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第3章

5.深まる謎

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 突然寝たふりを暴露された朱璃は自分でも顔が赤くなっているのを感じていた。
(泉李さん。ひど~)
 耳が朱く染まっていくのを彼らに目を細めて見つめられているとは思ってはいなかったが、視線も痛いほど感じていた。どうしよう……

 数分前、診察中に想い人である弘由仁の声がした途端、朱璃は突然眠ったふりをし、そんな朱璃を隠すように琉晟が毛布でぐるぐる巻きにしたのだ。
 二人の素早過ぎる連係プレイに笑いをこらえていた泉李はようやく声を出して笑い、頬を赤くしてもなお目を瞑っている朱璃の鼻をつまんだ。
「くっくっくっ あきらめろ」

 やがて観念した朱璃がミイラのように毛布に巻かれた(顔だけ出ている)状態のままガバッと起き上がり、45度の角度で最敬礼をした。
「あ、あのっ。とんでもなくお手数おかけいたしました。本当に申し訳ありません! 莉己さん。助けて下さってありがとうございました。命の恩人です」

 元気な朱璃の姿を見て莉己の顔がほころんだ。
「いいえ、天女が元の世界に帰れる邪魔をしてしまったのかもしれませんが、失わなくて本当に良かった。戻って来てくれてありがとうございます」

 死にかけたのを助けてもらった立場なのに逆に礼を言われ、しかも天女に例えられるとは! と朱璃はプルプルと頭を振る。
「な、何をおっしゃいますか!? 世話ばかりかけて命まで助けてもらい、礼まで言われるなんてバチが当たります。し、しかも天女だなんて」
「くすくす。池底に沈んでいくあなたはまるで乙女龍の化身のように神々しく、畏怖の念を覚えるほどでしたよ」
「ギャー。やめてくださーい。ただの水死体じゃないですかー。きゃ」
 
 ミイラ状態の朱璃がのけぞり過ぎて、後ろにバタンと倒れそうになるのを生姜湯を持って戻ってきた琉晟が片手で支えた。そしてそのまま生姜湯の入ったコップを朱璃の口に押し付けた。
 
 よく解らないまま素直にごくごくと飲み始める朱璃を見て莉己が噴き出す。
「ぷっ」
 莉己が本来の調子を取り戻しのか笑い転げ、天幕の外に笑いが漏れないように泉李が口をふさいだ。

「へー」
 弘由仁はその様子を感心したように見つめていた。


 やがて生姜湯を飲み終わった朱璃が少し困ったように毛布を解いても良いかと尋ねた。
 琉晟の代わりに莉己が答える
「ダメです。男性の前で肌着になるのは床に誘っているのと同じですよ」

 莉己の言葉に朱璃は固まった。だから、ぐるぐる巻きにされたのかと納得する。
 毛布を脱ぐのはあきらめて朱璃は仕方なくそのまま正座をした。

 せめて腕だけでも出してほしいが。
 ここまで考えてはたと気が付く。誰が服を着替えさせてくれたんだろうと。
 朱璃も一応恥じらう乙女心を持っている。裸体を晒してしまったことはかなり恥ずかしい。せめて、もう少し色っぽかったらよかったのに。お手製のパンツは今日は機能重視のでっかい方だった気がする。
 誰が着替えさせてくれたのか恥ずかしくて聞けないが、せめて琉晟であってほしい(琉晟にはこの4年間に相当恥を晒しているので今更だ)
 あーーもう考えるのやめよと朱璃は思考を放棄した。

 その時突然、朱璃の頭を由仁が撫でた。
「……!?」

 実は告白して瞬で振られた御仁が長官として現れてから朱璃は一切そのことに触れなかった。無かった事にしようとしたわけではないが、12期生のお荷物な自分がそれどころじゃないのは自覚している。ちゃんと一人前にならなくては始まるものも始まらんときちんと心の整理はしたつもりだった。
 が、好きな人に頭を撫でられてうれしくない人がこの世に居るだろうか!?

