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2 神様は猫も好きかな
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神様への輿入れは静かに行われた。
三つある月が同時に上がる特別な夜、小さな輿に嫁であるトーカを乗せて、村長が提灯を持って先導する道を行く、全部で四人きりの静かな道のり……のはずだった。
「うわぁ、おれ、夜の森は初めてだ。夜もけっこう花が咲いてるんだね」
「トーカ、黙れ」
「まぁまぁ、滅多にないことだしちょっとぐらいいいじゃないか」
「これは儀式だぞ」
「でもトーカの気持ちも大事じゃないか」
輿の簾を持ち上げて、見慣れない花にはしゃぐトーカを、輿を担いでいる大人が窘めたり微笑ましく見ていたりしていた。前はシューラの父、後ろは村長の弟だ。
後ろから聞こえるトーカの暢気な声に、肩に力が入っていた村長の力も抜けてくる。
この先には神域である切り立った崖があり、その下には深い泉がある。輿を崖上から泉に落とすのが、村長の家に伝わる伝承だった。どんなふうに森を歩いても泉にはたどり着けず、その存在は月が三つ揃う夜の崖からしか確認できない。
曾祖父である先々代の村長から儀式のやり方を伝えられた時、村長の頭によぎったのは歩き始めたばかりの、愛らしい盛りの娘だった。儀式の年に十五になる女の子どもは、その年には彼の娘ターニャしかいなかった。
トーカの両親が亡くなった事故に村は全く関りがなかったが、孤児となった彼を見た時に村長の心は鬼になることを決意した。彼の美貌は、幼くても目を見張るものだったから。しかし、素朴な村で善良に生きてきた村長には荷が重く、心が揺れることも多かった。
「お、猫がいる」
「ヒメサマ!?」
「え? 雄だろ?」
「いいんだよ、ヒメサマはヒメサマだ」
いつのまにか輿の横を歩いている優雅な長毛猫に、輿を担いだ男の一人が声を上げる。猫を確認したトーカが名を呼ぶと、後ろを担いでいるもう一人が間髪いれずに突っ込んだ。
どうしてみんなすぐにオスかどうかわかるんだと、トーカは不満に思いつつも慣れてきた。キンタマは毛玉ではなかった、それだけだと。ヒメサマの抵抗が激しくてどうしても切り取れなかった毛玉……もといキンタマだったが、切り取れなくて良かった。
「神様って、猫も好きかなぁ」
「どうだろうな」
生贄となった者がどうなったのか記録に残っていない。輿ごと崖から落とすから、痕跡も残らないとされている。伝承では月に向かって上るとうたわれているけれど、村長は信じていなかった。
魔法も竜も、伝説の中の出来事で、現実には何も起きないのだと。それでも村長として八十五年に一度の輿入れだけは絶やしてはならないと強く言われていたから、やめることができなかった。
神域とされる崖には、石碑のような岩が三つそびえている。崖の手前にある平たい岩の上に立ち、石碑のような岩のそれぞれの先端に月が三つ並んだ瞬間、花嫁ごと輿を落とすのが神事の要だった。
しかし、崖の上に着くと、村長は輿を崖の上に置くだけにとどめた。
「やはり、わしには無理だ。トーカ、神事は無事に終わったことにする。一人じゃ寂しかろうが、猫がついてきてくれた。お前はどこにでも行っていいんだ」
「村長、それでは村の守りが危うくなるのでは」
「うーん、俺もトーカを崖から落とすのは気がすすまないからなぁ。神様が迎えに来てくださるならいいけど、来なかったら可哀想じゃないか」
「うっ……それは」
大人たちの言い争いを聞きながら、トーカが崖上からの美しい夜空を眺めていると、ヒメサマが膝に乗ってきた。トーカは、こんなことなら厩からブラシをもらってきたら良かったと思った。
「空、綺麗だな。神様は綺麗なものが好きなのかもしれないな」
何せわざわざ器量の良さを嫁取りの条件にするぐらいだ。三つ並んだ月も、一つじゃ足りないと思ったからかもしれない。
「よし、男は度胸だ。ヒメサマ、お前も男なら行けるな」
「にゃ」
踏み切れない大人たちをよそに、トーカはヒメサマを抱えて崖の上から下を覗いた。話のとおり、月明かりに小さな泉が見えた。
「村長さま、いままでありがと! おれ、神様とのところで幸せになるね!」
「トーカ!?」
白い婚礼衣装をひらりとはためかせ、トーカはなんでもないように崖から足を踏み出した。しかし、ヒメサマを抱く手は震えていた。
これで終わり、落下するのを予想して目を閉じたトーカだったが、その時は訪れなかった。
月光のような淡い光が螺旋状の階段として、トーカの足元に現れたからだ。階段の終点は泉である。
