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36 マッチと誉め言葉売りの少女
頑張って早く帰ってきたノエルくんと夕食を一緒に摂りながら、今日はお話の日にしようか、と声をかけると彼はパッと顔を上げ目を輝かせた。
熱いスープを早く食べようとしたのでお話は逃げないからね、と止めてゆっくり食べるように言い聞かせておいた。
魔術師の食事時間は長い。量を食べる必要があるからだ。王宮勤めの方を乗せることがある彼からはこう聞いている。
『あそこのお昼休みは二時間近くもあるんだって。沢山食べるしお昼寝するから。三交代で取るから誰もいなくなるわけじゃない。防衛的には問題ないけど後ろの方になっちゃうと、食堂の料理の種類が減ってて最悪だーってお客さんがぼやいてたよ』。
例に漏れず彼もよく食べるので、食事の時間は長くなる。早く僕と過ごしたいと思ってくれるのは非常にありがたいことではあるが、よく噛まないと消化に悪い。ワクワクし始めてしまうといつもそれを忘れるので、注意するのが僕の仕事のひとつになった。
「……それはひどく寒い、年末の夜のことでした。黒い空から白く細かな綿が落ちてきて、少女の頬や足へと着いては消えてゆく。それは無情にも肌の温かさを少しずつ確実に奪ってゆき、赤く腫れてしまっているほどでした。帽子なんてものはありません。靴はあまりにもきつくなってしまい、履けるものがなく裸足です。指先の感覚もとおに失い、身体は芯から冷え切っていました。しかし少女は家に帰れない。銅貨のひとつだけでも手に入れないと、父親に打たれてしまうだけだからです。少女は忙しそうに行き交う人々の間で籠を抱えて、震える声で言いました。『マッチはいかがですか。マッチ、いりませんか』。」
「……可哀想だね」
本当はここで、少女は静かに生命の炎を消してゆくのだ。美味しい食事、暖かな暖炉に当たるという幻覚を見ながら。死への恐怖を消し去ろうとしたのだろう、少女の頭はせめてもの慈悲として夢の画を作り上げ、苦痛を和らげてくれたのだ。
でもな、僕は思うんだよ。人間ってのは案外しぶとい。死ぬことを意識したときこそ、最後の悪あがきをするんじゃないかと。
恥や外聞なんてどうでも良い。自分を守ってくれない父親なんかさらにどうでも良い。どうせ死ぬだけなら、あとは野となれ山となれ精神で。
「少女は一日中そうやって売り歩いていても、誰の一人も足を止めてくれることはありませんでした。年末ですから皆は特別忙しいのです。少女は考えました。この地域では珍しく、ひどい寒波に襲われた今日。このままでは本当に死んでしまう。お腹が空いた感覚も失い、体温も散々奪われて、それでも生きようとする生命の声に突き動かされるかのように少女は声を挙げました」
──マッチは……マッチは要りませんかー!! このひと箱だけでも買って頂ければ、貧しい子供を一人救うことができます!! あなたの銅貨一枚の優しさが、パンの一枚も食べられない子供を救うことができるのです!!──
「それは雄叫びとなってあたりに響き、一斉に前しか見ていなかった人々を振り向かせたのです」
「背水の陣からの生存戦略……!」
「少女は嘘は言っていません。なぜなら自分こそ貧しい子供代表だからです。無力な子供。可哀想な子供。お腹が空いて今にも倒れてしまいそうな。だからといって黙ってここに立っていれば、誰かが助けてくれるなどという夢や希望、矜持などはドブに捨てました。パンの一枚も食べられない。一枚どころか二枚、三枚と朝から食べているであろう街の人々は少しくらいはと心を動かされ、少女に近づきマッチを買ってくれました」
