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20 おれは神じゃない
礼拝堂は中央の通り道を広くとり、左右に長椅子が整然と並べられていた。正面には色硝子の象が朝陽を集めてキラキラと輝いていた。白い床に色硝子の象が映ってとても美しかった。
神官が床に映る象を踏まない絶妙の位置で、胸に手を当てて名乗った。
「私は特階神官のカフィラムと申します」
「おれはトーカです」
トーカは関わることがないと思っていたからうろ覚えの知識を引き出した。特階はいちばん偉い神官の階級だったはずだ。三階、二階、一階、特階と進むのが神官だったはずだ。
丁寧語はこれで良かったっけ、と内心で首を傾げながらトーカは名乗った。
カフィラムは緑がかった黒髪に目尻の垂れた細い目をしていた。僅かに見える瞳の色は緑。
名乗る前にフードを取ったトーカを見て、周囲の神官はあきらかに動揺したが、カフィラムは少し目を見開いただけだった。
「育った地域の習慣もありますが、このようななりですから、顔を晒すことは控えています」
他人の反応に、顔が原因ということにすれば乗り切れると踏んだトーカだった。
「確かに……あまりの神聖さ……我らが神よ」
膝をついて涙を流されても、トーカとしては戸惑うばかりだ。そもそもこの神殿に祀られているのは、トーカのリナサナヒメトではない上に、トーカは人間だ。
「いやおれ象じゃないし」
「ええ、ええ存じてあります神よ。此度は違うのですね」
神殿の中では偉いのであろうカフィラムが跪いて額を床に擦り付けるから、トーカはドン引きした。気づけば他の神官も同じようにしている。
そして、これは確かに面倒だと納得する。象だった頃のリナサナヒメトが、人間のこういう態度を喜んでいたとしたら黒歴史でもあるだろう。
トーカは夫のために一肌脱ぐことを決めた。
「おれは神ではない。此度の神は、ただの*だ」
「ああ、神よ。そうなのですね。しかし我らが聖なる神よ、人が神を想う気持ちをお許しいただきたく」
「好きにすればいい。だが、おれは大袈裟な扱いを望んでいない。今は探しものの旅の途中だ」
「なんと! 神でも……いえ、文献にありました。神は人で在ることを愛すると!」
人で在るじゃなくて、人と在ることだな、と、トーカはちょっと変わってしまった文献に興味を抱いた。人間の書物は神ですら都合のいいように改変されているのだろうか。
そして先ほどの、猫ということが音にならなかったことが面白かった。知られたくないヒメサマが介入したのか、人間が認知してはならないことだったのか。ちらりと空のスリングを見る。
『後者だ』
「ふぅん、面白いね」
ヒメサマからの答えが返って笑うトーカを、平伏しているカフィラムをはじめとする神官たちがうっとりと見上げている。好かれたいと思っていない者にうっとりされても迷惑なだけだし、ちょっと気持ち悪かった。
「おれは人の理を壊すつもりはない」
神格のないトーカは間違いなくただの人間であった。けれどこの勢いで神官たちに祭り上げられて石像でも作られたら嫌だった。
「私たちは御身のためならば」
カフィラムの言葉をさえぎって、トーカは彼を立たせた。丁寧語を話し続けるのも疲れて、相手が誤解しているのをいいことにくだけた口調に戻す。
「スープとパン、うまかった。ありがとう。さっきの石も適当に使って。また困ってる人に食事をあげてくれればいい」
「御心のままに!」
「おれはしばらくこの街に滞在するけど、邪魔しないで」
「邪魔とは……何か目的がおありでしたら、協力させたいただきたく存じます」
「いらな……いや、協力? 情報収集とかでも?」
「もちろんです!」
オサヒグンラとの約束では神様の力を借りてはならないけれど、人間の力なら問題がないはずだった。思いがけないところで大きな力を手に入れたようだった。