驚いたトーカが振り返ると、村長をはじめとした大人たちがぽかんと口を開けている。
「あはは、間抜け顔! じゃーね!」
彼らにひらひらと手を振り、不思議に高揚する気持ちとともに階段をおりていった。
三つある月が同時に上がる特別な夜、小さな輿に嫁であるトーカを乗せて、村長が提灯を持って先導する道を行く、全部で四人きりの静かな道のり……のはずだった。
「うわぁ、おれ、夜の森は初めてだ。夜もけっこう花が咲いてるんだね」
「トーカ、黙れ」
「まぁまぁ、滅多にないことだしちょっとぐらいいいじゃないか」
「これは儀式だぞ」
「でもトーカの気持ちも大事じゃないか」
輿の簾を持ち上げて、見慣れない花にはしゃぐトーカを、輿を担いでいる大人が窘めたり微笑ましく見ていたりしていた。前はシューラの父、後ろは村長の弟だ。
後ろから聞こえるトーカの暢気な声に、肩に力が入っていた村長の力も抜けてくる。
この先には神域である切り立った崖があり、その下には深い泉がある。輿を崖上から泉に落とすのが、村長の家に伝わる伝承だった。どんなふうに森を歩いても泉にはたどり着けず、その存在は月が三つ揃う夜の崖からしか確認できない。
曾祖父である先々代の村長から儀式のやり方を伝えられた時、村長の頭によぎったのは歩き始めたばかりの、愛らしい盛りの娘だった。儀式の年に十五になる女の子どもは、その年には彼の娘ターニャしかいなかった。
トーカの両親が亡くなった事故に村は全く関りがなかったが、孤児となった彼を見た時に村長の心は鬼になることを決意した。彼の美貌は、幼くても目を見張るものだったから。しかし、素朴な村で善良に生きてきた村長には荷が重く、心が揺れることも多かった。
「お、猫がいる」
「ヒメサマ!?」
「え? 雄だろ?」
「いいんだよ、ヒメサマはヒメサマだ」
いつのまにか輿の横を歩いている優雅な長毛猫に、輿を担いだ男の一人が声を上げる。猫を確認したトーカが名を呼ぶと、後ろを担いでいるもう一人が間髪いれずに突っ込んだ。
どうしてみんなすぐにオスかどうかわかるんだと、トーカは不満に思いつつも慣れてきた。キンタマは毛玉ではなかった、それだけだと。ヒメサマの抵抗が激しくてどうしても切り取れなかった毛玉……もといキンタマだったが、切り取れなくて良かった。
「神様って、猫も好きかなぁ」
「どうだろうな」
生贄となった者がどうなったのか記録に残っていない。輿ごと崖から落とすから、痕跡も残らないとされている。伝承では月に向かって上るとうたわれているけれど、村長は信じていなかった。
魔法も竜も、伝説の中の出来事で、現実には何も起きないのだと。それでも村長として八十五年に一度の輿入れだけは絶やしてはならないと強く言われていたから、やめることができなかった。
神域とされる崖には、石碑のような岩が三つそびえている。崖の手前にある平たい岩の上に立ち、石碑のような岩のそれぞれの先端に月が三つ並んだ瞬間、花嫁ごと輿を落とすのが神事の要だった。
しかし、崖の上に着くと、村長は輿を崖の上に置くだけにとどめた。
「やはり、わしには無理だ。トーカ、神事は無事に終わったことにする。一人じゃ寂しかろうが、猫がついてきてくれた。お前はどこにでも行っていいんだ」
「村長、それでは村の守りが危うくなるのでは」
「うーん、俺もトーカを崖から落とすのは気がすすまないからなぁ。神様が迎えに来てくださるならいいけど、来なかったら可哀想じゃないか」
「うっ……それは」
大人たちの言い争いを聞きながら、トーカが崖上からの美しい夜空を眺めていると、ヒメサマが膝に乗ってきた。トーカは、こんなことなら厩からブラシをもらってきたら良かったと思った。
「空、綺麗だな。神様は綺麗なものが好きなのかもしれないな」
何せわざわざ器量の良さを嫁取りの条件にするぐらいだ。三つ並んだ月も、一つじゃ足りないと思ったからかもしれない。
「よし、男は度胸だ。ヒメサマ、お前も男なら行けるな」
「にゃ」
踏み切れない大人たちをよそに、トーカはヒメサマを抱えて崖の上から下を覗いた。話のとおり、月明かりに小さな泉が見えた。
「村長さま、いままでありがと! おれ、神様とのところで幸せになるね!」
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これで終わり、落下するのを予想して目を閉じたトーカだったが、その時は訪れなかった。
月光のような淡い光が螺旋状の階段として、トーカの足元に現れたからだ。階段の終点は泉である。
驚いたトーカが振り返ると、村長をはじめとした大人たちがぽかんと口を開けている。
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