──ありがとうございます……!! これで死にゆく子供を救えます! あなたの心の中には神がいらっしゃる、それは慈悲の神です! これからもどうぞそのお心を大切にされてください!!──
「少女は褒めて褒めて褒めちぎりました。なぜなら言葉は無料で差し上げられる道具のひとつ。人の心を動かせる。無料で」
「無料でってとこが要点だよね。お金に困ってたからね」
「予想以上の売り上げでした。皆、銅貨一枚で良いことをしたという満足感を得られる。裸足の少女が熱のこもった瞳を向け、白い息を吐きながら言葉を尽くして熱烈に褒めている様子を見て、じゃあ自分も、とその気になる。一箱、また一箱と売れてゆき、最後の五箱を一気に買ってくれた紳士には『私がもっと大人だったら、綺麗な格好をして今すぐ求婚したかったです……』と、別の意味合いを持つ熱を潜めた目をしてそう言いました」
「どんどん逞しくなってくね、この短時間で」
「その紳士は、目を見張ったあとに軽く泳がせ、頬をわずかに染めながら『これで何か美味しいものでも食べなさい』と、金貨を一枚握らせてくれました。金貨。金色に輝く硬貨など、初めてこの手にした。少女は手応えを感じました。そのときは命からがら、喉もカラカラで分析することなどできませんでしたが、屋台で買った具沢山のスープや、柔らかなパンを頬張り咀嚼しているうちに考えがまとまってきました。あの呑んだくれクソ親父が酒に溺れて眠っている間に帰り、荷物を持って家を出て行こう。住み込みで働くのだ。出来るだけ良い酒場で。寂しい大人たちが集まる場所で」
「父親への恨みが底なしだね。でも子供がそんなところで働けるもんかなあ」
「もちろん身一つで行けば戦力外だ、と言われて門前払いを食らうだろう。少女は屋台のオヤジに声をかけました。手始めにまずはこの屋台の食事をベタ褒めし、今までの歴史を語ってもらう。出店なんてトントン拍子でいくものではないだろうと。オヤジはよくぞ聞いてくれた、とばかりに腰を据えて語り始めました」
「カモが現れた……」
「どんなに地味な屋台でも必ずそこには歴史があるものだ。誰も目を向けようとしてくれないこの苦労の地層を見てくれと。少女はさすがです、凄いですね、と相槌を打ちながらオヤジの話を熱心に聞き続けました。話している間中、もっと焚き火に近く寄れ、このひざ掛けを使え、サンダルで良ければやる、靴下も履け、このお菓子は好きに食べろと快適に過ごせる心遣いを見せてくれました」
「すっかり世渡り上手に……」
「オヤジの話は長かった。オヤジというのは大体話が長いもの。しかしなんでも参考にしようという少女の貪欲さがそれに耐える活力となりました。オヤジがこの雪の中、靴も履いていない少女に興味を持ち始めた頃を見計らい、ぽつりぽつりと語りました。家に帰ると必ず酷い目に遭うこと。だからなるべく女の人が多い、飲み屋なんかで裏方の仕事をしたいと思う。住み込みで働けるような場所はないだろうかと。屋台というのは近隣の人が気軽に温かい食事を求め、食べながら語らう場所である。自然と情報が集まる場所でもあるはず。少女はそう思いついたのです」
「単にお腹が空いてるからだと思ってた。伏線だったのか……やるなあ……」
「オヤジは真剣な目をして考える仕草をし、少し店番を頼む、と言って疾風の如く出ていきました。暖を求めて屋台に来るお客さんに教えを請いながら店主のオヤジの無茶振りを遂行しているうちに、そのオヤジが女の人を連れてやっと戻ってきました」
──お嬢さん、うちで働きたいんでしょう? 最初は裏方の仕事になるけど、おねえさんたちが何をしてるかしっかり見て学んで、頑張ってくれるかな?──