「情報を整理してから、また来るよ。そうだな、明日の朝食もここで」
「光栄です。情報通の神官もおりますので、呼び寄せます」
「よろしく」
次の約束をしたおかげで引きとめられることもなく、トーカはまだ朝の空気が残る神殿前に出た。
もと来た方向と反対へ向かいながら、ついてきている者がいないか意識してみると、案の定大人から子どもまで三人ほどの気配を見つけた。
「おれ人気者になっちゃった」
つかず離れずの距離だから声は聞こえないと、トーカが呟くと、懐のスリングにヒメサマが戻ってきた。
トーカは尾行者の目的がわからないから、とにかく疲れさせようと素知らぬ顔で街を足早に歩き回ることにした。ついでにヒメサマと情報のすり合わせをしようとすると、沈んだ声が聞こえてきた。
『遠い過去の俺のせいで……』
やはり神のリナサナヒメトにとっては黒歴史状態になっているようだった。毎回別人格になるという話はぼんやりと理解していたが、理解するのにわかりやすい例が目の前に降ってきた。
「別人なんだろ?」
『まぁ、そうだが、記憶だけはあるものだから複雑な気分だ』
ゆっくり話したくなったトーカは、路地に入った瞬間、跳躍して石造の建物の屋根に上り、尾行をやり過ごした。中庸の地でやってみたいこと全てに挑戦してきたからこれぐらいは朝飯前である。先ほど朝飯は済ませているけれど。
トーカが外套の中を覗くと、スリングからはみ出た尻尾がパタンパタン揺れていた。
「おれは面白いよ。季馬の件が片付いたらあの人たちとも色んな話ができたらいいな」
『その頃には神格を得ているから、本当に神扱いされるだろう。だが権力者になるトーカも楽しそうだ』
「おれが権力に溺れてもいいの?」
『いい。しかしその前に俺の肉体に溺れさせる』
「ふっ、ふへっ、んぐふっ……気持ち悪い声出ちゃっただろ」
人目がないのをいいことに、トーカはスリングからヒメサマを取り出して、ふかふかの腹に顔を埋めた。
『トーカには本心しか話してない』
「えへへへ、早くヒメサマの肉体に溺れたいな!」
神官が床に映る象を踏まない絶妙の位置で、胸に手を当てて名乗った。
「私は特階神官のカフィラムと申します」
「おれはトーカです」
トーカは関わることがないと思っていたからうろ覚えの知識を引き出した。特階はいちばん偉い神官の階級だったはずだ。三階、二階、一階、特階と進むのが神官だったはずだ。
丁寧語はこれで良かったっけ、と内心で首を傾げながらトーカは名乗った。
カフィラムは緑がかった黒髪に目尻の垂れた細い目をしていた。僅かに見える瞳の色は緑。
名乗る前にフードを取ったトーカを見て、周囲の神官はあきらかに動揺したが、カフィラムは少し目を見開いただけだった。
「育った地域の習慣もありますが、このようななりですから、顔を晒すことは控えています」
他人の反応に、顔が原因ということにすれば乗り切れると踏んだトーカだった。
「確かに……あまりの神聖さ……我らが神よ」
膝をついて涙を流されても、トーカとしては戸惑うばかりだ。そもそもこの神殿に祀られているのは、トーカのリナサナヒメトではない上に、トーカは人間だ。
「いやおれ象じゃないし」
「ええ、ええ存じてあります神よ。此度は違うのですね」
神殿の中では偉いのであろうカフィラムが跪いて額を床に擦り付けるから、トーカはドン引きした。気づけば他の神官も同じようにしている。
そして、これは確かに面倒だと納得する。象だった頃のリナサナヒメトが、人間のこういう態度を喜んでいたとしたら黒歴史でもあるだろう。
トーカは夫のために一肌脱ぐことを決めた。
「おれは神ではない。此度の神は、ただの*だ」
「ああ、神よ。そうなのですね。しかし我らが聖なる神よ、人が神を想う気持ちをお許しいただきたく」
「好きにすればいい。だが、おれは大袈裟な扱いを望んでいない。今は探しものの旅の途中だ」
