やがて虹がかかるまで

朝飛

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 問題も解決しないといけないけど、ウィリアムにはどうやって諦めてもらおう。
 王宮を出て宿舎へ戻りながら頭を悩ませるが、名案は浮かばない。ヒューネルと親しくしていてもあれでは、最終手段としてはヒューネルと婚姻を……。
 自分の考えに自分で恥ずかしくなり、頭を振る。
 駄目だ、それどころではない。今はともかく、ヒューネルを出してあげるために方法を考えないと。
 ローンに命じられた通り、宿舎の周りを走りながら考える。思い浮かぶのは、やはりシスターから譲り受けた本と写真のことだ。
 空を見上げると相変わらずの曇天で、あの写真のように太陽が顔を出す瞬間は見られそうもない。あの景色と今の問題が関係があるという根拠はないが、時折見る不思議な夢に出てくるのか、空を眺めているといつも何かが引っかかる。
それに、王の記憶を操作してしまう人ならざる力を考えると、自分やヒューネルにも常人にない何かがあるような気になってくる。
そして何よりも。
「ヒューエトス……」
 夢に登場した青年の名を呟くと、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような気がした。長年、目覚めた瞬間に幻のように搔き消えてしまう夢の中で、唯一記憶に刻むことができた青年。彼を思い出すと、ヒューネルに対して抱くのとよく似た甘い疼きを覚える。
 ヒューエトスはきっと、今回のことに関係がある。確証があるわけではない。ただ、心に思い描いたヒューエトスが、俺に早く思い出してほしいと訴えかけてきているように思えて。
 いろいろと考えながら走っていたせいか、気がつけばあっという間に走り終えていて、そのまま部屋の中に戻ろうとした。その時、宿舎の玄関口に誰かが立っているのを見て足を止める。
「あれ、君は……」
 俺の声を聞いて振り返った青年は、確か以前団員が噂をしていたルイーゼという男だ。ローンに嫌がらせをされてずっと前に辞めたと聞いていたはず。
「ルイーゼ、だったかな。どうしてここに?辞めたんじゃ……」
「……」
 近づきながら声をかけるが、ルイーゼは唇を固く引き結んで黙っている。
「……?」
「エレン?走り終わったなら、晩ご飯一緒に……」
 ちょうど同じように外で鍛錬していたテラが、こちらに気づいて声をかけてくる。途中で、テラもルイーゼがいることを認めると、なぜか瞬時に表情を強張らせた。
「お、お前、なんで戻って……っ」
「え?」
 状況が上手く飲み込めないでいるうちに、テラがルイーゼに接近し、その胸倉を勢いよく掴む。
「テラ、何し……」
「ローン団長は俺のだ。団長にしつこく迫って誑かしたことで退団になったくせに、なんで今さら戻って来た」
「誑かし……って、テラ、駄目だ!」
 テラが手を上げてルイーゼを殴りかけているのを見て、慌てて止めに入ろうとすると、それより前にルイーゼがテラの腕を掴んだ。
「誤解だ。僕は団長を誑かしたことはない。あの人の方から近づいてきた」
「っ……嘘だ。団長がそんなことをするわけ……」
「あの人は僕の大事な人だ。テラ、君が団長に出会うよりずっと前からね」
「なっ、ふざけるな!」
 かっとしたテラがもう片方の手を上げかけた時、俺の背後から誰かが現れ、さっとテラの腕を掴んだ。その人物を見上げた俺とテラはほぼ同時に声を上げる。
「だ、団長!」
「テラ、落ち着け。それにルイーゼ、誤解を招く言い方はよせ。お前は俺の腹違いの弟だろ」
「え?」
 唖然とした俺とテラをよそに、ルイーゼは薄く笑みを浮かべた。その様子は肯定だということだろう。
 ローンは溜息をつきながら、前髪を掻き上げて説明した。
「俺がルイーゼを気遣って話しかけていたせいで、いらぬ誤解を招いたようだな。ルイーゼは俺の父親が、道楽の果てによそで作ってしまった子だ。ルイーゼの母親は重い病を患っていて、危篤状態だったからしばらく帰らせていた」
「そう、だったんですか」
「……っ」
 テラは事情を説明されたというのに、どこか悔しそうな顔をして宿舎の中へ戻って行く。
「テラ!」
 後を追いかけようとした俺の腕を、ローンが掴む。
「俺が行く。俺がちゃんと説明していなかったせいで不安にさせていたんだからな。他にも、そろそろ話さないといけないこともあるしな。後のことは俺に任せて、お前は部屋で休め」
 走り終えた後だからといって、今まではそんなふうに気遣ってもらったことがなくて少し驚く。ローンはそんな俺を振り返ることなく、急ぎ足でテラの後を追って行った。
 彼らのことが気になりつつも、部外者が口を出すべきことではないだろうと部屋に戻ることにする。
 部屋に入って一息ついたところで、首からかけていたタオルで汗を拭う。シャワーを浴びて来ようと考えながら何げなく机を見ると、あの写真と本が目に留まった。
「今度こそ、読めないかな……」
 椅子に座って試しに本を手に取り、一ページ目を捲る。案外すんなり捲れたことにほっとして、早速文字を読もうと視線を一行目に落とした。
 すると、字は相変わらず掠れていたが、文字そのものはちゃんと読解できることに気がつく。一行目だけ声を出して読んだ後、俺はその本の中に引き込まれるように読み始めた。


 
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