「初めて間近で見た夜のお店のおねえさん。美しく化粧を施し、嫌味にならない程度の艶やかなドレスを着た。少女は少女らしく爽やかな挨拶をしながらわずか数秒足らずで分析しました。このおねえさんと自分の容姿はおおよそ同等。これはイケる。仕事だけじゃない、美容法もしっかり学んでいずれ肩を並べようぞ、と」
「ふふっ、なんか逞しい以上に清々しいほど図々しくもなってる」
「少女は絶えず頑張りました。掃除、洗濯、炊事などの雑多な裏方の仕事をこなしつつ、お客さんの話について行くための教養を身につける読書や勉強。せっせと働き図書館へ出かけて、おねえさんがくれる食事代を持ってあの屋台へ行く。屋台のオヤジからも世情や噂話を仕入れ、おねえさんたちに提供する。そうやって情報と栄養を貪欲に吸収していった彼女はみるみるうちに成長し、やがて店出しの日を迎えました」
「また上手いことやってるね。与えられるばかりじゃ均衡取れなくなるからね」
「結果は成功。大成功です。店出しの日からは何日も、過去の売り上げ最高記録を塗り替える日々が続きました。お客さんは口々に噂します。あの店のあの子には会ったか。凄いぞ、行くたびに気がついたらボトルおろしてる自分がいるんだよ。まだ中身残ってるはずなのによ。どんな話でも聞いてくれるし、ついてきてくれるくらい教養があるし、今一番言ってほしい言葉を行くたび必ずくれるんだよ。実はどっかのお嬢様だったんじゃないか、魔術学園行ってた魔術師さんだろ、って聞いても首を横に振るばかりで……」
──私はこのマッチから全てを始めたの、雪が沢山降った日に。あたし、そのとき裸足だったのよ。あなた信じられる?──
「……って。そう言ったあとにマッチを擦って紙煙草に火をつけるその仕草がまた、たまんねえんだよ──。かくして少女は貧しく可哀想な子供をあの大寒波の日に卒業し、蛹を経て夜の蝶として生まれ直して華麗に羽ばたき続け、街の母、と呼ばれる偉大な女性としての生涯を終えました。めでたしめでたし!」
あははは、と笑いながら彼は惜しみない拍手を送ってくれた。この瞬間が大好きだ。自分に全意識を向けてくれている、という実感がこそばゆいが嬉しく感じるし、そのあとの感想はさらに嬉しい。
それはどんな言葉の形でも、彼が高揚を感じているということが声の温度からして伝わるから。
「苦労してきた人から滲み出る凄みとか色気ってなんかいいよね。苦労知らずの人特有の明るさとか、朗らかさってあるけどさ。全部同じ味って感じがするんだ。幸せな人がするような話って。今が幸せでも、その下地に苦労があればあるほど味は複雑になるんだよ。苦みとか渋みって、なければいいってもんじゃないところがあると思う」
彼はあまり本を沢山読む方ではないそうだ。だから聞かされて育ったはずの定番のお話も良く覚えておらず、ほとんど初めて聞く感覚に近いという。大きくなってからは勉強や自主訓練に忙しく、娯楽としての読書をする暇がなかったらしい。
しておけば良かった、と痛感したのは我が家のあの面接を突破して、僕の前に再度現れたときだったという。緊張と、肌に触れたことからくる下半身の制御に忙しかったこともあるが、それを紛らわすための話ができない。何も出てこない。
お客さんとの問答集しか頭の中に入っていない。それは聞かれたらこう答える、という類の知識であるため、地上にいるときは頼りにならない。そう言っていた。問答集を頭に詰め込んでいる、それはそれで凄いことだと僕は思うが。
「聞かせてくれるお話ごと全部大好きだよ、おに……マインラート」
「ふふ、無理しなくていいんだよ。ずっとおにいさんで構わないよ」
最近、僕の旦那様は名前を呼ぶ練習をしているらしい。うっかり執事さんやメイドさんの前で『おにい……』と言ってしまうので、『おにいさんにお伝えしておきますねー』と茶化されていたそうだ。
