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トイレの花子さん死す
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――怪異とは魂という曖昧な存在が、人に恐れられ、語り継がれ、様々な思いの形が人に認知される形で存在を固定された化け物だ。
例えば、有名なのは、トイレを縄張りとする怪談、トイレの花子さんや、理科室の怪談でもある動く標本、人面犬や動く作曲家の肖像画などが挙げられるだろう。
それぞれの話には「大本となる者」が存在し、その大本となる者は元々は人間だったり、悪霊だったり、神様だったり、と様々だが。
こういった怖い話、化け物と言うのは、決まって学校や未知の恐怖に興味を抱く子供が集まる場所に恐怖が吹き溜まり、発生する。
逆を言えば、これらの化け物には唯一無二の弱点があった。
それは「人々に忘れ去られる」と言うこと。
当然だ。人々の恐怖によって発生した怪異は、人々に忘れ去られることで消えうせてしまう。人々に読まれなくなった本は価値がなくなるように、怪異という存在もまた、人ありきでは生きられなかった。
――私、……怪異の中でも最もポピュラーな怪異「トイレの花子さん」もその在り方の1人だった。
インターネットが発達する前の時代、書籍やメディアで取り上げられるほどには私は有名だった。そのおかげで様々な人間が「私」を認知し、恐れ、存在を固定させた。最初は煩わしいと思ったけれど、人に語り継がれてこそ、怪異は存在する。それに、楽しいことも多々あったので怪異の私はこのあり方で満足していた。
ところが近年、感染症の拡大に伴い、学校が次々と閉校され、授業もリモート化が進んでいった世の中で。学校の中で、家庭でも「未知の恐怖」を語る機会が少なくなっていき、学校の怪談というものが衰退していった。怪異は次々と消えていった。
元々マイナーな怪談の気配はすでにこの世にいる気配を感じられない。苦楽を共にし、時には敵対してきた怪談たちも徐々に消え始めている。こんな孤独感はいつ振りだろうか。
ある日突然、あったものがなくなるという恐怖を初めて身で感じた。これが人間が感じる恐怖なのだと思うと、私たちがこうして化け物として存在するのは道理だと思った。
そう自分の存在の脆さに気づいた時にはすでに遅かった。学校に人気がなくなって幾久しく。
とある学校の2階端の使われていない女子トイレの入ってから3番目の個室が私の住処。人々に忘れ去られるという恐怖と、消えゆく自分の身体を何とか力を入れようと、指先に力を入れてみるが、ふと見ると動かしたい指先はすでに消えていた。足から徐々にこの世から消えていく感覚はもうどうにもできない。
諦めて便座に座ったまま、タンクに背を預けた。
人々に恐れられ、語り継がれてきた花子はここで潰える。次世代にまたトイレの花子さんとして語り継がれるときは、きっと別の花子さんなのだろう。
それは、どうしても悲しいことだが、世の理だ。
怪異が怪異であるために、私は多くの人間を恐怖に陥れ、殺し、喰らった。
多くの怪異たちは人を見下してはいたけれど、彼らも、私たちもまた「死」がある命なのだと、実感させられた。実感させられた時にはすでに時すでに遅しだったけれど。人間が、私たちを生かしてくれていたのだ。
ああ、なんと悲しい結末なのだろう。人々に忘れ去られて消えていく。消えて行っても、また思いの強さを持った新しい怪異が生まれればそれは別の存在でも「私」として語り継がれていく。
まだ見ぬ新しい怪異を羨ましいと思いつつ、死の間際で自分の存在の曖昧さに向き合い、絶望するのだろう。
孤独だった人生は寂しくないといったらウソになる。人の営みを羨ましいと思わなかった日はない。怖がられる度に心が満たされ続けて来た充実感。そして恐怖された後に訪れる虚無感。たまに怪異と話す世間話。楽しいこともあったけど、辛いことも、寂しいと思うこともあった。
けれど、何十年もと語り継がれた物語は、いまここで終わりを迎える。
虚ろな視界で視線を下に落とすと、もう身体はなかった。本当に、私は今から消えるのだ。
……神様、私を作り出した誰か様。もし、来世というものが存在するのなら、その時は私を――。
…………。
――アタラ王国、ヘクソカズラ侯爵邸、アリスの自室。
「あ、たま……、からだ……」
頭が割れるように痛い。背筋はじんじんと痛み、倦怠感と身体に錘がつけられたように重い不快な圧迫感と共に目が覚めた。
私は、今し方死んだはずなのに。
なんとなく、今の気持ちを発するべく、声を出すと喉のヒリつきと擦れた声色が出た。
とても不愉快で、気持ち悪くて、辛い。
天上を見上げると、いつものトイレの白い天井ではない。見慣れない、異国風の部屋だった。
保健室のベッドよりふかふかで無駄に広いベッドの上で寝かされた私、起きたことに気づいた1人の女は慌てた様子で人を呼びに出た。
なにがどうなっているか理解が出来なかった。
ああだ、こうだ、ここはどこだと考えているうちに白衣を着た保健室の先生のような風体をした老人が、私の手を取り触診する。
中年程度の男女が手を取り合いながら「アリス、生きてくれてよかった」と大喜びしている。
保健室の先生も「峠は越えました」と滲んだ視界のど真ん中で安堵の笑みを浮かべている。
なんで、皆、私の心配をしているの?
