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実地訓練−治安維持活動:編入3日目
真価④
しおりを挟む「でも、カナリアこそが、累様を満たして差し上げます」
禍々しく膨れ上がる黒い霧。
それは急速に収縮して、一つの塊になろうとしていた。
あまりにも、あまりにも大きい異形の姿に、束の間、呆然と見つめていた累だったが、慌ててカナリアに鋭い視線を飛ばす。
「知っていたのかっ。この男に、ノクスロスが巣食っていたことを!」
この男は離反者……つまり魔法士だ。
魔法士に潜むノクスロスなんて、タイムリー過ぎる。どう考えても、今追っている依頼の対象に違いないだろう。
このノクスロスは、累にすら察知出来ないほど完璧に、魔力の檻の中で潜んでいたのだ。紺碧師団の手に余るのも致し方ない。
しかし、その檻となっていた魔力は、もうない。
累が、喰ったからだ。
【止まり木】であるカナリアは、そんな累の特異性を知っていたはずだ。傷つけられれば瞬時に回復し、その代償に魔力を使うこと。穢れのない空間で魔力が飢えれば、誰かの魔力を喰らってでも飢えを満たすことを。
ということは、全てを承知の上で、累の耳を噛んだに違いないのだ。
……累が、引き金を引くように、と。
「カナリアは、教えて差し上げただけですわ。魔力を強化する、一番簡単な方法を」
「なにを……」
「……魔力の餌は、穢れ……。——原始である累様がそうなのですから、複製もそうでしょう?」
「…………っ!」
確かに、魔力は穢れを糧に、その力を蓄える。
戦いを続ける最前線の魔法士が、月日を経て強くなるのは、経験を積んでいるからだけではない。殲滅させたノクスロスを、自身の魔力が微量ながら捕食しているからなのだ。
だが、そのさじ加減は難しい。
穢れをその身に受けすぎると、浄化しきれない澱みが、肉体を蝕む。……普通の人間であれば。
だから、こんな禁忌の手法を広めてはならないというのに。
「喜んで身に取り込んでおりましたよ……?」
そう嗤うカナリアの姿が、室内を揺らめく黒い霧の中に紛れていく。
「カナリア……っ!」
「穢れを一箇所に集めておけば、周囲の人間も安心でございましょ? 一帯は聖域にも近しい空間となり、不意の襲撃に怯えることもございません。……時期が来れば、大きく育ったノクスロスを、こうして累様にお捧げすることも出来る……」
「待てっ! 学生たちにも声を掛けたのか!? ヘルベルトは……っ!?」
「さぁ……カナリアは存じ上げないこと……あの男たちの思想には感心いたしましたが、どうやら頭が足りないようでした……」
「逃げるなっ、カナリア……っ! …………カナリアっ!?」
累の叫びも虚しく、白い顔貌が、すぅ……と闇に溶けていった。ノクスロスが完全に変体する前に、どこかへ逃げたのだろう。
残されたのは、禍々しく増殖し続ける穢れの塊……。
人型が4足歩行をするかのような、細く揺らめく漆黒の異形へと、変貌を続けていた。
その様に、累の肌が粟立つ。
……しかしそれは恐怖からではない。
累の魔力が、御馳走を前にして、歓喜に騒いでいるのだ。
「くそ……っ!」
立ち上がった累は、鋭い眼差しで周囲を確認した。
少し前に聞こえたのが、事実ニイナの叫び声なら、向こうもノクスロスの発生を察知しているかもしれない。
そうであるなら、非常に面倒だ。
今ここで累が殲滅しようにも、その為には累の魔力が、この一帯を完全に支配してしまう。誰の力なのか、少し辿れば簡単にわかってしまうだろう。
せっかく、先ほど上手く3人を誤魔化せたというのに、ここでバレては意味がない。マヌケも良いところだ。
しかし、悩んだのも一瞬。走り寄ってくる3つの魔力の影に、遅かった事を悟る。
「——累っ!!」
飛び込むように扉から入ってきたのは、堂本だ。相当走ったのか、団服が乱れている。
「累くんっ!」
「無事かっ!?」
続いて走り寄ってきたニイナと和久も、ノクスロスと相対するように立つ累の姿に、驚愕と安堵の声をあげた。
素早く累の前に立った3人は、自分たちが倒した離反者一味を視界に収めつつ、あらためて目の前の脅威に視線をやった。
