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魔法庁附属、魔法学校・紺碧校。本科。
入浴
しおりを挟む「あー……きもちいー……」
広い浴室に置かれた、大きな猫足バスタブに身を沈めた累は、お湯の心地よい浮遊感に、ほうっと息を吐いた。
ぱしゃり、ぱしゃり、と湯の跳ねる音が室内に響く。
やはり疲れた体には、入浴が一番の疲労回復だ。
このまま寝てもいい……、と思いながら首を反らして、バスタブの縁に頭を乗せた。
と、こちらを覗き込むスズメと目が合う。
「お湯加減は如何ですか?」
「ちょうどいいよ」
「それは良うございました」
一応腰元にタオルを巻いているとはいえ、殆ど裸の累を前にしても、スズメに動揺は無い。それは累にしても同様で、今更恥ずかしがるような繊細さなんて、とうの昔にゴミ箱行きだ。
何と言っても、スズメが近くにいるようになってから、毎日のように裸を見られているのだ。最初こそ物凄く頑張って抵抗したものの、それが毎日ともなれば、折れてしまうのは累の方だった。せめてもの抵抗として、タオルは譲らなかったものの、それ以外はスズメの好きにさせている。
普段と変わらない口調でやり取りをしながら、フリルのブラウスの袖を捲ったスズメは、小さなアンティーク瓶を傾け、液体を数滴、湯船に落としてかき混ぜた。
ふんわりと柔らかい香りが広がるのを感じながら、目を閉じる。
「疲労回復に効果のある香りだそうです」
その説明を聞くともなしに聞いていると、別の足音が近付いてくるのに意識が向いた。
裸足の、小柄な人物だ。
その気配はすぐ側で立ち止まると、膝を付き、湯船に手を入れた。
「失礼いたします」
その声は、先ほど紹介されたばかりのクイナだった。
薄く目を開いて確認すると、腕捲りをした細い手で湯の中にタオルを浸し、恐る恐る、といった手つきで、累へタオルを近付けた。
そして、肩から腕にかけてを、優しく拭い始める……。
累にとっては慣れざるを得なかったこの奉仕行為も、今となっては、何の感慨も湧かない程度のルーティンだ。あぁ、これからはこの子が担当なのか、と業務フローを頭の中で思い浮かべた程度。
だが、クイナにとっては初体験だったのだろう。
真剣な表情の中に、慣れない行為への躊躇いが見られ、身の置き所に困る。
累としては、自分の体ぐらい自分で洗えるので放っておいて欲しいのだが、ここでクイナを拒絶すると、彼女の立場がないのだろう。
心を無にして、寝たふりでもするか……。
しかし、戸惑いながらの優しすぎる手つきのせいで、非常にこそばゆい。クイナの手を意識しないよう、努めてぼおっとしてみるが、油断すると笑ってしまいそうになる。この状況で意味もなくニヤニヤするなんて、気持ち悪いことこの上ないだろう。
何が何でも笑ってはいけない、と口元を引き締めるのだが、
「……っ、ふ……」
笑ってはいけない、と思うと、余計に面白くなってしまうのだから仕方ない。
一度笑いのスイッチが入ってしまうと、堪えるのは難しかった。
「っ……ふふっ……っ、だめだ……ごめんっ……」
「累様、何か?」
「っははははっ、ちょ、ちょっと待って、こそばいっ……っ……」
困惑して手を止めるクイナ。何か粗相をしてしまったのかと、オロオロしてスズメを仰ぎ見ているが、当のスズメは理由の検討がついたのか、呆れたように溜息をこぼしただけ。
「累様……」
「ご、ごめんって……ちょっと、待って……っ」
ひとしきり笑いが落ち着いてから、目元に浮かんだ涙を拭う。
こそばくて笑うなんて、久しぶり過ぎる、と楽しい気分になりつつも、せっかく真剣に頑張ってくれていたクイナに、失礼な態度だったと気付く。
不安そうな顔でこちらを見る、亜麻色の髪の少女へと顔を向けた。
「ごめん、クイナ。ちょっとこそばくて……。もっと力を入れてくれたらいいし、適当でいいよ」
笑いを我慢しきれなかった気まずさも相まって、苦笑気味に伝えると、クイナは目元をじんわりと赤く染め、眉尻を下げた。
「……申し訳ありません……」
「怒ってないよっ!?」
タオルを胸元で握りしめつつ、今にも泣きそうな顔で謝られ、慌てて身を起こす。
「累様、新入りを泣かすなんて……」
「いやいや、本当に怒ってないって! 久しぶりにこんなに面白かったし!」
スズメの冷ややかな目線が、凄く痛い。
嫌な汗が出てきているのを自覚しつつ、身動きすら出来ずに固まっているクイナを全力でフォローする。
「本当に、クイナは何の失敗もしてないからね。ほら、笑っちゃダメだって思うと、何でもないことも凄ーく面白く感じることってあるじゃん!?」
「……はい……」
「さっきが丁度そんなタイミングで。もう、箸が転げても面白いってぐらいの、笑いのツボが頂点で……!」
「箸が、転げても……?」
「あー……とりあえず……うん……笑ったりしてゴメンナサイ」
潔く謝る。
うん、笑った自分が悪いんです。
心底気落ちしているらしいクイナが、これで少しは気持ちを持ち直してくれればいい、と思ったのだが、
「そんなっ、累様が謝られるなんてっ、クイナはどうすれば……っ」
逆にパニックになってしまった。
ふるふると首を振り、身を竦めるクイナ。肩で切り揃えた毛先が、柔らかい頰にぺしぺし当たっているのが可愛い。……なんて眺めている場合じゃない。
「累様。これ以上クイナを困らせないで下さいませ」
冷静すぎるスズメの淡々とした口調に、こちらが身を竦める番だった。表情には出ていないが、絶対に呆れ果てているに違いない。
「えー、困らせてるつもりなんて全然ないんだってばー。スズメからも言ってよっ、失敗は成功の元だ、って」
「それでは、クイナは失敗した、と言っているようなものですが?」
「間違えました。違います。えー……細かいことは気にしない精神……?」
「それも、従者としての適正に欠ける、ということになりますね」
じゃあどう言えばいいんだ……。
綺麗に打ち返されるリターンエースに、もう降参の白旗を上げるしかない。
裸で風呂に浸かりながら困る男と、その横で膝立ちのまま泣きそうな顔の女の子。
そしてその側で1人、背筋を伸ばして優雅に立つスズメ。
累もクイナも、もうスズメにこの場を収拾して貰うしかない、と懇願の眼差しだ。
2人分の視線を受けたスズメは、小さく嘆息した後に、艶のある唇を動かした。
「まったく……累様はもっと毅然とご命令ください。我らに頭を下げるなど言語道断。クイナが戸惑うのも自明の理です。立場をお弁えください」
まずは累へのクレームだ。
予想していた通りの内容に、弁明の言葉すら浮かばない。
乾いた笑いで誤魔化す累に、気のせいじゃなく冷たい目線を投げたスズメは、次にクイナへと足を向けた。
履きこなした細いヒールで歩み寄りながら、クイナの肩へ手を置こうとし——。
「きゃぁあっ!」
「スズメ!?」
「スズメ様っ!!」
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