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第二章:路地裏の邂逅
第五話:始まりの痛み
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その日を境に、私の生活は新たな、そして苛烈なリズムを刻み始めた。
二日に一度、夜明け前の冷たい空気の中、アルフレッド先生の容赦ない号令で訓練場の土を蹴る。 終われば身体は悲鳴を上げ、一歩歩くごとに全身が軋んだ。暴力とは無縁の世界で生きてきた私にとって、それは自分の身体が壊れていくような、原始的な恐怖と痛みだった。
アルフレッド先生との訓練や、ロンド先生との授業がない日は、自主練を続けながら身体の回復を図り、残りの時間を清楽亭の仕事に充てた。清楽亭での仕事は、稽古の緊張感からは解放されるものの、疲弊した身体には堪えた。
時折、忙しく立ち働く私を、ミーアさんがカウンターの奥からじっと見つめていることがあった。身体のあちこちに絶えない痣や擦り傷。隠しきれない疲労の色。その心配そうな、どこか痛ましげな眼差しに気づくたび、私は申し訳なさで胸が痛んだ。私の気持ちを知っているからか、ミーアさんは何も言わなかったが、その無言の優しさが、かえって私の決意を固くさせた。
師がいない間も、私の訓練は続いた。アルフレッド先生に課せられた基礎体力のメニューを、誰に見られるでもなく、一人黙々とこなす。雨の日も、風の日も、ただひたすらに。
痛みは、常に私の傍らにあった。だからこそ、私はロンド先生に治癒魔法の教えを乞うた。先生が不在の夜は、自室でその理論を独学で読み解き、自分の痣や擦り傷を実験台にした。
最初は、ただ温かい魔力が傷口を撫でるだけで、何も変わらなかった。けれど、諦めずに何度も繰り返すうちに、ある夜、指先の小さな切り傷から血が止まり、皮膚がゆっくりと再生していくのを、私は目の当たりにした。
「……できた」
それは奇跡でもなんでもない、地道な反復が生んだ、ささやかな成果。酷使した身体を、自らの力で癒す。その行為は、私が確かに前に進んでいることを実感させてくれた。
季節が巡り、春の柔らかな日差しが夏の猛烈な暑さに変わる頃。 その日も私は、日の出と共に課せられた訓練場の周回を終え、地面に手をついて荒い息を繰り返していた。 アルフレッド先生は、遠征から戻ったばかりだというのに、いつもと変わらず私の前に仁王立ちしている。
沈黙が重くのしかかる。 何か、気に障ることでもしただろうか。不安が胸をよぎった、その時。
アルフレッド先生は何も言わず、傍らに立てかけてあった一本の木剣を、無造作に私へと放り投げた。
「っ…!」
咄嗟にそれを受け止める。 ずしりと重い木剣の感触が、数ヶ月前とは比べ物にならないほど鍛えられた腕に、確かに馴染んだ。
「ただ走り込むだけの体力馬鹿を育てるつもりはない」
アルフレッド先生は、初めて私に指導者としての言葉をかけた。
「俺がいない間も、一日も休まなかったようだな。…今日からは、剣の振り方を教えてやる」
その言葉に、私は目を見開いた。 地獄のような基礎訓練は、終わりを告げたのだ。
私は、手の中にある木剣を強く握りしめた。 それは、ただの木剣ではなかった。私の流した汗と、食いしばった歯と、決して折れなかった心の重みが、そこに宿っている気がした。
「はいっ!」
その日、私の返事は、訓練場に響くどの声よりも、力強かったに違いない。
二日に一度、夜明け前の冷たい空気の中、アルフレッド先生の容赦ない号令で訓練場の土を蹴る。 終われば身体は悲鳴を上げ、一歩歩くごとに全身が軋んだ。暴力とは無縁の世界で生きてきた私にとって、それは自分の身体が壊れていくような、原始的な恐怖と痛みだった。
アルフレッド先生との訓練や、ロンド先生との授業がない日は、自主練を続けながら身体の回復を図り、残りの時間を清楽亭の仕事に充てた。清楽亭での仕事は、稽古の緊張感からは解放されるものの、疲弊した身体には堪えた。
時折、忙しく立ち働く私を、ミーアさんがカウンターの奥からじっと見つめていることがあった。身体のあちこちに絶えない痣や擦り傷。隠しきれない疲労の色。その心配そうな、どこか痛ましげな眼差しに気づくたび、私は申し訳なさで胸が痛んだ。私の気持ちを知っているからか、ミーアさんは何も言わなかったが、その無言の優しさが、かえって私の決意を固くさせた。
師がいない間も、私の訓練は続いた。アルフレッド先生に課せられた基礎体力のメニューを、誰に見られるでもなく、一人黙々とこなす。雨の日も、風の日も、ただひたすらに。
痛みは、常に私の傍らにあった。だからこそ、私はロンド先生に治癒魔法の教えを乞うた。先生が不在の夜は、自室でその理論を独学で読み解き、自分の痣や擦り傷を実験台にした。
最初は、ただ温かい魔力が傷口を撫でるだけで、何も変わらなかった。けれど、諦めずに何度も繰り返すうちに、ある夜、指先の小さな切り傷から血が止まり、皮膚がゆっくりと再生していくのを、私は目の当たりにした。
「……できた」
それは奇跡でもなんでもない、地道な反復が生んだ、ささやかな成果。酷使した身体を、自らの力で癒す。その行為は、私が確かに前に進んでいることを実感させてくれた。
季節が巡り、春の柔らかな日差しが夏の猛烈な暑さに変わる頃。 その日も私は、日の出と共に課せられた訓練場の周回を終え、地面に手をついて荒い息を繰り返していた。 アルフレッド先生は、遠征から戻ったばかりだというのに、いつもと変わらず私の前に仁王立ちしている。
沈黙が重くのしかかる。 何か、気に障ることでもしただろうか。不安が胸をよぎった、その時。
アルフレッド先生は何も言わず、傍らに立てかけてあった一本の木剣を、無造作に私へと放り投げた。
「っ…!」
咄嗟にそれを受け止める。 ずしりと重い木剣の感触が、数ヶ月前とは比べ物にならないほど鍛えられた腕に、確かに馴染んだ。
「ただ走り込むだけの体力馬鹿を育てるつもりはない」
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「俺がいない間も、一日も休まなかったようだな。…今日からは、剣の振り方を教えてやる」
その言葉に、私は目を見開いた。 地獄のような基礎訓練は、終わりを告げたのだ。
私は、手の中にある木剣を強く握りしめた。 それは、ただの木剣ではなかった。私の流した汗と、食いしばった歯と、決して折れなかった心の重みが、そこに宿っている気がした。
「はいっ!」
その日、私の返事は、訓練場に響くどの声よりも、力強かったに違いない。
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