羊の皮を被った狼は甘く噛み付く

大神ルナ

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羊の皮を被った狼は

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「ありがとうございました」

 全体を黄色で揃えた花束を持って、嬉しそうな顔で帰っていくお客の背を見送り、次の仕事に向かうべくカウンターからファイルとスケッチブックを手にした。
 
「あれ? 次はブライダルのお客様ですか?」

「はい。打ち合わせに行ってくるので、お店の方はお願いします」

「了解です。難しい注文じゃないといいですね」

 そんな同僚の声に見送られ、西條那月さいじょうなつきが低めのヒールを鳴らしながらたどり着いたのは、ホテルにあるサロンである。
 那月の仕事は、ブライダルフラワーコーディネーターで、今日は結婚式を挙げるカップルと式で使う花の打ち合わせがあるのだ。
 不安と楽しみな気持ちを胸に、サロンに入っていくとすでにウェディングプランナーの当麻浩一とうまこういちが先に席に座っていた。
 
「待たせしました、当麻さん」

「西條さん、お疲れ様です。忙しい時間帯にすみません」

「フラワーショップの方は、従業員がいますから平気ですよ。うちよりも当麻さんの方が忙しいんじゃありませんか?」

「今月は二組だけの担当だから、まだいいほうです」
 
 そうは言っていても、当麻の顔には少しだけ疲労の影がある。
 結婚式の打ち合わせはなかなかに大変だ。
 すんなり行くペアもいれば、途中で揉め始めるペアや女性だけが熱心だったり、やりたいという事があまりにも多いペアも多い。
 それを上手くまとめたりするのだから、当麻のウェディングプランナーとしての腕は確かだ。
 これまで何度も当麻と仕事をしている那月にとって、彼との仕事はかなりスムーズで嫌ではない。
 実際、打ち合わせが始まれば、上手く聞き出してくれて相手のイメージする花も決まりやすく、どんな配置にするか、どんなデザインにするかまであっという間に決まっていく。
 考えていた時間よりもはやく終わり、フラワーショップに戻れば同僚に驚いた顔をされた。
 こんなにはやく決まったことは少なく、もっと疲弊して帰ってくるのが常だった。

「今回は、担当が当麻さんだったからね」

「ああ、どうりで」

 誰もが納得の担当者に、二人は笑いあった。
 

「それじゃあ、閉めの業務に入りますね。なにか注文は入ってますか?」

 フラワーショップの営業時間は終わっているが、ホテルからの要望などがあったりするため、一度店のドアには閉店の札を下げておく。
 これで、ホテル外のお客は対応しなくてすむ。

「ディナーの時間に渡す予定の花束が一件と、サプライズのための花束を部屋のベッドに置いて欲しいっていうのが一件です」

「どんな花かは聞いた?」

「コンシェルジュの高田さんから、イメージと花の指定はもらってます」

「分かった。そっちは私がやるから、柴野さんはディナーのテーブルフラワーをお願い」

「はい。行ってきます」

 朝の段階でレストランの支配人から聞いていたテーマについては、話し合っているため柴野が適任であると思っての采配である。
 代わりに、那月は高田からの指示書に目を通した。
 ディナーの時間に渡す花は結婚記念日で、もう一つはプロポーズのための花束の注文だ。
 最高の時間を送れるように、気持ちを込めて花を選んでいく。
 プロポーズ用の花は指定の花があったため、それを主にしてその花がさらに生かされ邪魔をしない物を選んだ。
 結婚記念日用には、好きな色だけが書かれているため、その色をメインに花を選んでいく。濃淡を意識して、穏やかな華やかさを押し出した。
 少し離れて引きで見たり、客観的な視線でも見たりしていると、セッティングの時間になっていた。
 二つの花束を横に置いてホテルから支給されている携帯電話を取り出し、高田の電話に連絡を入れる。
 ホテルの中で一番のコンシェルジュである彼は、忙しいかと思っていれば、2コール目で高田が出た。 
 
「西條さん、お疲れ様です」

「お疲れ様です、高田さん。準備が出来たんですけど、どうしましょうか」

「今からそちらに行きます」

 保水作業を終えて、最後のリボンを結び終えたところで、高田は急いでいるようには見えない優雅な足取りでやってきた。
 まさに何でも要望を叶えてくれそうな頼もしさを感じさせる高田は、実際にも凄腕コンシェルジュである。
 聞いて知らないことも無ければ、繋がりもたくさん持っていて、何一つお客の要望を断らないとすらホテルのスタッフ内で言われていた。
 
「さすがは西條さんですね。あのメモ書きだけで、ここまでのものを作れるのですから」

「……ありがとうございます」

 最高のコンシェルジュに褒められて、胸の辺りがムズムズしてくる。
 この人は、仕事でお世辞は絶対に言わない。
 だから、素直にその言葉は胸に染み込んでいった。
 
「ディナーの席の分はこちらで預かりますね。部屋の物は一緒に来てもらえますか?」

「わかりました。もうお客様は」

「チェックインされてご案内しています。今は、レストランにいるので大丈夫ですよ。入室の許可はいただいていますから、戻ってくる前にセッティングしてしまいましょう」

「プロポーズでしたよね。花束の周りに、薔薇の花びらも添えますか? 今日は少し薔薇が余っているんです」

「それはありがたいですね」

 情熱的な色合いの薔薇を数本追加で持ち、高田と共に部屋へと上がる。
 部屋はスイートルームで、夜景がとても綺麗に見える場所だ。
 高田は腕時計に視線を向けると、窓際のテーブルに白い布を広げた。
 シワ一つない様は美しく、一つ一つの無駄のない動作に那月の気も引き締まる。
 
「花束はベッドにしましょう」

「ではこちら向きで、この周りに……」

 薔薇の花びらを一枚一枚ちぎって並べていく。
 花束がなかなか大きいから、かなりの量の薔薇が必要になったがなかなかいい出来になった。

「終わりましたか?」

「はい。どうでしょうか」

「ええ、いいですね。こちらもセッティングは終えましたので行きましょうか」

 花びらを並べるのに集中している間に、高田はシャンパンの用意を終え小さなキャンドルにも火を灯し終えていた。
 最後に部屋の照明をキャンドルの明かりが映えるような暗さに落とした。
 
「まもなくお戻りになるとレストランのスタッフから連絡がありましたから」

 部屋を出て、鍵を締めて従業員用のエレベーターに乗り込んだ。
 
「西條さんは、これで上がりですか?」

「はい。もう依頼も入っていないので、上がりですね。高田さんはまだ」

「ええ、交代の神岡が来るまではまだまだあります」

「それじゃあ、お先に失礼します。お疲れ様です」

「お疲れ様です。明日も、よろしくお願いします」

 しゃんと伸びた背中を見送り、フラワーショップに戻ってみると、柴野がしっかり施錠したところだった。

「お疲れ様です。西條さんの荷物はここにありますよ」

「お疲れ様。荷物ありがとう」

 荷物を受け取り、従業員の更衣室に入ると、どっと疲れがやってきた。
 低いとはいえヒールを履いているから、足はパンパンだ。
 休憩用のソファーに座ると、なんだか立つ気が起きなくなってしまいそうで、どうにか自分のロッカーを開けて制服を脱いでいく。
 洋服を着替えるだけで気持ちが変わるのだから驚きだ。
 まるで、武装解除したかのように体から力が抜けていく。
 鞄を手にして、さて帰ろうかと思った時に、スマートフォンが着信を告げた。
 間違い電話か非通知の相手であれと思ったが、液晶には母と大きく表示されていた。
 これは出ないわけにはいかない。

