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皮膜
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おれの学校の図書室は今どき手書きのカードで貸し借りの管理をしていて、おかげでおれはその人の名前を知っていた。
(吉野智先輩)
図書室の常連利用者というのは、案外といる。中でも吉野先輩は、返却図書の棚を見ているときの、横顔が印象的ですぐに覚えてしまった。少しだけ長くした髪は黒。しょっちゅう本を借り出しているけれど、それ以上にヘッドホンを手放しているところを見たことがない。いつでもまっすぐな目をしているのは、自分の意思をきちんともっているからなんじゃないかな、と想像してみる。
そう、吉野先輩は、堅固繊細無機質温和そんないろんな透明なものが混ざり合った横顔をしているのだった。
おれと吉野先輩は本の趣味が被っているようで、同じカードに名前が並ぶことも多い。『耳をすませば』はそういう話だったっけ。吉野智、戸山悟、なんとなく字面も似ている。にやにやしていたら友人に気味悪がられた。
故意に追いかけているわけではないのに、同じ本を手に取っているのだ。実際にはもっと共通点があるのかもしれない。
話を、してみたい。
でもなかなか勇気が出なかった。クラスメイトと打ち解けるにも時間がかかったくらいなのだ。今まで接点がなかった先輩、なんてハードルが高すぎる。
(あーあ……)
大きなヘッドホンが、吉野先輩の境界線みたいだった。それがまた格好良く似合っているのだった。
どんな境界も解けるときは解けるんだ、と知ったのはそれから少し後、やっぱり図書室でのことだった。
吉野先輩が、手を滑らせて抱えていた本を落としたのだ。今日は五冊か、読むなあ先輩、思いながらおれは足元まで滑ってきた一冊を拾い上げた。
(よし。どうぞ、くらい言っても不自然じゃないよな。……て、え?)
絶句した。何しろその本は小さな頃からお気に入りの一冊で、ところどころ暗誦できるくらいに読んでいたのだ。まさかもしかして、吉野先輩もこの作品に思い入れがあるんだろうか。
そんなところまで趣味が被っていたら、なんかもう――どうしたらいいんだ。
「これ、お好きなんですか?」
気がついたら、「どうぞ」も忘れて訊いていた。
「?」
(あっばかっ!)
すぐに後悔した。先輩が眉根を寄せて、小首をかしげたから。そりゃそうだ、知らない後輩からいきなり声を掛けられたらびっくりするだろう。もしかしたら気味が悪いだろう。
「ちがっ、えとっ、すみません……!」
慌てて謝ったけれど何のフォローにもなっていない気がする。それどころかいよいよ怪しい。
良案が浮かばずにあたふたしているおれに、先輩は自分の耳元を指差して見せた。
ヘッドホン。
(あ、そうか)
聞こえなかったのだ。ただでさえ場所を慮って小声だったのだから、当たり前と言えば当たり前だった。今度は勘違いで動転したことが恥ずかしくなってくる。穴があったら今すぐ入りたかった。
先輩は口の動きだけで待ってて、と言い、ヘッドホンに手をかけた。そういえばヘッドホンを外すところを初めて見る。おれはなんだかどきどきした。赤血球が浸透圧で破けることを溶血、この間生物で習ったばかりの話を思い出す。覆う膜が、隔てるものが、ひとつ剥がれていくような。
「……何か用?」
やはり図書室という場所を考えてのことだろう。先輩の声は潜められ、低く掠れていた。
「あっ、あのっ、いきなりすみませんっ。この本、おれ凄い好きなんです。もしかして吉野先輩もなのかなと思って、なんとなく嬉しくて、つい、その、声を……」
「なるほど。ええと……とりあえず出るか。ここだと話し辛い」
先輩は手早く貸し出し処理を済ませ、廊下へ向かう。おれはその後を必死で追いかけた。べつに先輩は走っているわけでもなんでもないのだけれど、いざ会話をするとなると何をどう話せばいいのか困ってしまって、気持ちが必死だった。