ちゃんとできるかなあ。楽しみをひとつ用意すると、食事を急いで食べようとしてしまう癖もまだ直ってないしなあ。この人は。
熱いスープを早く食べようとしたのでお話は逃げないからね、と止めてゆっくり食べるように言い聞かせておいた。
魔術師の食事時間は長い。量を食べる必要があるからだ。王宮勤めの方を乗せることがある彼からはこう聞いている。
『あそこのお昼休みは二時間近くもあるんだって。沢山食べるしお昼寝するから。三交代で取るから誰もいなくなるわけじゃない。防衛的には問題ないけど後ろの方になっちゃうと、食堂の料理の種類が減ってて最悪だーってお客さんがぼやいてたよ』。
例に漏れず彼もよく食べるので、食事の時間は長くなる。早く僕と過ごしたいと思ってくれるのは非常にありがたいことではあるが、よく噛まないと消化に悪い。ワクワクし始めてしまうといつもそれを忘れるので、注意するのが僕の仕事のひとつになった。
「……それはひどく寒い、年末の夜のことでした。黒い空から白く細かな綿が落ちてきて、少女の頬や足へと着いては消えてゆく。それは無情にも肌の温かさを少しずつ確実に奪ってゆき、赤く腫れてしまっているほどでした。帽子なんてものはありません。靴はあまりにもきつくなってしまい、履けるものがなく裸足です。指先の感覚もとおに失い、身体は芯から冷え切っていました。しかし少女は家に帰れない。銅貨のひとつだけでも手に入れないと、父親に打たれてしまうだけだからです。少女は忙しそうに行き交う人々の間で籠を抱えて、震える声で言いました。『マッチはいかがですか。マッチ、いりませんか』。」
「……可哀想だね」
本当はここで、少女は静かに生命の炎を消してゆくのだ。美味しい食事、暖かな暖炉に当たるという幻覚を見ながら。死への恐怖を消し去ろうとしたのだろう、少女の頭はせめてもの慈悲として夢の画を作り上げ、苦痛を和らげてくれたのだ。
でもな、僕は思うんだよ。人間ってのは案外しぶとい。死ぬことを意識したときこそ、最後の悪あがきをするんじゃないかと。
恥や外聞なんてどうでも良い。自分を守ってくれない父親なんかさらにどうでも良い。どうせ死ぬだけなら、あとは野となれ山となれ精神で。
「少女は一日中そうやって売り歩いていても、誰の一人も足を止めてくれることはありませんでした。年末ですから皆は特別忙しいのです。少女は考えました。この地域では珍しく、ひどい寒波に襲われた今日。このままでは本当に死んでしまう。お腹が空いた感覚も失い、体温も散々奪われて、それでも生きようとする生命の声に突き動かされるかのように少女は声を挙げました」
──マッチは……マッチは要りませんかー!! このひと箱だけでも買って頂ければ、貧しい子供を一人救うことができます!! あなたの銅貨一枚の優しさが、パンの一枚も食べられない子供を救うことができるのです!!──
「それは雄叫びとなってあたりに響き、一斉に前しか見ていなかった人々を振り向かせたのです」
「背水の陣からの生存戦略……!」
「少女は嘘は言っていません。なぜなら自分こそ貧しい子供代表だからです。無力な子供。可哀想な子供。お腹が空いて今にも倒れてしまいそうな。だからといって黙ってここに立っていれば、誰かが助けてくれるなどという夢や希望、矜持などはドブに捨てました。パンの一枚も食べられない。一枚どころか二枚、三枚と朝から食べているであろう街の人々は少しくらいはと心を動かされ、少女に近づきマッチを買ってくれました」
──ありがとうございます……!! これで死にゆく子供を救えます! あなたの心の中には神がいらっしゃる、それは慈悲の神です! これからもどうぞそのお心を大切にされてください!!──
