書籍化の傷跡

幽霊

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書籍化の傷跡

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 数年前に、私は他のプラットフォームで小説を投稿していました。小説を書いてみようと思った理由は、自分でも分かりません。今でも理解できていません。

 ある日突然、「書いてみよう」という強い衝動に駆られた私は、何かに取り憑かれたように夢中になって作品を書いていました。

 当時は自分の作品がランキングに載ることも、コンテストで入選することも、書籍化されることも全く想像していませんでした。

 その感覚は、妥当なものだったと思っています。私は文学部出身でもなければ、文章を書くための専門的なトレーニングを受けたこともありませんでした。しかも、幼少期を海外で過ごしていた私は、10代後半までは日本語が第一言語でもありませんでした。

 日本語も怪しい素人が、単に自分の日頃の妄想を文字に書き起こしただけの怪文書。それが、自分の作品に対する自己評価でした。

 その作品でコンテストにも参加しましたが、当然ながら選ばれることは微塵も期待していませんでした。特に深く考えず、投稿しようとしていた作品がたまたまその時期に行われていたコンテストの対象となるジャンルだったことから、軽い気持ちでタグをつけて投稿しただけのことでした。

 とにかく自分の妄想を人に共有したい。たとえ数名の方でも良いから、私の妄想を一緒に楽しんでくれると嬉しい。当時の私の執筆のモチベーションは、おそらくそれだけでした。

 その作品は合計10万字を超える長編でした。連載中のPVや評価は、自分が予想を多少上回るものでした。数人くらいの方に読んでくれれば良いなと思っていたものが、毎日数十から数百のPVがつき、ブックマークに入れてくれた方も数名から数十名いました。

 正確な数字は覚えていませんが、おそらく「無名の新人作家の作品にしては、それなりに読んでいただけている方」といえる数字だったと思います。そして、自分の作品を読んでくれる方がいることと、少数とはいえ評価してくれる方がいることに、当時の私は十分、満足していました。

 予想外の事態は、その作品が完結した直後に発生しました。いわゆる「完結ブースト」によって、私の作品に突如として大量のブックマークや評価が入り、そのジャンルのデイリーランキングに載ってしまったのです。

 一度ランキングに載ったことにより、作品のポイントは加速度的に増加しました。そして結構な間、ランキングに常駐するようになりました。

 当時の私の正直な気持ちは、何が起きたのか分からないというものでした。飛び上がるほど嬉しかったものの、明らかに実力以上の結果が出てしまったという感覚もありました。

 しかし、私の感覚は間違ってはいませんでした。私の夢の時間は、処女作がデイリーランキングに載っていた数週間で呆気なく終わってしまいました。次に投稿した作品のポイントは、処女作に遠く及ばない数字だったのです。完結ブーストの効果もありませんでした。

 処女作の結果と、2作目の結果。どちらが自分の実力に相応しいものかは、一目瞭然でした。2作目は処女作に比べると遥かに文字数が少なく、処女作と異なり、当時流行っていたテンプレ要素をほとんど入れていなかったことも多少は影響していたと思います。

 しかし、私は、その段階で2作目の結果が自分の本当の実力であると気づき始めていました。

 ただ、その段階ではまだ創作を続けたいという純粋な気持ちが残っていました。だから私は。2作目よりは長く、2作目よりは一般的に受け入れられやすい内容の3作目を投稿することにしました。

 結果は、2作目と同等か、それ以下のものでした。ポイント数は2作目とほぼ同等でしたが、評価してくれた方の平均点という部分では2作目にも及ばないという散々たる結果でした。

 思えばその時点で、私の創作はすでに変質していました。どうすればたくさんの方に読んでもらえるか、どうすれば評価してもらえるか、どうすればたくさんポイントを獲得できるか。常にそれを意識しながら書いた作品が3作目だったのです。

 3作目の結果が芳しくなかったことによって、私の小説執筆へのモチベーションは著しく下がりました。

 当時、私は別名義で小説とは少し異なる創作活動もしていました。もう一つの創作活動の成果物の方が小説よりも高く評価され続けたことによって、私の創作活動の軸足は段々小説からもう一つの創作活動の方に移っていきました。