「まず、お前は誰で、なんで俺の名前を知ってるんだ? どこかで会ってたっけ。俺が忘れてるんなら、ごめん」
「1年B組の戸山悟です。先輩のことはよく図書室で見かけていて、図書カードで名前を知りました」
改めて言葉にしてみると思った以上に一方的で、いたたまれなかった。どんどん声がしぼんでしまう。
「なんか、気持ち悪くてすみません」
「いやいや。むしろ」
むしろ、なんだろう。何を言われても凹まないように、覚悟を、する。
「『耳をすませば』思い出した」
「あっ、おれも、おれも思いました!」
発想の方向が同じだ。吉野先輩は蔑むでもなく、値踏みするでもなく、いつものまっすぐな目でおれを見た。だけど今日は横顔ではない。真正面からぶつかった瞳は、おれの内側を一瞬で掴んでしまいそうな深い黒だった。
「好き?」
あ。
笑った。
「だ。大好きです……!」
「目の色違うぞ。本当に好きなんだな、『耳をすませば』」
警戒が解けたのか、さっきよりも砕けた話し方だった。ラッキーどころの話じゃない。大大大ラッキー、だ。
「じゃあ俺も、さっきの質問に答える。この本、好きだよ。今日借りたのも含めて何回も読んでる」
「わかります、そのたびに新しい発見があるからびっくりしますよね!」
思わず意気込んで答えた。先輩がおかしそうにまた笑う。おれはどんどん元気になる。
「あの、良かったらおれの教室に来ませんか? 向こうに鞄置いてて、同じ作者の新刊ちょうど今読んでるから持ち歩いててっ」
「ん、いいよ」
飛び跳ねて万歳してしまいそうだった。
先輩はヘッドホンを丁寧に鞄へしまう。
その中身も、いつか聞かせて貰えるだろうか。
「あの新刊の見所はさ――」
ともかくおれと先輩の関係は、放課後の教室で喧々諤々議論をするところから始まった。妙だけど、後から考えるとこの上なくおれたちらしい事始だった。
(了)090815
(吉野智先輩)
図書室の常連利用者というのは、案外といる。中でも吉野先輩は、返却図書の棚を見ているときの、横顔が印象的ですぐに覚えてしまった。少しだけ長くした髪は黒。しょっちゅう本を借り出しているけれど、それ以上にヘッドホンを手放しているところを見たことがない。いつでもまっすぐな目をしているのは、自分の意思をきちんともっているからなんじゃないかな、と想像してみる。
そう、吉野先輩は、堅固繊細無機質温和そんないろんな透明なものが混ざり合った横顔をしているのだった。
おれと吉野先輩は本の趣味が被っているようで、同じカードに名前が並ぶことも多い。『耳をすませば』はそういう話だったっけ。吉野智、戸山悟、なんとなく字面も似ている。にやにやしていたら友人に気味悪がられた。
故意に追いかけているわけではないのに、同じ本を手に取っているのだ。実際にはもっと共通点があるのかもしれない。
話を、してみたい。
でもなかなか勇気が出なかった。クラスメイトと打ち解けるにも時間がかかったくらいなのだ。今まで接点がなかった先輩、なんてハードルが高すぎる。
(あーあ……)
大きなヘッドホンが、吉野先輩の境界線みたいだった。それがまた格好良く似合っているのだった。
どんな境界も解けるときは解けるんだ、と知ったのはそれから少し後、やっぱり図書室でのことだった。
吉野先輩が、手を滑らせて抱えていた本を落としたのだ。今日は五冊か、読むなあ先輩、思いながらおれは足元まで滑ってきた一冊を拾い上げた。
(よし。どうぞ、くらい言っても不自然じゃないよな。……て、え?)
絶句した。何しろその本は小さな頃からお気に入りの一冊で、ところどころ暗誦できるくらいに読んでいたのだ。まさかもしかして、吉野先輩もこの作品に思い入れがあるんだろうか。
そんなところまで趣味が被っていたら、なんかもう――どうしたらいいんだ。
「これ、お好きなんですか?」
気がついたら、「どうぞ」も忘れて訊いていた。
「?」
(あっばかっ!)