私はトイレの花子さんで、怪異で、人に恐れられないと生きていけなくて、そのためには人も殺す化け物なんだよ。
それに、私はアリスなんかじゃない、私は花子だ。
しかし、今はとても身体が辛くて、否定する力も起きない。
どうでもいいや、と諦めて瞼をそっと閉じる。
途中、口元にやかんの注ぎ口のようなものを口に入れられたあと、じんわりと喉から胃にかけて、乾きが満たされていく。
その感覚が、なんだか、今の私が感じている本音と似ていて、ちょっとだけ嬉しかった。
例えば、有名なのは、トイレを縄張りとする怪談、トイレの花子さんや、理科室の怪談でもある動く標本、人面犬や動く作曲家の肖像画などが挙げられるだろう。
それぞれの話には「大本となる者」が存在し、その大本となる者は元々は人間だったり、悪霊だったり、神様だったり、と様々だが。
こういった怖い話、化け物と言うのは、決まって学校や未知の恐怖に興味を抱く子供が集まる場所に恐怖が吹き溜まり、発生する。
逆を言えば、これらの化け物には唯一無二の弱点があった。
それは「人々に忘れ去られる」と言うこと。
当然だ。人々の恐怖によって発生した怪異は、人々に忘れ去られることで消えうせてしまう。人々に読まれなくなった本は価値がなくなるように、怪異という存在もまた、人ありきでは生きられなかった。
――私、……怪異の中でも最もポピュラーな怪異「トイレの花子さん」もその在り方の1人だった。
インターネットが発達する前の時代、書籍やメディアで取り上げられるほどには私は有名だった。そのおかげで様々な人間が「私」を認知し、恐れ、存在を固定させた。最初は煩わしいと思ったけれど、人に語り継がれてこそ、怪異は存在する。それに、楽しいことも多々あったので怪異の私はこのあり方で満足していた。
ところが近年、感染症の拡大に伴い、学校が次々と閉校され、授業もリモート化が進んでいった世の中で。学校の中で、家庭でも「未知の恐怖」を語る機会が少なくなっていき、学校の怪談というものが衰退していった。怪異は次々と消えていった。
元々マイナーな怪談の気配はすでにこの世にいる気配を感じられない。苦楽を共にし、時には敵対してきた怪談たちも徐々に消え始めている。こんな孤独感はいつ振りだろうか。
ある日突然、あったものがなくなるという恐怖を初めて身で感じた。これが人間が感じる恐怖なのだと思うと、私たちがこうして化け物として存在するのは道理だと思った。
そう自分の存在の脆さに気づいた時にはすでに遅かった。学校に人気がなくなって幾久しく。
とある学校の2階端の使われていない女子トイレの入ってから3番目の個室が私の住処。人々に忘れ去られるという恐怖と、消えゆく自分の身体を何とか力を入れようと、指先に力を入れてみるが、ふと見ると動かしたい指先はすでに消えていた。足から徐々にこの世から消えていく感覚はもうどうにもできない。
諦めて便座に座ったまま、タンクに背を預けた。
人々に恐れられ、語り継がれてきた花子はここで潰える。次世代にまたトイレの花子さんとして語り継がれるときは、きっと別の花子さんなのだろう。
それは、どうしても悲しいことだが、世の理だ。
怪異が怪異であるために、私は多くの人間を恐怖に陥れ、殺し、喰らった。
多くの怪異たちは人を見下してはいたけれど、彼らも、私たちもまた「死」がある命なのだと、実感させられた。実感させられた時にはすでに時すでに遅しだったけれど。人間が、私たちを生かしてくれていたのだ。
ああ、なんと悲しい結末なのだろう。人々に忘れ去られて消えていく。消えて行っても、また思いの強さを持った新しい怪異が生まれればそれは別の存在でも「私」として語り継がれていく。
まだ見ぬ新しい怪異を羨ましいと思いつつ、死の間際で自分の存在の曖昧さに向き合い、絶望するのだろう。
孤独だった人生は寂しくないといったらウソになる。人の営みを羨ましいと思わなかった日はない。怖がられる度に心が満たされ続けて来た充実感。そして恐怖された後に訪れる虚無感。たまに怪異と話す世間話。楽しいこともあったけど、辛いことも、寂しいと思うこともあった。
けれど、何十年もと語り継がれた物語は、いまここで終わりを迎える。
虚ろな視界で視線を下に落とすと、もう身体はなかった。本当に、私は今から消えるのだ。
……神様、私を作り出した誰か様。もし、来世というものが存在するのなら、その時は私を――。
…………。
――アタラ王国、ヘクソカズラ侯爵邸、アリスの自室。
「あ、たま……、からだ……」
頭が割れるように痛い。背筋はじんじんと痛み、倦怠感と身体に錘がつけられたように重い不快な圧迫感と共に目が覚めた。
私は、今し方死んだはずなのに。
なんとなく、今の気持ちを発するべく、声を出すと喉のヒリつきと擦れた声色が出た。
とても不愉快で、気持ち悪くて、辛い。
天上を見上げると、いつものトイレの白い天井ではない。見慣れない、異国風の部屋だった。
保健室のベッドよりふかふかで無駄に広いベッドの上で寝かされた私、起きたことに気づいた1人の女は慌てた様子で人を呼びに出た。
なにがどうなっているか理解が出来なかった。
ああだ、こうだ、ここはどこだと考えているうちに白衣を着た保健室の先生のような風体をした老人が、私の手を取り触診する。
中年程度の男女が手を取り合いながら「アリス、生きてくれてよかった」と大喜びしている。
保健室の先生も「峠は越えました」と滲んだ視界のど真ん中で安堵の笑みを浮かべている。
なんで、皆、私の心配をしているの?
私はトイレの花子さんで、怪異で、人に恐れられないと生きていけなくて、そのためには人も殺す化け物なんだよ。
それに、私はアリスなんかじゃない、私は花子だ。
しかし、今はとても身体が辛くて、否定する力も起きない。
どうでもいいや、と諦めて瞼をそっと閉じる。
途中、口元にやかんの注ぎ口のようなものを口に入れられたあと、じんわりと喉から胃にかけて、乾きが満たされていく。
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