「もしかして、親ですか?」

 那月のげんなりした顔に気がついたのか、柴野は小さく笑った。
 
「うん……母親」

「邪魔しちゃいけないんで、お先に失礼しますね。お疲れ様でした」

「お疲れ様」

 いつも駅までの道を一緒にする同僚も、親との電話が長くなるのを理解しているのか更衣室を出ていく。。
 那月の気分は一気に重くなった。
 この年頃になると、恋人の有無や結婚相手はいないのかと聞かれるのが常だ。
 だから、どうしても自分から連絡しようだなんて思えなくて、那月はほとんど母に電話をかけたことがない。
 
「はい、那月です」

「いま、時間は大丈夫?」

「うん、仕事が終わって帰る準備をしてたところ」

「なら良かった。あんた、こっちから連絡しない限り連絡よこさないから」

「忙しいから仕方がないでしょ」

「まあ、いいわ。それでね、今日連絡したのは……那月、お隣に住んでた高柳さんのところの千聖くん覚えてる?」

 高柳千聖たかやなぎちひろ
 那月は高校を卒業して、ウェディングフラワーコーディネーターの勉強のために東京に上京した。
 千聖は那月の四つ下で、中学三年生で色白のひょろりとした体つきをした綺麗な男の子だった。
 彼の両親は共働きだったため、那月がよく勉強をみたり様子をみたりしていたのだ。
 とても懐いていて、可愛くて大好きだった。そんな千聖のことを那月が忘れるはずがない。
 
「もちろん、覚えてるよ。千聖がどうかしたの?」

 大人になってしまえば、忙しすぎて思い出すことは少なくなっていて、今が何歳だったかもあやふやだった。

「あの子が大学を卒業したから、ご両親が三年くらい海外赴任するんですって」

「へぇー」

 あの両親なら不思議はないと那月は思った。
 そもそも、千聖の父親はフランス人で、母親も外資系に務めていていつでもキリッとしていて、那月は密かにそんな千聖の母親に憧れていたくらいだ。

「それでね。新社会人で初の一人暮らしを東京でしているんだけど、可哀想じゃない? 知っている人のいない都会で」

「ん?」

「あんなに綺麗で優しい子。都会で変な人たちにちょっかい出されたらって思ったら心配で。ストレスだって多くて、不安だってあるだろうし」

「お母さん?」

 意味が分からなかった。
 母親は、那月が一人暮らしをする時だって心配しなかったというのに、男の子の心配をするのかと。

「それでね。祐希ゆきさんに、千聖くんの連絡先を聞いたから、あんたに送るわね」

「な、なんで?」

「食事に誘ったり、家に様子を見に行ったりしてあげなさいよ。祐希さんも、那月なら安心だって言ってたから」

「いやいや、だめでしょ。年頃の男の子なんだから、彼女とかいるだろうし……世話焼かれたら、ウザがられるでしょ」

「なに言ってんの。千聖くんよ? あんな天使みたいな子が、そんなこと思うわけないでしょ」

「いやいや、成人してる男の人でしょ? 昔とは違うに決まってるじゃない」

「いいから、いいから。あとで連絡先と住所送るから」
 
「ちょっ!」

 さらに言葉を続けようとしたのに、一方的に電話は切られた。
 唖然とスマートフォンの画面を睨みつけていると、軽快な音と共に画面に母親からのメッセージが送られてきて、 仕方がなく開く。
 そこには、本気で誰かの電話番号と住所が記されていた。

「まじか……」

 流石に、すぐに電話する勇気も出ず、取り敢えず家に帰ることにした。
 那月の心臓はそんなに強くないのだ。
 昔の印象のまま電話して、ウザがられて不機嫌な声を聞いたら正直ショックすぎる。
 現実から逃れるように、那月は更衣室を出て自宅へと帰った。




 ───




 あれから数日が経った。
 別に逃げているわけじゃないと、那月は自分に言い聞かせた。
 日々、忙しかったから忘れていただけだ。
 本当は、一切忘れていないのだが、そう言い訳したかった。
 けど、母親から度々、連絡したかどうかの確認のメッセージが来るのだ。
 夏休みの宿題くらい、忘れ続けている内になかったことになったらいいのに。
 仕方がなく、登録していた番号に電話をかけた。
 三コール目が鳴っても出なければ、電話を切ろうと考えながら。
 それなのに、二コール目が終わった瞬間──。

「もしもし」

 那月が知っている声や、想像している声とは違う少し低めの声に、一瞬間違えたかもしれないという気持ちが湧いてくる。
 どうしたものかと考えているうちに、那月はこれでは不審者ではないかとはっとした。

「あの」

「もしかして、那月姉?」

 聞き慣れない声が、懐かしい響きで呼んだ。
 その呼び方をするのは、千聖だけなのだ。

「うん……よく分かったね」

「待ってたから……この番号は、最近は祥子ひろこさんにしか教えてないし。友達にはLINEしかおしえてないしね」
 
「待ってたの!? なら、千聖から連絡してきたら良かったじゃん」

「無理だよ。祥子さんに母さんから連絡先は渡してもらったけど、那月姉の連絡先はもらわなかったからさ」

「まったく……お母さんも渡してくれたら良かったのに」

 そうすれば、勝手に相手の連絡先を知っているという罪悪感を抱かなくて良かったのにと那月は思った。
 
「まあ、いいや。千聖は元気でやってる? 東京で一人暮らしを始めたって聞いたけど」

「うん。この歳でって感じだけど、どうにかやってるよ」

「久しぶりだし、今度食事にでも行かない?」

「いいの? 那月姉、忙しいんじゃない? あんまり地元にも帰ってこなかったし」

「ああ、それはね……この年齢になると親戚の質問攻めとかが面倒くさかったからだよ」

「そっか、なら行きたいな。久しぶりに会いたいしさ」

「じゃあ、明日の夜とか、どう?」

 急すぎたかなと思わなくもなかったが、声を聞いたら千聖の成長をはやく確かめたいという欲求が勝ってしまった。
 どうしても、記憶にある姿の千聖から今の声で喋っているイメージが作れないのだ。

