ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

文字の大きさ
48 / 198
第一部

48.誤解

しおりを挟む

 その後、アレクシスと共にエメラルド宮に戻ったエリスは、医者が到着するまでの間に浴室で身体を温めていた。

 一旦湯に浸かった後、侍女たちによって髪を洗われ、裸のまま全身をくまなくチェックされる。
 傷の種類、位置、大きさを、ひとつ残らず丁寧に確認された。

 というのも、祭りの影響で医師の到着が遅れることを予想したアレクシスが、侍女たちにこう命じたからだ。

「擦り傷一つ見逃すな。もし悪化でもしようものなら、お前たちは一人残らず全員首だ」と。

 当然その言葉は、エリスを心配する気持ちから出た言葉だったが、これを全く逆の意味――つまり、『お前の浅はかな行動のせいで使用人が責めを負うことになるんだぞ』と解釈したエリスは、入浴中にも関わらず、終始顔が青ざめていた。

(どうしましょう。殿下のご機嫌を損ねてしまった。きっと殿下は、わたしが自分との約束を破り、別の男性と過ごすような女だと誤解している。わたしのせいで、侍女たちが首になるなんてことになったら……)

 エリスは、土手に現れたときのアレクシスの剣幕や、馬車の中での冷たい横顔を思い出し、あまりの不安に身を震わせた。


 リアムと共に、アデルとシーラを救助し終えてすぐのこと。
 突然アレクシスが姿を現したと思ったら、次の瞬間にはリアムの腕を捻り上げていた。
 それも、烈火のごとく形相で――。

 エリスはそんなアレクシスの姿を目の当たりにし、瞬時に悟った。
 ああ、この人は誤解している、と。

(確かに殿下が現れる直前、リアム様はわたしの肩を抱いていた。でもあれは、他の兵からわたしの姿を隠そうとしてくれてのことだった。お互いに、まったく他意はなかったのに……)

 きっとアレクシスは自分のことを、身持ちの軽い女だと思ったはずだ。
 誰にでも肌を許すようなふしだらな女だと、軽蔑したはず。

 だって彼は以前言っていたのだから。
 初夜のことを謝られた際、『君が"乙女ではない"と誤解していた。それであんなことをした』と。

 エリスはその意味がわからないほど馬鹿ではなかったし、ユリウスとのことで、嫌というほど思い知らされていた。
 男というのは、妻にどこまでも貞淑さを求めるものである、と。

 もちろん、エリス自身もそうあるべきだと思うし、そうあろうと思っている。
 ユリウスの婚約者であったときも、今も、みさおを破ったことはない。そんなことを考えたこともない。
 
 けれど、一度ひとたび疑われたら取り返しがつかないのだ。
 ましてアレクシスは大の女性嫌い。そんな彼に「誤解だ」と言ったって、簡単に信じてくれるとは思えない。

 それは、馬車の中でのアレクシスの冷たい態度からしても明らかだ。

(わたしが何を言おうとしても、殿下は『話なら後で聞く』と仰るばかりで、取り付く島もなかった。せっかく信頼を築けていたと思ったのに……これでは……)

 エリスは、胸に広がる暗澹あんたんたる思いに、どうにかなってしまいそうだった。

 よもや彼女は、アレクシスが自分を愛していて、それゆえに、リアムとの仲に嫉妬しているなどという考えには、全く思い当たらなかった。

 川岸でアレクシスが見せた怒りも、リアムへの牽制も、全ては自分に対する警告だと信じて疑わなかったし、アレクシスがリアムに残した捨て台詞『オリビアを妃にするつもりはない』という言葉など、誤解されたと思うショックのあまり、全く聞こえていなかった。

 馬車の中や、宮に着いてから部屋に戻るまでの間、終始腕に抱き抱えられていたことについては、『罰を与えるまでは決して逃がさない』という意思の表れであると、盛大に勘違いしていた。

 とはいえ、アレクシスがかつてないほどに殺気立っていたのは事実であり、エリスが誤解してしまうのも致し方ないことだった。


 エリスが悪い想像を膨らませているうちに、傷の確認が終わったようだ。
 いつの間にか、就寝用のドレスを着せられている。

(もしかして、これも殿下の指示かしら。まさかとは思うけど、殿下自ら傷を数えて、侍女たちの報告に間違いがないか確かめるなんておつもりじゃ……)

 そんな有り得ない可能性に思い至り、エリスはゾッと背筋を凍らせた。
 すると侍女たちは何を勘違いしたのか、エリスの手を取り、優しく声をかけてくれる。

「エリス様、ご安心を。痕の残りそうな傷はありませんでしたから」
「川に飛び込んだと聞いたときは驚きましたが、これくらいで済んでようございました」
「ですが、今後は決してこんな危険な真似はおやめになってくださいね。殿下のためにも、わたくしたちのためにも……」

「……っ」

 刹那――侍女たちの真っすぐな眼差しに、エリスはハッと我に返った。
 いけない。全ては自分の妄想だ。考えすぎる悪い癖だ。

「……ええ、そうよね。心配をかけて、ごめんなさい」

 エリスは侍女たちに微笑み返す。
 
 アデルとシーラを助けたことに後悔はない。川に飛び込んだのも、確かに勝算があったからだ。

 だが、こうして心配してくれる侍女たちのことを、自分は少しでも考えただろうか。
 自分の浅はかな行動で、彼女たちに迷惑をかけてしまうかもしれないと、想像しただろうか。

 エリスは、ぐっと拳を握りしめる。

(とにかく、殿下の誤解を解かなければ)

 浴室の向こう、寝室には、アレクシスがいるはずだ。
『身体を温めたら傷の手当てをする。それが終わったら、君に話がある』と、そう言っていたから。

(しっかりするのよ、エリス。ユリウス殿下のときの二の舞にだけは、絶対にならないように)

 エリスは覚悟を決め、きゅっと唇を引き結ぶ。
 そして侍女たちに促され、扉の向こうへと、足を一歩踏み出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

処理中です...