62 / 62
実地訓練−治安維持活動:編入3日目
第一幕:完
しおりを挟むかつん、かつん……と、広い廊下に響く靴音。
美しく磨き上げられた床面に、豪奢な外套の裾が翻る。
「お帰りなさいませ」
平伏する者達が左右に列をなして、この広大な敷地の主人を迎えた。
黒い髪に黒い瞳。深い色の眼差しで周囲を見据えたその人は、真っ黒な魔法学校の制服に外套を羽織った姿で、悠然と歩いていた。
「ただいま」
何十人もの頭を下げる侍従達に小さく声を掛けると、先導する側近に促されて最上段の椅子へと腰を掛ける。
長い脚を軽く組み、緻密な刺繍の入った肘掛に手を添えれば、しずしずと寄ってきた少女が、螺鈿の盆を恭しく捧げた。
「どうぞ」
「有難う」
出された茶器を受け取った累は、一口つけてから、大きく息を吐いた。
「ふぅ……で、何か用があったかな?」
実地訓練の場から直接呼び戻されたのだ。急用でもあったかと思ったが、ずらりと控える【止まり木】達を見るからに、そんな雰囲気ではない。
苦笑気味に、隣のアトリに視線をやると、
「まずはごゆるりと。暫くお忙しくされていたのです、ご休息を楽しんで頂ければ……」
そう言って累の手から茶器を受け取り、代わってスズメが、温かいタオルを差し出した。
疲れた手に、じんわりとした温かさが気持ちいい。
「あったかー。……えー、じゃあ特に帰ってくる必要ないじゃん」
「緊急の件はございませんが、細かいものはいくつかございますよ。……用が無いとお戻りになられないから、皆、何かしらの確認事項を持ってくるのです」
「そうきたか。別に僕がいなくても、上手く回ってるならそれでいいんだけど……ありがと、スズメ」
軽く手を拭ったタオルを返せば、すぐに新しいものに交換したスズメが、今度は自ら累の手を拭い始めた。
丁寧に、爪の先まで優しく清めていくのを好きにやらせながら、周囲を見渡す。
「あれ。ササゴイは?」
そう言えば、こんな時いつも真っ先に出迎えてくれた老人の姿が無い。人好きのする温和な笑みは、若い頃から変わらずに、常に累に注がれていたものだが……、
「申し訳ございません。足腰が悪くなり、十分にお仕えすることが出来そうもなく、裏方に下がらせて頂きました」
アトリの静かな言葉に、軽く目を伏せた。
それだけの時間が過ぎたという事実に、思いを馳せる。
「…………そうか、もうそんなになるか……」
「本人も酷く落胆しておりました。しかし累様が気に掛けて下さったと伝えれば、望外の喜びでしょう」
「後で顔を見せに行くよ。近くにいるんでしょ?」
「は……ご配慮有難く……」
「——ご足労には及びませんよ、累様。……お久しゅうございます、ササゴイにございます」
広い室内の奥から、1つの影が現れた。
控えめに歩み寄ってくる姿に、累の頰が緩む。
名残惜しそうに累の手を取るスズメを下がらせ、深く座り直した。
「久しぶりだね、元気そうだ」
「累様がお戻りになられるのを、首を長くして待っておりましたら、こんなに老いてしまいましたよ。……お変わりないようで、安心致しました」
下段で深々と礼をしたササゴイに、頭を上げるように促せば、温和な笑みが累を見つめた。
「ご活躍は、常に耳に入ってきておりましたよ。序列0位の近衛魔法士だなんて、誰が作ったのやらと思っておりましたら……」
「あはは、それね。名乗ったわけじゃないよ、周りが勝手にそう言っただけで……」
「否定しなかったのは意図的でございましょ? 近衛魔法士達も、まさか自分共の配下に置くわけにはいかなかったのでしょうね。——我らが皇帝陛下を」
ササゴイの言葉に、一層深い笑みを浮かべた累。
円熟しきった、全てを達観するような表情で、どう見ても自分より老齢の従者を見つめる。
「……もう、ここからの景色は見飽きたんだよ」
「在位500年、御目出度う御座います。今も昔も、そして未来も、変わらぬお姿で我らを導いてくださる、唯一無二の陛下……」