 ただ、もう一つの創作活動は私にとって小説執筆ほど楽しいものではありませんでした。もちろん、その創作活動の成果物もすべて大切な作品で、高く評価されていたのは心から嬉しく思っています。

 しかし、もう一つの創作活動で評価されればされるほど、どこかで「私が成功したかったのは、この分野ではない」という思いも強くなっていきました。

 詳しい時期までは覚えていませんが、もう一つの創作活動が私の創作の中心になっていた頃に、私が処女作で参加していたコンテストの受賞作が発表されました。私の作品は「入選」という結果でした。

 その段階ではすでに自分の実力が見えていた私は、その結果についても比較的冷静に受け止めていました。

 おそらく作品の質が入選に値したから選ばれた訳ではない。コンテストに参加していた作品の中でもポイントは確か1番目か2番目だったことから、審査委員の方々も目に見える数字を完全に無視する訳にはいかなかったのだろう。

 しかし、獲得したポイントの割にはあまりにも荒く、拙い文章だったことから、書籍化できるような作品でもなければ、受賞に値する作品でもなかった。だからこそ「入選」という結果だった。私はそう考えていました。

 それを理解していながらも、私は「やはり小説を書きたい」と思ってしまいました。処女作の結果はおそらく偶然で、奇跡。ほぼ間違いなく再現性はない。それは分かっているつもりでした。

 しかし、入選という結果が出たことによって、「それでももう一度だけチャレンジしてみたい」という思いを抑え込むことができなくなりました。

 結局、やりたいと思ったことはやってみないと気が済まない性格の私は、4作目を投稿することにしました。4作目の方向性は、3作目よりも露骨なポイント狙い。当時、もっとも流行っていたテンプレを少しひねった形で取り入れ、とにかく少しでも高いポイントの獲得を狙いました。

 その4作目の結果は、なんともいえない微妙なものとなりました。2作目や3作目より2倍以上のポイントを獲得することには成功したものの、1作目には遠く及ばず。唯一の救いがあるとするなら、評価してくれた方の評価の平均点という面では1作目よりも高い数字がとれたということでした。

 しかし、私はそれでは満足できませんでした。結局、どんなに頑張っても1作目の結果は絶対に再現できない。4作目の結果は薄々気づいていたその事実を、否定しようがない確定事項として私に突き付けるようなものでした。

 私が「狙ってとれる」ポイントは1作目のランキング入りで獲得したわずかな知名度と、少数の固定ファンの方々の応援込みでも4作目の数字が限界。それ以上の結果は出せない。

 やはり1作目は完全なる偶然で、奇跡でしかなかった。私の中では、それはもう揺るがぬ事実で、確定事項となりました。だから私は、4作目をもって小説の執筆をやめることにしました。

 小説執筆をやめることは、私にとっては創作活動の継続自体をやめることと同義でした。私は、順調だったもう一つの創作活動からも引退することにしました。

 4作目が完結ブーストに乗れなかった時点で、私の創作活動は完全な終焉を迎えることになりました。

 未練は、もちろんありました。しかし、自分が今後どんな作品を書いたとしても、必ず1作目の結果と比較して落ち込むだろうと、私は確信していました。

 楽しむために始めた創作が、いつの間にか私にとってはストレスになっていました。だから、私は創作活動からは引退すべきと何度も自分に言い聞かせました。書きたくても、書くべきではない、それは自分のメンタルへの毒にしかならないから。

 すでに創作活動からの引退を決めた後に、最後の奇跡が訪れました。それは、1作目の小説の書籍化のオファーでした。入選したコンテストを主催した出版社ではなく、他の出版社の方から声をかけていただきました。

 私は、飛び上がるほど喜びながら二つ返事でそのオファーを受諾……はしませんでした。私にとって、1作目の小説は「成功した」と自己評価できる唯一の作品。

 もし商業出版してその本が全く売れなかったら、私はきっと唯一の成功事例さえも心から肯定できなくなってしまう。そのことが心配で、私はすぐにはオファーを承諾できませんでした。