「少女は褒めて褒めて褒めちぎりました。なぜなら言葉は無料で差し上げられる道具のひとつ。人の心を動かせる。無料で」
「無料でってとこが要点だよね。お金に困ってたからね」
「予想以上の売り上げでした。皆、銅貨一枚で良いことをしたという満足感を得られる。裸足の少女が熱のこもった瞳を向け、白い息を吐きながら言葉を尽くして熱烈に褒めている様子を見て、じゃあ自分も、とその気になる。一箱、また一箱と売れてゆき、最後の五箱を一気に買ってくれた紳士には『私がもっと大人だったら、綺麗な格好をして今すぐ求婚したかったです……』と、別の意味合いを持つ熱を潜めた目をしてそう言いました」
「どんどん逞しくなってくね、この短時間で」
「その紳士は、目を見張ったあとに軽く泳がせ、頬をわずかに染めながら『これで何か美味しいものでも食べなさい』と、金貨を一枚握らせてくれました。金貨。金色に輝く硬貨など、初めてこの手にした。少女は手応えを感じました。そのときは命からがら、喉もカラカラで分析することなどできませんでしたが、屋台で買った具沢山のスープや、柔らかなパンを頬張り咀嚼しているうちに考えがまとまってきました。あの呑んだくれクソ親父が酒に溺れて眠っている間に帰り、荷物を持って家を出て行こう。住み込みで働くのだ。出来るだけ良い酒場で。寂しい大人たちが集まる場所で」
「父親への恨みが底なしだね。でも子供がそんなところで働けるもんかなあ」
「もちろん身一つで行けば戦力外だ、と言われて門前払いを食らうだろう。少女は屋台のオヤジに声をかけました。手始めにまずはこの屋台の食事をベタ褒めし、今までの歴史を語ってもらう。出店なんてトントン拍子でいくものではないだろうと。オヤジはよくぞ聞いてくれた、とばかりに腰を据えて語り始めました」
「カモが現れた……」
「どんなに地味な屋台でも必ずそこには歴史があるものだ。誰も目を向けようとしてくれないこの苦労の地層を見てくれと。少女はさすがです、凄いですね、と相槌を打ちながらオヤジの話を熱心に聞き続けました。話している間中、もっと焚き火に近く寄れ、このひざ掛けを使え、サンダルで良ければやる、靴下も履け、このお菓子は好きに食べろと快適に過ごせる心遣いを見せてくれました」
「すっかり世渡り上手に……」
「オヤジの話は長かった。オヤジというのは大体話が長いもの。しかしなんでも参考にしようという少女の貪欲さがそれに耐える活力となりました。オヤジがこの雪の中、靴も履いていない少女に興味を持ち始めた頃を見計らい、ぽつりぽつりと語りました。家に帰ると必ず酷い目に遭うこと。だからなるべく女の人が多い、飲み屋なんかで裏方の仕事をしたいと思う。住み込みで働けるような場所はないだろうかと。屋台というのは近隣の人が気軽に温かい食事を求め、食べながら語らう場所である。自然と情報が集まる場所でもあるはず。少女はそう思いついたのです」
「単にお腹が空いてるからだと思ってた。伏線だったのか……やるなあ……」
「オヤジは真剣な目をして考える仕草をし、少し店番を頼む、と言って疾風の如く出ていきました。暖を求めて屋台に来るお客さんに教えを請いながら店主のオヤジの無茶振りを遂行しているうちに、そのオヤジが女の人を連れてやっと戻ってきました」
──お嬢さん、うちで働きたいんでしょう? 最初は裏方の仕事になるけど、おねえさんたちが何をしてるかしっかり見て学んで、頑張ってくれるかな?──
「初めて間近で見た夜のお店のおねえさん。美しく化粧を施し、嫌味にならない程度の艶やかなドレスを着た。少女は少女らしく爽やかな挨拶をしながらわずか数秒足らずで分析しました。このおねえさんと自分の容姿はおおよそ同等。これはイケる。仕事だけじゃない、美容法もしっかり学んでいずれ肩を並べようぞ、と」