言祝ぎに返したのは、シニカルな微笑だった。
何の心情も映していない瞳で、質問を口にする。
「ササゴイも、僕を表舞台に出したいの?」
「いいえ。我ら【止まり木】は、累様を戴く為に存在しておりますが、それは我らの勝手。累様は御心のままに過ごして頂けば良いのでございますよ」
「そう……出る気は無いんだよね。陛下だなんて、キャラじゃ無い……」
「それこそ何のご冗談を……! 累様こそが始祖であり、世界の象徴。民が禍羽根を信仰するのは、それが自分たちを守る翼であると、理解しているからで御座いますのに」
きっぱりと言い切ったササゴイに、苦笑が漏れる。
「ほんとブレないね……。……カナリアも相変わらずだった」
「アレは累様への気持ちだけで生きている哀れな娘です。今日の一件、聞き及びました。【止まり木】としての不始末、大変申し訳ございません」
ササゴイに合わせて、その場の全ての【止まり木】達が一斉に叩頭した。
その壮観なまでの光景を、無感動に一瞥した累は、軽く頬杖をついて視線を落とす。
……彼女の情は強い。
累の為ならば何を犠牲にすることも厭わない、強い信念があるのだ。そしてそれは、一部の離反者達の思想にも共通する部分がある。……『皇帝陛下』への盲信だ。
表へ出ることのない累を戴く為に、人同士が争う、不毛。
戦うべき人類共通の敵であるノクスロスを差し置いて、他で争えるというのは、この世界が安定してきた証拠とも取れるのだろうか。
しかし、それでも累は表舞台に出るつもりなどないのだ。ただ、呪われたこの身に課せられた役割として、穢れを喰らい続けているだけ。
「……本当に、煩わしいものだね。……普通に生きていた時を忘れてしまいそうだ」
もう、憂いの時期なんて、とうに過ぎている。
それでも累は、望む声に応えるために、各地を回り続けるのだ。
——その延長線上に、終わりがあると信じて。
「……今回押収した『聖遺物』が届いてございます」
ひたすらに平身低頭のササゴイの合図で、精緻な飾りの施された台車が運ばれて来た。
分厚いクッションの上に置かれているのは、何個もの平たい四角の塊。どれも砂に塗れ、全面に大きくヒビが入っている、用途不明の物体だ。
目の前に届けられたそれらを、目を細めて眺めた累は、手を伸ばして1つを掴んだ。
ザラリとした砂の感触と共に、ずっしりとした重さを感じる、手のひらサイズの塊。黒い一面は何個ものヒビで覆われ、本来の機能を満たすことがないのは明らかだった。
「如何でしょうか?」
離反者たちが不正に売買していたガラクタだ。
そんな価値は無いのだと、教皇庁にも何度も伝えているのだが、陛下の探し物だ、と仰々しく扱う習慣が根付いてしまった。今では遺跡を発掘することで生計を立てる者もいるのだから、余計な口を挟むべきでは無いと静観している。
1つを確認した累は、ため息を飲み込んで別のものを手に取った。が、それも大きく破損している。更に次を、と見ていくが、どれも期待するものは無さそうだった。
「うん。有難う。やっぱりダメだね……」
「左様でございますか……。無知でお恥ずかしい限りなのですが、これは何を入れていた箱なのでしょうか?」
「……ははは。箱、かぁ……そうだね、入れていたのは、情報、だよ」
「……情報、ですか……?」
ポカンとしたササゴイの反応に、思わず切ない笑いが漏れてしまう。
これが、時間の流れという残酷さなのだ。
「……昔はね、皆が持ってたんだ。1人1台ってぐらい……。今じゃただの聖遺物だけどね」
寂しさを振り切るように、遥か過去の遺物をクッションの上へ戻す。
——もう、あれが電波を受信することなんて、無いのだから。
「……では、こちらはまた保管庫へ入れるとしまして……」
累の沈んだ空気を敏感に察したササゴイが、空気を一新するかのように手を叩いた。
「さぁ、累様はお疲れだ。湯殿の準備を!」