 数週間のお時間をいただき、悩みに悩んだ結果、私は書籍化のオファーを受諾することにしました。やはり、自分の作品が本になる機会をいただけるのであれば、その機会を逃したくはない。商業的に成功できないことによって、メンタルに甚大なダメージを受ける可能性があるとしても、それでも書籍化は断るべきではないというのが、当時の私の最終判断でした。

 書籍化の作業は、私にとって非常に楽しいものでした。プロの校閲者の方から校閲を受け、プロのイラストレーターの方から表紙や挿絵を描いていただく。そしてプロの編集者の方と一緒に作品を仕上げていく。「日本語も怪しい素人が書いた怪文書」が、出版社から発売される商業小説になっていく。

 自分の作品に足りていないもの、修正が望ましい部分のご指摘をいただくこともありましたが、それが嫌だとは少しも思いませんでした。

 書籍化の作業は無事に終了し、私の作品は無事に発売日を迎えることになりました。

 その作品がどうなったか。結論として、商業的な成功はできませんでした。印税として手にした金額も、ちょっとした臨時収入レベルに過ぎないものでした。

 私は、その結果に失望することはありませんでした。なぜなら、どこかで「おそらくそうなるだろう」と予想していたから。

 しかし、その結果によって、自分はもう小説を書くべきではないという思いはさらに強くなりました。自分の本来の実力は書籍化レベルには程遠い。奇跡的な幸運が重なったことで一度だけ辿り着いた書籍化作品も、商業的な成功には至らなかった。

 つまり、自分にはたくさんの方に愛される人気作を書ける才能はない。

 それが、数年間の創作活動で私が出した結論でした。

 最初に「小説を書いてみよう」と考えた時の、自分の妄想を人に共有したいという純粋な気持ちを取り戻せない限り、書くことは自分のメンタルへの毒にしかならない。

 そしてランキングに載り、コンテストで入選し、書籍化のオファーをいただくという成功体験をしてしまった私は、残念ながらもう処女作の執筆当初の純粋な気持ちを取り戻すことはできない。

 だから、私は「書くこと」自体をやめることにしました。

 でも、後悔はしていません。

 成功したクリエイターではなかったとしても、一応、クリエイターではあった。その期間が長い人生の中のたった数年間だけだったとしても。クリエイターになれたこと自体、私にとっては身に余る光栄でした。だから私は、満足しています。

 しかし、今こうやって「だから満足している」と言えるようになるまで、数年の時間が必要でした。

 そして、今も私には創作活動への未練はあります。全く未練がなければ、この文章を書くこともなかったでしょう。私の未練は、きっと一生消えることはないと思います。

 たった一作品の成功がもたらしてくれた至上の喜びと引き換えに、私は生涯消えることのない「未練」を背負うことになりました。これは単なる「未練」というより、「呪い」に近い性質のものかもしれません。

 でも、それでも私は満足しています。一生の呪いをかけられた代わりに、死んだ後、自分の亡骸と一緒に棺桶に入れてもらえる「自分の本」を手に入れることができましたから。

 私の本。私がクリエイターだった唯一の証で、私が私でいられた幸せな時間の記録。

 私の手元に残った、たった一冊の本には、生涯続く呪いを喜んで受け入れるだけの価値があるものだと考えています。

 この文章を読んでくださっている方の中には、創作活動をされている方もたくさんいらっしゃると思います。

 現実は冷酷なもので、思うような結果を得られていない方も少なくないでしょう。私と同じ「呪い」をかけられてしまった方もいるでしょう。そしてこれからかけられてしまう方も出てくるでしょう。

 それでも私は、創作活動をされている皆さんが、これからもたくさんの素敵な作品を世の中に出してほしいと思っています。私のように心が折れることなく、楽しく創作を続けてほしいと思っています。

 やらぬ後悔よりやる後悔。一時期、私は小説を書いたことを後悔していましたが、今は「それでも書いてよかった」と思っています。

 皆さんの創作活動が幸せなものになることを、心から祈っています。
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