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序章
とある教会の話②
しおりを挟むこの街唯一の教会は、その規模に反して立派な建物だ。
入って真正面に見えるのが、禍羽根の十字架を祀った荘厳な祭壇。そこに向かって続く身廊は、両側に木製の長椅子が置かれ、窓にはところどころ、ステンドグラスの装飾が施されている。毎朝、シャオリンや街の人々が、奉仕活動として清掃を手伝ってくれるお陰で、非常に美しく保たれていた。
勝手知ったる祭壇の前で立ち止まったシャオリンは、じっと禍羽根の十字架を見上げた。
「……ねぇ、シスター・アミナ。……あたし、魔法士になれるのかな……?」
ポツリと呟かれた言葉に、戸締りに行こうとしていた足を止める。
十字架を見つめたままのシャオリンは、アミナの相槌を待つわけでもなく、独白のように再び口を開いた。
「……今日ね、目の前でノクスロスを見たよ。……黒くて、本当に不気味な獣が、近くの人をどんどん襲ってた……。あたし、怖くて……逃げようと思っても、足も動かなくて……、何にも出来ないで泣いてたの……」
その時を思い出したのか、シャオリンは一瞬体を震わせた後に、唇を噛み締めた。苦しそうな彼女の表情は、恐怖と歯痒さと、色んなものがない交ぜになっている。
つい夕方、魔法学校に入れることを誇らしげに話してくれていた少女は、これから戦うものの異形さを目の当たりにして、打ちのめされているのだ。
一般的に、魔力の適性を持つ者は少ない。だから、魔法学校への入学資格を得たシャオリンは、この街全体でも希少な人材だ。
しかし、魔法学校に入れたからといって、実際に魔法士になれる者は、そこから更に限られてくる。ノクスロスと戦える魔法士の数は、人々が安心して暮らせる程には到底足りていないのだ。
その分、魔法士の地位は高く、誰もが当然その存在を敬っている。魔法庁から与えられる給金も高く、魔法士を輩出した家は、その一人の働きだけで親族まで生活できるとも言われているのだ。
だから魔力の適性が認められた子供は、魔法学校へ入学する以外の選択肢なんて無いに等しい。貴族や有力者ぐらいになれば、拒否も可能かもしれないが、庶民の家の人間ならば、喜んで魔法士への道を歩むのが常だ。
そう考えれば、シャオリンの言葉から察する悩みは深い。
本人が、やっぱり魔法学校に行きたくないと言ったところで、周囲の人間は才能の持ち腐れを嫌うだろう。諭し、なだめすかし、何とか入学させる方法を探すに違いない。
「……そうですね。私も、恐ろしくて、何にもできませんでしたよ」
「シスターも?」
「はい、勿論。怖いのは皆同じです。シャオリンが怖くて動けなくても、当然ですよ。誰も責めたりなんてしません」
「ーーでもっ……来年、魔法学校に入ったら、あんなのと戦うんでしょ? 魔法士様みたいに、あいつらに向かって行くなんて、そんなの、絶対無理……っ!」
両手で顔を覆ったシャオリンを抱きしめる。
怖いのは当然だ。
大人だって怖いのだから、それと戦え、なんて強制する方が非道だ。
けれども、魔法士がいなくなればノクスロスに抵抗する手段がない。それだけは困るのだ。これ以上、日々を怯えて暮らしたくはない。
しかし、魔力の適性すら無かった自分が、怖がる少女に対して、何を言えるというのだろう。
安易な言葉を選びたくなくて、ただシャオリンの柔らかい髪を撫でていると、
「…………ごめんなさい、困るよね……。……うん。そうだ、魔法士になりたかったのは、あたしだ。近衛師団に入れるぐらい強い魔法士になって、いっぱいの人を助けたい。ずっと思ってたことが、叶うんだ……」
何かを決意するように、自分の気持ちを整理している姿は、たった10歳とは思えないほどに強い。
シャオリンの言う近衛師団とは、魔法士の中でも特別選ばれた者だけしか入れない精鋭部隊だ。
この世界の象徴であり、国の政策に関わることのない皇帝陛下に代わり、あらゆる面で国を支える特殊な役割を担っている。その仕事の殆どは機密になっているが、場合によっては他の6つの師団を率いて戦うこともある、魔法士の中の最高位だ。ほんの数人しか登りつめることのできない、この世界の頂点。
子供であれば、誰もが一度は憧れる夢だ。
そしてシャオリンは、その入り口の鍵を掴んだところにいる。
「怖さは、慣れるもんね。その為の魔法学校なんだって、思い出した」
へへへ、とはにかむように笑う声を聞き、抱きしめていた身体をゆっくりと離す。
「シャオリンは、強いのね……」
「そんなことないよ! ここに来て、シスターに聞いて貰ったから、なんか落ち着けただけで……」
「十分ですよ。私は何もしていません。シャオリンの強さなら、きっといつか、近衛師団に入れるでしょうね」
「そうかな? うん、そうだといいな……じゃなくて、そうなれるように頑張るんだっ」
一気に浮上したらしいシャオリンは、もうすっかりいつもの彼女だ。
年相応の無邪気な笑顔に一安心し、肩の力を抜く。
「では、そろそろ帰らないと。本当にお家の方が心配されますね。戸締りをしてきますから、少し待っていてくださいな」
「あ、あたしも手伝う……って、ねぇ、シスター。そういえば、凄い、痩せてない?」
裏口の扉へ向かおうとしたところで、寄って来たシャオリンが心配そうに袖を引いた。
「修道服姿でわからなかったけど……なんか顔色も、あんまり良くない……?」
「そう、でしょうか? 自分では最近、凄く体調が良いのですよ。もしかしたら痩せて、体が軽くなったので、疲れにくいのかもしれませんね」
冗談っぽく言うと、シャオリンも表情を緩め、クスクスと笑った。
実際、最近は疲労を感じることが少なかった。体力がついたと喜んでいたのだが、心配されるほど痩せていたとは気付かなかった。
子供に気を使わせるなんて、シスター失格だわ、と反省する。
意識してしまえば、確かに、酷く空腹感があった。
「もうっ! じゃあ今度、ママとプディングを作って持って行くね。孤児院の子たちの分も」
「いつも有難うございます。この前くださったマフィンも、とても美味しくて……、子供達も、大喜び……でし……っ……」
突然、空腹感を超えて、急激な飢餓感に襲われる。
今まで自覚していなかっただけで、身体は悲鳴を上げていたのだろうか……?
抑えきれない欲求に、胃が締め付けられるほどに痛い。
焦りながらも何とか落ち着こうとしてみるが、今度は体の奥から、異常なほどの熱が這い上がってきた。
今まで感じたことのない体調の変化に、胸を押さえながら言葉を詰まらせる。
「……っ……ごめん、なさい。っどう、したのかしら……?」
何かおかしい。
ただ会話をしているだけなのに。
こんな風になることなんて、今まで無かった。
こんな、突然に、飢えを感じるだなんて。
次第に、呼吸が荒く、動悸がしてきた。
「シスター・アミナ……?」
「……待って……何か、体が……」
今度は、身の内に溢れた熱が、流れ落ちるかのような、不気味な流出感に怖気立つ。
なのに頭だけは澄んだように冴えていて、自身の身体なのに別の生き物のような乖離が、酷く気持ち悪かった。
「っシスター!」
悲鳴のようなシャオリンの声。
——何が起こったのか、確認するまでもなかった。
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