すぐに、何人もの【止まり木】達が、音も無く支度を始めた。
その素早い行動に、一歩出遅れた累がパチリと目を瞬かせる。
「え、もうお風呂?」
「久しぶりにご奉仕が出来ると、湯殿番達が張り切っておりますよ」
「いや……ここのお風呂、広過ぎるし落ち着かないんだよね……」
「皇宮の湯殿に文句を言われる方など、累様以外にはおられませんな。ささ、お前達……」
ササゴイが数歩下がれば、代わりにスズメが、数人の少女を引き連れて累の手を取った。
「ご案内致します」
「……またいっぱい連れて……」
「これでも少ないくらいでございます」
すました美貌でにこりと笑うスズメに、累も小さく吹き出した。
「今日は水浸しにならないでよね」
「なんだい、スズメ。お前はまだ累様にご迷惑をお掛けしているのか?」
「っ、あ、あんな粗相はもう——……」
「時々だもんねー」
「累様ぁっ…………」
広い皇宮に、和やかな笑い声が響き渡る。
禍羽根の王と、その止まり木を成す鳥達の、優しい空間。
それは500年超、変わらない光景なのである——。
***
——最初の災厄が世界を襲ってから、500年超。
この世界は、魔力の始祖として、禍を殲滅する翼を持った【禍羽根の王】を、皇帝陛下に戴いた。
科学文明が滅んだ代わりのように生まれ始めた、魔力の因子を複製する子供達を希望の礎に、新たな歴史を刻み続けている。
遥か昔から未来永劫、変わらぬ姿で至高に座する、禍羽根の王を信仰しながら——。
■第一幕:完■
================================
キリが良いので、ここで一幕目を終わりとさせて頂きます。
沢山の方に読んで頂けて、非常に有難く思っております。
次回より再び、舞台を紺碧校へと戻して、続きを連載していく予定です。
まったり不定期連載となりますが、宜しければお付き合いいただけますと幸いです。
================================
10
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(19件)
あなたにおすすめの小説
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
追放された【才能鑑定】スキル持ちの俺、Sランクの原石たちをプロデュースして最強へ
黒崎隼人
ファンタジー
人事コンサルタントの相馬司が転生した異世界で得たのは、人の才能を見抜く【才能鑑定】スキル。しかし自身の戦闘能力はゼロ!
「魔力もない無能」と貴族主義の宮廷魔術師団から追放されてしまう。
だが、それは新たな伝説の始まりだった!
「俺は、ダイヤの原石を磨き上げるプロデューサーになる!」
前世の知識を武器に、司は酒場で燻る剣士、森に引きこもるエルフなど、才能を秘めた「ワケあり」な逸材たちを発掘。彼らの才能を的確に見抜き、最高の育成プランで最強パーティーへと育て上げる!
「あいつは本物だ!」「司さんについていけば間違いない!」
仲間からの絶対的な信頼を背に、司がプロデュースしたパーティーは瞬く間に成り上がっていく。
一方、司を追放した宮廷魔術師たちは才能の壁にぶつかり、没落の一途を辿っていた。そして王国を揺るがす戦乱の時、彼らは思い知ることになる。自分たちが切り捨てた男が、歴史に名を刻む本物の英雄だったということを!
無能と蔑まれた男が、知略と育成術で世界を変える! 爽快・育成ファンタジー、堂々開幕!
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
すごく面白かったです!!
次の章も楽しみにしてますね!
やっば…
とても面白かったです!
次の章も楽しみにしています!!!!
まさかの正体に興奮がやばいです!読ませていただけて、本当にありがとうございます!応援してます!