「明日?」

「あっ、急すぎか。千聖にも会社の人とか大学時代の友達との付き合いとか、前から決めてる予定とかあるもんね。もう少し先で、空いてる日って」

「違うよ、那月姉」

 相手のことも考えずに急な予定を言ってしまったことに反省しながら、手帳を探しながら話す言葉は見つけて開いたところで、柔らかい言い方で遮られた。

「ん?」

「嬉しいんだよ。予定なんてないから、明日会いたい」

 電話越しなのに、まるで耳元で直接囁かれたような感触に、手帳をぺらぺらと捲っていた手が止まってしまった。
 こちとら仕事に没頭していて、二十七歳にして男性への免疫が高くないのだ。
 あの声はいただけない。
 那月は、スマホをテーブルに置いてスピーカーにした。これなら、変な妄想を抱かなくて済む。
 相手は、小学生の時から知っている四つも年下の子だ。
 変な妄想なんてして気持ち悪がられるのは避けたい。

「そ、それなら、何時に仕事は終わる?」

「うーん、十八時には終わるよ」

「なら、明日は十八時半には確実に上がれるから、どっかの駅で待ち合わせしよう? 千聖の会社とか、家に近い駅ってどこ?」

「家の最寄り駅は新宿だよ」

「なら十九時に新宿駅で待ち合わせね。待ってる間、悪いんだけどスタバとかで時間潰しててくれる? 駅に着いたら連絡するから」

「分かった。それくらい出来るから、急がなくていいよ」

「ほら、昔は待ち合わせで涙目になってたじゃない」

「那月姉……いったい、いくつの時の話をしてるのさ」

「ごめんごめん。それじゃあ、明日ね」

 拗ねたような口調に、那月の口元には笑みが浮かんでいる。

「うん。会えるの楽しみにしてる」

 通話を終えて、今の余韻に浸る。
 随分と大人になったものだ。
 昔は、那月の後ろに隠れるくらい人見知りで、待ち合わせを嫌がって手を離さなかったくらいで、背は低くてフランス人の父親譲りの薄茶色の髪に、薄い緑の入った瞳と色白の肌も相まって、まるで妖精のように見えた。
 その日本人離れした外見のせいで、同世代の異性に人気はあっても、同性にはいじめられて泣いているような子だ。
 守ってあげたい。当時はそんな風に思って、心がキュンキュンしていた。
 流石に成長して妖精のように可愛くはないだろうが、綺麗系の線の細い男性にはなっているだろうなと思えば、那月は明日が楽しみでしょうがなかった。
 翌日は、目立ったトラブルもなく、仕事は順調と言っていいほどスムーズに進んだ。
 同僚には、いつも以上に楽しそうだと言われるくらい心が弾んでいたらしく、心なしか時間の進みもはやく感じて足取りも軽い。

「残りの片付けは、わたしたちがやっときますから、西條さんは先に上がっていいですよ?」

「でも……」

「いいですって。いつも、最後までやってくれてるんですから、相手を待たせたら悪いですよ?」

 お昼休憩の時に、久しぶりに会う相手なことだけは話していたからか、同僚たちは那月の手からゴミ袋を取り上げた。
 代わりに、もたもたしている那月の手に鞄を持たせると、更衣室の方へと背中を押す。
 
「それじゃあ、お言葉に甘えていいの?」

「もちろん。いつも西條さんが代わってくれてたじゃないですか」

「ありがとう。お先に上がらせてもらうね」

「「お疲れ様でした」」

 二人に任せて、那月は手早く制服から着替えて、更衣室から小走りに出た。
 手首の時計を見れば、時刻は十八時半を少し過ぎた辺り。
 順調に電車に乗れれば、間違いなく待ち合わせに間に合う。
 近くの会社から、同じように帰ろうとする人たちの波を避けながら先を急いだ。
 これまで、この道を急いだことはなかったから、那月は新鮮な気持ちになった。 
 駅の改札を抜けると、電車が入ってくるのを告げるアナウンスが聞こえて、階段を一段とばしで駆け上がり、新宿方面の山手線に滑り込んだ。
 ぎゅうぎゅうではない電車内で息を整え、流れる景色に目を向ける。
 不思議だ。
 少しだけ、ほんの少しだけ景色がいつもと違って見える。
 いつもの週末は、日曜日にある結婚式のために体力を温存するために、土曜日に外に出なくていいようにと軽く買い物をして帰って、至福のお風呂タイムと晩酌なんていう色気のないルーティーンだった。
 こんな風に、仕事帰りに食事をするのはどれくらいぶりだろうか。
 何をごちそうしてあげようか、お酒は飲むんだろうかなんて考えながら、たどり着いた駅のホームに降り立ち、端に避けて千聖に電話をかけた。

「那月姉?」

「千聖、お待たせ。いま、電車降りたところなんだけど、東口の広場にあるライオンの像は分かる?」

「よく待ち合わせに使われるから、わかるよ」

「よかった。そこで待ち合わせよ」

 電話を切って空いた階段を進んで東口の改札を通った那月は、東口の広場への階段を上った。
 ゆっくり来たから、さすがに千聖が先にいることはないだろうと思いながらも、自分の記憶の中にある千聖を少しだけ成長させた姿を想像して、同じように待ち合わせをしているであろう人たちを眺めた。
 けれど、合致する人は一人もいない。
 そもそも、いるのは女性ばかりで、男性は中年のおじさんと逆ナンされている若い男性しかいなかった。
 若いというところは一緒だが、背も高くて肩幅もある人で千聖とは似ても似つかない。

「ねぇ、おにーさん。暇なら一緒に遊ばない?」

「…………」

「いいじゃん。一人でしょ? 楽しませてあげるからさ」

 声をかけている女性は、とても綺麗な人だった。 
 正直、色恋に疎い那月でも、羨ましいと思うほど出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる体型の人だ。
 髪もサラサラで、爪も綺麗に塗られていて、その全てに時間を掛けているのが分かるほど。
 羨む前に、自分ももう少し美容に力を入れるべきだろう。長い爪は出来なくても、綺麗に整えて清潔感のる色のマニキュアを塗るくらいは出来るのだか。
 今度の休みには、コスメでも見に行こう。
 なんて考えながら、駅から吐出されてくる人々を眺めた。

「那月姉?」

「えっ?」

 横から名前を呼ばれて顔を向ければ、女性の逆ナンを無視していた男性がその見た目の大きさに不釣り合いなほど、不安そうな顔で那月を見ていた。
 自分が、絶対に千聖ではないと確信していた相手に名前を呼ばれて、目を見開いた。

「うそ……千聖?」

「そうだよ、那月姉。気づかないなんて酷いな」

「いやいや……変わりすぎでしょ」

 自分より低かったはずの背は、見上げるような背になっている。
 髪や瞳の色彩はそのままだが、大人びた顔の中に配置されていると全くの別人に見えて、心臓が変な鼓動を刻む。
 目の前に、那月が知っていると思っていた千聖はいない。
 
「ほら、行こうよ。那月姉」

 一歩近づいてきた千聖は、那月の背中に手を添えると歩くように促した。
 未だに心の整理がつかないまま、大きな手に導かれてライオンの像を通り過ぎて歩いていく。
 後ろからは、さっきの女性の不満そうな声が聞こえてきたが、那月はそれどころではない。

