人を生きる君

爺誤

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4 穏やかな時間

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 水のせせらぎと、葉擦れの音が音楽のように優しく響いている。音と同じく、穏やかで柔らかな光が満ちた世界で、トーカは目を覚ました。

「うーん、ここ、どこ? すごくふかふかの布団だ」

 枕元に置いてあった水差しから躊躇いもなく水を飲み、ひと息をつく。寝台ではなく、草を編んだ敷物の床に布団が敷いてあった。トーカの村では土間の床に木製の寝台があり、藁を詰めた布袋が布団だったけれど、寝かされていた布団は驚くほど柔らかい。その柔らかさは、まるでヒメサマの抜け毛のようだった。

「寝起きなのに厠に行きたくならない。生きてるのかな。でも、ちょっと腹は減ったなぁ。これ食べていいかな。いいんだよな、きっと」

 水差しの横に置いてあった壺を開けると、丸い焼き菓子のようなものが入っていたから、ポイっと口に入れた。トーカには警戒心というものがなかった。

「起きたか、トーカ」

 ぱくりと口に含んだとき、いきなり現れたのは、トーカの猫、ヒメサマだった。なぜか人間の言葉を話している。詰まることもなくごくりと甘いものを飲み込んだトーカは、もったいないという思いも吹き飛ぶ驚きでヒメサマに向かって叫んだ。

「え! ヒメサマ!? すごい、言葉! 話してる。しかもめちゃくちゃ男らしいいい声だ。はー、すごい」
「……俺の故郷はここだ」
「ここ?」
「お前が言う神様のいるところだ。地下でも地上でも天上でもない、中庸の地、という」
「ヒメサマ、猫神様だったのか。んじゃ、おれって、ヒメサマの嫁になるのか?」
「……そういうことになる。トーカはアホっぽいけど、実はアホじゃないから真実に辿り着くんだな」
「褒めてる?」
「ああ、褒めている」

 トーカはずっとヒメサマと話せたらいいと思っていた。でも、こういう会話を望んでいたかというとわからない。

「お前が倒れたのは、潔斎に不備があったからだ。水浴びのあと、何か食べたな?」
「あっ……シューラが餞別にって干し肉をこっそりくれたんだ」
「それだな。気付かなくて悪かった」

 ちょんと座ってうつむいたヒメサマを自然に撫でる。静かな部屋にごろごろという音が響いた。

「ここにヒメサマのとーちゃんがいるのか?」
「いない」
「じゃあ、かーちゃん?」
「どちらもいない」
「し、死んじゃったのか? 嫌なこと聞いてごめん」

 トーカ自身の両親も亡くなっていてほとんど気にもしていないが、人によっては繊細な問題だと知っている。

「違う。神に親はない。トーカの思う神と、ここでの神は少し違うんだ」
「神様……お祈りしたら願い事叶えてくれるんじゃないのか?」
ことわりを壊さないものならば叶えてやることもある。だがそれは祈りの強さなどではなく、ただの気まぐれだ」
「そうなんだ。じゃあ、村はどうなるんだ?」
「あの村に大きな災いは起きない。中庸の地の出入り口に近いから」

 トーカは、出入り口に近いことがどんな意味があるのか見当もつかなかったけれど、村に大きな災いが起きないと断言されたことに安堵した。

「そっか、良かった」
「生贄……嫁入りについて聞かないのか?」
「おれなんかが難しいこと考えても仕方ないよ。ヒメサマの毛玉取りして美味いメシが貰えるなら最高じゃん」
「トーカのブラッシングの技術は最高だ」
「へへへ、ヒメサマにそう言ってもらえると嬉しい」

 ずっと、トーカはヒメサマとこういう会話をしたかった。村人たちの、誰かが病気とか死んだとか、家業はどうするだの惚れた腫れたがどうだの、心底どうでも良かった。
 あの村で生まれたわけでもなく、血の繋がった家族のないトーカは、どれだけ良くしてもらっても孤独だった。卑屈な感情ではなく、ただ、事実として受け入れていたけれど、寂しさはあった。
 言葉を話せないヒメサマが話せたら、理想の家族になれる気がしていた。
 満たされた気持ちで、自然に膝に乗ってきたヒメサマを撫でながら話を続ける。

「門番のやつらはどうしてわからなかったんだろ」
「彼らはこの日に嫁が来るとしか知らされていない。彼らは精霊であり神じゃないから」
「神じゃない……ヒメサマ以外にも神様がいるの?」
「ああ、あと二柱いる。全部で三柱だ」
「月と同じ数だ。神様って柱って数えるんだ」

 トーカの脳内では、直立した猫が地上の世界を両手で支えている。

「そうだ」
「みんな猫なの?」
「本性は獣の姿をしている。人間の姿をするのは変化していることを明確にするときが多い」
「ふーん。毛の量が多いのが偉いのかなぁ……」
「違うぞ?」
「おれも髪伸ばしたほうがいいかな」
「っ、そ、そうだな。トーカの髪は長いほうが……いいかな」
「うん」

 ヒメサマは紐状のものが好きだから、髪を編んだら楽しんでくれると想像して笑うトーカ。村の男はみな短髪だったから、トーカも目立たないよう短くしていたけれど、こだわりもなかった。

「トーカ、俺はすぐに大きくなる」
「え! 膝に乗れなくなるの?」
「生まれたての時代が終わってこの地に戻ったから、完全に力が戻った。といっても、変化へんげできるようになるだけだ。今のままにすることもできる」
「良かった。おれ、ヒメサマを膝に乗せるのも、撫でるのもブラッシングするのも好きなんだ」
「う、うむ。俺も好きだ」
「へへ、仲良し夫婦だな」

 膝の上のヒメサマを撫でるトーカは幸せを噛み締めている。穏やかな光の差す不思議な空間に、優しい時間が流れていった。
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