 ボンと頬を赤らめ動揺を隠せない朱璃の愛らしい様子にむっとする人物が2人。
『「無断で触らないでください」』

「いいだろ。減るもんじゃないんだし。なぁ」
「だ、大歓迎です!」
「はははっ。悪かったな。大会で会った時は気が付かなかったんだよ。焼きもろこしの嬢ちゃんだって」
 
 朱璃が言い出せなかったのにはもう一つの訳があった。弘長官があの時の事を覚えていないだろうと思っていたからだ。
 気が付いてなかっただけで、焼きもろこしの事は覚えてくれていたのだと胸が熱くなった。
 故郷の祭を思い出し突然のホームシックを慰めてくれた恩人。初対面なのに話を聞いてくれ、自分の決めた道をほめてくれ、背中を押してくれたこと、そして泣くのを我慢しているから背が伸びないんだぞと言われたこと。全てにおいて感謝していたのに、きちんと礼が言えなかったことが心残りだった。
「その節は、本当にありがとうございました」

「はははっ 別に何もしてないって俺は。それにしても泣き虫の嬢ちゃんがまさか武道会で入賞して武修院へ入ってくるなんて思いもしなかったぜ。しかも大層な守役に囲まれてさ。いや~ここ最近では景雪が弟子をとったと聞いた時と同じくらいに驚いた」

 あれ? 長官、景先生の知り合い? 私が弟子だと知らないのかな?
 泉李さんと莉己さんを見るとなぜか怖い顔をしている。あれ?

「お前、いつ朱璃を泣かしたんだ」
「焼きもろこしの嬢ちゃんってどういうことですかね。朱璃、この熊に何をされたのですか。焼きもろこしをとられたんですか。一発入れるだけでは全く足りませんでしたね。さ、山に帰りなさい」

 何だか分からないけど、弘長官は泉李さん達と仲が良いようだ。それにしても莉己さん熊、熊って言い過ぎで笑えてくる。
 琉晟がいつの間にか髪を拭いてくれているので気持ち良くなり、うつらうつらしてきた朱璃は3人のやり取りをほほえましく見ていた。
 そして眠ったふりをしながら考えていたことを思い出していた。
 なぜ、池に落ちてしまったのだろうか。
朱璃は自分が泳げない事は百も承知しており、決して舟から落ちないように対策は万全のつもりであった。
 
 なぜ、しっかりと結んでいた命綱がほどけてしまったのだろうか……

 二人の事を疑いたく無い朱璃は自分の縄の結び方が悪かったのだということで自己解決しようとした。しかし、頭の片隅にそれを否定する自分がいる。
 証拠もなくこの話をするつもりはなく、彼らの話からもう少し情報を得たかったのだが、心地よい揺れに勝てるわけがなく次第に意識が遠のいていく。

「……本題の戻ろうか」
 やがて春巻き状態の朱璃を抱え、寝かしつけるように揺ら揺らしている琉晟に気が付いた泉李が仕切り直した。

「おやおや、寝かしつける前に一応聞いておきたかったのですけどね」
「白蓮の入れ替わりについてか? 気が付いてなさそうだが」
「そうですね。入れ替わりは鍛錬の時だけのようですし、その時は白蓮の方からあえて接触を避けていました。私たちは景雪の情報があったので早期に気付きましたが、あの双子は並んでいても見分けがつかないでしょう。仕方ありませんよ」
「ボンキュウたちには気付いて欲しかったがな」
「案外気が付いているかもしれませんけど、どうやって伝えるのですか? キュウのおしゃべりは聞いたことを繰り返すだけですからね。この間は鬼教官と言われましたよ」

「はははっ。二人ともいい加減にしないと怒られるぞ」

 朱璃を抱っこしている琉晟の眉間のしわが増えていくのが可笑しくて我慢できず由仁が笑い出した。
 見ると明らかに機嫌が悪そうである。

「気が付いていたみたいだな」
「ふふふ。すみません。そんなに怒らないでください。決して朱璃を侮ったつもりはないのですよ。本当にあの双子を見分けるのは難しいと思います。ましてや今の朱璃はそれほど余裕があるとは思えませんから」