「それで、どこ行くの?」

「あ、えっと、こっちに食事が美味しいお店があるから、そこで食事をしようかと思ってる」

「へー、こっちはそこまで探索してなかったから、そんなお店があるなんて思わなかった」

「元々は、同じホテル務めてた人なんだけど、好きな料理だけ出したいって言ってお店を開店してね。すごく美味しいから、千聖……の口にも合うといいんだけど」

 チラチラと千聖の顔を盗み見ながら言う言葉は、どんどん自信がなくなって小さくなっていく。
 
「どうしたの? なんか、様子が変だけど」

「もう一回、確認するけど……本当に千聖なんだよね?」

「なんでそこまで確認されるのかが分からないけど、間違いなく僕は高柳千聖だよ。そんなに変わった? なんなら、運転免許証でも見せようか?」

 歩幅が違うはずなのに、那月が早足をしなくてもゆったりと歩ける速度で、横を歩いてくれる彼の声は、間違いなく昨夜の電話の声と一緒だった。
 
「あっ、そこがお店なんだけど」

 駅から数分で辿り着いたのは、都会であることを忘れそうになる佇まいの店だった。
 ヨーロッパの田舎にありそうなその店は、車の通りから一本入ったところにある。
 木製の扉を開ければ、ドアベルが来客を知らせ、一人の女性が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませって、那月ちゃん。久しぶりね」

「お久しぶりです、弥生さん。二人なんだけど、空いてますか?」

「もちろん。あらっ、珍しいわね、男性と来るなんて。こっちにどうぞ」

 案内されたのは入り口から一番離れた場所で、隣との席とも少し間隔が広くなっている場所だ。
 普段は予約客用の席で、これまで那月は何度も来ているが案内されたことはない。

「今日は予約が入ってないから、ここならゆっくり出来るでしょ? 注文はいつものでいい?」

「はい。千聖はお酒って飲める?」

「特別強い訳ではないけど、ビールもワインも嗜む程度には飲むよ」

「それじゃあ、料理に合ったワインもお願いします」

「了解っと」

 弥生が離れたところで、向かい合って座っている千聖を正面からじっくり見る。  
 柔らかな線を描いていた顔の輪郭はなくなり、尖った顎と喉仏に時間の経過を感じた。
 最後に見たのが中学生の千聖なのだから、当たり前の変化だろう。
 でも、やはり見慣れない。
 
「なんだろう……見慣れなさ過ぎて緊張する」

「へぇー、それは嬉しいな。そんなに変わった?」

「だって、背だって見上げるほど高いし、纏う空気が大人すぎる」

「あー、背ね。高校入る少し前くらいから何だか知らないけど、ぐんぐん伸びた感じ。めちゃくちゃ成長痛が痛かったな」

「そんだけ伸びればそうだろね。しかし、変わりすぎて全然気が付かなかったよ。あれでも、着いたときに見回したんだよ? 千聖のことだって見たけど、最初に違う鳴って却下したもん」

「なんで?」

「私の中の千聖の姿って、最後に会った日から更新されてなかったからさ。私よりも背が低くて、ちょっと美少女チックていうのかな? 儚い感じで、今はどう見ても儚くも無ければ、美少女チックでもない。色男って感じ」

「今の僕は嫌い? かわいい系じゃないから」

 自信すら感じさせていた千聖の瞳が、どんよりと曇った。
 
「ん? 別に嫌いじゃないよ。成長過程を見てこなかったから、驚いたってだけ。あの見た目だから可愛がってた訳じゃないし」

「それなら良かった。昔から、那月姉は背の高い俳優とか、筋肉のあるアイドルが好きだったじゃない?」

「あれ? そんな話したことあったっけ?」

 突然、思春期真っ只中だった頃の話をされて、ほんのりと頬を赤くした。
 高校生の頃の那月は背が高くて、筋肉のある韓国のアイドルが好きだった。
 ライブにも行ったし、音楽番組も見ていた。正直、スマホの待受やケースの中にトレカを入れていたこともある。
 今でこそ、推し活からは卒業したが、あの頃は夢中になっていた。
 もちろん、気に入れば今でも曲は聞いているが、昔ほど情熱的に応援している訳ではない。

「うん。昔、少女漫画読んでる那月姉に、年下とか自分より背の低い男ってどうって聞いたら、どっちもないって言われた」

「全く覚えてないんだけど」

「だろうね」

「でも、それは私の意見であって、女性全般の意見ではないんだから、気にしなくていいからね? 千聖が好きになる子のタイプがそうとは限らないし」

 そんな風に話しているうちに料理が運ばれてきた。

「ごゆっくり」

 料理を運び終えた弥生は、どこかにやにやしながら去っていった。
 あれは次に来た時に根掘り葉掘り聞かれるやつだなと思いながら、グラスを持ち上げた。

「それじゃあ、再会と千聖の仕事が上手く行くように……乾杯」

「ありがとう、那月姉」

 グラスをぶつけることはせず、目の高さに掲げるだけに留めて乾杯した。
 千聖もそれに合わせて同じ動作をしたことには驚いたが、考えてみたらあの両親がそういったマナーを教えていないとは思わなかったから那月はいちいち聞くことはせずに流した。
 料理はシェフのおまかせで、かしこまったものではない。
 形に囚われない料理を好むことから、シェフである後藤直樹はホテルのシェフには向かなかった。
 代わりに、レストランを開いてからは、生き生きと料理をしていて、さらに老若男女問わずに訪れる店になり、取材を受けたり評価を受けたりと有名店だ。
 食事中も軽く会話を続け、千聖が大学時代の友人とアプリの開発会社を経営しているという情報を得たり、他愛ない会話が続いた。
 楽しさと懐かしさで、いつも以上のペースでお酒が進んでしまった。
 その結果──。

「ごちそーさまでしたぁー」

「あら、那月ちゃんが酔っ払うなんて珍しいわね」

「酔ってないれすよぉー」

 ご機嫌な那月は、左右にゆらゆら揺れながらご機嫌に笑っていた。
 もはや、ちょっとした置物を見ても笑い始める始末だ。
 
「本当だね。珍しい那月を見れたな」

 閉店までいた二人は、店の最後の客になっていた。
 だからか、厨房からわざわざシェフであり、元同僚である後藤は面白い物を見るような目を那月に向けながら、その手を彼女の頭に伸ばした
 正直、千聖は面白くなかったが、ふにゃふにゃと笑う那月はそれが当然のものであるかのように受け入れている。
 ここでそれを指摘するのもなんだからと飲み込んだ。

「そんな状態で帰れるのか?」

「大丈夫です。僕が責任持って連れて帰りますから。お会計をお願いします」

 親しそうな様子に、少しだけもやもやした気持ちになりながら財布を取り出し、クレジットカードを出そうとすれば、ふにゃふにゃとしていた那月は突然キリッとして財布を取り出すとクレジットカードをトレーに乗せた。