「……っこんなタイミングで出るなんてっ」
腰を落として戦闘態勢になった和久が悪態をつく。
それに対して堂本は、黒い霧に飲み込まれたまま倒れている離反者に目を眇め、そしてかぶりを振った。
「喰われてるわけじゃないな……あの男……。累は見てたか? 発生の瞬間を」
目線は異形に固定したまま問う堂本。
その姿を冷然と見つめた累は、静かに答えた。
「はい、……発生源は、彼でした」
「宿主型かっ! 離反者が宿主っつーと、先日通達が出たばっかの難敵じゃねーか……っ」
強く睨みつけながら吐き捨てる堂本の言葉に、和久とニイナが顔色を変えた。
「宿主型……!?」
「そんなの滅多に発生しないはずじゃ……」
2人の視線の先には、濃すぎる黒い穢れに、体の殆どを覆われた離反者が倒れていた。足や腕の一部がなんとなくわかる程度だったが、喰われていない証拠に、ノクスロスは未だ身体の構成を終えていなかった。
太く細く、濃く薄く、揺らめきながら形を変えて、その異形を成して行く。
構えたまま拳を何度も握り直し、その姿に見入る和久。動揺したのか一歩下がったニイナは、蒼白な顔をしていたが、髪の乱れを直して呼吸を整えていた。2人とも気合を入れ直しているらしい。
しかし、
「ダメだな……一旦引くぞ」
離反者に捕まっていた時にさえ見せなかった焦りの色を滲ませて、撤退を指示する堂本。
扉を指差すそれに、珍しくも反発したのはニイナだった。
「どうしてですか!? そこにノクスロスが発生してるのに……っ」
「俺たちだけで敵う相手じゃない……!」
「でも何もせず逃げるなんて、出来ませんっ! 彼だって離反者とはいえ、このまま放って置いちゃ……っ。他にも離反者一味を倒したままですし、少し離れた場所には民家もあるし……っ!」
「ダメだ! そもそも、ノクスロスとの戦いにおいての最小行動人数は、部隊単位だ。お前達がいるからと言って、団員が俺ひとりなんて、無茶が過ぎる」
「だからって……っ!」
「何も放置しようってんじゃない。増援を待つ間の退避だ」
「……でも……っ」
堂本の正論すぎる剣幕に、言葉を詰まらせたニイナ。
和久が、その背中を軽く叩いて、抑えるように、と促す。上位の指示に従う事は、基本的で絶対のルールなのだ。指示系統を乱す事は、任務の失敗に直結する。
少しの間、髪紐に付いた小さなチャームをもてあそんだニイナは、唇を噛んで同意を示し……たのだが、
「——ひぃっ……」
「…………!?」
突如割り込んできた男の声に、全員が慌てて振り向いた。
立っていたのは、中肉中背の1人の男。累の双眸に、魔力の影は映っていない。恐らく、離反者に加担していた人間だ。
「……っ何をしにきたっ! 離れてろと言ったろ!」
大きく腕を振り、立ちはだかるようにして怒鳴りつけた堂本。
その剣幕に一瞬怯んだ男だったが、チラリと奥の一角に目をやると勢い込んで口を開いた。
「……こ、こっちにだって大事なもんがあんだよっ!! 持って逃げるぐらい、いいだろっ。ちょっとそこをどけよ!」
「状況が分からないのか!? ノクスロスの標的になるだけだぞっ!」
「~~お、お前たちのせいじゃないのか!? こんなタイミングで、こんな場所に……っ! ここはずっとノクスロスの被害がない、とても平穏な地だったんだっ。俺たちが信仰深く禍羽根を祀って、陛下の御為に活動していたからこそ——」
「治安を乱す行為になんの正義があるかっ! 意見があるなら筋を通せ!」
「うるせぇなっ! だったらさっさとやっつけてくれよっ!」
堂本の容赦ない言葉に苛立ちを露わにした男は、制止を振り切って祭壇の奥に置かれた聖遺物へと駆け寄った。
「お、おい待てっ……!」
「これは俺たちが集めた聖遺物なん、だから——……」
男が聖遺物を手に取った、その時。
満足げなその表情が、驚愕に歪んだ。
今まで周囲の穢れを取り込み続けていたノクスロスが、突如首を巡らせたのだ。——男に向けて。
「っ逃げて!!」
「おい、ニイナッ!」
ノクスロスが獲物を定めた気配に、いち早く動き出したのはニイナだった。
恐怖に立ち竦む男を庇おうと、ノクスロスとの間にその細身を晒したのだ。