「いつから気が付いたって言っていた? 最近か? それとももっと前から?」
 
 琉晟が頷き、『入れ替わってすぐ』とどや顔と手話で答えた。
 実は莉己の付き人として武修院にやってきた琉晟に朱璃が最初に相談したことが、
『蒼白蓮二人いるんだけど、どうしたらいい? 気付かないふりが正解?』だった。

「ぼんやりしてそうで大したもんだな嬢ちゃんは」
「ふふふっ。そうですね。あの子の澄んだ眼はいつも物事の本質を見極めます。清廉潔白な魂こそが朱璃の最大の武器なのかもしれませんね」

『……』
 琉晟は朱璃に『どうして白蓮が二人いると気が付いたのか』を尋ねた時の事を思い出して少し微妙な気がしていた。聞かれたら困るのでそれ以上は答える気が無いとばかりに、朱璃を揺ら揺らすることに専念していた。

「蓮々は胸の形がお椀型ですっごく綺麗なの! 白ちゃんは私といい勝負!」
 入れ替わりをしている2人もまさか胸の形で見分けられている(しかも服の上から)とは夢にも思わないだろう。コンプレックスも役に立つもんだと妙に感心したのも記憶に新しい。
 先ほどの着替えでも思ったのだが、朱璃のささやかな胸もちゃんと育っている。このことを本人に教えてやるのも何だか微妙なので言う気はないが(琉晟正解)

「霧の情報でも蒼家の真の目的はまだ解らないそうだ。単に次期占仙省長官の白蓮と武修院、いわば禁軍と絡ませたいだけかも知れないし、占仙術で必要な情報収集の為かも知れない。今期は女武官が武修院には入る絶好の機会だったからな」

「不思議なのはどちらの白蓮も本当に何も接触してこないことだ。俺たちに入れ替わりはとうにばれていると分かっていても何事も無いかのように過ごしている。殺意が無いから放置しているが何がしたいんだろうな」

「そんな事もう関係ありません。今回、朱璃が池に落ちた事に無関係である証拠はありません。とっとと追い出しましょう。本当に溺死していたかも知れないのですから許せるはずがないでしょう」

「そうだな、本拠地に戻ったらはっきりさせよう。分からないなら本人たちに聞けばいい。こんな茶番は終わりにしたい」

 武修院をなめているとしか思えない蒼家の陰謀? 二人の白蓮の件は王から様子を見るようにとの命令が無ければとっくに露見していたことだ。
 朱璃が危うく溺死しかけたことも王の耳に入っているだろうからもう遠慮するつもりはなかった。

 弘由仁が肩をすくめた。
「お前ら本当にその嬢ちゃんを大事にしているんだな。少しは聞いてはいたが、ほんとに何者だ?」

 3人は顔を見合わせた。
「普通の女性ですよ。ちょっと変わってはいますけど本当に可愛いです」
「ああ、少々訳ありだがお前が考えているようなことは全くない。変人の師匠に運命を狂わされたのが気の毒で、それについては俺たちにも責任があってな、何とか幸せにしてやりたいと思っているんだ」

「……まさか、この子が景雪の弟子か。……なるほどな」
 納得がいったという顔の由仁だった。この聾唖の青年の事も思い出した。
「あいつに仕込まれたとならば偏った能力にも納得がいくな。それにしても、想像以上におもしろいな」

 弘由仁が朱璃に興味を持ったのが分かり、持たないわけがないのだが、何となく面白くない3人だった。

「さ、こんなところで油を売っておらず、明日からの後半戦の最終確認をしにおいきなさい。今度何かあったら容赦しませんよ」
「はいはい。怖い保護者たちだな。可愛い子には旅をさせよっていうだろ。だまって見とけよ。はっはっはっ」

 由仁は最後に痛いところを突いて天幕から出て行った。

「さーて、秀美琳の方も診察してくるか」
 ちょっと肩をすくませていた泉李も腰を上げて出て行った。

「熊のくせに上手いこと言いましたね。面白くありませんけど」
  天幕に残された二人は、すやすや眠る朱璃を見つめつつ しばし反省会を行うのであった。

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