「千聖くんは財布を出してはいけません! 今日は私が食べさせてあげたくて来たんだからぁー。お姉さんにまっかせなさーい」

『お姉さん』

 千聖は昔から『那月姉』とは呼んでいるが、小学校の高学年の頃にはただの近所の世話好きのお姉さんではなく、大好きな那月になっていた。
 年齢差を考えれば、自分が彼女の彼氏という位置づけにはなれないと思っていたから、ただの可愛い弟分に甘んじていただけだ。
 成人した今では、もうその立ち位置に甘んじる気持ちはない。
 だからこそ、姉という言葉を強調されると苛立つ。

「わかったよ、那月姉。財布はしまったから、こっちにおいで」

「うむ、やっぱり千聖くんはいい子です!」

 千聖が横に立って言えば、那月は彼の腰に抱きついてきた。
 この行動も、自分が男としては見られていないと感じられて苦い気持ちが湧き上がるが、ぎゅっと押し付けられる体に、思わずといった感じでふわりとした笑みが浮かんだ。

「へぇー、本気で那月が好きなんだな。その顔なら、これまでだって相手には困らなかっただろ?」

「那月姉以外に興味がないんで」

 千聖の腰に抱きついているのが丁度いいのか、那月は若干うとうとしている。

「そいつが酔ってるからって、無理に手を出すなよ?」

「それ、あなたに関係ありますか?」

 冷めたような感情の伺えない目を後藤に向け、体重をほとんど受け止めながら千聖はレストランを後にした。
 スマホのアプリでタクシーを呼んで、車が来るまでの時間を堪能する。
 昔は、こんな風に抱きつくのは千聖の方だった。
 いつだっていじられて泣き虫だった千聖を、隣の家に住んでい那月は慰め、話を聞いてくれた。
 明るくて、太陽みたいな存在で、淡い初恋は人生でなくてはならない存在になっていたのだ。
 だからこそ、ちょっとした話の中で聞いた年下と背の低い男はないという言葉は、ずっと千聖の心の中でくすぶった。
 那月が上京してしまう前に言おうとしていた告白も、喉まで出かかったがどうにか飲み込んだ。
 告白して、隣人の男の子という立ち位置すら無くすのが怖かった。
 意気地なしな自分に嫌気がさしながらも、迫ってくる高校受験はなくなりはしない。
 那月の好みを自分が持っていなくても、せめて他で補おうと賢くて稼げる男になるべく目標を立て千聖は受験に励んだ。 
 ありがたいことに、那月に勉強を教わっていた千聖は、自然と勉強のレベルが高かった。
 苦労することなく進学校に進み、おまけのように成長期がやってきて、ぐんぐんと背が伸び、半分フランス人の千聖は抜群のスタイルと顔を手に入れていた。
 高校では小学校と中学校のようないじりにあうことはなく、スクールカーストでいえば上位の人間になり、いつだって周りには男女問わず人がいた。
 女子から迫られることだってあった。自分に自信のある子が、その武器を使って迫ってくれば、健全な男子高校生なのだから、生まれ始めた性的欲求はあるのだ。
 自然とその誘いに乗って、セックスをしたことだってある。
 けれど、堕落して性に溺れるということにはならなかった。
 どんなにセックスが気持ちが良くても、結局のところ相手は那月ではないのだ。
 事が終われば、胸に残るのは虚しさと苛立ち。 
 そんな気持ちになるくらいなら、那月を抱く想像をしながら自分で処理したほうが、気分は楽だと気づき青春真っ盛りの時期に女子からの誘いを蹴りまくった。
 おかげで、相手にされなかった腹いせなのか、遊んだ相手の復讐なのか、EDだとかゲイだとか噂を流された。
 それは大学に行っても付きまとったが、変に大学生活を煩わされなくてすんだから千聖は感謝すらしている。
 大学を卒業して、大学で一緒にアプリを開発していた友人と会社を立ち上げ、東京を散策している時に、仕事をしている那月を見かけた。
 何年ぶりかに目にした彼女は、最後に会った日以上に綺麗になっていた。
 進路に悩んでいた那月に、自分が追いつくまで悪い虫が付かないように男の少なそうな職業を実は進めた。 
 花が好きだったのを知っていたから、フラワーアレンジメントの仕事なんかが良いんじゃないかと言えば、少し悩んだ後にノートパソコンで調べものを始めていた。
 数日後には、ウェディングフラワープランナーの学校に進学するという話を聞いて、仄暗い喜びを感じていた。
 自分が彼女の人生の選択をしたという喜びに。
 誤算だったのは、地元にその専門学校がなかったこと。
 そして、意外にも男との接触が多かったことだ。
 今夜の後藤に、ホテルスタッフ、結婚式場のスタッフと客といった出会いの場は多い。
 小さなため息を吐き、目の前で停車したタクシーに乗り込み、自宅マンションの住所を躊躇うことなくタクシー運転手に告げた。
 別に疚しい気持ちはない。
 自分は那月の家の住所を知らないし、彼女はほとんど寝ていて起こすのは可哀想だ。
 道は空いていて、順調に進んだタクシーは数分足らずでマンションの前に着いた。 
 手早く支払いを済ませて、那月の手を引く。

「ほら、着いたから自分で歩いてよ」

「うーん、着いたの?」

「そう。だから行くよ」

 もごもごと言っているが、千聖を信頼してるのか素直についてくる。
 信頼なのか、はたまた男として見られていないのか。
 前者であることを千聖は願った。
 そうでなければ、自分は那月に好意を抱く一人の男なのだと分からせたくなってしまう。
 セキュリティーの高い入り口を抜けて、上層階用のエレベーターに乗って部屋を目指す。
 エレベーターの揺れの中、流石に那月の体から力が抜けた。
 
「全く……これが僕以外の男だったらどうするのさ」

「んー、千聖だから安心して飲んだんだもん」

 すくい上げるように横抱きにすれば、那月は甘えるみたいに千聖の首に腕を回してきた。
 可愛い。
 その言葉しか浮かばない。
 ものすごく理性を試されている状況に、下半身に血が集まりそうで困る。
 どうにか、新しく開発中のアプリの事を考えて気を紛らわせた。
 エレベーターの到着の音にどこかほっとしながら、廊下を歩いて部屋へとはいって寝室へと向かう。
 
「那月姉、少しだけ頑張って上着だけでも自分で脱いでくれないかな? 着替えを持ってくるから」

 ベッドに座らせ、どうにか離れても大丈夫だと判断して、那月でも大丈夫そうな服を探しに行く。 
 長ズボンでは引きずってしまうだろうし、ハーフパンツでもウエストが大きくて色々と駄目な気がする。
 自分ですら少しだけ大きいと思うTシャツを一枚だけを渡すというのは、正直少しだけロマンかもしれない。
 ズボン類は大きいからと自分に言い聞かせ、Tシャツだけを手に寝室に戻った。

「わぁっ! 那月姉!」

 寝室に入って目に飛び込んできたのは、服を脱いでキャミソールとパンツだけの姿でベッドに寝ている那月の姿だった。
 高校生の頃に下着姿も裸も何度も見たのに、今のキャミソール姿の那月以上に惹かれたことはない。
 これはマズい。
 せめて上掛けを掛けて、自分はリビングのソファで寝ればなんとかなる。
 そう思って上掛けに手を伸ばしたところで──。