意図に気付いた和久が、素早くフォローに走り出したが、魔手を伸ばし始めたノクスロスを留める事など出来ない。
漆黒の断片を撒き散らしながら、長い腕を大きく振りかぶったノクスロス。
ニイナと和久が、同時に防御の魔法を紡ごうとするが、累の目には到底間に合わないことが明らかだった。
援護するように放った堂本の攻撃魔法も、あの巨大な腕に干渉出来るほどの威力じゃない。
「ふたりとも……っ」
「累、出るなっ!」
ふたりを助けようと動き出した累は、しかし、それを止める堂本に引き倒された。
地面に手をつきながらも、瞬時に堂本の魔法に自身の魔力を上掛けする。
「うわぁぁぁああああああ!」
「…………ぐっ……」
「……きゃあっ……!」
累が増幅させた堂本の魔法は、確かにノクスロスの攻撃を逸らすことに成功した。
しかし、空振りしたノクスロスが体勢を崩し、その余波を食らった3人が吹き飛ばされてしまう。
広くない室内だ。すぐに壁に叩きつけられた3人は、そのまま気を失ってしまった。
「っ、なんて威力だ……っ」
伏せた姿勢のまま、愕然と目の前の光景を見つめる堂本。
攻撃が直撃したわけでもないのに、魔法士見習いが2人とも、防御もままならず昏倒したのだ。普通に出現するノクスロスとは、一線を画する難敵なのは間違いない。
禍々しい姿の黒い獣が、恐ろしいほどの破壊力とともに、その貪欲な欲望を剥き出しにしようとしている……。
そんな時であっても冷静に立ち上がった累は、3人に大きな怪我が無いことを確認してから口を開いた。
「……魔法士を宿主にしていたからですね。魔力の檻の中で、存分に力を蓄えていたのでしょう。……そして今、宿主の抜け殻をその身に取り込んでいます」
「…………どういう事だ…………っ!?」
累の言葉に促された堂本は、低い唸り声をあげるノクスロスの、その足元に倒れ伏していた離反者を見て絶句した。
先ほどまで、退廃的で気だるそうな雰囲気をした男ではあったが、30代の健全な肉体をしていた。というのに、今はその面影すらなく、老人のように枯れた手足で、完全に干上がった死体になっていたのだ。
「な、なぜだ……宿主型といえど、ノクスロスが解放されただけで、こんな事になるなんて……」
「魔力で縛り付けたノクスロスと、ほぼ共生状態になっていたんです。ノクスロスが宿主を切り捨てた瞬間に、彼の生命もろとも全て、ノクスロスが奪っていった。……じきに、肉体も全て取り込まれます」
「…………そんな……!」
血の気の引いた顔で、離反者の成れの果てを見つめる堂本。
その視線の先で、枯れ果てた指先が、黒い霧になって瓦解し始めた。
サラサラと、風化するかのように、穢れを振りまきながら消えていく遺体。
流れ出た黒い粒子は、吸い込まれるかの如く、ノクスロスへと取り込まれ続けている……。
「宿主を喰い尽くせば、次の獲物を求めて再び暴れ始めます。逃げられる前に手を打たなければ……」
「……っ、なぜ、そんな詳しく知っている? そこまでの知識……どこで手に入れた……。いや、それよりもさっきだって、俺の魔法を……」
眉間にしわを寄せ、累を見つめてくるその瞳には、何かを疑うような眼差しが含まれていた。
……それはそうだろう。
自分が構成した魔力以上のものが、その魔法に乗ってきたのだ。魔法の構成に割り入ってくるなんて、通常では考えられない神業の上に、肥大化したノクスロスに対抗しうる強さを、的確に捉えていたのだ。
ただの魔法学校の生徒だなんて、ここまでくると弁明のしようがない。
しかし、この状況ではもう、仕方がなかった。
軽く視線を下げ、諦めとともに覚悟を決める吐息を零す累。
——何よりも優先すべきは、この世界の秩序と安寧。
そのために、ココにいるのだから。
「堂本さん。今から少しの間、目を瞑っておいて頂けますか」
そう告げて、伏せていた瞳を開いた。
濃い影を作っていた睫毛の隙間から、全ての視線を従える真紅の皇輝が、その真価を晒す。
——その瞬間。
堂本は魅入られたように、膝を折っていた……。
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