彼女が愛した彼は

朝飛

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休憩終了後、時芝を部屋に残したまま会社に戻り、楓子にメッセージを送る。するとすぐに返信が来た。

「これ、本当にあの時芝ですか?」

 文面から驚いている声が聞こえてきそうだ。

「はい。間違いありません。顔とセットのアングルをよく確かめて下さい」

 メッセージに添付した画像を見返しながら送る。我ながらうまく撮れたものだ。

 行動を起こす前、計画の話し合いをした時、時芝の秘密について口にした時の楓子は半信半疑だった。真也も計画が失敗することを予測し、もう一つ別の復讐を考えていた。時芝と鈴原を楓子と同じ目に遭わせるという計画だ。

 だが、こちらの計画には穴があった。詐欺師である彼らを同じやり口で罠に嵌めるほどの技術を持ち合わせておらず、何より6年経ったとはいえ、楓子は彼らに顔を知られている。

 そこで提案したのが、時芝の秘密を利用するというものだったが、ここまで上手くいくとは。

 僅かばかり高揚を覚えながら楓子の反応を待つと、それから数分と経たずに返ってきた。

「間違いないようですね。後で今後のことを話し合いましょう」

 至って冷静な文面だが、無理もない。本番はこれからなのだ。

 了承の返事をし、仕事に戻りかけると、ぽんと肩を叩かれた。振り仰ぐと、川凪がにやにやしながら立っている。

「何だ」

「いや、最近やたらとスマホを触っているなと思って。でも、相手は」

 奥さんじゃない、と声を潜めて言う。

「なんでそう思うんだ」

 冷静さを保ちながら問うと、川凪はにやけたまま答える。

「新婚の時は多少は触っていたようだが、結婚4、5年目か?の、今となっては全く触っていなかった。仕事に集中していたみたいだしな。それが、ここ最近になって急に触るようになった。こうなれば、答えは簡単だ。女が他にできたんだ」

 即座に否定すると逆に怪しまれると思い、ゆっくり首を振った。

「残念ながら違うな」

「じゃあ、相手は」

「川凪、お前も分かるだろ。最近、親に早く子どもをつくれとせっつかれているんだ。それに反論しているうち、つい話が白熱してな」

 もっともらしい説明をすると、川凪は残念そうに溜息を吐いた。

「なんだ、そういうことか。でもそれは俺も気になっていた。お前ら、子どもをつくらない主義なのか?」

 川凪の言葉で、ある光景が浮かんだ。

 暗い部屋。朱海の何を考えているか分からない目。

 あの時、朱海はどうして。

「おい、高藤。聞い……」

 川凪の声を遮るように、デスクの上で固定電話が鳴り始めた。川凪に片手を上げて電話に出ると、若い女がおずおずと話し始める。

「すみません、この間そちらに伺った林ですけど……」

「林様、ですか。少々お待ち下さい」

 急いで資料を取り出して確かめると、電話をかけてきたのはこの間対応した新婚夫婦だと分かった。付箋に記していたメモを見て、頭を抱えたくなる。

 物件を案内。日付は今日だ。しかも約束の時間を30分も過ぎている。

「申し訳ありません。今すぐそちらに向かいます」

 言い訳もせず、ひたすらに平謝りで電話を切る。

「なんだなんだ?どうした」

「物件の案内、行ってきます」

 川凪の間が抜けたおう、という声を背に、会社を飛び出した。

 幸い、目的のマンションは車を飛ばして5分ほどで着き、駐車場にいた林夫婦に謝罪を重ねると、さほど怒っていない様子だった。なんでも、近くの浜辺を二人でゆっくり満喫していたそうだ。

「ここ、海が見えるからいいよね」

「本当だ。波の音もする」

「え、ほんと?」

「ほら、耳を澄ませてみて」

 ベランダに立って楽し気に会話をする夫婦を見ていると、再び朱海のことを思い出した。

「ほら、言ったでしょう?都会の景色より海がいいって」

 引っ越した初日、朱海が海を指差しながら見せてくれた笑顔。景色よりずっと綺麗だ、なんて思ったが、それは口に出して言えなかった。

 もう、朱海のあの顔は。

「すみません。もうだいたい見たので、満足しました」

 夫婦の声で我に返り、頭を切り替えていく。

 たった今浮かびかけた言葉は、気が付けば霧散していた。

 その後、いつにないミスをしたおかげか仕事に集中できるようになり、珍しく定刻に終えることができた。

 手早く帰り支度を済ませて楓子のデスクを見ると、ちょうど彼女も帰るところのようだ。目で合図を送ったが、目を合わせずにスマートフォンを触っている。

 すると数秒後、真也のスマートフォンが内ポケットで震えた。取り出して見ると、案の定、楓子からだった。

「あの喫茶店で落ち合いましょう。先に行ってて下さい」

 顔を上げた先には、デスクに座り直して何やら整理をしている楓子の姿があった。既婚者の自分とよからぬ噂が立たないための配慮かもしれないが、あまりの徹底ぶりに笑ってしまいそうだ。

 口元を緩ませながら外に出ると、行き交う人々が、車が、建物が、景色の全てが黄昏色に染まり、飲み込まれようとしていた。赤らんだ巨大な太陽が無言で真也をじっと眺めている。

 簡単に、飲まれてなるものかと一瞬睨み返し、目に染み込んだ残光を瞬きで掻き消しながら、喫茶店へ向かって歩き出した。
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