すぐに後悔した。先輩が眉根を寄せて、小首をかしげたから。そりゃそうだ、知らない後輩からいきなり声を掛けられたらびっくりするだろう。もしかしたら気味が悪いだろう。
「ちがっ、えとっ、すみません……!」
慌てて謝ったけれど何のフォローにもなっていない気がする。それどころかいよいよ怪しい。
良案が浮かばずにあたふたしているおれに、先輩は自分の耳元を指差して見せた。
ヘッドホン。
(あ、そうか)
聞こえなかったのだ。ただでさえ場所を慮って小声だったのだから、当たり前と言えば当たり前だった。今度は勘違いで動転したことが恥ずかしくなってくる。穴があったら今すぐ入りたかった。
先輩は口の動きだけで待ってて、と言い、ヘッドホンに手をかけた。そういえばヘッドホンを外すところを初めて見る。おれはなんだかどきどきした。赤血球が浸透圧で破けることを溶血、この間生物で習ったばかりの話を思い出す。覆う膜が、隔てるものが、ひとつ剥がれていくような。
「……何か用?」
やはり図書室という場所を考えてのことだろう。先輩の声は潜められ、低く掠れていた。
「あっ、あのっ、いきなりすみませんっ。この本、おれ凄い好きなんです。もしかして吉野先輩もなのかなと思って、なんとなく嬉しくて、つい、その、声を……」
「なるほど。ええと……とりあえず出るか。ここだと話し辛い」
先輩は手早く貸し出し処理を済ませ、廊下へ向かう。おれはその後を必死で追いかけた。べつに先輩は走っているわけでもなんでもないのだけれど、いざ会話をするとなると何をどう話せばいいのか困ってしまって、気持ちが必死だった。
「まず、お前は誰で、なんで俺の名前を知ってるんだ? どこかで会ってたっけ。俺が忘れてるんなら、ごめん」
「1年B組の戸山悟です。先輩のことはよく図書室で見かけていて、図書カードで名前を知りました」
改めて言葉にしてみると思った以上に一方的で、いたたまれなかった。どんどん声がしぼんでしまう。
「なんか、気持ち悪くてすみません」
「いやいや。むしろ」
むしろ、なんだろう。何を言われても凹まないように、覚悟を、する。
「『耳をすませば』思い出した」
「あっ、おれも、おれも思いました!」
発想の方向が同じだ。吉野先輩は蔑むでもなく、値踏みするでもなく、いつものまっすぐな目でおれを見た。だけど今日は横顔ではない。真正面からぶつかった瞳は、おれの内側を一瞬で掴んでしまいそうな深い黒だった。
「好き?」
あ。
笑った。
「だ。大好きです……!」
「目の色違うぞ。本当に好きなんだな、『耳をすませば』」
警戒が解けたのか、さっきよりも砕けた話し方だった。ラッキーどころの話じゃない。大大大ラッキー、だ。
「じゃあ俺も、さっきの質問に答える。この本、好きだよ。今日借りたのも含めて何回も読んでる」
「わかります、そのたびに新しい発見があるからびっくりしますよね!」
思わず意気込んで答えた。先輩がおかしそうにまた笑う。おれはどんどん元気になる。
「あの、良かったらおれの教室に来ませんか? 向こうに鞄置いてて、同じ作者の新刊ちょうど今読んでるから持ち歩いててっ」
「ん、いいよ」
飛び跳ねて万歳してしまいそうだった。
先輩はヘッドホンを丁寧に鞄へしまう。
その中身も、いつか聞かせて貰えるだろうか。
「あの新刊の見所はさ――」
ともかくおれと先輩の関係は、放課後の教室で喧々諤々議論をするところから始まった。妙だけど、後から考えるとこの上なくおれたちらしい事始だった。
(了)090815
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