「んんー」

 那月が手を伸ばしてきて、千聖の体を撫で回してくる。
 
「もー、そんなに撫でてほしいの?」

「ちょっ」

 胸から腹部へと手を滑らされて、ゾクゾクとした感覚が広がっていく。
 腹筋に力を入れて、どうにか耐えながら那月の肩に額をつけた。
 実はそこまで酔っていないのだろうか。
 あまりの誘惑に、後藤の忠告は頭の片隅へと飛んでいった。
 目の前の晒されている首に、軽く唇を這わせる。

「くすぐったいよ、カイ。そんなに舐めないで」

 少し長めの髪がこぼれ落ちて那月の首元をくすぐったのか、体を捩った。
 那月からの誘いかと思っていた千聖は、呼ばれた名前に一気に冷たい水を掛けられた気分になった。

「那月姉? カイって誰?」

 思わず低い声が出た。
 自分のことを棚に上げて、千聖は那月が男を知っているだなんて思いたくなかった。
 冷静な頭では、これだけ魅力的な女性が二十七歳で誰の目にも留まらないなんてありえないと思っている。
 けど、自分が初めての男であり、最後の男でありたいという思いが強すぎた。

「ねえ、那月姉」

「んっ……なあに?」

 少しだけ体を引き離すと、彼女の目が薄っすらと開いた。
 寝起きの気が抜けた表情に、彼女がセックスの最中にはどんな表情をするのだろうか。

「今、何をしているか分かる?」

「いま?」

 ぼんやりした目が今の状況を見極めようと、少しだけ動く。
 寝起きと酔っている状態という特殊な状態過ぎて、なかなか先に進まない。

「ほら、しっかりしてよ。那月姉」

「千聖? ここベッド?」

「そうだよ」

 そう千聖が答えれば、驚きで少しだけ酔いが冷めたのか、視線がはっきりと絡む。

「ちょっと待って」

「うーん、僕からは手を出してないよ」

「えっ?」

 那月の視線は下りていき、自分の両手が千聖のTシャツの下に滑り込んでいるのを理解したのが分かった。
 頬が赤くなり、耳まで赤い。

「誘ったのは、那月姉だからね?」

 何かを言われる前に、千聖は那月の唇に自分の唇を重ねて塞いだ。
 最初はただ重ねるだけで、嫌がる素振りがないのを確認しながら唇を喰み、吐息を漏らすために開かれた唇の隙間から舌を忍び込ませた。
 手のひらで頭を支えながら、少しだけ体重を掛けて後ろに倒させて枕に受け止められたところで、ゆっくりと舌を絡ませ、片手をキャミソールの下に差し込めば、那月の手が腹筋を撫でた。
 割れた腹筋を確かめるように動かされて、ゆっくりと進もうと思っていた気持ちはどこかに吹き飛んでいく。
 体を起こせば、自然と那月の手がTシャツから出ていく。そのTシャツを脱ぎ捨て、窮屈になったズボンの前を寛げる。
 大人しく横になったままの那月は、潤んだ瞳に物欲しそうな色を浮かべて両膝を擦り合わせている。
 ずっと、大切な存在だった。
 いつだって年齢の差が憎くて、先に大人になっていく那月の背中を追いかけけることしかできないのが、不安で仕方がない。
 那月とは何かを約束した間柄ではなく、ただの千聖の片思いだった。
 かつて、年下は考えられないという言葉に傷つき泣いたが、今では立派に成長した。
 女性に間違えられることも、弱いと思われることもない。
  
「逃げるなら今だよ?」

 その問いかけへの答えはなかった。
 代わりに、頬を紅潮させて歯で舌唇を軽く噛む姿は妖艶で、思春期に想像していた姿の何倍も厭らしい。
 経験が豊富なわけではないが、童貞は卒業している。
 なのに、那月に伸ばす手はわずかに震えた。
 拒絶が怖い。
 まだ、気持ちを伝えたわけでも、付き合っているわけでもない、酔った彼女の戯れだ。
 年下の弟分には、何も出来ないだろうと思っているのだろう。
 余裕そうな表情を意識しながら、噛んだ刺激で赤くなった唇に吸い寄せられるようにキスをした。
 何度も唇を食んで、口を開けるように促して、呼吸のために薄っすらと開けられた口の中に舌を忍び込ませる。
 お互いの唾液を混ぜ合うように、舌を絡め合い、キャミソールの下に手を這わせてブラのホックを外した。
 開放された柔らかな膨らみをやんわりと揉みながら、続くキスの合間に、那月の口からは甘い喘ぎが漏れ始めた。
 少し体の力が抜け、しどけなく開かれた那月の足の間へと千聖の腰は受け止められ、ズボンを押し上げる自身がショーツ越しに濡れる入り口を刺激する。
 
「んあっ! んん……やぁ、んっ」

 もっとと強請るように、背を反らして千聖の手の平に那月は胸を押し付けてくる。
 柔らかい胸の中心は、固く立ち上がっていた。
 その先端を親指でゆっくり刺激して、さらに那月の快感を高める。

「これ、脱がすよ?」

「ん……」

 キャミソールの裾を引っ張り示せば、小さく頷いてキャミソールと共にブラも一緒に脱いで床へと落とした。
 ついさっきまで触れていた胸が、目の前に晒され、あまりの愛しさに柔らかな膨らみに口づけた。 
 中心は避けて、口づけを落としながら腹部へと移動していき、立てられている膝の頭にキスをして、ショーツに手をかければ、自然と腰を上げて脱ぐのに協力してくれる。
 下着の中心は湿っていて、僅かだが糸をひいていた。
 そんなベッドの上での慣れた様子に、少しだけ苛立ちが胸の奥に芽生えて、自分だって未経験ではないことを棚上げしてショーツから片足だけ引き抜いた状態で潤んだところにしゃぶりついた。

「あっ! まっ」

 甘く滴る蜜を舐め取り、敏感な部分を舌全体を使って舐めあげる。
 次から次に溢れ出る蜜を啜り、わざと音を立てれば那月の内ももが震えた。
 溺れさせたい。
 そんな思いから、襞裂をぐっと両手で開いて、そこにフッと息をかけてやれば誘うようにひくついた。 
 もっとぐちゃぐちゃにしてやりたかったが、永年夢見ていた相手のあられもない姿に我慢が出来ない。
 体を起こして、サイドテーブルに手を伸ばして引き出しからゴムを取り出し、張り詰めて痛みを持つ自身にゴムを被せた。
 彼女のぬかるみに何度も先端を擦りつけて、物欲しそうに収縮を繰り返す場所にキスをする。
 何度も何度も、中心を外して周りに擦り付けた。
 一気にぶち込みたい。
 そんな思いから、襞裂に擦り付けると、誘い込むみたいにうごめいた。
 ついには、那月がじれったくて涙目で千聖を見ている。

