


脇を通る道中。

その中心に立つ一際光り輝く人。

男はおろか同じ女すら魅了する。

まさに、この吉原の頂点に立つのに相応しい女性だ。

「・・・・・・。」

「・・・えっ?」

ふと、中央にいる花魁と目が合った。

一瞬、本当に一瞬の出来事だった。

目が合た瞬間、周りの音が全て遮断され、雑踏は全て景色になった。

この世には、自分と花魁しかいない。

目の前にいる美しすぎるその人からは、馨しい香りが鼻を擽る。

その香りは、お玉が幼い時、山で見つけた香りの強い白い花に似ていた。

匂いばかりではない。

袖の間から覗く肌の白さも、その花を彷彿とさせた。


「・・・はぁっ!」

我に返ると、道中は既に通り過ぎていた。

時が止まっている。

そう感じずにはいられない時間だった。


「・・・・・・。」


蛇の目傘で隠れた花魁の背を、無意識に追う。


お玉は、改めて吉原が別世界だと実感したのだった。




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