「ふふっ、なんか逞しい以上に清々しいほど図々しくもなってる」
「少女は絶えず頑張りました。掃除、洗濯、炊事などの雑多な裏方の仕事をこなしつつ、お客さんの話について行くための教養を身につける読書や勉強。せっせと働き図書館へ出かけて、おねえさんがくれる食事代を持ってあの屋台へ行く。屋台のオヤジからも世情や噂話を仕入れ、おねえさんたちに提供する。そうやって情報と栄養を貪欲に吸収していった彼女はみるみるうちに成長し、やがて店出しの日を迎えました」
「また上手いことやってるね。与えられるばかりじゃ均衡取れなくなるからね」
「結果は成功。大成功です。店出しの日からは何日も、過去の売り上げ最高記録を塗り替える日々が続きました。お客さんは口々に噂します。あの店のあの子には会ったか。凄いぞ、行くたびに気がついたらボトルおろしてる自分がいるんだよ。まだ中身残ってるはずなのによ。どんな話でも聞いてくれるし、ついてきてくれるくらい教養があるし、今一番言ってほしい言葉を行くたび必ずくれるんだよ。実はどっかのお嬢様だったんじゃないか、魔術学園行ってた魔術師さんだろ、って聞いても首を横に振るばかりで……」
──私はこのマッチから全てを始めたの、雪が沢山降った日に。あたし、そのとき裸足だったのよ。あなた信じられる?──
「……って。そう言ったあとにマッチを擦って紙煙草に火をつけるその仕草がまた、たまんねえんだよ──。かくして少女は貧しく可哀想な子供をあの大寒波の日に卒業し、蛹を経て夜の蝶として生まれ直して華麗に羽ばたき続け、街の母、と呼ばれる偉大な女性としての生涯を終えました。めでたしめでたし!」
あははは、と笑いながら彼は惜しみない拍手を送ってくれた。この瞬間が大好きだ。自分に全意識を向けてくれている、という実感がこそばゆいが嬉しく感じるし、そのあとの感想はさらに嬉しい。
それはどんな言葉の形でも、彼が高揚を感じているということが声の温度からして伝わるから。
「苦労してきた人から滲み出る凄みとか色気ってなんかいいよね。苦労知らずの人特有の明るさとか、朗らかさってあるけどさ。全部同じ味って感じがするんだ。幸せな人がするような話って。今が幸せでも、その下地に苦労があればあるほど味は複雑になるんだよ。苦みとか渋みって、なければいいってもんじゃないところがあると思う」
彼はあまり本を沢山読む方ではないそうだ。だから聞かされて育ったはずの定番のお話も良く覚えておらず、ほとんど初めて聞く感覚に近いという。大きくなってからは勉強や自主訓練に忙しく、娯楽としての読書をする暇がなかったらしい。
しておけば良かった、と痛感したのは我が家のあの面接を突破して、僕の前に再度現れたときだったという。緊張と、肌に触れたことからくる下半身の制御に忙しかったこともあるが、それを紛らわすための話ができない。何も出てこない。
お客さんとの問答集しか頭の中に入っていない。それは聞かれたらこう答える、という類の知識であるため、地上にいるときは頼りにならない。そう言っていた。問答集を頭に詰め込んでいる、それはそれで凄いことだと僕は思うが。
「聞かせてくれるお話ごと全部大好きだよ、おに……マインラート」
「ふふ、無理しなくていいんだよ。ずっとおにいさんで構わないよ」
最近、僕の旦那様は名前を呼ぶ練習をしているらしい。うっかり執事さんやメイドさんの前で『おにい……』と言ってしまうので、『おにいさんにお伝えしておきますねー』と茶化されていたそうだ。
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