「なんで……」

「なんで挿れないかって?」

 那月は頬を上気させながら、小さく頷いた。

「んー、挿れてほしかったらさぁ。さっき聞いたカイが誰か教えて?」

「へっ? カイ?」

「そう。さっき、愛おしそうに、僕の体を撫でながら囁いてたからさ」

「えっと、それは」

 視線を反らして、口を閉ざす様子に千聖の中の何かが切れた気がした。自分はキレやすタイプではないのにと思うが、那月のことになると堪え性がないのかもしれない。

「もういいっ!」

「んあっ! まっ」

 一気に自身を那月の潤った場所に押し込んだ。
 蜜口がもっとも大きな部分を飲み込んでその柔らかな肉で包み込まれた瞬間は、危なく射精してしまいそうだったほどだ。
 しばらく焦らしていたおかげか、そこは十分すぎるくらい濡れていて、なんなく千聖の屹立を飲み込んでいく。
 心の奥底で、歓喜が渦巻いていく。
 ずっと、片思いしていた那月の中は、熱くて柔らかくて、程よく締め付けてくる。
 それなのに、初めてではないのかと考えると、那月の最初の彼氏がちらついた。
 一度、高校生の那月が近所の公園で、初めての彼氏とキスをしているのを見かけたことがあった。
 彼女の一つ上の先輩で、バスケットボール部の人気者。
 悔しくて、泣きながら家に帰って次の日から那月と上手く話せなくなった。
 とつぜん、そっけなくなった千聖に彼女は戸惑った顔をしていた。
 母親には話したことがなかったが、その時は『思春期の反抗期みたいなものだから、那月ちゃんは気にしないでね』と話していることをありがたく思った。
 気がつけば一年近くが過ぎていて、ある日那月の彼氏が別の女子とキスをしている現場を目撃してしまい、肚の底が煮えたぎる気がした。 
 あんなクソ男に、那月は取られたのかと。
 けれど、那月に告げ口するようなことも、警告を送ることもしなかった。
 子供の戯言だと思われるだろうし、恋をしているであろう那月が信じるとは思えず、嘘つきだなんて思われたくなからだ。
 それから数日後、目を真っ赤にした那月と家の前で出会った。
 話しかけてもどこか上の空で、元気がない。
 その日の夕方、母親たちの会話で那月が彼氏と別れたことを知った。
 あの時の喜びを今でも千聖は覚えている。
 歓喜にも似た感情を思い出していると、那月の熱く潤ったその場所はきつく、千聖に絡みつく。
 徐々に深く腰を推し進めていけば、それを手伝うように那月の腰も揺らめく。

「あ、ああっ、ん……」
 
 みちみちと内壁を押し広げるように入ってくる感覚に、感じたこともない快感が背中を駆け上ってくる。
 今までの相手と比べるのは失礼かもしれないし、それほどの経験人数でもないが、こんな風に那月が気持ちがいいと思った相手はいない。
 その灼熱の杭の太さもだ。
 こんなにも苦しいのに、中を擦られるのが気持ちがいいのも、セックスが嫌じゃないのも初めてのことだった。
 正直、圧迫感と快感で生理的な涙が浮かんでくる。
 涙でぼやける視界には、余裕のなさそうな表情の千聖が、那月の表情を確かめながら腰を揺すっていた。
 悩まし気に、寄せられた眉間がなんだか色っぽい。

「泣いたってやめてやらない。はっ……那月姉……那月っ」

 腰の動きが激しさを増していく。
 中は自然と潤んで、潤滑油の代わりを十分努めていて、いっぱいいっぱいだったはずなのに、滑りがいい。
 時々、角度をつけられて、千聖の屹立の最も大きなカリの部分に刺激され、自分でも知らなかったイイ場所に背中が仰け反った。

「んぁっ、」

「へぇー、ここがいいんだ?」

 ビクッと反応したところを執拗に攻められて、那月は喘ぐのを我慢できない。

「やぁっ……あ、あぅっ……」

「くっ、そんなに締め付けないでよ」

 何度も何度も揺すられ、擦られ、奥を突かれて、何も考えられなくなっていく。
 特に、初めて感じる奥を突かれる感覚が、とにかくイイのだ。
 思わず手を伸ばして、腰を掴む千聖の腕を掴んだ。
 汗で滑る中、自分を繋ぎ止めたくて必死に掴もうと爪を立てた。

「那月?」

 少しだけ腰の動きを緩めた千聖は、不思議そうな表情で那月の顔を覗き込んできた。
 その優しげな瞳に、気持ちが解れてきて、いま一番欲していることを口にした。

「ぎゅってして……千聖っ」

「っ!」

 腰の動きを完全に止め、驚きに目を瞠った千聖の様子に、嫌だったのかなと伸ばした手を引こうとすれば──。
 体を前に倒してきた彼に、がっちりと背中と腰を掴まれて、ぐっと引き起こされた。

「んぁぅっ」

 対面座位の形にされて、入っている感覚がより深くなって、当たる部分も変わってくる。
 そのまま抱きしめられて、お互いの胸がピッタリと重なり合う。
 たしかに抱きしめてほしいとは言ったが、せめて一度中から出てからにして欲しかった。
 けれど、そんな文句を言える訳もなく、しっとりと汗ばむ肌に抱きつく。
 沈黙の中で、お互いの息遣いしか聞こえない。
 ほっとした。
 少し疲れてきたこともあって、千聖の体温と匂いに、安心感が全身に広がっていく。
 
「那月?」

「ん?」

「そろそろ……動きたいんだけど」

「んん~……良いよ。でもね」

 中に入っている千聖の陰茎は、まったく萎える様子はない。
 体力もあるからか、那月と違って疲れた様子もないように見える。
 甘やかに焦らされ、高められ、感じさせられた体は少しだけ疲れていて、彼のペースに任せるよりも、自分が主導権を握った方が楽な気がして、足に力を入れてそろりと腰を上げ、中から抜けていくに任せる。

「あんっ」

「はっ……那月?」

 ぬぷっと抜ける感触に、思わず声を漏らせば、千聖も甘く息を漏らした。
 そのまま、彼の胸を押して体を倒させると、きょとんとした顔をしている。

(ちょっと可愛いかも)

 数少ない交際相手に対して、こんな気持ちになったことはない。愛しいなんて気持ちになんて──。
 昔から愛しいとは思っていても、それは密接した家族枠の愛であって、そもそも歳の離れた男の子に恋心を抱いてはいけないと思って那月は押しつぶしていた。
 だからこそ、高校時代には彼氏もいたが、別の女子とも付き合っているようなクソ野郎だったせいで、ただの黒歴史とかした。
 若干の男性に対する不信感が思春期の時に植え付けられ、専門学校から今まで付き合ったのは一人しかいない。
 話と性格の合う人で、初体験の相手でもあったのだが、体の相性がとにかくよくなかった。
 前戯が短くて気持ちがいいとは思えず、回数を重ねるごとに濡れることが少なくなってきて、ただ痛いだけの行為に断るようになって関係が終わった。
 自分には、セックスという行為が向いてないのだと思い、那月は交際自体を諦めるようになった。
 かれこれ、六年近く仕事に集中している。
 そんな中で、酔っていたからとはいえセックスに自分から誘うようなことをしたことに驚いた。
 おまけに、とにかく気持ちが良いのだ。
 自分でも不思議に思うほど、キスをされた時から経験のないぞくぞくとした感覚を感じ、ショーツを脱がされた時に糸を引くほど濡れていたことに驚いた。
 今も中から乾くことなく愛液が溢れる。