「なんと! 神でも……いえ、文献にありました。神は人で在ることを愛すると!」
人で在るじゃなくて、人と在ることだな、と、トーカはちょっと変わってしまった文献に興味を抱いた。人間の書物は神ですら都合のいいように改変されているのだろうか。
そして先ほどの、猫ということが音にならなかったことが面白かった。知られたくないヒメサマが介入したのか、人間が認知してはならないことだったのか。ちらりと空のスリングを見る。
『後者だ』
「ふぅん、面白いね」
ヒメサマからの答えが返って笑うトーカを、平伏しているカフィラムをはじめとする神官たちがうっとりと見上げている。好かれたいと思っていない者にうっとりされても迷惑なだけだし、ちょっと気持ち悪かった。
「おれは人の理を壊すつもりはない」
神格のないトーカは間違いなくただの人間であった。けれどこの勢いで神官たちに祭り上げられて石像でも作られたら嫌だった。
「私たちは御身のためならば」
カフィラムの言葉をさえぎって、トーカは彼を立たせた。丁寧語を話し続けるのも疲れて、相手が誤解しているのをいいことにくだけた口調に戻す。
「スープとパン、うまかった。ありがとう。さっきの石も適当に使って。また困ってる人に食事をあげてくれればいい」
「御心のままに!」
「おれはしばらくこの街に滞在するけど、邪魔しないで」
「邪魔とは……何か目的がおありでしたら、協力させたいただきたく存じます」
「いらな……いや、協力? 情報収集とかでも?」
「もちろんです!」
オサヒグンラとの約束では神様の力を借りてはならないけれど、人間の力なら問題がないはずだった。思いがけないところで大きな力を手に入れたようだった。
「情報を整理してから、また来るよ。そうだな、明日の朝食もここで」
「光栄です。情報通の神官もおりますので、呼び寄せます」
「よろしく」
次の約束をしたおかげで引きとめられることもなく、トーカはまだ朝の空気が残る神殿前に出た。
もと来た方向と反対へ向かいながら、ついてきている者がいないか意識してみると、案の定大人から子どもまで三人ほどの気配を見つけた。
「おれ人気者になっちゃった」
つかず離れずの距離だから声は聞こえないと、トーカが呟くと、懐のスリングにヒメサマが戻ってきた。
トーカは尾行者の目的がわからないから、とにかく疲れさせようと素知らぬ顔で街を足早に歩き回ることにした。ついでにヒメサマと情報のすり合わせをしようとすると、沈んだ声が聞こえてきた。
『遠い過去の俺のせいで……』
やはり神のリナサナヒメトにとっては黒歴史状態になっているようだった。毎回別人格になるという話はぼんやりと理解していたが、理解するのにわかりやすい例が目の前に降ってきた。
「別人なんだろ?」
『まぁ、そうだが、記憶だけはあるものだから複雑な気分だ』
ゆっくり話したくなったトーカは、路地に入った瞬間、跳躍して石造の建物の屋根に上り、尾行をやり過ごした。中庸の地でやってみたいこと全てに挑戦してきたからこれぐらいは朝飯前である。先ほど朝飯は済ませているけれど。
トーカが外套の中を覗くと、スリングからはみ出た尻尾がパタンパタン揺れていた。
「おれは面白いよ。季馬の件が片付いたらあの人たちとも色んな話ができたらいいな」
『その頃には神格を得ているから、本当に神扱いされるだろう。だが権力者になるトーカも楽しそうだ』
「おれが権力に溺れてもいいの?」
『いい。しかしその前に俺の肉体に溺れさせる』
「ふっ、ふへっ、んぐふっ……気持ち悪い声出ちゃっただろ」
人目がないのをいいことに、トーカはスリングからヒメサマを取り出して、ふかふかの腹に顔を埋めた。
『トーカには本心しか話してない』
「えへへへ、早くヒメサマの肉体に溺れたいな!」
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