「私がするから、じっとしててね」

 ごくりっと喉を鳴らした千聖の未だに萎えていない陰茎に片手を添えて、自分で場所を調節しながら蜜口を丸い先端に下ろしていく。
 ついさっきまで入っていたから、すんなりと入るかと思っていたのだが、セックスに不慣れな那月の蜜口は狭くなかなか上手く入らない。
 結果、蜜口でゆるゆると千聖の陰茎の先端を撫でるような状態となっていて、彼はずっと焦らされているような状態に歯を食いしばった。
 気持ちが良いのだが、早く熱く締め付ける中に挿れて欲しくて、甘い拷問のようである。

「那月っ」

「ひやぁっ、あッ!」

 ようやく先端を中に迎え入れて、一番張っているカリの部分が通り過ぎたと思った瞬間に、大きな両手に腰を掴まれて一気に下へと下ろされた。
 あまりの衝撃に、呼吸を忘れそうになる。
 息を整える間もなく、千聖は律動を始めた。
 強く揺さぶられ、何度も抽挿を繰り返されて、その度にぐちゅぐちゅという水音が室内に響く。
 彼の律動になんとか合わせようとするが、体力が違いすぎる。
 壊れた人形のように揺さぶられていると、少しだけ角度を変えて奥を突かれた。
 
「ひあっ! や、いっ……イっ!!」

「くっ……」

 人生で味わったことのない感覚に、体を震わせて力が抜けるままに千聖の胸へと倒れ込んだ。
 同時に千聖が腰を押し付けると、ゴム越しではあるが熱い迸りを感じることが出来て、自然と中が搾り取ろうとするように収縮を繰り返す。
 お互い息が上がっていて、優しく背中を擦られるが、敏感になりすぎているのかそれすら気持ちが良い。

「んっ……」

 横に下ろされて、中から千聖が抜けていく感触が、未だにイッた余韻が残っているせいで、そでだけでもゾクリとする気持ちよさがある。
 柔らかい枕と火照った肌には気持ちが良いシーツの感触に、もう指一本動かせない気がして、このまま眠ってしまいたくなるのだが──。

「ごめん」

 不穏な言葉が聞こえてきてそれを無視して目を瞑ろうとしたが、ころんっと体をうつ伏せにさせられると、背中にいくつもキスをされた。
 時々、軽く歯を立てて喰まれる感触もなんだか心地が良い。
 こうやって、少しだけ戯れるのもいいかもしれないなんて、くすぐったくて体を捩る。
 ふわふわとした最高の事後の余韻といった雰囲気だったのに、背後からビリっとなにかのパッケージを破る音がした。
 まさかと那月は思った。

「まだ治まらないから……付き合って?」

 ゆっくりと顔だけ後ろに向けると、歯でゴムのパッケージを破った千聖が、取り出したゴムを自身に着ける姿が目に入った。
 彼の顎先から落ちる汗が、スローモーションのように見える。
 口には出さなかったが、可愛いだなんて心の中で思ったのがいけなかったのかもしれない。
 悪魔の囁きのような言葉に、那月はまだまだ眠れないことを悟った。







 ─────








「申し訳ありませんでした」

 ベッドでうつ伏せで枕を抱えている那月の目の前には、スウェットのズボンだけは身に着けて、床で正座しながら頭を下げる千聖の姿があった。
 結局、あの後は千聖が満足するまで何度も何度も、それこそ様々な体位で那月は抱かれ喘がされた。 
 最後の方には記憶も朧げで、いつ寝たのかすら思い出せない。
 それくらい激しい夜を過ごした弊害は、腰の痛みと掠れた声だ。
 今は、ベッドから動くのすら億劫で、とりあえずは一番楽な姿勢を取っている。
 なのに、こんな体にした当の本人は、シャワーを浴びてさっぱりすることも出来るくらい動けるという事実が解せない。
  
「何に対しての謝罪?」

 ちょっとだけ腹が立って、そう返せば千聖は顔を上げた。
 
「えっと……」

「まあ、それは後でいいや。それで? スイッチ入る前に言ってた『カイ』だっけ?」

「う、うん」

 千聖は未だに項垂れている。
 そうしている姿は、小さい頃の千聖の姿と重なった。
 少し絆されそうになったが、心を鬼にして怒っている風を那月は装う。

「あれは、友達の家のハスキー犬の名前」

「えっ!」

「ふわふわでおっきくて可愛いから、時々会わせてもらってるの。その子が顔とか首元とか舐めてくるから、何かをしてきた千聖を勘違いしたんだと思う。これ、証拠の写真ね」

 スマートフォンに保存されているカイの写真を出して、千聖の目の前に差し出した。
 そこには、誕生日のときに撮った名前と年齢を示す数字のバルーンが貼られた壁の前に座ってキリッとするハスキー犬の姿が写っている。
 スライドすれば、友人が撮ってくれた那月とカイがじゃれ合う動画が流れ始めた。
 その動画の中で、那月は話したとおりカイに舐められている。

「わかった?」

「……はい、分かりました」

「言っとくけど、酔って勘違いするほどの相手なんていないからね? それに、なんとも思っていない相手を受け入れる趣味もないから!」

 遠回しに思いの一部を告げれば、しょんぼりとしていた千聖の顔に、輝きが戻ってくる。
 もう許してやろうと思うが、最後の嫌がらせとして一つお願いすることにした。

「許してあげる。だから……コンビニでいいから下着とトラベルキットを買ってきて」

 女性物の下着とトラベルキットなんていかにもお泊りといった商品を買ってくるなんて、男性からしたら一番嫌な買い物だろうと思って嫌がらせの一環として那月は言ったつもりだった。

「分かった。好きなコスメのブランドとかってある?」

「へぁ? な、ないけど……」

「そっか。じゃあ、すぐにコンビニに行って買ってくるね? 他に必要なものはある?」

「特には……」

「なら、食事も適当に買ってくるよ。少しだけ待っててね」

 千聖は嫌な顔をするどころか、嬉しそうな顔で那月の額に口づけると、さっさとTシャツを身に着けてスマホと車の鍵を手に慌ただしく出て行ってしまった。
 あまりの素早い行動に、ぽかんとしていた那月の口からは笑い声が漏れ始めた。

「マジかぁー」

 あんな行動をされてしまえば、帰ってきた千聖に伝える言葉は一つしかない。
 順番は逆になってしまったが、その言葉を聞いた彼が、どんな顔をするのか那月は楽しみで仕方がなかった。




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